2020年10月22日木曜日

【No.1117】その「多動」って障害ですか??

発達相談では、ほんまかいな自閉症も多いんですが、ほんまかいな多動も多いんですね。
「ADHDの診断も受けているんです」というお母さんに、「それって、不注意のほうですかね」と訊くと、「いいえ、多動でついているんです」というパターンが少なくありません。
いやいや、家で静かに遊んでいるし、「それやめてね」と言われれば、自分で行動を制止できてるし…。
幼児さんが、公園とか、幼稚園・保育園とかでワーッとなっちゃうのは当たり前。
むしろ、ワーッとならないで、一人でぼんやりしている子のほうが心配ですね。
同じくらいの年代の子が集団になれば、テンションが上がるの普通だし、公園とか開放的な空間に行けば自然と走り回りたくなるのは普通だし。
子どもが子どもらしくして「障害児」になっちゃうんだったら、その診断の付け方が問題ですよ。


どうしてこんなことが起きるのかといえば、1つの診断キットというか、複数の視点や検査で診断していないからなんですね。
家の中で終始動きまわり、テーブルの上に上がる、声を叫びまくる、大人からの制止が利かないというくらいだったらわかりますが、そのようなお子さんはほとんどいなくて、結構、集中して活動できている時間があるんですね、家だと。
まずその家の姿をみれば、その「ADHD」という診断が適切ではないことがわかると思うんです。
だけれども、あるひと場面の様子のみで診断してしまうから、当然、そこで多動や落ち着きの無さを強調しちゃえば、それがすべてになってしまうのです。
でもね、診断ってかなり重いものだと思いますよ。
その診断名一つで、学校や進路、それこそ、服薬するかどうかまで決まっちゃう子とあるんだから。
それなのに、いまだに生物的なマーカーではなくて、親御さんからの聞き取りと、その場での行動のみで診断が決まってしまう。
今、どんな病気でも、それこそ、画像や数値などで客観的に判断できるものまでも、複数の医師が集まって、複数の検査を行い、この病気は本当にこの診断でいいのか、治療法でいいのかを慎重に検討するんですよ。
町医者が喉を見て、「ああ、風邪ですね」というのとは重みが違うんですよ、障害と診断するってことは。


障害というからには、その多動も、自分自身ではどうしようもない、コントロールすることができないというくらいの生活に支障が出るレベルのものだと思うんです。
私も、本当のというか、実際に生活に支障が出ているなと思うくらいのADHDの方たちにお会いしたことがありますが、その激しさというか、自分自身で自分の行動をコントロールできない苦しさ、脳が制御不能に陥っている大変さを感じましたね。
このような方達と対面したときには、薬の力を借りてでも、いち早くこの状態から抜け出してもらいたい、と思いました。
ですから、インスタントに多動と付けられた子ども達を見ると、そうじゃないよな、別の要因があるよな、やりようがあるよな、と思うんですね。


24時間、場所に関係なく動きまわっている子ではなく、ある場面で、一定の時間の中で多動になるお子さんで考えられることがいくつかあります。
まず本人の内側からの要因として…


●呼吸が浅いことによる自律神経優位からくる多動
●動き・身体・筋力の未発達があり、脳からの指令にそれらが応じられる段階にないことからくる多動
●反対に首・背骨が育っておらず中枢神経↔末梢神経がスムーズに繋がっていないことからくる多動
●内耳(前庭系)に未発達があり、自分と空間の位置関係を確かめたいがための多動
●過剰な糖質摂取とそれを代謝しようとする身体の中で生まれる多動
●愛着形成のヌケからくる「世の中がなんだか信じられない、怖い」というソワソワ感からの多動
●背中や身体地図が育っておらず、他人が背面や傍に来ることに対して反射的に行動してしまい、それが多動に見える(主に集団内のみ)
●乳幼児期からの長時間のメディア視聴により、脳の情報処理形態がずれてしまったことによって過剰で速い刺激を求めた結果の多動
●嗅覚の未発達による危険の察知や探索活動としての多動
●聴覚過敏等、未発達からくる過敏さによる回避行動としての多動
●フラッシュバックからの多動
などが考えられます。
もちろん、複合的ですよ。


あと環境側の要因としては、授業がつまらない(笑)、先生が嫌い、友達が嫌い、言っていることが分からない(内耳の未発達→聴覚の未発達も含む)、目に入る刺激が多い(聴覚の未発達からくる視覚優位)、新しい人・知らない人がいる、新しい物がある、何かが変わった、魅力的なモノがある、など。
環境要因は、無限にありますね。


でも一番多いのは、今朝栗本さん(からだ指導室 あんじん 主宰)も仰っていたように『何気ない動きや一見多動と思われる動きの中に自らを発達させていっていることがある』ということですね。
多動とか、落ち着きがないとか言っちゃうと何だか悪いことのように聞こえますが、本当は喜ぶべき姿であり、応援すべき姿なんですね。
家庭訪問でお子さんの様子を拝見させていただくと、「今、一生懸命、〇〇を育てているな~」と感じることが多いですよ。
実際、そういった動きをやり切ると、子どもさん自身で満足されると、スッと静かになったり、別の遊びを始めたりしますね。
こういった場合の多動は、ほとんどが一過性です。
だから決して、24時間、自分でどうしようもなくて動いてしまう多動とは様相が全く違います。
動きが伸びやかだし、何より心地良さそうですもん、子どもさん達。


動物園でチンパンジーや猿などの動物の子ども達を見ても、ヒトの子ども達を見ても、みんな、よく動きまわっています。
そりゃあ、当たり前ですよね。
動くことで自らを育てる必要があるんですから。
幼稚園や保育園、公園に行ってもそうです。
彼らにとって、この世界はまだ知らないことばかり。
だから、自分の身体を動かし、五感をフルに使い、この新しい世界を知ろうとしているのです。
大人から見れば、気付きもしないような虫や草花も、子ども達にとっては興奮し、知りたいと思う存在になります。
ヒトは動くことで自らを育て、人は動くことで世界を知り、広げていく。


時々、大人でも年がら年中動きまわっている人がいますが、そういった人達は脳がまだまだ勢いがあって若いんですね。
そして、「まだ知らない世界を見たい!」という想いが人一倍強い人。
そういった人を、クダラナイ専門家が「ADHDだ」なんて言いますが、自らの資質を磨き、活かして生きている人が障害というカテゴリーに入るわけがありません。
彼らの努力に対して失礼だし、意味のない分類なんてしていないで、彼らのような人に育つような後押し、アイディア、育て方の一つでも出してみろよ、と思いますね。
つまり、私が言いたいのは、「子どもの育ちを邪魔するな、専門家たち!」です。




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