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6月, 2014の投稿を表示しています

個別指導の時間はありますか?

「個別指導の時間はとれません」 このように学校から言われましたと、教えてくれる親御さんは少なくありません。 特に通常学級にいるお子さん達です。 時々、特別支援在籍のお子さんもいますが・・・。 新しいスキルを身に付けるとき、一番大切なことは1対1の個別指導の時間です。 環境が整った中で、学ぶべきポイントに集中して指導を進めていきます。 この個別指導の時間で身に付けたあとで、実際の場面でスキルが実行できることを目指していくことが、自閉症の人たちに最も適した学び方です。 現在の多忙な状況を考えると、通常学級では教員の数も限られており、個別指導の時間を設けることは難しいといえます。 そうなると、教科以外の部分で新しいスキルを身に付けたい場合は、家庭が担わなくてはならないということになります。 近頃、通常学級在籍の方と接して感じることが、1対1で丁寧に学ぶ機会がほとんどない、ということです。 みなさん、教科学習に関してはほとんど問題なくきていましたが、大なり小なり人間関係等で多くのトラブルを抱えてきていました。 お話を聞くと、社会性に関わる部分など、「誰も教えてくれなかった」というようなことをおしゃる方もいます。 TEACCH部のスタッフにコンサルテーションしてもらうと、必ず「どこが1対1の個別指導をするエリアですか?」と尋ねられます。 つまり療育機関において、個別指導とその場所があることは必須の条件であり、とても重要であることを表しています。 集団の中では、その場に応じた振る舞い方ができているように見えても、実際は他人の動きを見て、なんとなく動いているようなこともあります。 物事の理解や新しいスキルを身に付けるには、やはり個別指導が大切です。 この時間が確保できるかどうかが、現在の生活、そして将来の生活へと重要な意味をもたらす、と考えています。 特に通常学級に在籍している子ども達とその親御さん達には、この個別指導の大切さを伝えていく必要があると危機感に近い感情をもっています。

発達障害の子どもの子育ての経験は?

親御さんとお話をしていると、自分の親たちからの"無理解"に苦しんでいる、と言う方が多くいることがわかります。 祖父母の世代の人たちに、特に見えない障害を持っている子どものことを理解して、ということは難しいのかもしれません。 祖父母の世代では、発達障害という概念も確立されていませんでしたし、知的障害を持っていない発達障害の子ども達に日本でスポットライトが当たりだしたのは、2000年以降のことです。 ですから、「落ち着かない子どもは昔からいた」「しつけの仕方が悪いのではないか」「甘やかしすぎ」など、過去の経験からの言動が多くなってしまうのだと思います。 祖父母の世代の人たちにも、発達障害について理解してもらいたいと思っています。 でも、すぐには難しいので、保護者の方にこんなお話をしています。 「祖父母の世代は、子育ての経験は私たちよりもあるのは確かです。 でも、発達障害の子どもの子育ての経験はありません。 ですから、発達障害の子育ての経験で言ったら、お母さんの方がたくさん経験し、お子さんのことを誰よりも理解されていると思います」と。 子どもを育てていくことは、とても大変なことです。 しかも、発達障害という私たちとは異なった捉え方をする子どもです。 ただでさえ不安の多い毎日なのに、祖父母からいろいろなことを言われると、さらに追い詰められてしまう親御さんがいます。 でも、発達障害を持つ子どもの子育ての経験は、親御さんの方が豊富であり、お子さんのことを誰よりも理解していることに気が付いてほしい、と思っています。 子どもへの愛情は、時間が遅れて届くものだと思います。 子どものときに受けてきた愛情は、大人になり、自立し、また家族を持ち、やっと気がつく。 こんな経験、実感はありませんか? 今は、大変な子育ての日々かもしれません。 でも、我が子が大人になったとき、現在の親御さんの想いがその子の"成長"となって表れるはずです。 ですから、たくさん弱音を吐きながら、一緒に頑張りましょう!

安定しているときにこそ、支援を!

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状態や状況が悪くなってから、相談や支援を求めることが一般的です。 でも、状態や状況が悪くなる前、できれば安定しているときにこそ、相談や支援を求めて欲しい、と考えています。 状態や状況が悪いと、まずは安定させることから始めなければなりません。 本人が落ち着いていない場合、アドバイスや支援、療育がほとんど届きません。 また「忘れられない脳」を持っている自閉症の人には、ネガティブな事柄を整理し、新しい記憶へと更新する作業がとても大変です。 本来は本人の考え方や行動をより良いものへと導いていくことが、私たち支援者の役割の中心なのですが、その前の段階で立ち止まってしまうことになります。 自閉症という特性は、生涯変わることはありません。 ですから、自閉症という特性に対し、この社会で生きやすい毎日を送られるようにサポートが必要です。 それは状態が悪いとか、悪くないとかに関係なく。 定型発達の人だって他人のサポートを受けながら生活しています。 自閉症の人たちは、自閉症の部分を理解してくれる人のサポートが必要なだけで、特別なことではないと思います。 てらっこ塾を始めた当初は、地域にいる自閉症のみなさんが、少しでも生きやすくなるようなスキルやアドバイスを届けたい、と思っていました。 しかし、現状は「どうしようもなくなり」「こんな問題が起きて」というような状況で利用のお話をいただくことがほとんどです。 困ったときに頼っていただける存在になれることは嬉しいのですが、もっと安定しているときにこそ利用していただきたい、と思っています。 「起きていないことを想像すること」は、自閉症の人たちにとっても、初めていろいろなことを経験する親御さんにとっても、難しいことだといえます。 ですから、困ったことが起きる前に、そして「こうすれば、今よりももっと生きやすくなりますよ」という見えない"未来"とその"価値"を伝えていくことが、今後の課題だと思っています。 澄みきった青空と函館山

"不登校"を自閉症の視点から読み解く

「学校に行かせた方が良いですか?」 「学校を休ませたら、まずいですか?」 と、不登校状態のお子さんを持つ親御さんから尋ねられることがあります。 私は"不登校"に関しては、経験も浅く、専門ではありません。 ですから、自閉症、発達障害を持つ方たちの支援者として、いつもコメントさせていただいています。 もし学校生活の中で傷ついたり、辛い思いをしているのなら、学校に行くべきではない、と考えています。 何故なら、自閉症の人たちは「忘れられない脳」を持っているので、ネガティブな体験をした場所に行き続けることは、彼らの傷をさらに深いものにし、心身の回復を遅らせるからです。 自閉症の人たちの脳の特性を考慮すると、ネガティブな場所や状況からは遠ざかることが支援の方向性になります。 よく辛い状況であっても「慣れさせる」など、という支援を選択する人もいるのですが、それは定型発達の脳の人への支援の1つでしかありません。 自閉症の人の場合は"慣れる"のではなく、"辛い思いをし続ける"ことになるため、このような支援は適切ではありません。 私自身、学ぶ場所は"学校"でなくてはいけないことはない、と考えています。 しかし、だからといって「学校は行かなくていいですよ」とは言えません。 それは、学校に行かなくなった場合の"学び"の保証がされていないことが多いからです。 傷ついた場所から遠ざかることは大切です。 でも、遠ざかっているだけで代わりとなる"学び"がなければ、そのことも子どもにとっては不幸なことだといえます。 子ども時代の"学び"は、どのような子どもにとっても大切です。 この他にも自閉症の特性である"社会性の違い"、"想像性の違い"から、自己流のルールややり方で空白になった時間を埋めていったり、学校を休むことを別のメッセージとして受け取ってしまったりするという懸念もあります。 自閉症を専門にしている立場から"不登校"を読み解くと、このような見解になります。

公式キャラクター誕生!

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てらっこ塾に公式キャラクターが誕生しました! その名は「うりっこ」です☆   モデルは、函館市恵山地域から出土したイノシシの幼獣(ウリボウ)をかたどった動物土偶です。 縄文時代に造られた土偶だと言われています。 "ウリボウ"と"てらっこ塾"から名前は考えました。 この絵は、絵を描くことが好きで、とても上手な発達障がいを持つ成人の方に描いていただきました! 私は自閉症の人たちの文化を大切にし、彼らの才能を発掘していきたい、と考えています。 この土偶も縄文時代の素晴らしい文化であり、発掘されたことによって多くの人たちに伝わりました。 こんな共通点もあり、函館で発掘されたウリボウの土偶をモデルにしたキャラクターが誕生しました。 みなさん、末永くよろしくお願いします!! 名刺やパンフレット、ホームページ等に登場します♪

200号記念「どんな人と組むのか?」

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2年目に突入したということもあり、いろいろな人や組織から「一緒にやろう」という声をかけていただけるようになりました。 お金の面を考えると、良いお話もあるのですが、実際にはお断りしたこともあります。 それは、自分の中で大切にしている考え方と、相手の方の方向性が異なっているからです。 私は自閉症の人たちを「かわいそうな人たち」とは思っていません。 また、私たち定型発達の人間が「手を差し伸べなければならない存在」だとも思っていません。 今までに多くの自閉症の人たちと接してきましたが、誰一人「自閉症だから、不幸である」とは思ったことがありません。 確かに辛いと感じる状況や状態の自閉症の人とも数多く出会ってきました。 でも、その原因は自閉症だからではなく、一人ひとりに合った学びや支援、周囲の理解がなかったことが不幸である、と考えています。 自閉症の人たちは、自閉症であること自体が決して不幸なことではないし、私は自閉症の人たちが持つ視点や考え方は大いに活かすべきものである、と考えています。 ですから、決して「助けてあげよう」などという気持ちはなく、どうしたら自閉症の人たちの視点や考え方を活かし、社会に還元できるのか、ということを考えています。 その一つの行動として、自閉症の人たちの学ぶ機会を提供したい、という考えのもと、てらっこ塾は歩みだしました。 「公的なお金を受けたら良い」というような助言をいただくこともあります。 でも、私自身にその考えはありません。 何故なら、自閉症の人たちのユニークな視点や考え方に応えていくには、柔軟性が最も大切だから。 公的なお金をもらうということは、制限が加わることを意味します。 みんなから集めた税金を自由に使うことはできません。 私は安定よりも、自由と柔軟性を手にしたいと思います。 「自閉症の人たちの視点を活かした地域づくり」を目指す人たちとは一緒に仕事をしていきたい、と思います。 現在、どんな分野であっても、発達障害についての知識は必要です。 いろいろな人や機関とお互いの長所を活かしたコラボレーションを目指していきたいです! 今回で200号となりました。 いろいろな方たちに「読んだよ」と声を掛けてもらい、いつも有難く思っています。 応援して頂いているみなさま、本当にありがとうございます!

「学校恐怖症では」と思う

通常学級に在籍している自閉症の子どもたち。 その中で、学校に行くことができない子ども達と関わっていると感じることがあります。 学校に対して恐怖を感じている子どもたちがいるということを。 恐怖を感じていることは、一人ひとり違います。 情報が整理されていない教室や他の子ども達の声や動き。 整えられていない環境からの刺激に圧倒され、恐怖を感じている子どもがいます。 周囲の子ども達とうまく関われなかったり、目立つような行動をしてしまう。 その結果、いじめの対象になり、そのことで恐怖を感じている子どもがいます。 担任の先生が自閉症に関して無理解で、激しい叱責や強引な指導をする。 先生の方は事の重大さに気が付いていないが、たった1回のことであっても恐怖を感じている子どもがいます。 不登校支援は「体も、心も、ゆっくり休むことが大事」という話を聞きます。 学校という中で疲れ果てている子ども達は心身の休息をとることが必要だと思います。 しかし、自閉症の子どもにとっては学校という環境を安心できる環境へと変える必要性があると思います。 それがなければ、心身の休息ができたとしても、恐怖を感じる場所、学校へは行けませんし、行ったとしても心身はすぐに疲れてしまいます。 日本では一般的ではないと思いますが、「学校恐怖症」という診断がおりる場合があります。 何らかの心理的な要因により、学校に行けなくなること。 私が関わっている自閉症、発達障害の子ども達の中には、「学校恐怖症じゃないか」と思う子どもがいます。 インクルージョンが進み通常学級で、自閉症、発達障害の子ども達が学ぶことが一般的になっていますが、自閉症に関する理解が乏しい限り、子ども達が安心して学ぶことができないと思います。 自閉症、発達障害の子ども達が安心して学べる場を!