2022年3月31日木曜日

【No.1257】関係性で表れる"発達の遅れ"という現象

先日、おばあちゃんから孫と娘夫婦のことで相談がありました。
言葉が出ない孫に対して、娘が発達障害ではないか、きっとそうだと思い込み、パニックになっていると。
ですから私は勝手に3歳くらいのお子さんかなと思ったのですが、お孫さんの年齢を聞けば、まだ1歳半とのこと。
ネットで調べれば、ほとんどの子どもさんが1歳半の時点で初語が見られるという記事が出てきますが、だからといってすぐに発達障害になるわけでも、今後一切言葉がでないわけでもないと思います。
そのおばあちゃんも言っていたのですが、昔は小学校でもしゃべれない子がいた、と。
そういった子も、気がついたら話ができるようになっているもので、私が知っているだけでも小学校以降、言葉が出るようになった人は何名もいますね。
娘はネットで調べたことばかりで聞く耳を持ってくれないとおっしゃっていましたが、その根っこはおばあちゃんと娘との関係性の中にあるように感じました。


発達の遅れは、観察できるモノではありません。
それは現象であって、様々な出来事との関係性の中で表れているのだといえます。
つまり、発達の遅れというモノが存在しているのではなく、今この瞬間の姿でしかないのです。
しかし現実はその観察できる姿、いや、本人ではない他人が観察した姿を発達障害とラベリングしています。


その子に表れた発達の遅れは、環境(家庭、園や学校、周囲の自然、栄養、遊びなど)と、過去の出来事(胎児期からの体験、ヌケ、健康状態)、遺伝(三世代で引き継がれる資質)の関係性から見ていかないと、その輪郭は掴めないものです。
同じ言葉の遅れにしろ、お父さんが小学校高学年までほとんどしゃべらなかったとしたら、お子さんも同じくらいの時期までしゃべらない可能性が高いでしょうし、運動発達にヌケが多くあれば言葉の発達まで進まないこともあり、言葉を獲得する前の長時間のメディア視聴は言葉の発達を阻害します。
とてもシンプルに言っても、このように環境、過去の出来事、遺伝でそれぞれ遅れを生む要因はありますし、実際は様々な要因が複雑に関係し合い、またそれゆえに個別的な事象となるわけです。


本来、このように確認していかなければわからないものですが、今行われている診断はこのような仕組みにはなっていません。
もちろん、市町村が行っている健診の保健師さん達も、そこまで詳しく確認してませんし、親御さんから「心配」という声が聞かれれば、すぐに発達相談へ繋げているのだといえます。
保健師さんは発達のチェックリストで印をつけていき、医療現場でも診断基準マニュアルに沿って目の前で確認できた姿と、親御さんの問診によって発達障害に当てはまるか、当てはまらないか、を判断している場合がほとんどではないでしょうか。


専門家とは言え、人間が作った人工的なものさし、チェックリスト。
そこには診断者の主観が入り、人間の発達のごく一部を評価しているにすぎませんね。
人間の発達って、とても複雑で多面的ですし、定型発達なんて言いますが、子ども一人ひとりで辿る道は異なります。
しかも、目に見えない部分での発達がとても多いと思うのです。


そもそもほとんどが見えていない発達というものを、無理やり可視化しようとしたのが発達検査になると思います。
ではなぜ、可視化したのかといえば、人間を分けるためです。
明治以降、日本の医療はドイツから多くの影響を受け、そこから学んでいます。
優生保護法や障害者の隔離、大規模な施設入所という歴史から見ても、優生思想が根底に流れていたのを感じ取れます。
さらに平成に入った頃より、アメリカの医療、つまり数値で判断、薬とセットの医療が入ってきて、新薬ができるたびに患者さんが増え続けるという現象が起きています。
「早期診断、早期療育は予後を改善する」というのは建前であり、その根拠は乏しいものです。
そういった歴史から見れば、健常と異常を分けるために、薬を出せる人を見つけるために、診断基準、チェックリストが生まれているような気がします。


ここのところも、0歳、1歳、2歳の子ども達の相談が続いています。
そして就学前の子ども達が薬を飲むかどうかで悩み、また実際に「微量だから問題ない」と言われて服用している子がいるのです。
そういった相談があるたびに、私達は大事なことを忘れてしまったのではないかと思います。
大事なことは、その子が発達障害かどうか、発達に遅れがあるかどうかではなく、よりよく育ってもらいたい、という親心ではないでしょうか。
その親心を育む時間を奪うかのように、発達障害というレッテル貼りが行われているように感じます。
その診断が付くことで、子どもはよりよく育っていけるのでしょうか。
ご家族、おじいちゃん、おばあちゃんは幸せになるのでしょうか。
その子がよりよく育つことができ、幸せになるために診断は必要ですか。


発達障害が様々な関係性から見ないとわからないように、関係性を通してよりよく育っていくのだと思います。
発達障害というモノが単独で存在するのではなく、その子の物語の中で今、表れている現象が発達の遅れ。
そして幼い子ども達にとっては、家庭、親御さんとの関係性が中心になりますので、やっぱり療育や支援よりも、普通の子育て、その子に合った子育てなんだと思います。
ですから、子どもさんも、親御さんも一緒に育つ時間が必要ですし、試行錯誤しながら失敗しながら、その子だけの子育てを作り上げていく過程も必要です。
専門家がその機会を奪っているのなら、発達障害が治っていくのを止めているのは彼らかもしれませんね。




☆新刊『ポストコロナの発達援助論』発売のお知らせ☆

巻頭漫画
まえがき
第1章 コロナ禍は子ども達の発達に、どういうヌケをもたらしたか?
〇五感を活用しなくなった日本人
〇専門家への丸投げの危険性
〇コロナ禍による子ども達の身体の変化
〇子どもの時間、大人の時間
〇マスク生活の影響
〇手の発達の重要性と感覚刺激とのソーシャルディスタンス
〇戸外での遊びの大切さ
〇手の発達と学ぶ力の発達
〇自粛生活と目・脳の疲労
〇表情が作れないから読みとれない
〇嗅覚の制限 危険が察知できない
〇口の課題
〇やっぱり愛着の問題
〇子ども達が大人になった世界を想像する
〇子どもが生まれてこられない時代
〇子育てという伝統

第二章 コロナ禍後の育て直し
〇発達刺激が奪われたコロナ禍
〇胎児への影響
〇食べ物に注意し内臓を整えていく
〇内臓を育てることもできる
〇三・一一の子どもたちから見る胎児期の愛着障害
〇胎児期の愛着障害を治す

第三章 ヒトとしての育て直し
〇噛む力はうつ伏せで育てよう
〇感覚系は目を閉じて育てよう
〇身体が遊び道具という時期を
〇もう一度、食事について考えてみませんか?
〇食べると食事の違い
〇自己の確立には
〇右脳と左脳の繋がりが自己を統合していく
〇動物としての学習方法
〇神経ネットワーク
〇発達刺激という視点

第四章 マスクを自ら外せる主体性を持とう
〇なぜマスクを自ら外せることが大事なのか
〇快を知る
〇恐怖を、快という感情で小さくしていく

第五章 子どもの「快」を育てる
〇「快」がわかりにくいと、生きづらい
〇快と不快の関係性
〇子どもの快を見抜くポイント
〇自然な表情

第六章 子ども達の「首」に注目しよう
〇自分という軸、つまり背骨(中枢神経)を育てる
〇首が育っていない子に共通する課題
〇なぜ、首が育たない?
〇首が育たない環境要因
〇首が育つとは
〇背骨の過敏さを緩めていく
〇首を育てるには

第七章 親御さんは腹を決め、五感を大切にしましょう
〇子育て中の親御さん達へのメッセージ
〇部屋を片付ける
〇子どもと遊ぶのが苦手だと思う親御さんへ
〇ネットを見ても発達は起きません
〇発達刺激という考え方
〇五感で子どもを見る
〇特に幼児期は一つに絞って後押ししていく

第八章 自由に生きるための発達
〇発達の主体を妨げない存在でありたい
〇大人が育てたいところと子どもが育てたいところは、ほとんど一致しない

あとがき
こういう本を読んできました
巻末漫画

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2022年3月30日水曜日

【No.1256】肺疲労の子ども達

新刊『ポストコロナの発達援助論』を読んでくださった方から、こんなメールをいただきました。
「書いてあった食事と首の話を早速実践したら、良い変化がありました」と。
こういったお便りは嬉しいですね。
もちろん、因果関係は不明ですし、たまたま変わるタイミングだったとも考えられますが、日々の子育てのアイディアの一つととして採り入れていただき、しかもポジティブな変化があったことは、そのご家族、お子さんにとっては幸せな出来事なのですから。


昨日は8歳以下の子ども達の影響についてお話ししましたが、8歳以降と言いますか、小学生以上の子ども達への影響についても情報共有していきたいと思います。
なぜ、小学生以上かと言いますと、小学生が教師、大人の言ったことに対して一番従順な年代だからです。
中学生くらいになると、登下校、自転車に乗っているときなども、マスクを外している姿を見かけますが、小学生は常につけています。
たまにマスクをつけていない小学生を見かけると、うちの子だったりします(笑)
それくらいみんな外さないし、外すことが赤信号で渡るくらい重く考えている感じです。


小学生は7時50分ごろ、家を出て、15時半くらいに帰ってきます。
これだけでも7~8時間くらいマスクをつけ続けているわけで、そこから習い事や遊びに行ったらさらに1~2時間プラス。
児童デイに通っている子だったら、長い子で18時頃までつけ続けています。
これだと起きている時間の半分以上、マスクをつけていることになりますね。
となると、一番の問題は肺の疲労になります。
数値的には人体に影響がある酸素量の低下は見られませんが、肺に負荷がかかり、少しずつ疲労が蓄積していると考えられます。


この2年間、小学生の子の相談を受けていると、どうも過敏な子と排泄面、特にうんちのほうに課題を持った子が増えたような気がします。
過敏な子が増えたのは、「呼吸が浅くなった影響かな」と思っていたのですが、調べていくと肺の状態、動きと皮膚&体毛は関連があるようで、肺の疲労→皮膚&体毛の状態悪化→外刺激への抵抗力低下→防御反応としての過敏さ、という感じです。
あと嗅覚に課題を持っている子も増えた感じがします。
排便に関しても、肺と大腸の動きはそれぞれが密接に関わっているということでしたので、肺疲労がうんちを押しだす力の低下となり、便秘やスッキリ出しきらない感じ、それが精神面でイライラとなって表れているのかもしれませんね。


肺は全身の機能と関わっていますので、肺が疲労すると、全身の動きが鈍くなるような気もします。
そう考えると、マスク姿の幼児さんはあまり動きまわっていませんよね。
小学生も、自粛ゆえに遊びや運動の機会が減ったことが体力、運動機能の低下として報告されていますが、肺疲労→全身の疲労→動きたくない→動きが減る→体力の低下という流れになっているとも考えられます。
以前は登下校の際、キャッキャと言って走り回り、追いかけっこしている子ども達をよく見かけましたが、今の登下校はみんな下を向いて静かですね。
下校時なんて、学校が終わった解放感から、子ども達はテンション高く動きまわっていたのに、21時台の山手線のサラリーマンみたいな感じで疲れ切っているように見えます。
こんな何もない北海道の子ども達がそうなのですから、都会の子ども達はさぞかしお疲れのことかと思います。


人間はいつから数値でしか人を見ることができなくなったのでしょうかね。
コロナ騒動では、自宅療養の人がパルスオキシメーターを使い、自分の血液中のヘモグロビンがどのくらい酸素を運んでいるかを確認していました。
もちろん、高齢者で感覚が鈍くなっている方には補助的な役割として必要な道具なのかもしれませんが、それ以外の人は苦しかったら苦しくて、そうではなかったら大丈夫なのではないでしょうか。
医師も、本人が苦しいと訴えても、「まだ90%を切っていないから大丈夫」などと人ではなく、数値で人を見ている感じが。
「長時間のマスクは息苦しい感じがする」という訴えに対しても同様に、「正常値の95%以上だから問題ないでしょ」となるわけです。


肺が疲労しているかどうか、長時間のマスクによって呼吸に負荷がかかることの心身への影響については、画像診断も、数値化もできないのかもしれません。
しかしここは西洋医学の弱点であり、現在医療の限界のように感じます。
見えないもの、数値化されないもの、標準化されていないものは、ない。
それゆえに、ないものを訴える人は、精神の問題にされてしまうんですね。


私の相談者、関わる子ども達の間だけの狭い話にはなりますが、このような症状をもつ子が多いのは事実であり、実際、マスクが苦しいと訴えている子ども達もいます。
でも、本当に怖いのは、まだ明確に訴える手段がない子、最初は感じていたけれども、それが普通になってしまっている子ですね。
そういったときに、このような事例が大人たちの想像力の源になるはずです。
見えないものを想像する力こそ、子育て、発達援助には必要なものであり、その力を一番強く持っているのが親御さん達だと思います。
本来、親御さんが強く持っている想像力を「数値化できないから」といって否定してきたのが医師であり、専門家。


その子の内側になる不快感が解消され、充実した毎日が送られること。
そしてその子が求めている刺激、発達に向かって伸びやかに進んでいけること。
それこそがより良い成長と発達に繋がるのではないかと思っています。
ですから、専門家に奪われた主導権を、家庭がもう一度手にすると、子ども達はよりよく変わっていけるものですね。
見えないものを感じ合えるのは、親子という関係性だからこそ。
そういった親御さんの見えないものに対する感覚、根拠のない自信を言葉で説明し後押しするのが私の仕事の一つだと考えています。




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2022年3月29日火曜日

【No.1255】医療を待っていても、子どもの発達は待ってはくれない

新型コロナの後遺症は認められるのに、ワクチン後遺症はダメというのは困ったものです。
言い分としては、一個人の医師が勝手に『ワクチン後遺症』などの診断をするな、ということなのでしょうが、たぶん、その基準は医学会をあげて作る予定も、作るはずもないですよね。
もし作ってしまったら、責任と補償の話になりますので。
ワクチンメーカーの免責は契約書に書かれているようですし、責任の所在である国としても認めたくないし、認めざるを得ない状況になっても、かなり狭い範囲での認定になるはずです。
既にワクチン接種後にお亡くなりになっている方がいるわけで、過去に戻って詳細な検視をすることも、そして何よりも万が一認められたとしても命は戻ってこないのです。


公的な診断基準がないのは当然なことで、こういった問題の気づきはやはり現場レベルで起きるのだと思います。
そもそも交通事故でも、自殺でも、PCRが陽性になったら『コロナ死』になるのは、データを集めて傾向を見るためでしたよね。
陽性者の死因の中で自殺が有意に頻繁に起きているのなら、そこから自殺と新型コロナの関連性、もしかしたら脳の特定の部位に影響があるのかも、といって研究が進められていくわけです。
治験中のワクチンですから、当然といえば当然です。


異変に気がつくのは本人、家族が最初で、次は現場で接している人達だといえます。
個人的なエピソードから始まり、そういったケースが積み重なっていくと、研究が行われる。
その過程の中で、個人と向き合う医師や支援者が「どうにかしたい」と懸命に治療していくと、「もしかしたら有効かも」といえる治療法が見つかる。
そして最後に治療法とセットで診断基準ができるのだと思います。
治療法や改善法のない診断は、そもそも必要がないんですね。


「マスクで発達に影響があるのなら、高地に住んでいる人達、民族はみんな発達障害になるのか」という意見もあります。
たぶん、そういった意見もあることと思い、調べておいたのですが、そういった人々は長年その土地に住むことで高地で空気が薄い環境に適した人が、遺伝子が淘汰されているため、影響が出ないということでした。
南米は標高が2000m以上のところで生活している人達が多くいて、そういった人達は百年、千年単位で人間自体が変化してきたわけです。
日本人がそういった場所に行くと、すぐに体調を崩してしまいますね。


日本の多くの子ども達は、高地に適した遺伝子を持っているわけではないと思います。
そうなると、マスクによって息苦しくなることが心身に影響が出る子がいても当然でしょう。
もちろん、マスクをつけた子=発達障害になる、なんてことはないでしょうが、それがリスクになる子もいるはずです。
というか、私のところに来る相談の中でも、そういった子が増えています。
私は研究者ではなく、いち支援者、実践家ではありますが、だからこそ、子ども達の変化に気づきやすいのだといえます。


胎児、子どもにとって「鉄とタンパク質」が重要なのは、その欠乏が赤血球を減らし、結果的に酸素不足を招くからです。
ですから、栄養療法で改善する発達障害の子は、マスクの影響が出やすいと考えられます。
知ってか知らずか、数年前から栄養療法がブームになってのは、このためだったかもしれないと思うくらいです。
コロナ以前から栄養療法に取り組まれてきたご家庭、それによって改善したご家庭は、マスクの影響をストレートに受けずに済んだのだと思います。
一方で、栄養面に課題があって、このたびのマスクが重なった子の発達の停滞が強く出ているように現場感覚としては感じています。


神経系の発達は8歳までが重要なのは、すでに広く知られていることです。
ですから、この8歳がマスクの影響の境目、つまり、8歳以下の子ども達への影響は9歳以上の子ども達と比較して強く出ていると思います。
その中でも0歳から2歳なのか、3歳から5歳なのか、6歳から8歳なのか、どこでマスクを着用していたかで神経発達のスピードへの影響は異なるでしょうし、年齢によって中心に育つ感覚系、運動系が異なったりもしますので、周囲の大人のマスク姿(顔や口がよく見えない)、他人と触れ合う機会の制限が発達のヌケになって表れると考えられます。
実際、見て学習する時期の2歳以下の子ども達は、目の動きが違いますね。
あと、やっぱり口の課題が出ています。
もちろん、言葉の遅れも。
『ポストコロナの発達援助論』でも、「こういった遅れが出るのでは」「ちらほらみられています」という感じで書きましたが、その傾向は顕著になるばかりで、外れてほしい予想が外れなそうです。


この前も0歳代の子の相談がありました。
そもそも周りにいる人の口が見えてない、親以外の人との交流が乏しい環境の中で育っていますので、それが「遅れ」といえるのか、そういった異質な環境の中にある意味、"順調に"適応して発達しているのか、わかりませんよね。


今回のワクチン後に続く不調、障害に対して、多くの医師が「気のせいだ」「精神科を受診しては」と言っているという話があります。
診断基準のない病名はないという前提なのですから、原因が本人の内側に持っていかれてしまう。
マスクの弊害だって、診断基準はできないでしょうから、いつまで経っても、気のせいか、私のような支援者はトンデモ扱いになると思います。
でも、目の前にそれで困っている子ども達がいるのなら、その子の本来の発達を取り戻すため、頑張っていきます。
そして現場感覚という強みを活かし、より早く、必要な方たちへ情報と援助の仕方をお伝えしていきたいと思います。
医療を待っていても、子どもの発達は待ってはくれませんので。




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2022年3月24日木曜日

【No.1254】食事は単なる栄養素の足し算ではない

2,3年前でしょうか、栄養療法が発達障害の世界でもブームになったのは。
当時はどこのご家庭でもプロティンとサプリがあり、高タンパク質&低糖質の食事を心掛けていたと思います。
確かに発達障害も、神経の発達に課題がある子ども達ですので、その神経発達に必要な栄養を整えていくことは意義があったことだといえます。
実際、栄養を見直したあと、落ち着いて学習ができるようになったり、発達、成長のスピードが加速したように感じられたりしました。
ですから、私も栄養療法の紹介は積極的に行っていました。


しかしそれから月日が経ち、私が思い描いていた栄養療法のイメージと、それを受け取った親御さんのイメージの間にギャップがあるような気がしてきました。
私が栄養療法を知ったとき、最初に思ったのは「根本治癒の道が一つ明らかになったな」ということです。
つまり、栄養を整えることで発達障害が改善するということは、その子の栄養状態に問題があるからで、その根っこは日々の食事のメニューと量、本人の偏食や小食、胎児期の栄養状態、親御さんの栄養状態、母乳かどうか、などがあるのだと考えたのです。


「発達障害が栄養療法で良くなる」が、いつの間にか「発達障害は栄養療法で良くなる」に変わっていったように感じています。
その子が発達障害だからといって、栄養療法で良くなるとは限りません。
もちろん、栄養は発達障害以前にヒトとして、動物として大事なことですので、それを整えていくことはプラスになると思うのですが、それでも「栄養が本来のその子の発達を阻害している」という前提がなければ、治ってはいかないと思うんです。
ですから栄養療法という視点を得た私は、改善法としてというよりも、根本治癒を目指すためのアセスメントの一つとして捉えていました。


アセスメントの基本原理として、現在から過去の順番に、生理的な反応から動き→感情→言葉の信頼度というものがあります。
ですから栄養面のアセスメントで言えば、今の食事と量、偏食の有無、排泄の状態、嗅覚&味覚の発達状態、舌の動き、嚥下の力、あごの大きさ、唇の過敏さ、歯並び、乳歯or永久歯(生え変わりの時期) かなど、今の状態から確認していきます。
そしてその後、現在から赤ちゃん時代、胎児期に向かっていき、さらに親御さんの世代、祖父母の世代へと発達の歴史を辿っていきます。
そうやって辿っていく中で、栄養面の引っかかりが複数確認できて初めて、栄養療法が一つの選択肢として表れてくるのだといえます。
もちろん、歴史を辿る前に、現在の食事の状況に課題が複数あるとすれば、たとえば偏食があって、嗅覚の未発達があり、便の状態が悪い、というのでしたら、まずはここから見直していくことが優先事項になります。


栄養療法で効果があったから、そのまま続けているご家庭も多い気がします。
しかし、その栄養療法はいつまで続けるのでしょうか。
それは「何が根本の原因ですか?」と同じ意味になります。
療育や支援と同様に、「いつまでその支援を受け続けますか?」「どうなったら支援から卒業しますか?」という問いになります。
ある意味、栄養療法がうまくいき続けているのなら、根本の課題が解決していないといえます。


桶の水がいっぱいになるように蛇口をたくさん捻って水を出せば良い。
でも本当は桶に空いている穴を防ぐほうが大事。
短期的な応急措置として1ヶ月、数か月単位で栄養療法を行うのは良いと思いますが、それが一年も、二年も続くようでしたら、根本の問題解決をしなければならないと思います。
同年代の子ども達は、一般的な食事で健康が保たれ、神経発達も生じているのですから、目指すべきは普通の食事で普通に育つことではないでしょうか。
普通の食事で消化吸収できていないのでしたら、噛む力を育てたり、味覚&嗅覚を育てたり、内臓を育て、循環器系と腸内環境を整えるほうが大事ですね。
いずれも、後天的に育てることができますので。


栄養療法の本を読んでいると、よくなった事例のみが出てきます。
裏を返せば、変化がなかった事例、反対にネガティブなことが生じた事例は載っていないわけです。
これはその他の療法にもいえることで、その療法について詳細に載っているような専門書、教科書的なものには良かった事例のみが記されているものです。
私はあくまで消費者側で、その個人がよくなることが最優先ですので、また実際に行っている人達と直にお話を伺える立場ですので、当然、個人個人合う合わないがあって、ネガティブな面も見聞きするのです。
その懸念していることは、新刊『ポストコロナの発達援助論』でも書かせていただきました。


栄養療法を対処療法の一つに、西洋医学のような「プロティンを〇gとって、鉄は〇g…」と数値で捉えてしまっては勿体ないような気がしています。
食事は単なる栄養素の足し算ではなく、人類がなにを食べてきたのか、どうやって消化吸収の機能を獲得してきたのか、そもそも人間にとって食べる行為とは何かといった視野が必要なのではないでしょうか。
食事には食べる&調理する&獲物(食物)を獲るという身体活動、消化吸収排泄の内臓活動、味わうの嗅覚&味覚、コミュニケーション、人と人との交流、他者との共感、本能的な快の感覚、記憶、創造性など、様々な機能があり、発達の機会と入り口だと思います。


小学生の黙食に対して大人たちが「それはおかしい」「かわいそうだ」という声を上げています。
それは多くの大人たちが直感的に良くないことだと分かっている証拠だと思います。
もし栄養素の足し算だったのなら、ただ食べ物を口の中に入れ、飲み込めば良いだけ。
それは違うよねって、みんなが気づいているからこそ、黙食がおかしいと思い、大人たちは飲食店に集まり、食事をするのでしょう。
まん防も何も出ていない日本の今日は、普通の平日の一日。
学校も終業式を終えたところばかりですので、子どもも、大人も、みんなで集まって食事を楽しみましょう!
ちなみに法律的には緊急事態宣言が発出されているときのみ、「行政は自粛要請ができる」になっていますので、今行われている自粛要請は法的根拠のないただのお願いです。
お願いなら、いつでも誰でも断れますね♪




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2022年3月23日水曜日

【No.1253】特別支援の世界に親子を閉じ込めてしまってはいないだろうか

やっぱり免疫の訓練は大事だと思うんです。
特に子ども達、若者たちはリンパ系がダイナミックに発達する時期ですから、いろんな細菌やウィルスなどの刺激を受け、免疫記憶を獲得するとともに、自身の免疫を育てる必要があるといえます。
コロナ以前から抗菌や除菌された環境、外遊びなどをしない中で育つ子ども達が増えていました。
それが子ども達のアレルギーや腸の問題と関係しているという医師もいます。


赤ちゃんは産道を通るときに、体内に細菌などを取り入れ、母乳によって免疫物質を受け取ります。
そして自然免疫が育ち始まる1歳半ごろから、免疫を獲得していきます。
もともと人間も動物で、今のような除菌された環境で過ごすように身体はできていませんので、腸内細菌のバランスが崩れてしまうようです。
赤ちゃんがいろんなものを嘗めるのも、子どもが泥だらけになって遊ぶのも、もっといえば鼻くそをほじって食べるのも、体内、腸内に雑菌を取り入れている行為であり、それが身体のバランスには必要だったんですね。
そういった雑菌に触れる機会が少ない環境が免疫の過剰反応と繋がり、過剰なアレルギー反応となっているそうです。
発達障害の子ども達にも、アレルギーや腸に課題を持っている子が少なくないですが、運動発達のヌケ→遊びの狭さ→外遊びの経験不足→腸内細菌のバランスの崩れ、ということもあるかもしれないと思いました。


子どもは風邪を引くのが、大事な発達イベントの一つなのに、なんだか風邪もひいちゃいけないような2年間が過ぎようとしています。
子どもは鼻を垂らしながら、みんなで遊び、お互いにウィルス交換しながら強くなっていってたと思いますね。
そういえば、村のお祭りも、一堂に集まり、定期的にウィルス交換し、集団免疫を作ることに繋がっていたという話もあります。
そう考えると、子どもも、大人も、みんなで集まり、交流することが個人の免疫を刺激し、それが健康につながっていたといえます。
「高齢者を守るために」と散々言われてきましたが、不安を煽り、誰にも会わない状況を作ることは、却って免疫を刺激する機会を失い、さらに筋力や脳の老化に拍車をかける結果になったように感じます。


この「高齢者を守るために」と似たようなことが、特別支援の世界でも起きているような気がします。
これは発達障害の本人ではなく、その子を育てる親御さんにです。
親御さんは良かれと思って、療育や支援を受けるために子どもを連れていきますが、それが親として育つ機会を失わされているような気がするのです。
子どもさんの年齢分だけ、親としての年齢になるわけで、子どもが生まれた瞬間に親になっていくのではありません。
それなのに知らず知らずのうちに、自分で試行錯誤しながら、何よりも我が子をしっかり見ながら子育てを創造し、親と子の関係性を築いていく過程を抜かしてしまう。
親御さんに「息子さんの良いところはどこですか?」と尋ねても、パッと出てこない方もいて、中には療育機関で言われたことをそのまま答えている方もいたりします。


今ではそういった依頼はほとんどなくなりましたが、「定期的にレッスンして治してくれるんですよね」という話が以前はありました。
どうしても、「専門家の意見を聞く、支援を受ける」という姿勢が身についてしまっている親御さんは、自分よりも専門家は優れていて、その優れた方法を受ければ良くなっていく、という思考ができているような気がします。
一般的な子育てでは、そんなに専門家と関わる機会はありませんので、一度診断を受けると、特殊な環境に入り込んでしまいますので、親御さん自身も気づかないうちにそういった思考になってしまっているんだと思います。


専門家の功罪の中には、こういった親御さんが親として育つ機会を奪っていることがあると思います。
専門家の行う支援は、あくまで特定の環境の中でうまくいく方法であって、たとえば園や学校、福祉施設で、またその手段も一般的な子育ての方法ではなく、学問としての専門的な、ある意味特殊な方法だといえます。
そんなことをいくら実践しても専門家っぽくはなりますが、親としての自覚と振る舞いは培われていかないと思います。
どうも、親としての自信がないのも、専門家依存に繋がっているように感じます。


発達障害を治すのは方法論ではありません。
我が子を治したいと言いながら、なにかその方法を探そうとしていたり、なにか特別なレッスンを受ければ良いと思っていたりしてはいないでしょうか。
子どもに全体的な発達が見られていく中で、自然と治っていくのが「治る」というものです。
つまり、発達に遅れがある子だとしても、行うのはその子がよりよく発達成長できるための子育てであり、育つための環境を用意していくこと。
それには親御さん、家庭の力が重要ですし、より良い子育てを目指していく中には、親御さん自身、いろんなことを試行錯誤しながら、また失敗もしながら、「ああ、うちの子にはこういった後押しが必要だったんだ」と気づいていくことが大事だと思います。


発達障害が治っていくためには、まずその原因を取り除き、改善しなければなりません。
特別支援の世界はあくまで「支援」の世界ですので、根本の原因への対処は行われませんね。
発達を遅らせている原因、とくに環境面に関してはあとからでも改善できますので、まずはそこの改善を行い、次に発達のヌケ、遅れの部分が育つようなアプローチをしていく。
この発達のヌケや遅れを育て直す課程において、助言を専門家から受けることは必要かもしれませんが、発達は週に1回のレッスンで生じ、育つようなものではないので、あくまで家庭で育てていかなければなりません。
専門家は助言はできても、親御さん、家庭の代わりはできないのです。
神経発達とは継続的な刺激が必要ですね。
神業で一発で治る、神経発達が生じるなんてことは滅多にありません。


「いろんなアプローチをやっているんですけど、治らないんです」という相談をいただくことがあります。
実際に確認してみると、専門家の先生のところに定期的に通っているだけだったり、やっているといっても継続できていなかったり。
そしてご自身でも続けてできないことに悩まれている方もいらっしゃいます。
支援は専門家が行うもの、頼るものという姿勢ができていると、コツコツ継続して行う子育てというのがしんどいですよね。
子どもの成長とともに、二人三脚で親としても育ってきた方はそうではないと思うのですが、「何回やればいいんですか?」「どのくらいの期間やれば終わりますか?」など気になってしまうのは、子育てが支援、仕事みたいに感じちゃっているのかもしれません。


「どこかにより良い子育ての方法があり、どこかに治る方法があって、治せる専門家がいる」
このような誤解を招いてしまっているのは、「子育て」という言葉を「療育」「支援」という言葉に変えてしまった特別支援の専門家、支援者たちだと思います。
長年、親御さんに親ではなく、その子の支援者になることを求めていたのが特別支援の世界。
なんだか子どもがパニックになることが悪いことかのように指導されてきました。
発達途上であり、いろんな凸凹、未発達を抱えている子どもさんですから、パニックになったり、問題行動が生じたりするのは自然なことです。
そんなとき、親子で一緒に泣いたっていいじゃないですか。
そして、そっとその家庭に専門的なアイディア、助言を行うのが支援者の役割。
子どもを特別支援の世界に閉じ込めておくのは、彼らの育ち、鍛える機会を失わせるだけではなく、親御さんが親として育つ機会をも失わせてしまいますね。
本当に支援を受けること、それを最優先にすることが本人と家族の幸せにつながるのか、もう一度、考える時期にきていると思います。




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2022年3月22日火曜日

【No.1252】特別支援の世界にある「科学」

昨年の秋、どうして第五波の(さざ)波が収まったのかを尋ねられた感染学の専門家の教授が「皆さんがピタッとマスクをつけるようになったから」と言っていましたね。
ということは、現在の陽性者が減り続けているのは、ピタッとマスクが増えてきたからでしょうか(笑)
欧米で減らなかったのは、彼らの高い御鼻が邪魔をしてピタッとができなかったからでしょうか(笑)
そんなに簡単なことで波が収まるのなら、まん防なんかしないで「ピタットマスク週間」と都知事がフリップ芸をすればよかったのに。


歌舞伎町に始まり、人流や飲食店など、科学的とは言えない専門家の発言が目立ちました。
結局、感染予防にどんな対策が効果的だったのでしょうか。
誰一人として、その対策について科学的な結論を出した人はいません。
ですから、なんとなくやっているマスクも、消毒液も、アクリル板も、やめられない、止め時がわからなくなっている。
科学を無視した専門家と、権威に従うだけの羊たちの合作により、コロナ騒動は生まれ、続いているのだと思います。


これは小学校レベルの話ですが、科学の基本は再現性です。
マスクをピタッとつけたら感染しなかった。
でも、マスクに隙間を作ったら感染した。
そのように「Aをしたら、常に結果がBとなる」、それを明らかにしていくことが科学の基本だといえます。
ですから飲食店の20時を決めるのなら、ウィルスが20時を過ぎたあたりから活発になるか、19時59分まで飲んでいた人と、20時00分に飲んでいた人とを比較し、その違いを証明しなければなりませんね。


この国では「エビデンス」も、「科学」も、自分の無能さを隠すための道具なんだと思います。
本当の意味で、科学的な思考ができる人はごく僅かなのでしょう。
もしくは「それは科学とは言えないな」と思っていても、権威や他人の目と比べれば、その優先順位が下がってしまう人が多いのでしょう。


試験管の中や対象が物質などでしたら、A→Bという100%の再現性が証明できると思います。
しかし、こと対象が人となると、条件がコントロールできませんので、つまり、個人差が複雑で、それを構成する要素が無限にありますので、必ず100%というのは不可能な話です。
そうなると、やった場合とやらなかった場合の差を見て、それが偶然な差なのか、明らかに偶然とは言えない差なのかをみて、効果のあるなしを判断します。
ワクチン接種した群と非接種の群を比べて、陽性率や重症化率、死亡率をみていますね。


同じような視点で、今も続いている特別支援における療法を見ていくと、ぶっちゃけ大した効果が期待できないのがよくわかります。
有名な視覚支援にしても、その有効性を示す根拠となった研究では対象者が知的障害を持っている自閉症の子ども達です。
ファイザー→ファイザー→モデルナのチャンポンの研究がないように、知的障害のない自閉症の子ども達に有効かどうかはわからない。
あったとしても、一言で視覚支援といっても、その形態は異なりますし、初期の研究のように、それまで教育の機会が免除されていた子ども達に対して、視覚支援を導入した方が伸びた、心身が安定した、というレベルの話ですので、「視覚支援すれば、万事落ち着く」「うちの子も伸びていきます」みたいなのは期待し過ぎだと思います。


一般的な療育法、支援法以外のものを行っている親御さんや私達のような実践家に向かって、「それはエビデンスがない」「非科学だ」という人もいますが、そもそも特別支援の世界に誇らしげに言えるほどの科学は存在していません。
そうやって自分たちが科学的と思っている方法だって、ネズミで証明されたとか、どこか遠い国の数名の被験者の中で効果があった、というレベルです。
つまり、そのように「科学」を振りかざしている人は、「マスクが有効だ」と言っている連中と同じです。
そりゃあ、他人の飛沫が顔に直接付くのは防ぐでしょうから、ちょっとは意味がありそうですが、その差って微々たるもので、しかもマスクによる弊害は無視です。
それこそ、科学というのなら、メリットとデメリットを比べる必要がありますね。


療育や支援を受けることは、何もしないことと比べると、多少なりとも効果が期待できます。
しかし、療育や支援に行かない子は、何もしない子なのでしょうか、そういったご家庭は何も育てるようなことはしないのでしょうか。
ここに特別支援の闇があるのです。


診断を受けた子は、ほぼ自動的に療育や支援を勧められます。
でも本来は、発達に遅れがあったのなら、その遅れが取り戻せたり、よりよく育っていければいいわけです。
それは必ずしも療育機関でなくて良いわけで、家庭で、一般の幼稚園や保育園で、普通級で発達、成長していければ良いのです。
意識しているか、無意識でしているかは分かりませんが、基本的に療育や支援を勧めるということは、家庭の育つ力、一般の幼稚園や保育園での育つ力、そして何よりも本人の内側にある育つ力を信じていない、一段低く見ている表れでもあります。


上記でお話しした通り、比べることが大事です。
家庭の養育力と療育機関の養育力。
療育に行くことで得られることと、失うこと。
年端もいかない子を連れて療育機関に通うご家庭では、愛着形成に課題を持つ子が多かったり、家族が崩壊してしまうことがあります。
まさに「コロナで死ななければ、死んでも構わない」という自分の領域しか見ていない専門家(バカ)の発言と一緒ですね。
発達障害を持つ子どもは療育に通うために生きているわけではなく、療育に通わせることが家族のすべてではありません。
乳幼児期は親御さんとの間で愛着の土台を育んでいく時期ですし、家庭という落ち着いた環境の中で過ごすことも大事なことです。
療育があるからといって、大事なお昼寝の時間がとれなかったり、幼稚園などでの同年代の子ども同士の自然な関わりと刺激が得られなかったり。
私は療育の陰で、子どもの大事な時間、刺激、発達の機会が失われていると感じます。


富岳が飛沫を可視化した映像を流したことがありました。
でも、生きていている人間なら、真っ正面で飛沫を浴び続けますか(笑)
多少は逃げるでしょうし、飛沫を飛ばす方も向きを変えたり、口を押さえたりしませんかね。
さらにいえば、人間には免疫機能がありまして、浴びたウィルスがすべて細胞内に入っていくわけではありません。
「42万人死ぬ」だって、「みんなが何も対策をしなかったら」という前提で計算がされているわけで、私たち日本人の多くは毎日お風呂にはいるし、トレイのあとは手を洗いますよね。
つまり、きれいに見えるデータは対象をとてもシンプルにしなければならないのです。
だから、「自閉症児には有効だ」とか、「ADHDの子は服薬で落ち着く」とか、対象がラベルで、ざっくりしていますよね。
「自閉症児に有効だというけれども、うちの子にはどうなの?」には答えていないし、答えられない。


親御さんが分からないと思って、特定の療育法をごり押ししてくる専門家、支援者は少なくありません。
精神科薬の服用だって、必要なのは自閉症児の何パーセントに効果があって、どんな効果がどれくらい続くのか、反対にそれによってどんな副作用、リスクがあるのか、ですよね。
そうやって本当は親御さんが、もちろん子どもさん本人が、自分で考え、判断できる情報を提供することだと思うんです。
それが科学が求められる部分であり、専門家の役目でしょ。
「とにかく11歳以下の子どももワクチンを接種してほしい」というのは、ただの個人的な意見です。
同じように「ワクチンは有効です」に関しても、大事なのはその根拠となるデータですよね。


発達障害の分野の難しいところは、万人に共通するような療育、方法、薬がないことです。
ある程度の人数が集まれば、その有効性がわかるかもしれませんが、それでも個人的な条件、要素を完全に排除することはできません。
つまり、生きている人を育てているのですから、目の前にいる子に合わせて、オリジナルの方法、子育て、発達の後押しの仕方を組み立てていくしかないのです。
なので、人を育てる分野なのに、「エビデンス」とか言っている人は、そもそもが人間オンチで、人を育てることが無理だと言っているのと等しいんですね。
エビデンスのある公園の遊び方ってありますか(笑)
その砂場での遊び方にはエビデンスがないから、やらないほうがいい、とかありますか(笑)


究極で言えば、子育てって、その子の内面が充実するかどうかの主観でしかないと思います。
早期療育が良い(これものちにエビデンスは否定された)という言葉で、年端もいかない子を連れて療育に通う。
それでその子が満足しているのなら良いですが、そして家族みんなが幸せを感じられれば良いのですが、親子で泣きながら通っていたという話はよく聞きます。
科学、専門家というのは、本人、家族に代わって人生の選択をするのではありません。
その個人、家族が自分たちの幸せのために、より良い生活、人生のために選択できるための情報を提供することだと思います。
この2年間、一部の専門家と政治家、首長によって個人の自由と幸せが否定され続けました。
そしてある一定の方向へ人々をコントロールし誘導するのは、プロパガンダです。
結局、彼らに従って「感染症が収まった」「個人としても良かった」というエビデンスは得られませんでしたね。




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2022年3月21日月曜日

【No.1251】社会が変わることを望んでいても、その子の子ども時代が過ぎていくだけ

自閉症やADHDなどの神経発達症の原因に関する研究は、何十年も前から進められていて、多くのリスク因子が特定されています。
しかし、後天的に、また環境の影響によって神経発達症が生じるというと、それが受け入れられない人達がまだたくさんいます。
特にギョーカイが表向きには否定する立場ですし、根本から治す道を取らない人達ですので、その影響かにある親御さん達、支援者たちは「生まれてつきの障害」から抜け出せないでいるのです。
「生まれつきの障害」は、つまり「誰のせいでもない」、もっと言えば最大のお客様である親御さんを敵にしないための文言、セールストークでしかありません。
なぜ、そんなことが言えるか?
それは専門家同士の会話の中には、普通にそういった原因に関する話が出ているから。
「お母さん、精神科薬飲んでいるからね」
「未熟児だったら仕方がないね」
「お父さん、高齢でしょ」


早産、低体重出生児がADHDになりやすいのは、発達障害に関する専門家だけではなく、産婦人科、小児科の医師、看護師の中では共通認識になっていて、実際、どうすればその予後をよくできるか研究と実践が行われています。
母乳に関する研究もそうで、母乳で育った子と人工乳で育った子を比べると、IQでいえば「約6」、偏差値で言えば「2」違うことが明らかになっています。
しかも、今のところ、その差は生涯縮まらない、それを縮める手段が見つかっていない状況です。
そのため、人工乳の研究では、どれだけ母乳に近づけるか、その挑戦が世界中で行われています。
一時期、ブームになったラクトフェリンもその一端です。


私の仕事の中心で言えば、抜けた発達をどう育て直していくか、遅れた発達をどのように後押ししていけばよいか、になります。
しかし私の神経発達症に関する立場は、各家庭、各個人の話ではなく、社会問題であるというものです。
栄養療法だって、元を辿れば、お母さんの栄養、体調、身体、内臓の話になります。
不妊症が増えているのも事実で、それは父親である男性の生活全般の問題も多いといえます。
でも最初から赤ちゃんへの影響を知っていれば、多くの親御さん達は避けていたはずですし、知っていれば避けられたことも多くあります。
つまり、「知らされていない」ことが問題なのです。


大部分の親御さん達は、我が子に発達の遅れがあって初めて発達障害について知り、考えようとするものです。
もちろん、公教育の中でそのような話もされないでしょう。
そもそもがギョーカイ団体が認めず、隠し続けているのですから。
本当は将来、子を持つかどうかに関わらず、知識、情報として若者たちには教えていくべき話だと私は思います。
といいますか、それをしなければ、神経発達症の子ども達の増加は止めることができないでしょう。


一方で日本社会全体としても、神経発達症の問題には取り組んでいかなければなりません。
2017年1月、トランプ大統領が就任する10日前に、小児ワクチンと自閉症の関連性について研究していたロバート・F・ケネディ氏(ケネディ元大統領のおい)が『ワクチンの安全性を再検証する諮問委員会』のトップに就くことが決まりました。
しかし、その発表後すぐに激しい抵抗と妨害があり、実現しませんでした。
京大の宮沢准教授も発言されていたように、検証する側もお金で買うことができる、欧米では露骨に行われている、とのことです。


唐突のエピソードに何を言いたいかというと、決して発達障害のギョーカイ団体だけではなく、その他の組織、人達にとっても不都合な真実があるということです。
農薬にしろ、添加物にしろ、大気汚染や水、海の汚染にしろ、そこにはそれで儲けている企業、組織があるのです。
農薬と添加物に関しては、欧米ではかなり強い規制が2000年を境に行われるようになりましたが、日本はそういったものを売っているグローバル企業からの圧力、または献金とロビー活動により、世界の流れに逆行するようにして規制をどんどん緩めているのです。
ネットで検索すれば、日本のお菓子が欧米の店頭では「危険」というシールが貼られて売られている画像がすぐに出てきます。


素敵な女優さんがパンをもって元気にCMしていますが、時間が経っても白いままでパンも、具も腐らないってヤバくないですか。
朝、腐らないパンを食べ、お昼はどこでどうやって作られたわからない野菜と、ホルモン剤で短期間で太らされ、またギューギュー詰めで病気になりやすいから抗生剤バンバンのお肉を食べ、夕食にレトルトをチンして食べる。
たぶん、こんな食事を続けている日本人が多いから、マスクやワクチンの不快さ、体内への悪影響が麻痺してわからないんだと思います。


戦後、GHQのパン食、牛乳食の推進に始まり、コンビニ、冷凍食品、添加物、農薬で、日本の食はぐちゃぐちゃになりました。
もちろん、それに関して警鐘を鳴らしていた人達はいつの時代にもいたのですが、すべて御用学者と大企業によって潰されてきたのです。
そう考えると、コロナ騒動も型通りの話です。
ですから、本当は社会問題として食と健康、神経発達症の原因除去に関して取り組んでいかなければならないのに、日本の隅々まで浸透し、それに抵抗してまでをも警鐘を鳴らし続ける人や組織、企業がなくなってしまいました。


人間、生活が苦しくなると、まず食から切り詰めようとしていくものです。
親の貧困が進むと、まさに上記のような工場で作られた大量生産の食品が食卓の中心になるでしょう。
成長期の大事な子どもの身体に十分な栄養が与えられないだけではなく、10年、20年と掛けて蓄積されていく化学物質が体内に入っていく。
もちろん、若い世代の人達も非正規だったり、十分な給料が得られなかったりすると、そういったものに頼らざるを得ない生活になります。
そしてそういった若者たちが結婚し、親になろうかとしたとき、次の世代を通して影響が表れるのです。


もし神経発達症の原因が遺伝なら、一定数で落ち着くはずです。
もし神経発達症の原因が遺伝なら、日本のように増加を続けている国と、ほとんど増減がない国、むしろ減ってきている国といった違いが出ないはずです。
こういった不都合な真実は、一人ひとりには届かず、隠されていくのが今までの歴史になります。
ですから気づいた人から変わっていくしかありませんね。


このブログを読んでくださっている方たちは、なんらかの形で神経発達症の子ども達、人達と関わっているものと想像します。
もし親御さんだったら、今の生活を見直し、今日から変えていける部分を変えてもらいたいと思います。
そしてきょうだい児がいるのでしたら、食をはじめとした健康についてお話ししてもらいたいし、自分で調べるように提案してもらいたいです。
そうやって今の子どもの生活から守り、次の世代、その次の世代が健康で幸せな人生を送ってもらえるよう各家庭で教えていっていただくことを願っています。
このように草の根的に変わっていかなければ、社会全体が変わることはないでしょう。
ギョーカイは認めないし、それで儲けている企業も、利権化の中に取りこまれた政治家も、私達一人ひとりがよくなる方へは取り組むことはありませんので。
それを待っていても、子ども達の子ども時代は過ぎていくだけですね。
私は自分の仕事と発信を通して、一人でも多くの人に気がついてもらえるよう頑張っていきます。




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2022年3月20日日曜日

【No.1250】新刊『ポストコロナの発達援助論』に込めたメッセージ

つい先日も大きな地震が起きたように、いつ自分の住む場所で自然災害が起きても不思議ではありません。
ですから日頃から食料の備蓄は心掛けていましたが、どうもコロナの次は食糧危機が仕掛けられるそうです。
既に食料の輸出を制限している国、昨年末くらいから備蓄を始めている国があって、欧米では小麦、砂糖、食塩などの値段が上がっています。
その背景にはグローバル企業がそういった食料の買い占めを行っていることがあり、小麦を始まりとして大豆などの穀物、そこからの畜産物に影響が出てくるでしょう。
過去の人類の歴史を見ても、流行病↔戦争↔食糧危機がトライアングルのようにして連動し起っていますので、各家庭での食料備蓄が今後一段と大事になってくると思っています。
我が家ではお米は10キロ×2~3常備していて、妻がパンを作るので、昨日も5キロ程の小麦を買ってきました(優しい旦那☆)


2020年にコロナ騒動が始まり、それ以降、なぜか世界中が同じ動きをしていました。
どう考えてもおかしいと思いませんか?
それでいてなぜか、同じ2022年3月のタイミングで、欧米諸国が規制撤廃をしました。
これだけ多くの人がいる地球で、こんなにも足並みそろって世界が動く、それも欧米が先導するかのように。
今後、コロナ以上の致死率のウィルスが流行したとき、同じような規制やロックダウンができるという既成事実が作られてしまいました。
言論の自由が憲法で保障されている日本であったとしても、YouTubeやFB、Googleなどではワクチンに否定的な意見は次々と消されていますし、ウクライナ侵攻で言えば、ロシアを擁護するような投稿にも制限がかかる始末です。
中には、私達が選挙で選んだ国会議員の投稿まで消さることがありました。
つまり、国会議員も、憲法も、超えたのが私企業、グローバル企業なのです。


大陸の歴史と文化、彼らの根底に流れる優生思想が理解できない私達は、「そんな悪い人はいないはずだ」という想いで生きているといえます。
ですから今回のコロナ騒動のように、今後起きる食糧危機がやってきたとしても、ひたすら耐え、真面目につつましく生きていくのだと思います。
コロナで外食産業は大きなダメージを受けました。
さらに食糧危機がくれば、多くの飲食店は潰れていくでしょう。
そしてその飲食店は、学生や若者の学費や生活費を得る場でしたので、大学の中退、進学の諦め、生活困窮者の増加による自殺も増えると思います。
若者が希望を持てない社会、自殺が多い社会は、外国人労働者の増加と合わさり、社会不安、治安の悪化を招きます。


明日は春分の日で、東京では桜が開花した三連休にネガティブな話をしたいのではありません。
こういったことが近い将来に予想できるからこそ、自分のこととして、まず自分と家族がそういった中でも人間らしく幸せに生きていけるように考えることだと思います。
食糧危機で言えば、偏食を直しておくことは大切なことです。
栄養療法だって、その大量な栄養が得られないかもしれませんので、日頃の食事からきちんと栄養を吸収できるような内臓を育て整えていくことが大事になります。
一方で依存性が高い食べ物を避けておくことも、心身を安定させるためには必要なことだといえます。
食べ物の丸飲みや良く噛まずに食べてしまうことは、急激な血糖値の上昇と満腹感を得にくい状態を招きますので、消化吸収の面を考えても、口の発達には注目し、育てておくべきです。


コロナ騒動でわかったように、今後、食糧危機や大きな自然災害が起きたとしても、国は国民一人ひとりを助けてはくれないでしょう。
むしろ、国民のおとなしさに甘えて、自助を求めるはずです。
でも本当にそれで良いのでしょうか。
私は個人事業主ですし、嫌なことは嫌だと言葉と態度で示すことができるので、このコロナ騒動が続こうとも個人的に支障はありません。
でも、子ども達を中心とした次世代を担っていく若者たちが自由を奪われ、苦しんでいる姿は我慢がなりません。
どうして皆さんは、こんな理不尽なことが身近で起きていても、声を上げず、我慢し続けられるのでしょうか。
私には理解ができないのです。


私が小学生だったら、学校の先生に食って掛かったと思います。
私が学生だったら、俺たちの青春を返せと大きな声をあげ、行動していたと思います。
でも大人たちは「コロナだから仕方ないよね」「ワクチンやマスクの影響は未来にならないとわからないから」と言って、一歩引いて何もしていない。
コロナだから仕方がない??
感染を防ぐためには仕方がない??


はあ!?こんなさざ波で亡くなった人も欧米の20分の1くらいでインフルエンザ並みの致死率で、人災以外の何ものでもないでしょう。
専門家や権威を無条件に信じる人。
自分で調べて判断できない人。
個人の自由と健康が奪われているのに、きちんと「NO」が言えない人。
周りの目を気にして、一部のおかしいマスク警察を恐れて、ひたすらマスクをつけ続ける人。
頭が良いふりして一歩引いて見ている風で、結局、勇気がないだけの人。


もっと感情的に怒れよ日本人、と私は思います。
きちんと自分の想いを言動で表明できないのは、日本人の幼すぎる面です。
既にグローバル化の中にいる日本で、いやでも外国人と一緒にこの日本で生きていかなければならない時代がやってきます。
そんなとき、「言わなくてもわかりますよね」みたいな感じでは、我慢してつつましくするのが美徳みたいな考えでは、生き抜くことはできません。
同じ日本人同士で生きていくだけなら良かったかもしれませんが、そんな価値観では経済的な植民地となり、外国人経営者にあごで使われるか、中国などに出稼ぎに行かなければならなくなります。
それが新刊『ポストコロナの発達援助論』の巻頭のマンガに込められているメッセージなんです。


自分の著書を宣伝するようですが、ポストコロナは単に「コロナ禍のヌケをどう育てましょうか」という視点だけのものではありません。
むしろ、コロナをきっかけとした社会の大きな変化に対応し、子ども達が生き抜いていけるように、もっといえば、彼らが人生をより豊かに、より自由に、より幸せに全うしてもらいたいという視点のほうがメインなんです。
身体の中心からの神経ネットワーク。
そこから自分の軸を育て、快を感じ、きちんと「No」が言葉と態度で表明できる人間に育っていく。
それがコロナという敗戦後を生きる子ども達、若者たちには重要なことだと考えています。
一人でも多くの人が『ポストコロナの発達援助論』をきっかけとし、気づき、目覚めてもらうことを願っています。




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2022年3月19日土曜日

【No.1249】エビデンスに踊らされる日本

「エビデンス」というのも立派な横文字で、輸入された言葉であり、概念だといえます。
ですから、その言葉の成り立ち、どのような意味があるのか、わからないまま、使っている人が多数である印象です。
なんだか、自分が主張したいことが先にあって、それを補完してくれる研究、結果を見つけては「エビデンス」と言っているような気がします。
そもそも輸入元では、その治療、薬、療法が適切かどうか、もっといえば、そこに保険金を出すかどうかの判断として「エビデンス」が使われているわけで、日本のように国民皆保険で一度保険適応が認められれば、風邪に抗生剤も出せるわけですから(笑)、「エビデンス」なんて偉そうに言う必要はないと思います。


「エビデンスがある」といっても、たとえばマスクに予防効果があるというエビデンスもあれば、有意な予防効果はないというエビデンスもあります。
2019年までは、2020年の2月までは東京都医師会だって「マスクに予防効果はありません。咳などの症状のある人がつけてください」と言っていたわけで、エビデンスなんて固定化された万全なものではありません。
時代とともに新たな知見、研究結果が出るわけで、またどんな科学雑誌に、どんな研究が審査を通過し認められるかなども、最終的には人間が行っていることですから、そこに組織の論理や心情、お金が入る余地があるといえます。


エビデンスという言葉が専門家以外の一般人まで浸透してきて、日本人はますます思考停止に陥っているといえます。
「マスクは予防効果がある」というから自分はマスクをつける。
「ワクチンに予防効果がある」というから自分はワクチンを接種する。
「飲食店が危険」というから自分は飲食店を避ける。
そこに自分はマスクをつけることで、どのような感情、心身の変化が生じるのか、もっといえば、どうやって今日一日を生きるか、自分の健康や自由を守っていくか、そこがぽっかり抜け落ちてしまったような気がします。
大の大人が外でマスクをつけて歩いている姿を見ると、まるで生きた屍が歩いているようです。
彼らに人間としての活力を感じません。


エビデンスという言葉が浸透するまで、欧米の何でも数値化してしまう文化が入ってくるまで、日本の価値基準はより自然なもので、もっと尊いものだったと思います。
自然が豊かで、四季のある土地に住み続けてきた日本人。
同時に、常に自然災害と向き合い、超自然的なものを感じながら生きてきた日本人。
それは子育て観にも表れていて、欧米では「野獣である子どもを人間に育てる」でしたが、日本は「子どもは神の子」と言って大人が教えるのではなく、子ども同士で育ちあうことを良しとしてきました。
大人だって自然の声を聴きながら、また「お天道様が見ている」「ご先祖様が見ている」という具合に、物理的な価値観よりも、そういったものを大事に生きてきたといえます。


特別支援の世界はもろ欧米文化ですので、ボーロで釣る行動療法があったり、泣き叫ぶ子は問題行動として無視したり、なんでも一人(個人)で完結させるような支援が展開されたりします。
個別化だって行きつく先は、定型・社会との分断であり、隔離です。
でも、こういった特別支援で展開されていることは、本当に子ども達が幸せになるのか、日本という社会の中で自由に生きられるのか、疑問に思うのです。


私が米国の教授からトレーニングを受けたとき、「見えないものは評価しない」と教わりました。
つまり、なぜ、泣き叫んでいるのか、そこに本人の心情や感覚的な側面は考慮せず、泣きやむ状況を作るために環境を変える、ということです。
どのような環境にするかは目で見て評価できます。
環境、自然を征服することで生きてきた欧米人らしい発想だと私は思いました。


親御さんの中にも、家庭の中に特別支援を取り入れることで、悩み、苦しんでいる人達がいます。
この前も、床に倒れて泣きじゃくるのを専門医、なんとかセンターの人に相談したら、「薬を処方しましょうか」「そこで声をかけたりしたら、問題が大きくなるだけだから、何もせず無視していてください」と言われたというご家庭がありました。
専門家が言うことだからといって、最初は無視していた親御さんも、心が辛くなって抱きしめてしまったというお話でした。
このお母さんには、子どもさんが何を訴えているか、わかったんですね。


このエピソードを文字で読まれた方は、このおかしさが分かると思います。
しかし実際、同じようなことは、それこそ「専門家」「エビデンス」という名の元に親御さんは教わり、家庭の中に浸透しているのです。
ノンバーバルの子がお母さんのそばに来て、なにか訴えた。
そのとき、絵カードを持ってきて、これを使いなさいと教えるご家庭。
でも、大事なのは、「なあに?」と応答したり、子どもが訴えていることを察しかなえてあげることではないでしょうか。
泣き叫んでいる子がいたらギュッと抱きしめたり、その子の内側にある感覚的な不具合を想像し、そこを育てていこうとすることではないでしょうか。


私は日本の教育、子育ては、もっといえば発達援助は、この目に見えない感覚的なところを育んでいくことが強みだと考えています。
いろんなご家庭の発達相談をしていますが、トレーニングのように「〇回やったら終わり」「〇回できたらご褒美」というのは、どうも馴染まないし、発達のヌケを埋めていくことに繋がらないような気がします。
それよりも、本人の内側にある楽しい、嬉しい、心地良いという「快」から始まるような方法のほうが、土台から直り、育っていく印象があります。
もともと自然豊かな環境、自然とともに生きてきた私達ですから、自然という多様な(発達)刺激に溢れる環境を活かした発達援助が馴染むし、本人の豊かな育ちに繋がると思います。


今日、ラジオ(【No.99】卒業式の「ハイ」)を配信したら、すぐにお返事をいただきました。
「涙が止まりません。なかなか、先の見通しがつかず、試行錯誤の日々ですが、私達の目標はもっとずっと先に合って、いつか自立して楽しく幸せに暮らせるということなのだろうと改めて思いました。今、することが、今すぐに結果に繋がらなくても寄り添い見守り、できることを保護者と共有していくことが私達ができる最大のことだと思いました」
保健室の先生からのまっすぐな感想です。
この文章を読んだだけで、この先生が本気で子ども達と向き合ってきたのが伝わってきます。


エビデンスが評価、結果をより短期的なものに縮めているような気がします。
でも本来、教育、子育てとは今すぐに結果が出るようなものでも、何か尺度があって良しあしを評価するようなものでもありません。
今、関わっている子ども達に本当に私の発達援助が意味あるものだったか。
それが明らかになるのは、10年も、20年も、もしかしたらその子が大人になったとき、親になったとき、人生を終えるときにしかわからないかもしれません。


ある意味、短期的な結果が出るということは対症療法でしかなく根本は変わっていない。
ときに見せかけの成果を本当の成果として錯覚してしまう危険性がある。
マスクやワクチンの弊害、身体アプローチ、発達援助の効果は、未来にならないとわからないものです。
ですが、その未来を見据えて、それを想像しながら今を行動することが大事ではないでしょうか。
子ども達に何を残すか、次世代の人達にどんな社会を引き継いでいくか。
私は「治る」こそ、正しい道だと胸を張って言えます。
どう考えても、治さない、治そうとしない、治すことを否定する支援、療育は、ギョーカイ、支援者を潤わせるための手段でしかないと思います。
「発達障害」というレッテルが、子ども達が、一部の人たちの利権になっている現状。
私は何を言われようとも、そこと闘い、一人でも多くの子ども達が100年時代と言われる人生をより豊かに、より自由に、より幸せに生きていってもらいたいと願っています。




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2022年3月18日金曜日

【No.1248】横文字の支援者、日本語の支援者

「濃厚接触」って英語でなんていうのでしょうかね。
それこそ、「Deep state」でしょうか(笑)
たぶん、こんなことを言っているのも、実際にやっているのも日本くらいでしょうから「Noukousessyoku」だと思います。
世界では既にコロナモードから戦争モード、そして食糧危機でのコントロールへ向かっているのに、日本はいつまでマスクをして、濃厚接触者なる作られた言葉に振り回されているのでしょうか。


PCRだって義務化されていないのに、職場や学校などで一人陽性者が出ると、心配になって自らPCRを受けたりする。
そして空気中にも漂っているくらいのウィルスですから、症状がなくてもたまたま鼻の粘膜にいたやつがキャッチされ、無症状感染の出来上がり。
無症状感染者の同居者は濃厚接触者になるので、これまたPCRする人もいるでしょうし、しなかったとしても同じように隔離されてしまいます。
まさに芋づる式にコロナ感染者は作られていき、社会も、経済も、個人の人生もボロボロ。


だから症状がない人はPCRを受けない、拒否する。
大人たちが率先してマスクを外していく。
3回目の接種が人口の50%を超えた国から感染爆発、第七波に突入しているので、もういい加減、接種をやめる。
そうやって一人ひとりが行動しなければ、いつまで経っても終わらないし、大切な人生の時間が奪われていくだけ。
子どもにとっては神経発達に大事な時間。
若者たちにとっては自我を育て、どうやって生きていくかを考える大事な時間。
高齢者だって残りの人生を考えれば、貴重な時間だったと思います。
コロナに罹らないことだけを優先させた結果、家族との時間、友人との交流、旅行などの老後の楽しみを失ってしまったのですから。


占領軍が日本の言論活動を検閲によって支配しようとしていたとき、その言語の複雑さに困惑し、苦慮したという話があります。
確かに日本語は同じものを表現するのにも様々な言葉がありますし、微妙な心情や自然の様子、移り変わりなど、曖昧で繊細な言葉も数え切れないくらいあります。
同じ日本人の私が当時の人たちの文章、言葉を見ても、その意味と表現の多様さ、複雑さを感じるのですから、書籍を1冊検閲しようとしても、相当な苦労があったと思います。
そのため、多くの日系人、日本人が検閲に従事したと言われていますが、その日本人が日本語を英語に翻訳し上官に意味を伝えるのも相当大変だったはずです。


欧米諸国が行ってきた植民地政策では、まず現地の言葉を禁止することから始まります。
言葉を奪うことは、その人たちの文化を奪うだけではなく、思考までをも奪うことになります。
人間は言葉によって思考しますので、長年その土地、文化で培われてきた言葉を失うと、頭と心に空白ができるのです。
そこに自分たちの言語を教え込み、また現地の人に自分たちが使わせたい統治に有意な言葉を作ることで、人々を染め上げ、コントロールしていくのです。


本当は日本人も公用語を英語に変えようとした動きがあったようです。
しかし実際はそうはならず、統治されていた間も、日本語で思考することができました。
もし英語になっていたら、戦後の復興はなかったかもしれません。
この複雑な言語が、複雑な思考を生み、精密な工業製品や革新的なアイディアを生みだしてきたはずですので。
某都知事が「オーバーシュート」「ロードマップ」「ステイホーム」とやたらめったら横文字を使うのは、聴いている人を思考停止させる洗脳の手段、ルー大柴は違うと思いますが(笑)


横文字で言えば、欧米からの輸入で発展してきた特別支援の世界にも溢れています。
「ビジュアルストラクチャー」=視覚的構造化
「フィジカルオーガニゼーション」=物理的構造化
「ソーシャルスキル」=社会技能
「スケジュール」=予定表
「コミュニケーション」=伝達、意思疎通、交流
「トランジションカード」=移行カード
「タスク」=(自立)課題
「インディペンデント」=自立


少し勉強した気になっている支援者というのは、上記のような言葉を使いがちです(笑)
「〇〇くんのビジュアルストラクチャー、絵よりも写真のほうがいいんじゃない」
「もっとソーシャルスキルの時間を設けて指導しなくちゃね」
「コミュニケーションは、PECSを使うことも考えてみては」
その意味を分かっているのか、まるで専門用語のように飛び交っています。
ですから、本質的な部分が分からず、その支援者が最初に見たまんまの支援の形を再現するんですね。


自閉症の子を見たら、みんな、どの子も構造化しちゃう支援者。
言葉のない子を見たら、みんな、コミュニケーションカードを使おうとする支援者。
日本の特別支援教育は、先行して取り入れてきた日本の福祉の猿まねで、その福祉も欧米の支援の猿まね。
日本の文化、環境と融合させることなく、ただ欧米の支援の形を再現しているだけ。
だから全国どこに行っても、療育も、学校も、児童デイも、金太郎飴のような同じ支援が行われているのでしょう。
来年度の入学者、利用者のその子ではなく、障害名を見て、支援の準備がされていくのはこの時期の風物詩となりました。


「コミュニケーション」という言葉が使われますが、それが意味するところは深くて広いはずです。
「発語があるかどうか」「言葉の理解があるかどうか」といった要素から、「相手と目が合うか」「場に即した表情ができるか」「相手との距離感は適切か」「適当な返事ができるか」「雑談が可能か」「言葉の明瞭さ」「話し言葉の早さ」「単語、語句の幅」「視点の切り替えとそれに応じた言葉使い」「例え話、擬音語、擬態語、駄洒落の理解」など、多岐にわたっています。
本来、日本語で言えば、これだけの要素、意味があるのですが、どうも支援の世界で「コミュニケーション」というと、コミュニケーションカードを使うかどうかといった狭い範囲の話で終わってしまう印象があります。


日本の特別支援は鹿鳴館のようなもので、急ごしらえの西洋文化といえます。
意味を捉えることなく、形だけ模倣している。
そして今もなお、西洋絶対主義で、日本的なもの、東洋的なものを「エビデンスがない」と言って否定し続けています。
でも一歩、特別支援、ギョーカイというムラ社会から出てみると、もっと良いものがあり、西洋が得意な対処療法ではなく、東洋的な未病と根本治癒の道があったのです。


視覚優位ということは、その裏には聴覚の未発達があり、内耳を育てる方法があります。
思考の固さ、白黒思考は、身体を弛めることができず、脳に余裕が無いから。
手先が不器用だからといって細かい作業を繰り返しても細かい指の動きができるようになるだけで、脳から末端への指令、伝達の問題は解決しない、そこは中枢神経・首と背骨で治せる。
怖がりや慢性的な不安感は薬で抑え付けるよりも、恐怖麻痺反射、胎児期の愛着障害、愛着形成が根っこで、呼吸と背面のアプローチで弛んでいく。
別に輸入してきた特別支援に頼らなくても、根本から育て直していける方法はたくさんありますね。


ムラの中心に鹿鳴館が立っているような日本の特別支援。
そのムラでは「治る」は禁句でした。
「治る」という言葉を皆が使わないようにすることで、抜け駆けを防ぎ、責任回避を得、仲間内の支援を専売特許して売り続けることができたのです。
知らず知らずのうちに入ってきた新しい親御さん達が、「治るんですか」「治らないんですか」と発すると、強い反発と否定がやってくるのはムラを守るための防衛本能の表れです。


「特別支援」などという言葉を使っていますが、なにも特別ではなく、むしろ、特異的な支援のことを指していると感じます。
このように良いようにして言葉は作られ、使われています。
知らない人が聞いたら、「特別な良い方法、特別な専門性がある方法」だと連想してしまいがちです。
ですから、言葉に対しては言葉で応じなければなりません。


発達障害は特別支援というギョーカイ内だけの話ではありません。
彼らに必要なのは支援の前に、発達のヌケ、未発達の部分を育てていく普通の子育てです。
そうやって特別支援が輸入される前から、私達は違いは違いとして認め、みんなで学び、育ってきました。
私が子ども時代だって、クラスに発達障害の子、自閉症やADHD、LD、知的障害の子もいました。
だけれども、そんな言葉はなかったし、先生も違いに応じた指導をしながら普通に接していました。
昭和から平成、令和になって、「多様化」というわりにはどんどん窮屈で、多様性が失われた社会が子ども達の世界までやってきたような気がします。
もしかしたら欧米から入ってきた「多様化」という言葉も、意図的に作られた言葉なのかもしれません。


とにかく発達障害は誤診ばかりで、その誤診された90%くらいの子ども達は根本から育て直していくことによって、遅れは取り戻せ、本来の発達の流れに戻ることができます。
またなんでもかんでも「発達障害」「特別支援」と言わないことで、凸凹がある子も同年代の子ども達と一緒に学び、成長していけると思います。
発達に遅れがある子も必要なのは、同年代の子ども達と同じような学ぶ機会と育つ機会。
ですから私達は自然な言葉を使って、そういった子ども達の発達も後押ししていきましょう。
「治る」は日本語であり、自然な言葉。
「治らない」はムラの掟であり、不自然な言葉。
子どもがどのように発達成長していくかなんて誰にも分からないのですから、ちいさい子を診て「治らない」といってしまうのは、まさに「フェイク」ですね(笑)




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2022年3月17日木曜日

【No.1247】集団だからこその学び合い

教室で陽性になった子が出たようで、でも、濃厚接触者はいないという判定が出たのに、なぜか家でオンライン授業を受けている息子。
まだ小学生だからかもしれませんが、お遊びにしか見えませんね。
双方向のやりとりは無く、ただ先生の授業を聞いて課題をこなしている。
これだったら録画した動画で良いのでは。
これだったら全国で一番上手な先生の授業を録画して、それを見て勉強すれば良いのでは。
なんなら民間のように学習用のアプリで各自勉強した方がよっぽど身につくと思います。
知識の伝達という観点から公教育を見れば、すでにその役割は終わったのかもしれません。


本来、学ぶとは自分の人生を豊かにするため、将来の自立のために行うはずです。
しかし戦後GHQの介入により、二度と欧米に刃向かわないような、そしてコントロールしやすい国民、日本を作るために、一方的な知識の伝達が公教育の中心となりました。
伝統的な日本の教育とは、藩校や寺子屋で喧々諤々と先生や同士が議論し合いながら主体的な学び。
反実仮想を考えさせる薩摩藩の教育は有名ですし、とにかく自分の頭で考えることが学習の中心だったといえます。
まさにそれが明治以降の近代化、経済成長、技術革新の土台になったのだと思います。
まあ、だからこそ、アメリカ政府は日本と戦っている一方で、敗戦後の日本の教育をどのようにしていくか計画をたてていたのだと思います。


普通級か、支援級(支援学校)かを選択する際、「支援級は個別指導が受けられる」ということがおすすめポイントとして挙げられます。
療育の先生も、発達障害の専門医も、また学校の先生も、個別指導、1対1の指導が良いと言われます。
でも本当にそうなのでしょうか。


個別指導と聞くと、「その子のペースに合わせて」とか、「先生がその子だけを見て指導してもらえる」とか、「一斉指示では難しい分、1対1なら集中しやすい」とか連想されることが多いと思います。
確かに教室のような雑多で刺激の多い空間では、その刺激に負けてしまい授業に集中できない子もいるでしょう。
先生が目の前にいて、その子に注意を向けて指導してくれる方が理解しやすい子もいるはずです。
そうやって知的障害を持つ子や自閉症の子などは、個別指導が良いと私自身教わってきたことでもあります。


今までずっと個別指導に始まり、少人数がこの子達には良いのだ、良い環境だという認識で進んできたと思います。
支援者も特にその意図、理由を考えることなく、そう言ってきたといえます。
でも、前提が変わりました。
まず普通の教室、刺激の多い空間で学べないのは、その子の特性ではなく、感覚の未発達でそこはあとからでも育てられるよね、となりました。
また母子分離不安、愛着のヌケ、胎児期の愛着障害からの他人、世の中に対する漠然とした不安感も育て直せます。


つまり、前提として感覚過敏や一斉指示がわからないというのは特性ではなく、未発達で育てられる領域になりましたので、そこは個別指導云々の話ではないよね、となります。
感覚過敏が治らないから1対1の学習が必要で、少人数が望ましいというのは固定化された話ではなく、一時的な話です。
未発達が育つまでは支援級が良いかもしれませんが、そこが育てば、普通級、集団での学びでも良いわけです。
むしろ、刺激の豊かさ、主体的に考えて学んでいくためには、他人との関わり、双方向的なやりとりが必要になります。
根本的な課題である感覚過敏、愛着障害を治さず、そこは見ず、自動的に個別指導、少人数となってしまっては、中には失ってしまう学習体験があるような気がします。


また教室を飛びだす子、問題行動がある子、不登校気味の子、家庭に課題がある子も、支援級など個別指導ができる環境が勧められる場合もあります。
これは建前では「本人のために」となりますが、教室にいるその子以外の生徒と先生を守るためというのが本音だといえます。
何故なら、これまた根本の課題と話が違うから。
1対1の個別指導で問題行動は治りますか?治せますか?
他人との関係性の中での問題行動は、関係性の歪みですから他人との中でしか軌道修正することはできません。
根っこが家庭と繋がっているのなら、それこそ、普通級でも、支援級でも一緒です。


そもそも日本の教育には個別指導の概念はありませんでした。
つまり、1対1、個別指導も輸入されてきた概念です。
最初、教育の対象から外れていた自閉症の子ども達。
だけれども、アメリカの親御さん達と専門家が協力し、どうやったらこの子達にも学習の機会が与えられるか研究し、考え付いた形が個別指導でした。
個別指導で身につけたことを少しずつ他の場面へ、1対1から3人という小集団へ、というのがコンセプトです。
もちろん、その土台には個を重視する教育、思想の流れがあったといえます。


欧米の言うことはすべて正しい、そして日本人は常に欧米よりも劣っている。
そういった教育を植え付けられた日本人は、無条件に輸入されてきたものを有難がる傾向があります。
ワクチンだって、アメリカではもう打っていないものを、日本人は有難がり、せっせと3回目の接種に進んでいます。
個別指導の形だって、その経緯も、背景も知らず、調べず、とにかく自閉症児には個別指導!と突き進んでいます。
一方で寺子屋のように身分や年齢にとらわれず、いろんな若者たちが切磋琢磨しながら、お互いで刺激し合い、自らで考え行動できる力を培っていきました。
そもそも奴隷や階級制度がない日本ですから、欧米人が「多様性」なんて言う前に、というかそういった概念がないまま、差は差として認め、同じように学んできたのが日本の教育。


同じ公園なのに、児童デイに通っている集団はその集団内で遊び、普通級の子ども達はその子達同士で遊んでいる姿。
そんな子ども達を見ると、人種によって生活空間を分けている海外の姿が重なります。
学校をみても、どうも普通級と支援級の境が年々はっきりしているようにも感じます。
もっと私達が子どもだった頃のように、いろんな子が教室にいて、子ども同士で刺激し合い、学び合える環境が良いのではないでしょうか。


支援級や支援学校、とくに個別指導、少数人数の環境が中心となっているご家庭には、子ども同士、集団の中で活動できる機会を作ってもらえれば、と思っています。
支援級に通っていた子で、児童デイも小集団のところだった。
親御さんも「小集団こそ、この子に最適な環境」だと考えてのことでした。
しかし、感覚過敏を育て直していくと同時に、児童デイを辞め、地域の習い事に通うようになりました。
すると、自分の好きなことを通して、そこを交流の窓とし、集団の中で伸び伸びと活動していく中で、言葉が出るようになり、他人を意識した行動ができるようになっていきました。
他にも自制することが難しかった子が、集団活動の中で我慢することを見に付けていったり、他の友達を見て年相応のマネするようにして覚えていったり。


こういった子ども達の成長の姿を見るたびに、周囲が「少人数」「個別指導」「集団は無理」といった固定概念を持つことが、却って子ども達の豊かな学びを阻害しているかもしれないと思うのです、それは定型発達の子にとっても。
教育の本質は双方向の学び合いですね。




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2022年3月13日日曜日

【No.1246】口の課題からの連想

「愛甲さんに質問する会」の録画を拝聴していると、やはり「口の発達」に課題を持たれている方が多い印象を受けました。
確か栗本さんとご一緒させていただいたZOOM講演会(2020)でも同様のご質問が多かった気がします。
コロナマスクからの口呼吸といった問題からも、口の発達には注目していて、近頃考えることがあったのでお話ししていきたいと思います。


この前も発達相談であるお宅に伺ったとき、子どもさんのおやつを食べている様子から気がついたことがありました。
それは「歯の前側を使っていない」ということです。
このご家庭だけではないのですが、どうもパクっと食べ物を口に入れたあと、奥歯を使って噛み、飲み込んでいる子が多い気がします。
「最近の子は固いものを食べない」と言われて久しいですが、噛む力の問題と同様に、歯の使い方の問題もあると思います。


1万年以上続いた縄文時代の私達の祖先は、野山で採集した木の実、川や海で採った魚・貝、狩りで採った獣や鳥を食べて生きていました。
当然、今のようにナイフで食物を切って食べやすくするなどはしていなくて、主に歯を使って噛み千切っていたと想像されます。
昭和のアニメのように、大きな肉をガブってかじりついていた感じですね。
そうやって1万年以上、いや、人類の歴史からいえば700万年以上、いいえ、もともとヒトも動物の進化の途上ですから、現在の食事が異質だといえるのです。


そんな風に連想していると、今の子ども達って噛み千切るってしませんよね。
とくに噛む力が弱くて、「固いものはあまり食べないんです」「すぐペッと出しちゃうんです」というご家庭は、無意識のうちに食べ物が小さくカットされ、より食べやすく、飲み込みやすい形態になっていきます。
そうすると、ますます前歯を使う機会がなくなり、パクっと口の中に入れて奥歯で噛み、ごっくんが繰り返され習慣化するのだと思います。


「奥歯で噛んで飲み込んでも良いじゃないか」というツッコミが入りそうですし、私もそう思いました。
でも実際にやってみるとわかるのですが、前歯を使わず奥歯で噛んで食べると、舌を使わなくなるんです。
逆に言うと、前歯で噛もうとすると、いやでも舌が動き、また舌と食べ物の接触が多くなります。
つまり、噛む力に問題が出るというよりも、この舌の使い方、発達に影響が出るのでは?と思うのです。


そう考えると、一言で「口の課題」といいますが、そこには滑舌(発語)の問題、偏食(味覚過敏を含む)、嚥下の問題、目の動きの問題(舌下神経は動眼神経と関連)、危険認知の問題、呼吸の問題というようにかなりの広がりと繋がりがあるんですね。
ですから私は上記に挙げたような課題が複数またがって確認できる際、そして何よりも食事場面で「どうも前歯を使っていないな」「奥歯で食べる習慣ができているな」と見えたとき、食材を(徐々に)大きくすること、噛み千切る機会を作ることを提案しています。


食材が大きくなれば、自然と前歯を使いますし、丸飲みできないので舌を使って食べ物の位置を口腔内の前側に押し出します。
押し出すときは、当然、食物と舌が接触しますし、舌をコントロールしなければなりませんね。
噛み千切るでいえば、せんべいとか、フランスパンとか、するめとか、最初から小さくして提供するのではなく、手を使ってちぎって食べるのではなく、ガブッと噛みつき、前歯を使って切り分けると、自然と奥歯ではなく、前側の歯を使って食べる習慣ができてくると思います。


ただ忘れてはならないのは、こういった問題の根っこはうつ伏せ姿勢のやり残し、ずりばい、ハイハイのヌケですから、こちらをやり切ることが優先されます。
これらのやり残しをそのままにしていて、いくら上記のようなアプローチで口を育てようとも、発達は繋がりであり、全体的な広がりですので、どうも「部分的に訓練されできるようになる」みたいな感じで、噛む力はついたけれども、舌の動きが悪いまま、呼吸や味覚、嚥下は未発達のまま、といったことが生じます。
ですから、うつ伏せ(ずりばい&ハイハイ)をやり切ったあとのアプローチとして、もちろん、同時進行しても良いのですが、根っこが何なのかはきちんと押さえておいてほしいと思います。


親心としてわからなくはないのですが
【根っこ】うつ伏せのヌケ
→口の課題
→食べ物を小さく&柔らかく
→奥歯食べ・丸飲み
→噛む力&舌が育たない
→関連する領域の課題が残る
→より食べ物を小さく&柔らかく
→食べ物の偏り
→味覚の偏り&栄養の偏り
→全体的な発達の遅れ
→食べ物を小さく&柔らかく
…の無限ループに入っている場合があるように感じます。


原始の生物も、管状になり、始まりは口と肛門でした。
発達障害の子は食と排泄に課題を持っている場合が少なくないですね。
人類が始まって以来、異質な食事を行っているのはまさにこの100年であり、現代社会、日本社会。
口の課題って、現代社会が作った問題、環境要因による発達の遅れの一つだといえるかもしれませんね。




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2022年3月11日金曜日

【No.1245】世の中で起きることのすべてが個人の幸せを考えるきっかけに

世の中で生じることのほとんどは、白黒つけられないものばかり。
ですから、そこに一つの判断を下すということは、「もうそれ以上、考えるのやめた」なんだと思います。
これが自閉症の人に見られる白黒思考の原形ですね。
まあ、これは自閉症の人だけではなく、戦後の日本人の傾向であり、特性なのかもしれませんが。
氾濫している情報を整理して、一つの形を見せてくれることは、現代人にとってありがたい。
でも、それで多くのものを失っているようにも思えます。


ワクチン担当大臣に対して3回目の接種が進まないことへの批判が出ていますが、これはテレビがウクライナ報道に時間を割くようになったからだと思います。
ロシアの侵攻がなければ、今まで通り終始煽り報道を続けたでしょうし、それを見ている高齢者が、そして今は11歳以下の接種が始まったばかりですからキャンペーンを見た保護者が接種させていったでしょう。
(大臣交代論の出処は、野党ではなく、与党でもないところがミソ)


この国の大人たちは思考停止に陥っていると言いますか、洗脳されているんですね。
ワクチン接種にしろ、ロシア侵攻にしろ、NHKから民放、もちろん、新聞各紙もすべて同じ論調、意見というのは異常であって(まさに全体主義)、本来、人々が考えるための情報を様々な角度、視点から提供するのが役割だと思います。
情報がなければ、人は考えることはできません。
もし今、ウクライナ国内で行われてきた虐殺や政権がどのような歴史を辿り、どのような援助を受けてできたのかを連日報道し続けたら、日本人の多くは「ウクライナが悪い」と言ったでしょう。
もしワクチン接種後、死亡した人のことを連日報道し続けたら、3回目の接種も、子ども達への接種も行われなかったと思います。


人間の思考パターンとして、最初に入ってきた情報を信じるということがあります。
また内容を問わず、同じ情報を受け取り続けると、意思に関係なくそれを信じてしまうということがあります。
まさにこの思考パターンを使って、日本人はコントロールされ続けてきた。
第二次世界大戦中、アメリカはすでに戦後の日本をどのようにコントロールしていくか、研究と計画が進められていました。
占領中の検閲、新聞ラジオを使ったプロパガンダ、戦後もNHKと日本テレビを使って、また今ではすべての放送局、新聞社が外資によってコントロールされています。
どうして私達が受け取る情報は、西側諸国からの発信ばかりなのでしょうか。
21世紀に入り、「民主化を進める」といって西洋諸国から介入された国々は、どこも国内が混乱し、政情不安から泥沼化しています。
ロシアの侵攻がダメなのに、どうして欧米諸国が行ったイラク進攻は良いのでしょうか。


国が違えば、文化、歴史も違います。
私達が目にする情報だって、誰かが意図的に作り、流されているものです。
なので、大事なのはこういった事象を個人のレベルまで落とし込んでいき、自分がよりよく生きるための考えるきっかけにすることだと思います。
コロナ禍において、私がすぐにこの茶番劇に気づけたのは、発達障害の世界で同じパターンを見てきたからです。


◎数字をでっちあげる(各クラスに6.5%)→人々の不安を煽る→メディアを使った
キャンペーン(御用学者登場)→診断増加
◎新薬ができる→新しい診断名が作られる(自己診断ツール)→薬が売れる


これは抗がん剤だって、高血圧の薬だって、母子手帳の身長と体重(欧米食に変えるため)だって、同じパターン。
いくら診断名がついても、薬を飲んでも、幸せにはならないでしょ。
根本から治って初めて本人の幸せにつながるのですから、つまり、不安を煽る&基準を変えるは、日本人用の商売プラン。
柔道も、スキージャンプも、日本人が金メダルをとると、ルールが変わったでしょ。


インフルエンザのワクチンも、タミフルも、抗がん剤も、高血圧の薬も、世界の70%が日本で消費されているという報告があります。
つまり、国民皆保険がグローバル企業の食い物にされているということ。
コロナのワクチンだって、日本の20兆円ものお金が海外に流出しているのです(さざ波で!)。
本当に病気が治り、人々が幸せになるのなら、日本だけでこんなに消費しないでしょ。
ということは、自閉症やADHDの人が飲んでいる薬、飲もうとしている薬も、一度立ち止まり考える必要があると思います。


テレビやメディアに出てくる専門家は、ほとんどがワクチンのメリットばかりを言い、接種を勧めるような発言をしてきました。
同じように、発達障害の子ども達、大人たちに対して、精神科薬はまるですべての症状がよくなり、生きやすくなる幸せの薬のようなことを言ってきました。
本当にそうでしょうか。
処方されるとき、副作用について、全然説明がなかったという親御さんも少なくありません。
服薬が続き、不眠、過食、便秘、身長が伸びなくなる、薬が切れたときの強い虚脱感、無気力、強い暴力性など、同じように「因果関係不明」とされますが、起きているのも事実です。
本当に就学前から飲むような薬なのでしょうか。


専門家になればなるほど、ピンポイントで見ていくようになります。
「コロナのためなら社会全体が犠牲になっても良い」という感染症の専門家がいたように、発達障害の症状が抑えられるのならその他の生活はどうでもいい、というような発達障害の専門家もいます。
「本人が暴れないのなら、無制限にゲームをやらせた方がいい」
「学校で暴れないんだったら、薬は飲ませ続けた方がいい」
「仕事がストレスなら、生活保護を申請すればいい」
「問題を起こすくらいなら、眠ってもらっていた方がいいんじゃない、お母さん」
こんな発言は表に出てないだけで、あちこちで実際に言われているのです。


親御さんが療育などを受けずに、普通の幼稚園、保育園に行こうとすると、独自の方法で子育てをしようとすると、親は理解がない親になり、その療法はトンデモになります。
ワクチンを打たない人が反ワクになり、太陽に当たる、栄養と運動で免疫を高めるはトンデモと言われたのと一緒。
私に対しても「エビデンスがあるのか」などと言ってくることがありますが、人の発達にエビデンスなんてあるわけないでしょ。
じゃあ、子育てはエビデンスのある子育て、方法しかしていないのか。
人類700万年、みんな、エビデンスがある子育て法をやってきたのか(笑)


ラジオで回答した方から「どうして文字だけで見ているようにわかるのですか!?」というご感想をいただくことがあります。
私は文字からイメージが伝わってくることがあるので、そのイメージをもとに回答しています。
もちろん、ぼんやりとしたイメージだので、そのイメージの解釈を間違うこともあります。
こんなのまさに「トンデモ」ですし、一生エビデンスが出ないことです。
しかし、結果が出れば、それによって子どもさんが、子育てがより良いものになるのなら良いのではないでしょうか。
プラセボ効果で大いに結構。
エビデンスのある療育を幼少期から受け続けて、どれだけの人が良くなり、自立しているのでしょうか。
そこに掛かっている税金と労力、本人と家族の時間、社会資源を考えると、ラジオもメール相談も無料、発達相談だって何百分の1くらいなものです。


発達障害が治るかどうかはわかりません。
でも、感覚過敏が治り、IQが上がり、問題行動が無くなり、手帳を返納し、普通級に転籍、一般就労をして自立している人達が大勢います。
「因果関係不明だけれども、接種後亡くなった人が1,400人以上いる」
少数だからといって切り捨てるのではなく、ポジティブ、ネガティブという違いはありますが、そういった一人ひとりを丁寧に観ていくことが、その他の大勢の人達がよりよく生きることに繋がるのではないでしょうか。


話が大きくなってしまいましたが、親御さんの視点に立てば、他の親御さんの子育て、アイディアを参考にするときは、まず我が子とその子の共通項を見つけることから始めてみると良いでしょう。
「あの子がよくなった。だから、同じことをしよう」では、ママ友があそこの療育が良いといったから、専門家が服薬が良いといったから、と同じレベルです。
共通項がなければ、どんな方法も効果が望めません。
また同じ運動、活動、刺激をしたとしても、受け取り方は子どもさん一人ひとりで異なるものです。


つまり、評判の良い療法も、よくなったご家庭の子育ても、我が子のより良い発達を考えるためのきっかけ、情報の一つにすぎないということです。
コロナ禍も、ウクライナ侵攻も、良い悪いではなく、考えるきっかけ。
その考えるは、究極で言えば、個人がよりよく生きるために考えるということ。
他のご家庭の子育ても、我が子のために考えることができて初めて役に立つ情報になるのだと思います。




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2022年3月9日水曜日

【No.1244】見えないものを感じる力、変化を厭わない性質

発達相談の依頼の90%は女性で、そのほとんどがお母さんからです。
そして多くのお母さんがこんなことを言われます。
「このままでは我が子にもっと大変なことが起きるような気がする」と。
男性、父親からの相談は具体的な問題があり、その問題を解決する方法を知りたい、など「今」に焦点のあったものが多いといえます。
この違いは一言で「母性」と言ってしまえば、それで終わりなのかもしれませんが、赤ちゃんの泣き声、しぐさを見聞きしただけで、手に取るように子どもが何を訴えているかがわかるのは圧倒的に女性のほうなので、数値化はできない感覚的な違いがあるのかもしれませんね。


昨日の続きになりますが、発達障害のリスク因子に関しても、圧倒的に女性のほうが興味深く身を乗り出すくらいの勢いで話を聞いてくださいます。
一方で、男性、父親はというと、たとえ子育てに協力的で熱心な方だったとしても、あまり興味のなさそうな、中には「そんなはずはない」と怒りだすような人もいるわけです。
男は未来を予測する力が弱いのか、はたまた自分が責められているような気がするのか。
もちろん、それを聞いたお母さんの中にも悲しみ、後悔の気持ちを持たれる人もいらっしゃいます。
でも、我が子のこととなれば、パッと気持ちを切り替え、その瞬間から変化することができる。
フラれた女性を何年もグチグチと引きづるのが男性で、何年経っても元カノを思い出すのが男性で、別れた相手はスパッと切ることができる女性。


発達障害の子ども達は、学校の教室が追い付かないくらい増加の一途を辿っています。
医師が発達障害と診断をつけるハードルが下がったということも要因の一つとしてあるかもしれませんが、いまだに「診察、診断には1年待ち」という医院が多いので、医師がバンバン診断名をつけているというよりも、やはり発達障害の子ども自体が増えているのだと思います。
その一つの要因として、昨日のブログで書いたような農薬、食品添加物の2000年問題があり…、そういえば男性は自分で体感できないことは認められない傾向がありますね。
「私だってコンビニのごはん、インスタント食品食べているけれども、健康に影響はない」というお父さんがいて、子どもの身体と大人の身体の違い、そういったものが濃縮して精子や卵子から伝わるというのもよく分からないといった反応をされる人が少なくないです。


話を戻せば、2000年を境に欧米ではがん患者が減り続け、一方、日本は2人1人ががんになるくらい増えっぱなし。
これも農薬、食品添加物の影響だという医師もいますので、日本人の健康に何らかの不具合を与えているのは確かなようです。
農薬、これは殺虫剤で、虫の神経系に作用します。
もちろん、そのまま人間に当てはまるとは思いませんが、ヒトの神経にも何らかの影響があるように感じます。
そういえば、2000年くらいから高機能、アスペルガー、ADHD、LDといった軽度発達障害と言われるような子が極端に増えましたよね。
それ以前は、レインマンのような知的障害を持った自閉症の人ばかりだったのに。
脳や神経の状態を見ると、神経レベルで軽微な不具合、滞りを持っているお子さんが多いので、2000年問題も背景にあると思います。


都市部の多くの方はご存じないことですが、小さな町、地域の学校で、ひと学年の半分が普通級で、半分が支援級なんてところは結構あります。
20人しかひと学年に児童、生徒さんがいないのに、10人は支援級みたいな。
最初は私も小規模な地域ですから「その地域の児童精神科医の方針じゃないかな」と思っていたのですが、どうもそうではないようです。
あまり詳細には言えませんが、北海道も、本州も、九州も、そういった地域はありますね。
で、共通しているのは長年、その地域は農業が中心の土地柄。


あとは古い浄水設備を使っているところも多い気がします。
実際、私が調べることはできなかったので、その訪問したご家庭の方に調べてもらうと、どうも都市部では使われていない鉛管だったり、水をきれいにするための薬品だったり…。
まあ、科学的に調べたわけではないので、あくまで私個人の仕事の中で感じることではありますが、半分が普通級で、半分が支援級というのはちょっとおかしいし、そうなるとその地域に住む子に共通する環境の要因を疑うわけです。


また生業が農業というだけではなく、祖父母が、親御さんのご実家が農家さんだったということも少なくない印象を受けます。
こちらは胎児、お子さんに直接何か影響を及ぼしたというよりも、親御さんの身体に蓄積したものが影響しているとも考えられます。
これはコンビニ飯、ファーストフード、加工食品、冷凍食品も同じかもしれません。
タバコはというと、こちらは鉄欠乏、酸素不足と関連が強いような気がして、ADHDと言われるようなお子さんが多い印象を受けます。


まあ、再三の繰り返しになりますが、全員が全員にリスク因子になるわけではなく、いろんな環境と個人因子の複雑系で表れているのは変わりありません。
だって、半分支援級という学校でも、半分は普通級なのですから。
で、内臓、とくに腸に課題を持っている子が多いのが発達障害の子ども達ですので、口や皮膚から体内に入れるものには気を付ける必要があると思います。
それは単にヨーグルト、乳酸菌を多く摂ろうというものではなく、食事全体を見直したり、皮膚のケアを丁寧にしたりといったある意味、生活全般を健康的なもの、できるだけ自然で原始的な動物としての生活に近づけるような工夫が必要なのかもしれません。
実際、「添加物を減らした」「できるだけ無農薬で」「買ってきた野菜は農薬落としを行う」「肉よりも魚中心の和食に変えた」「石油系の洗剤をやめた」「浄水した水を使うようにした」「海水浴をするようにした」などで、腸や皮膚の状態が改善し、結果的に脳みそ、心身に余裕が生まれ、発達で遅れた部分が伸びるようになった、というご家庭もあります。


理解や認識の部分で2000年以前は発達障害の子ども達が少なかったとも考えられますが、またよく言われるように昔の日本は余裕があり、「いろんな個性を持った人もコミュニティの中で働き、生活していた」と語られますが、それだったら一定数になるわけです。
なぜ、2000年を境に急カーブを描くのか、それも今だに増加の一途を辿るのか。
2000年以上続く日本で、同じような伸びを続けているのなら、とっくの昔に、日本人全員が発達障害者になっていますね。
ですから昨日のブログの結論のように、本来なら社会問題だと考えられるのです。
でも、家庭や個人の問題とされるのが今の社会ですし、さらに発達障害の子ども達が増えなければ、もっといえば、農薬や添加物を売り続けるグローバル企業が日本から手を引かない限り、発達障害に悩む子ども達、ご家庭は増え続けると思います。


よって、気づいた人から変わっていく。
その力の中心は、やはり変わることを厭わない女性たち、お母さん達なんだと思います。
それはワクチンに対する動きを見ても明らかですね。
私はお母さん達に存分に動き、伸びやかに子育てを行ってもらうための後押しができればと思っていますし、それができれば子ども達の課題はどんどん解決できていくと考えています。
男や政治家、専門家は小さなプライドと過去が邪魔するので任せっぱなしではダメですね、論理的に見えて結構感情的ですし(笑)




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2022年3月8日火曜日

【No.1243】なぜ、その子が発達障害になったのかはわからない

5~11歳のワクチン接種が始まっています。
若者に多く見られた心筋炎や発熱等の副反応は、彼らの持つ強い免疫機能をこれまた強い薬で抑え込もうとするために生じている、とも言われています。
高齢者に若者のような強い副反応が出ないのは、そもそもの免疫機能が弱くなっているためとも考えられますね。
胸腺や扁桃腺などのリンパ系は、生後から7歳くらいで大人と同じレベルまで育ちますが、その後、12歳前後をピークに急激に発達し続け大人のレベルを超えます。
20歳ごろには大人と同じレベルに落ち着きますが、つまり、小学校1年生くらいから20歳くらいまでは免疫機能に関わるリンパ系の発達が盛んだということです。
特に小学校高学年から中学生年代は人生でもっとも免疫機能が強い時期。
ということは、接種による副反応が強く出てしまう世代とも推測できるのです。
そういえば、重大な副反応があった人の一覧で12~13歳が続いていましたね。


もちろん、すべてのこの年代の子ども達に接種後の副反応があるとは思いません。
人口の80%ほど接種したワクチンですが、ほとんどの人は入院するような副反応が生じていないのですから。
それは身体との相性なのでしょうか、それとも生活習慣、遺伝的ななにかが関係するのか、それは現時点ではわかりませんが、人とワクチンとの間の相互作用によって現れ方が異なるのだと思います。
ちょっと話は逸れますが、反応の違いはワクチンの管理状態の違いもあるのでは、と言っている専門家、医療関係者もいるようです。
確かにマイナス70℃管理って大変だと思いますし、宅急便のお兄さんたちがクーラーボックスで運んできたり、余った分は再び冷凍庫に入れて管理をしていたり。
輸送中の衝撃とか、再冷凍とか、大丈夫なんですかね。
まあ、期限切れの日付をペンで書き直して3回目を打っているので、心配ないか(笑)


発達相談において親御さんは、「まさか自分の子が発達障害になるとは…」とおっしゃる方が少なくありません。
それは自然な感情だと思います。
子どもを授かり、すくすくと育っていく我が子の姿を思い描き、出産、子育てを始めるのですから。
しかし、徐々に同年代の子との違いがはっきりしてきて、専門家より発達の遅れを指摘される。


発達の遅れは徐々に目立っていくものですので、「発達障害」と言われたあと、それまでの過去を振り返ります。
「あのとき、〇〇をしたから」
「自分が〇〇をさせなかったから」
完璧な子育てなどあるわけはなく、子どもの発達にとってリスクがあることは多々あります。
ですから、リスクを数えようとすれば、いくらでも出てきて、その数だけ親御さんご自身を傷つけることになる。


発達障害の原因、リスク要因については研究もあり、いろんなことが分かっています。
しかし、たとえば「高速道路の近く」が一つのリスク要因としてあるのですが、だからといって高速道路の近くに住んでいる子ども達が全員発達障害になるわけではありません。
高速道路、つまり、車の排気ガス、そこに含まれる化学物質の影響だと推測されますが、どのくらい体内に蓄積したらリスクになるのか、また個人によっても耐えられる量も違えば、浴びている時間も違います。
そして多分、これはどんなリスク要因に対してもいえるのですが、そのリスク要因が単体で影響する人もいれば、他の要因との絡み合いによって影響する人もいるはずです。
リスク要因は分かってきてはいるけれども、その個人に影響したものを特定することはできません。


長時間のメディア視聴が言葉の遅れに繋がると考えられる子ども達は多くいますが、同じくらい言葉の発達に影響が出ていない子も多くいます。
もちろん、もしかしたら言葉ではなく、言葉以外の何かに良くない影響を及ぼした子もいるでしょう。
発達障害の子ども達は人口の1~2%くらいと言われています。
実際に診断を受けた子はもっと少ない。
つまり、少数派なのです。


少数派だし、症状の表れ方もバラバラ。
だからいつまで経っても、発達障害は社会問題にはならず、個人、家庭の問題にされがちです。
正直言えば、私達人間が作り上げた社会環境によって、だいぶ多くの発達障害児が作られていっていると言っても過言ではないくらいです。
どうして先進国、特に日本でこんなにも発達障害児が急激に増え続けているのでしょうか、しかも2000年を境に。
もちろん、アスペルガーなどの概念の広がり、社会制度の変化、診断基準、医療側の変化も影響しているでしょう。
でも、それにしても、日本の増え方は異質です。


2000年頃、日本以外の世界で何が起きたのでしょうか。
欧米では農薬の規制、食品添加物の規制が強くなりました。
しかし、日本は真逆を行き、欧米で禁止されている農薬も使い放題、しかも世界で1,2番くらい使用している。
あの広大なアメリカやオーストラリアの何倍もですよ。
コンビニに行けば、添加物が含まれていない食品を探すのが難しいくらい。
ファミレスの食材、遺伝子組み換え食品ばかり。
どうしてあんなに低価格で、お腹いっぱいご飯が食べられるの??


こういった食にしろ、環境にしろ、今回のワクチン、マスクにしろ、すべての子どもに同じような悪影響を及ぼさないから、いつまで経っても根本から改善しようとする声が上がってきません。
そんなことをしなくても、どうせ、影響が出る子は少数派だから、そのまま知らんぷりして自分の生活、今のラクを求めて生きていけばいい人が大多数。
でも、悲しいことに影響が出てしまった子は、その家族にとって我が子はすべてで全部。
だからこそ、多くの人たちにとっては関係ないことで支障がないことであったとしても、誰かの健康、幸せ、自由にとって悪影響があると思われることには警鐘を鳴らし、そこに真剣に向き合う人がいなければならないと思うのです。


今までの薬害訴訟も、国が認めるまでは10年くらいの年月がかかっています。
10年経って「じゃあ、やめよう」では遅いのです。
この10年間にどのくらいの人が苦しんだのか。
しかも、その人が苦しむだけではなく、家族や友人も同様に後悔し、苦しみ続ける。
「少数だからイイや」「自分に関係ないからイイや」「エビデンスが出てないからイイや」
「今だけ自分だけ」で本当に良いのでしょうか。


発達障害のリスク要因はたくさんあります。
しかし、そのリスク要因がその子にどんな影響を及ぼすのか、どのくらいまで許容できるのか、はわかりません。
だから、できることは過去から学び、できるだけリスク要因を避けることです。
何度空振りになったとしても、99%の人には関係なかったとしても、たった一人であったとしても発達障害の引き金になるリスク要因を遠ざけることができれば良いと私は思っています。


こういった考え方、仕事の仕方はグローバルスタンダードという名の欧米基準には不適合だといえます。
発達障害になった子を治すような仕事をすることは、目に見える形での評価、成果になりますが、発達障害にならないための仕事こそ、大事なのではないでしょうか。
本当にそのままだと発達障害になったかどうかは分からない。
でも、私は発達障害になる子を減らしたいし、なった子は根本から治ってもらいたい。
社会全体で発達障害の予防に取り組むまでは、まだまだ先になりそうですが、こういったことを目指しながら今日も発達援助という仕事を行っています。




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2022年3月5日土曜日

【No.1242】複数の感覚にまたがる過敏さ

昨日、頂戴したラジオへのお便りは、いろいろな感覚に不具合をお持ちの方からのご相談でした(ラジオ:てらっこ塾大久保の【発達援助のこころ】も配信中)。
一昔前は、といっても10年くらいまでですが、自閉症、発達障害者の感覚過敏は特性の一つであり、治らないものとされていました。
もちろん、自閉症の中でも生物的な部分に支障をきたした状態で生まれてきた子は、なかなか治るものではないのですが、基本的には感覚過敏=感覚系の未発達がありますので、あとからでも育て直しができます。
そういった意味では感覚過敏は治ります。
ちなみに上記の「生物学的な部分に支障を…」という人達は、動物としての中核的な部分である呼吸や内臓の働き、本能的な食欲、睡眠等全般的に課題を持っていて「様々な感覚過敏がある」というよりも、生命体としての不具合だと考えられます。
こういった人達は強度行動障害と言われ、激しい自傷や睡眠障害、摂食障害を持っていますね。


感覚過敏は、たとえば聴覚過敏は耳の未発達であり、聴覚はまず前庭覚が育ったあとに本格的な「聴ける耳」になりますので、前庭覚から育て直していくと、聴覚過敏は治っていきます。
しかし、このように聴覚過敏や触覚過敏など、ピンポイントで過敏さを持っているのでしたら、そうやって背景にある未発達を育て直していけば良いのですが、中には聴覚過敏があり、触覚過敏があり、嗅覚過敏があり、味覚過敏が…というように、複数の感覚系、ほぼ全部の感覚系に過敏さ(または極度の鈍さ)を持っている人もいます。
そういった場合は、「じゃあ、一つずつ育て直していきましょうね」では治っていかないことがあるんですね。
ここは支援者でも間違っている人がいるので、気を付けなければならないポイントになります。


複数の感覚系にまたがる感覚過敏(または極度の鈍さ)は、感覚系よりも根っこ、つまり、受精卵に近い時期の不具合から来ていることが多くあります。
よく見られるのは、神経の課題ですね。
中枢神経と末梢神経の繋がりに課題があったり、自律神経に不具合があったり。
あとは胎児期の愛着障害やトラウマなども背景にあることがあります。
これは恐怖麻痺反射だったり、胎児期の愛着障害だったりして、胎児期のサバイバル術としての過敏さが、そのまま生まれたあとも継続している感じです。
胎児は母胎という膜の中で安心感に包まれます。
しかし、その体感が得られていないと、また満たされる前に出生してしまうと、代替となる膜を欲するものです。
その膜が得られないと、まるで身体から神経が丸出しのような感じになりますので、神経系全般に過敏さが出る、というかそれが身を守るために必然的な状態になってしまうのです。
また胎児期、生後1年くらいまでの鉄欠乏、低出生体重児、早産、母乳育児の有無も、神経系に影響を及ぼし、それが全般的な感覚過敏に表れることもあります。


このように「聴覚過敏があるから聴覚を育てる」というような1対1の対応ではうまくいかないことがあります。
同じように、よく「手の不器用さがある」という相談を受けますが、そのときも、「じゃあ、手の指を動かすような遊びをしましょう」ではダメなんですね。
手の指に不具合があったとき、足も確認する必要があります。
何故なら同じ身体の末端だからです。
足の指にも同じような不具合があれば、具体的には足の指の動かし方、跳ね返りの強さ、反りかえりの具合、足の裏のしわと固さの確認、土踏まずがあるか、足全体が冷たくないか、などを確認します。
そういった足にも不具合があるならば、それは手の指の不器用さではなく、身体の末端の問題だと評価するのです。
でも、それで終わりではなく、身体の末端に不具合があるのは、末梢神経の問題なのか、そもそも中枢神経と末梢神経の繋がりの問題なのか、他には土台の部分である快食快眠快便の影響は?呼吸は安定している?深く吸えている?内臓の状態は?など、多岐にわたって確認して初めて、どこからアプローチするかが決定していきます。
いくら表面的なアプローチをしても、根本から行かないと治りませんね。
上記のように多岐にわたり、また根っこに深くいくようにアセスメントしていったあと、「それでもやっぱり手の指だけの問題だね」となると、そこから手の指を使った遊び、エクササイズの提案になるのです。


発達障害とは、一つの現象です。
つまり、その現象が現れる背景が一つ一つあり、一人ひとり違うのです。
危機的な状況なら、その表面的な状態に対する対症療法が必要ですが、発達障害はどちらかといえば、長年の積み重ねで作られた状態。
ですから、根っこから、根本治癒を目指していくことが、その子の全体的な発達に繋がり、より自立した生活、人生に繋がっていくと考えています。




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2022年3月2日水曜日

【No.1241】チャンネルに合わせた言葉づかい

難しいことを難しく説明する人は専門家だったとしても、プロとは言えないでしょう。
プロとはお金を貰って仕事をする人であり、そのお金を払ってくれる方の視点に立って仕事、サービスを提供しなければなりません。
しかし一方で、だからと言って、その相手が簡単に理解できるレベルまで下げて伝えるのも違うと思っています。
特に私が対象としているのは親御さん達ですから、専門的な内容を噛み砕いてお伝えすることは大事ではありますが、親御さんがもう一歩前進できるような、できればご自身で考え、「ああ、子育てって楽しいな」と思ってくれるような言葉を選び、説明ができたらと考えています。


日々、メールでの相談をいただくのですが、その際も上記のようなことを思い描きながらお返事しているのですが、当事者の方からの相談も多くあります。
当事者の方の場合、今、困っていて、今を改善したい人が多いので、レベルアップしてもらう、考えるきっかけにしてもらう、というよりも、できるだけ脳に負荷をかけないような文章にしています。
でも、それは単にシンプルに書くということではないと思っています。


綴られている文章には、その人の頭の中が原寸大で表れているような印象を受けます。
文章が長く、細部が細かく書かれている人には、それが日頃の情報処理の形態だといえますので、なるべく曖昧な言葉は使わず、具体的に、ここは端折って良いなと思うところまで、詳しく文字にするようにしています。
他には、表面的な言葉が多い人は、内面や感覚が掴みきれていない場合が多いので、客観的な目で見てわかるような表現を使い、説明するようにしています。
細かいところで言えば、感情表現が豊かな人はなるべくオノパトペを使うようにし、文章がポツンポツンと脈絡がないような人には、ポイントを絞ってメール1通で伝える分量を小さくしてやりとりをするようにしています。
つまり、相手の文章、もっといえば、脳の情報処理、世の中の組み立て方に合わせたメールを書くようにしているのです。


私達支援者と言うのは、相手のことを思えば思うほど、容易で簡単な言葉を使おうとしてしまいます。
よく成人施設などで、利用者の方に赤ちゃん言葉を使っている支援者がいますが、まさにそれです。
そういった年齢にそぐわない、相手を低く見るような言動は、それ自体が失礼だということもありますが、相手のチャンネルに合っていない言動は却ってわかりづらいことが往々にしてあります。
知的障害があるからといって、幼い子に使うような言葉を使っても、相手が理解しづらいこともあるのです。


ですから、その人のチャンネルに合わせた言葉、コミュニケーションをすることは大事だと思います。
そういった視点で親子関係を見ますと、実に上手なコミュニケーションをとっているご家族が多くいらっしゃいます。
日頃は普通に話をしているものの、大事なことを伝えるときには、その子が単語レベルの発信、理解の仕方だと、親御さんも単語で伝えます。
まだ概念が育っていない子どもさんには、言葉と合わせて具体的なものを使いながらコミュニケーションをとったりしています。


言葉の発達で言えば、理解が先で発信があとです。
理解が広がるから表出できるのであって、表出の練習をしたからといって話せるようになるわけではありません。
つまり、言葉の発達には理解を育てることが大事であり、そのために聴覚を育てる必要があるし、聴覚の前には前庭覚を育てる必要があるのです。
また聴覚という機能的な準備だけではなく、その子が理解できるチャンネルに合わせた言葉、形態、レベルを使わなければ、本人がキャッチできませんので、そのためにはその子の情報処理の形態、もっといえば、どのように世の中を切り取り、認識しているかを捉えていなければなりません。


支援者にとっては、相手のチャンネルに合わせてコミュニケーションができているかが重要なポイントになります。
どの子にも同じような言葉を使ったり、自閉症ならこういった言葉、知的障害がある子にはこういった言葉というように通り一辺倒なコミュニケーションをとっている人は力量に疑問符がつくでしょう。
親御さんにとっては、子どもの成長とともに言葉、表現の仕方を変えていけることがポイントだと思います。
親子の間ですと、どうしても楽なチャンネルでのコミュニケーションで終始してしまう傾向がありますが、本人の認知的な発達とともに言葉使い、表現のレベル、複雑さ、どのくらい本人が考えられる余白を作るかなどの変化が大事です。
理解は相手と同じチャンネルで、成長は相手のチャンネルよりもちょっと上のレベルで。




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