【No.1253】特別支援の世界に親子を閉じ込めてしまってはいないだろうか
やっぱり免疫の訓練は大事だと思うんです。
特に子ども達、若者たちはリンパ系がダイナミックに発達する時期ですから、いろんな細菌やウィルスなどの刺激を受け、免疫記憶を獲得するとともに、自身の免疫を育てる必要があるといえます。
コロナ以前から抗菌や除菌された環境、外遊びなどをしない中で育つ子ども達が増えていました。
それが子ども達のアレルギーや腸の問題と関係しているという医師もいます。
赤ちゃんは産道を通るときに、体内に細菌などを取り入れ、母乳によって免疫物質を受け取ります。
そして自然免疫が育ち始まる1歳半ごろから、免疫を獲得していきます。
もともと人間も動物で、今のような除菌された環境で過ごすように身体はできていませんので、腸内細菌のバランスが崩れてしまうようです。
赤ちゃんがいろんなものを嘗めるのも、子どもが泥だらけになって遊ぶのも、もっといえば鼻くそをほじって食べるのも、体内、腸内に雑菌を取り入れている行為であり、それが身体のバランスには必要だったんですね。
そういった雑菌に触れる機会が少ない環境が免疫の過剰反応と繋がり、過剰なアレルギー反応となっているそうです。
発達障害の子ども達にも、アレルギーや腸に課題を持っている子が少なくないですが、運動発達のヌケ→遊びの狭さ→外遊びの経験不足→腸内細菌のバランスの崩れ、ということもあるかもしれないと思いました。
子どもは風邪を引くのが、大事な発達イベントの一つなのに、なんだか風邪もひいちゃいけないような2年間が過ぎようとしています。
子どもは鼻を垂らしながら、みんなで遊び、お互いにウィルス交換しながら強くなっていってたと思いますね。
そういえば、村のお祭りも、一堂に集まり、定期的にウィルス交換し、集団免疫を作ることに繋がっていたという話もあります。
そう考えると、子どもも、大人も、みんなで集まり、交流することが個人の免疫を刺激し、それが健康につながっていたといえます。
「高齢者を守るために」と散々言われてきましたが、不安を煽り、誰にも会わない状況を作ることは、却って免疫を刺激する機会を失い、さらに筋力や脳の老化に拍車をかける結果になったように感じます。
この「高齢者を守るために」と似たようなことが、特別支援の世界でも起きているような気がします。
これは発達障害の本人ではなく、その子を育てる親御さんにです。
親御さんは良かれと思って、療育や支援を受けるために子どもを連れていきますが、それが親として育つ機会を失わされているような気がするのです。
子どもさんの年齢分だけ、親としての年齢になるわけで、子どもが生まれた瞬間に親になっていくのではありません。
それなのに知らず知らずのうちに、自分で試行錯誤しながら、何よりも我が子をしっかり見ながら子育てを創造し、親と子の関係性を築いていく過程を抜かしてしまう。
親御さんに「息子さんの良いところはどこですか?」と尋ねても、パッと出てこない方もいて、中には療育機関で言われたことをそのまま答えている方もいたりします。
今ではそういった依頼はほとんどなくなりましたが、「定期的にレッスンして治してくれるんですよね」という話が以前はありました。
どうしても、「専門家の意見を聞く、支援を受ける」という姿勢が身についてしまっている親御さんは、自分よりも専門家は優れていて、その優れた方法を受ければ良くなっていく、という思考ができているような気がします。
一般的な子育てでは、そんなに専門家と関わる機会はありませんので、一度診断を受けると、特殊な環境に入り込んでしまいますので、親御さん自身も気づかないうちにそういった思考になってしまっているんだと思います。
専門家の功罪の中には、こういった親御さんが親として育つ機会を奪っていることがあると思います。
専門家の行う支援は、あくまで特定の環境の中でうまくいく方法であって、たとえば園や学校、福祉施設で、またその手段も一般的な子育ての方法ではなく、学問としての専門的な、ある意味特殊な方法だといえます。
そんなことをいくら実践しても専門家っぽくはなりますが、親としての自覚と振る舞いは培われていかないと思います。
どうも、親としての自信がないのも、専門家依存に繋がっているように感じます。
発達障害を治すのは方法論ではありません。
我が子を治したいと言いながら、なにかその方法を探そうとしていたり、なにか特別なレッスンを受ければ良いと思っていたりしてはいないでしょうか。
子どもに全体的な発達が見られていく中で、自然と治っていくのが「治る」というものです。
つまり、発達に遅れがある子だとしても、行うのはその子がよりよく発達成長できるための子育てであり、育つための環境を用意していくこと。
それには親御さん、家庭の力が重要ですし、より良い子育てを目指していく中には、親御さん自身、いろんなことを試行錯誤しながら、また失敗もしながら、「ああ、うちの子にはこういった後押しが必要だったんだ」と気づいていくことが大事だと思います。
発達障害が治っていくためには、まずその原因を取り除き、改善しなければなりません。
特別支援の世界はあくまで「支援」の世界ですので、根本の原因への対処は行われませんね。
発達を遅らせている原因、とくに環境面に関してはあとからでも改善できますので、まずはそこの改善を行い、次に発達のヌケ、遅れの部分が育つようなアプローチをしていく。
この発達のヌケや遅れを育て直す課程において、助言を専門家から受けることは必要かもしれませんが、発達は週に1回のレッスンで生じ、育つようなものではないので、あくまで家庭で育てていかなければなりません。
専門家は助言はできても、親御さん、家庭の代わりはできないのです。
神経発達とは継続的な刺激が必要ですね。
神業で一発で治る、神経発達が生じるなんてことは滅多にありません。
「いろんなアプローチをやっているんですけど、治らないんです」という相談をいただくことがあります。
実際に確認してみると、専門家の先生のところに定期的に通っているだけだったり、やっているといっても継続できていなかったり。
そしてご自身でも続けてできないことに悩まれている方もいらっしゃいます。
支援は専門家が行うもの、頼るものという姿勢ができていると、コツコツ継続して行う子育てというのがしんどいですよね。
子どもの成長とともに、二人三脚で親としても育ってきた方はそうではないと思うのですが、「何回やればいいんですか?」「どのくらいの期間やれば終わりますか?」など気になってしまうのは、子育てが支援、仕事みたいに感じちゃっているのかもしれません。
「どこかにより良い子育ての方法があり、どこかに治る方法があって、治せる専門家がいる」
このような誤解を招いてしまっているのは、「子育て」という言葉を「療育」「支援」という言葉に変えてしまった特別支援の専門家、支援者たちだと思います。
長年、親御さんに親ではなく、その子の支援者になることを求めていたのが特別支援の世界。
なんだか子どもがパニックになることが悪いことかのように指導されてきました。
発達途上であり、いろんな凸凹、未発達を抱えている子どもさんですから、パニックになったり、問題行動が生じたりするのは自然なことです。
そんなとき、親子で一緒に泣いたっていいじゃないですか。
そして、そっとその家庭に専門的なアイディア、助言を行うのが支援者の役割。
子どもを特別支援の世界に閉じ込めておくのは、彼らの育ち、鍛える機会を失わせるだけではなく、親御さんが親として育つ機会をも失わせてしまいますね。
本当に支援を受けること、それを最優先にすることが本人と家族の幸せにつながるのか、もう一度、考える時期にきていると思います。
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