【No.1254】食事は単なる栄養素の足し算ではない

2,3年前でしょうか、栄養療法が発達障害の世界でもブームになったのは。
当時はどこのご家庭でもプロティンとサプリがあり、高タンパク質&低糖質の食事を心掛けていたと思います。
確かに発達障害も、神経の発達に課題がある子ども達ですので、その神経発達に必要な栄養を整えていくことは意義があったことだといえます。
実際、栄養を見直したあと、落ち着いて学習ができるようになったり、発達、成長のスピードが加速したように感じられたりしました。
ですから、私も栄養療法の紹介は積極的に行っていました。


しかしそれから月日が経ち、私が思い描いていた栄養療法のイメージと、それを受け取った親御さんのイメージの間にギャップがあるような気がしてきました。
私が栄養療法を知ったとき、最初に思ったのは「根本治癒の道が一つ明らかになったな」ということです。
つまり、栄養を整えることで発達障害が改善するということは、その子の栄養状態に問題があるからで、その根っこは日々の食事のメニューと量、本人の偏食や小食、胎児期の栄養状態、親御さんの栄養状態、母乳かどうか、などがあるのだと考えたのです。


「発達障害が栄養療法で良くなる」が、いつの間にか「発達障害は栄養療法で良くなる」に変わっていったように感じています。
その子が発達障害だからといって、栄養療法で良くなるとは限りません。
もちろん、栄養は発達障害以前にヒトとして、動物として大事なことですので、それを整えていくことはプラスになると思うのですが、それでも「栄養が本来のその子の発達を阻害している」という前提がなければ、治ってはいかないと思うんです。
ですから栄養療法という視点を得た私は、改善法としてというよりも、根本治癒を目指すためのアセスメントの一つとして捉えていました。


アセスメントの基本原理として、現在から過去の順番に、生理的な反応から動き→感情→言葉の信頼度というものがあります。
ですから栄養面のアセスメントで言えば、今の食事と量、偏食の有無、排泄の状態、嗅覚&味覚の発達状態、舌の動き、嚥下の力、あごの大きさ、唇の過敏さ、歯並び、乳歯or永久歯(生え変わりの時期) かなど、今の状態から確認していきます。
そしてその後、現在から赤ちゃん時代、胎児期に向かっていき、さらに親御さんの世代、祖父母の世代へと発達の歴史を辿っていきます。
そうやって辿っていく中で、栄養面の引っかかりが複数確認できて初めて、栄養療法が一つの選択肢として表れてくるのだといえます。
もちろん、歴史を辿る前に、現在の食事の状況に課題が複数あるとすれば、たとえば偏食があって、嗅覚の未発達があり、便の状態が悪い、というのでしたら、まずはここから見直していくことが優先事項になります。


栄養療法で効果があったから、そのまま続けているご家庭も多い気がします。
しかし、その栄養療法はいつまで続けるのでしょうか。
それは「何が根本の原因ですか?」と同じ意味になります。
療育や支援と同様に、「いつまでその支援を受け続けますか?」「どうなったら支援から卒業しますか?」という問いになります。
ある意味、栄養療法がうまくいき続けているのなら、根本の課題が解決していないといえます。


桶の水がいっぱいになるように蛇口をたくさん捻って水を出せば良い。
でも本当は桶に空いている穴を防ぐほうが大事。
短期的な応急措置として1ヶ月、数か月単位で栄養療法を行うのは良いと思いますが、それが一年も、二年も続くようでしたら、根本の問題解決をしなければならないと思います。
同年代の子ども達は、一般的な食事で健康が保たれ、神経発達も生じているのですから、目指すべきは普通の食事で普通に育つことではないでしょうか。
普通の食事で消化吸収できていないのでしたら、噛む力を育てたり、味覚&嗅覚を育てたり、内臓を育て、循環器系と腸内環境を整えるほうが大事ですね。
いずれも、後天的に育てることができますので。


栄養療法の本を読んでいると、よくなった事例のみが出てきます。
裏を返せば、変化がなかった事例、反対にネガティブなことが生じた事例は載っていないわけです。
これはその他の療法にもいえることで、その療法について詳細に載っているような専門書、教科書的なものには良かった事例のみが記されているものです。
私はあくまで消費者側で、その個人がよくなることが最優先ですので、また実際に行っている人達と直にお話を伺える立場ですので、当然、個人個人合う合わないがあって、ネガティブな面も見聞きするのです。
その懸念していることは、新刊『ポストコロナの発達援助論』でも書かせていただきました。


栄養療法を対処療法の一つに、西洋医学のような「プロティンを〇gとって、鉄は〇g…」と数値で捉えてしまっては勿体ないような気がしています。
食事は単なる栄養素の足し算ではなく、人類がなにを食べてきたのか、どうやって消化吸収の機能を獲得してきたのか、そもそも人間にとって食べる行為とは何かといった視野が必要なのではないでしょうか。
食事には食べる&調理する&獲物(食物)を獲るという身体活動、消化吸収排泄の内臓活動、味わうの嗅覚&味覚、コミュニケーション、人と人との交流、他者との共感、本能的な快の感覚、記憶、創造性など、様々な機能があり、発達の機会と入り口だと思います。


小学生の黙食に対して大人たちが「それはおかしい」「かわいそうだ」という声を上げています。
それは多くの大人たちが直感的に良くないことだと分かっている証拠だと思います。
もし栄養素の足し算だったのなら、ただ食べ物を口の中に入れ、飲み込めば良いだけ。
それは違うよねって、みんなが気づいているからこそ、黙食がおかしいと思い、大人たちは飲食店に集まり、食事をするのでしょう。
まん防も何も出ていない日本の今日は、普通の平日の一日。
学校も終業式を終えたところばかりですので、子どもも、大人も、みんなで集まって食事を楽しみましょう!
ちなみに法律的には緊急事態宣言が発出されているときのみ、「行政は自粛要請ができる」になっていますので、今行われている自粛要請は法的根拠のないただのお願いです。
お願いなら、いつでも誰でも断れますね♪




【新刊『ポストコロナの発達援助論』発売のお知らせ】
北海道から沖縄まで、全国の書店に並びました。店頭でのご購入もよろしくお願い致します。
出版元である花風社さんからのご購入はこちら→https://kafusha.com/products/detail/56
Amazonでも購入できます。

前著『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』もどうぞよろしくお願い致します(花風社さんのHPからご購入いただけます)。全国の書店でも購入できます!ご購入して頂いた皆さまのおかげで二刷ですm(__)m


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