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8月, 2021の投稿を表示しています

【No.1187】勉強で観ているのは、脳・神経の「どことどこが繋がっているかな?」

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将来、自立した生活が送れるための一つのポイントが、「小学校4年生の学力がついていること」になります。 小学校4年生くらいになりますと、物事の概念や社会の仕組み、ある程度の社会性&経験がなければ、理解が難しく、別の言い方をすれば、この小学校4年生の教科書レベル、テストで8割以上取れていれば、社会で生きていくための基本的な学びを身に付けている、ということでもあります。 ですから、たとえ時間がかかったとしても、小学校4年生レベルの学力を身に付けることは重要であり、そういった意味で、教科学習を投げているような特別支援教育の実態に憤りを覚えるのです。 といった話を方々でしていますと、教科学習に関するご相談や実際の発達相談においてテストやノートなどを見せてくださるご家庭が多くあります。 テストの点数はダイレクトに理解度がわかりますし、ノートの具合からどのような姿で授業を受けているのかがわかります。 なぜ、間違ったのか、どこの過程で間違ったのか。 それを確認し、教え方の工夫、学習の仕方の工夫を助言することも大事だと思っています。 しかし、それははっきりいって発達援助ではないと考えています。 そういった工夫を導き出すのは、教職に関わる人達が専門で、得意とする分野です。 発達に遅れがあり、テストの点数がとれない、ゆえに教授方法、学習方法の工夫。 そうではなく、私の仕事は、発達援助の仕事は、発達の遅れに対するアプローチです。 大雑把な言い方をしてしまえば、発達の遅れという根っこが解決すれば、そこが改善すれば、自然と学習する力は上がって行くだろう、小学校の授業レベルはわかるようになるだろう、ということです。 では、具体的にどのようなアセスメント、アプローチをしていくかと言えば、筆圧や字のバランス、音読の声の出し方、言葉のスムーズさ、音の強弱や文章理解、概念の理解、作業の継続時間、間違ったことに対する修正能力、姿勢や目の動き、自制心、目標が立てられるか、それに向けて実行できるかなどです。 そしてよく勘違いされている方が多く、もっとも重要な部分が発達援助的な見方をすれば、「学習するということは神経を繋げる作業である」ということになります。 たとえば、漢字練習をしているとします。 何でもよいのですが、「大」という字をノートに書いて練習しているとしますと、私からすれば、「大」という字が書けるとか

【No.1186】私がお伝えしたいのは「How to」ではない

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このたび、花風社さんから出版される新刊を楽しみにしてくださっている方達が多くいらっしゃることを知って私は嬉しく思っています。 花風社さんのサイトからのご注文の方には9月中に届く予定とのことでした。 さて、皆さまのお手元に届く前に、ご説明しておいた方が良いと思うことがありましたので、今日のブログの内容とさせていただきます。 私のセッションや発達相談をお受けになったご家庭はわかると思いますが、いわゆる標準療法というか、「THE支援・療育」みたいなことを提案して終わり、ということはございません。 現在の中心は、家庭の中で、親子でどのような遊びをしていけば、より良い発達に繋がるのか、どういった運動や生活を行えば、神経発達が促されていくか、という視点で助言させていただいています。 もちろん、このブログやラジオチャンネルでも、同様の発信を続けています。 ですから、特にここ2,3年で私のことを知ってくださった方達は、身体アプローチという方法で、発達障害を治していく人(?)という印象を持たれているかもしれません。 しかし新刊の中での浅見さんとの対談でもお話ししていますが、私はバリバリのギョーカイ人でした。 大学在学中よりTEACCHやABA、感覚統合などを勉強し、社会人向けの研修にももぐりこんで受講していましたし、ある意味、その技術、知識を磨くために、第二種自閉症児施設という日本に3つしかなかった専門施設に就職し、働きながら学びを続けていました。 こうやって独立したあとも、最初の数年間は、と言いますか、栗本啓司先生の書籍を読むまでは相変わらずギョーカイの手法をベースに行っていたのです。 花風社さんの書籍のラインナップでいえば、赤本以降、継続して書店で見つけるたびに購入していましたが、施設職員時代はほとんど休みなく働いており、しかも職場は山の中でほぼネットが繋がらなかったので、改めて過去に戻り、購入していなかった本を買い足していったのは、やはり栗本先生の黄色本が出版される前後でした。 黄色本(『自閉っ子の心身をラクにしよう!』)は2014年8月の出版でしたので、身体に注目したアプローチを学び始めたのは、7年くらいなものです。 で、詳しくは新刊の中でお話しさせていただいておりますが、この流れをご存じない方が私の言動を見ますと、いつも療育や支援を引き合いに出して主張していますので、方法V

【No.1185】無症状者の入院治療は何をしているのだろうか?

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函館に住んでもう20年以上になりますが、こんな田舎にも医師会というのがあるのだと初めて知りました。 しっかりお盆休みをとられたのでしょうか。 つやつやしたお顔の医師会長さんが函館、いや道南、いや渡島半島、唯一のデパート丸井さんで購入したのかはわかりませんが、素敵なスーツで会見を開いていました。 「この先も感染(←陽性)が続けば、病床がひっ迫する」 「このままでいけば、一般診療に滞りが生じる」 「ホテルや病床が埋まれば、軽症者は自宅療養になる」 医師会では使うべき論法が決まっているのかもしれませんね。 「~すれば」はすべて仮定であり、予測のお話です そりゃあ、同じペースで陽性者が増えて、その人達をバンバン入院させていけば、病床が埋まってしまうのは小学生でもわかります。 函館は小さな町ですので、ご丁寧に日々の陽性者を一覧にして発表してくれます。 そこを見ると、軽症者、無症状者がほとんどで、しかもほぼ「入院」になっています。 100歩譲って軽症者はわかりますが、無症状者が入院して、どんな治療を受けるのでしょうか? 想像ではありますが、朝昼晩検温して、あとは病院食を食べて、院内をお散歩などは止められるでしょうから、何日間もベッドで過ごしているのでしょう。 それって免疫下がりませんかね。 暇という罰を与えて、ワクチン接種を促しているのでしょうかね。 2019年まで「症状はないけれども、治療してください」と病院に行っても、追い返されていたと思いますよ、やったことないけれども(笑) 無症状者の入院治療というのは、まさにコロナ騒動の謎の一つでしょう。 客観的な事実として、医療にはお金がかかりますし、それが商売になっています。 今、新コロでは患者さんの支払いはありませんが、その分、国が代わりに支払いを行っています。 というか、その国のお金は、我々が支払っている税金ですが。 コロナ専用病床を作ると、そこに多額の税金が支払われますが、「病床はあるけれども、人員がいない」ということで、コロナ患者を受け入れず、お金だけ頂戴している病院が多数あることがわかりましたね。 こんな事件(公金詐欺まがり)が起きるのを見ると、医師の中にはお金のためにその職業に就いた人が少なくないのかな、と思います。 そもそもテレビに出てくる医師たちが、脅し文句を使い続けていることに、私は不信感を持っています。 人の健康

【書籍発売のお知らせ】医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう!

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もうご存じの方が多いかと思いますが、花風社さんの浅見淳子さんと共著で本が出版されます。 タイトルは【医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう!】です。 タイトルに『1』がついている理由は、今年の2月23日に創業25周年を迎えられた花風社さんの記念企画の一環で、今後もパート2、パート3の出版が予定されているからです。 そしてそのパート1を光栄にも浅見さんから対談、共著の御使命を賜った次第です。 学生時代、友人にたまたま誘われて行うことになった障害を持った子の余暇支援ボランティアで、たまたま担当になったのが自閉症の男の子でした。 18年の人生で初めて出会った自閉症と呼ばれる子のことが知りたくて、書店に行き、最初に手を取ったのが『自閉っ子、こういう風にでできています!』(ニキリンコ+藤家寛子●花風社)。 それから20年が経ち、ずっと読んできて、部屋の本棚にずらっと並んでいる花風社さんの書籍に私が携わる機会があるなんて夢にも思わない出来事がありました。 長年の愛読者としては、浅見さんと原稿のやりとりを行わせていただいている間、読者の中で最初に本を読むことができ、「ラッキー♪」という想いがしていました。 対談や原稿のやりとりを通して、浅見さんには私の内側にある多くの言葉を引き出していただいたように感じています。 また初めて書籍づくりに関わらせていただき、表紙をデザインして頂いた廣木道心さんのお仕事、そして特に今回、私が実践してきたことをイラストや漫画で表現して頂いた小暮画伯さんのお仕事を拝見できたことが勉強になり、またありがたく、そして嬉しく感じております。 私は文字でしかお伝えしていなかったのですが、小暮さんからはまるでその場にいて描かれているかのようなイラストが返ってきて、私は何度も驚かされました。 是非、小暮さんの優しさがにじみ出ているイラストや漫画を楽しみにしていただければ、と思います。 私は家庭支援がしたくて、親御さんの子育て、ご家族のより良い未来への応援がしたくて、今の仕事を起業しております。 その想いと今まで学んできたこと、経験してきたことを今回の書籍の中に込めました。 今、子育て中の親御さんへは、私も同じ子育て世代として共に頑張っていきましょう、という想いを感じていただければ、と思っております。 また今後将来、子どもを授かり、我が子の発達の

【No.1184】治すのは本人、治る場所は社会全部

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久しぶりに更新したためか、一昨日・昨日の記事にアクセスが集中していました。 ブログを読んでくださった方からのメールもたくさん来ていて、個別にはすべて返信しましたが、もう少し説明した方が良いかなと思い、今日も綴っていきます。 まず食事の件ですが、添加物の影響について2つの話が混在していて分かりづらかったかもしれません。 子どもさんがインスタント食品やお菓子、飲料水、ファーストフードなどを食べるから「治らない」ということではありません。 確かに糖質や添加物を摂ると、衝動性や多動性、こだわりなどの症状が強くなる子がいます。 ですから、そういったものを減らしていくと、「落ち着いて見える」ということはあるでしょう。 実際、ADHDと言われていた子が食事を見直すと、落ち着いて勉強に臨めるようになったということがあります。 しかし、食事の見直しだけで改善するとしたら、それはただの誤診であり、生活の乱れや添加物に対する生体の反応として一時的な症状が出ていただけだといえます。 じゃあ、そういった一時的な症状を表している子ではない場合、何がまずいかと言えば、そういったインスタントな食品、添加物の多く入った食品を好んで食べている間は、神経発達が起きづらいだろうな、そもそも神経発達の準備が整っていない状態だよな、ということです。 私はアセスメントで、どんなものを食べているかは必ずチェックします。 そこでそういったものを好んで食べているようでしたら、もちろん、そんな貧しい食事では栄養の面で満たされた状態だとはいえませんし、嗅覚・味覚をはじめとした感覚、消化器系の働きの課題や未発達を疑います。 嗅覚や味覚は原始的な感覚の部分であり、発達の土台なので、そして消化器系も、ここが育っていないとしたら、その上に発達を積み上げていこうとしてもなかなかうまくいかないものです。 また食事の課題は愛着の課題とリンクしていることが多いので、ここも育ちにくさと繋がっていると考えます。 つまり、インスタント食品などを好んで食べている、それしか食べないというのは、まだ神経発達が育つだけの準備が整っていないということです。 なので、私は「生野菜食べられますか?」とよく尋ねます。 生野菜というのは複雑な味であり、同じ野菜でも微妙に化合物の量や種類に違いがあります。 その複雑な味や一つとして同じ味ではない野菜を生で食べられ

【No.1183】神経発達症と食についての連想

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「ブレイクスルー感染」って、一言でいえば、「利いていない」ってことじゃないですかねww 当初、「感染予防のため」「大事な人を守るため」と言っていたはずなのに、イスラエル、イギリス、アメリカというワクチンをたくさん打った順番に再感染、再拡大が起っている。 そうすると、専門家の大先生たちはいつの間にか「重症化を防ぐために」とか言ってるし。 接種者も、非接種者も、体内から排出されるウィルス量は同じ。 でも、接種者は重症化を防ぐ??? ウィルス量が同じなら重症化率も同じでは。 というか、デルタ株が弱毒化したから重症者が減ったとも考えられますね。 というか、1年半、日本では死者も、重症者も少なかったんだから、ブレイクスルーするやつをわざわざ副反応ルーレットと引き換えに接種する必要はないと思います。 都合が悪くなると、横文字や専門用語を使うのは定石です。 私が学生時代、多くの偏食の子ども達と出会いました。 給食は食べられないから、ふりかけご飯を持参する。 家の食事は食べられないから、コンビニのおかずを買う。 食べられるものがほとんどないから、食事でポテチを食べる。 朝ご飯はいつも菓子パン。 これはあたかも障害特性の一つかのごとく、説明されることが多かったですが、当時から私は納得ができなかった。 もちろん、知識も経験もなかった私ですから、「そうですかそうですか」とうなずいていたけれども、心の中ではこれはおかしいと思っていました。 偏食と言うか、食事の問題では?? 白いものを好むとか、特定の食感じゃなきゃダメというのは、感覚系の未発達や愛着の問題があるでしょう。 でも、特定のコンビニの●●しか食べないとか、朝は決まって●●製パンの菓子パンだとか、マックなら食べるとか、って障害特性ですかね、こだわりってやつですかね。 今思い返しても、確かに未発達などの感覚系の課題があった子ども達もいましたが、それがこだわりだから、障害特性を理解することだからと良いように解釈して手を抜いていた家庭も多かったと思います。 じゃあ、なんでそんなことが言えるのかといえば、施設での経験があるからです。 だいたいどの子も、入所してくるときの事前の資料には「偏食」が書いてありました。 実際、親御さんからも、「特定の●●しか食べません」「煮物、煮魚は食べたことがありません」「カレーは●●のレトルトカレーしか食べない

【No.1182】発達成長はしているけれども、治り切らない、育ちきらない

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発達の遅れやヌケは障害ではないし、私達大人が子どもだった頃も、そんな同級生、子ども達はそこら辺にいたと思う。 だけれども、2000年代の高機能ブームに乗じて、その子達までをも支援対象にしてしまったのが大きな過ちの始まりだったと今はわかります。 当時の私も、「周囲や自分自身でも理解ができず、苦しんでいる人たちがいるのなら良いことだ」と思っていましたが、ここまで青田買いが進むとは想像できませんでした。 あくまで本人や家族、周囲に気づかれないまま、大人になった高機能の人達が支援対象だったのに、どんどんあの子も、この子もとなって、今では1歳児に診断名が付く時代。 むしろ伺いたいが、完璧な発達をしている1歳児って、どんな子どもなの? 発達の遅れを障害と定義してしまったら、どんな子どもも「発達障害児」になってしまう。 それこそ、PCRを受けたら陽性者になるように。 陽性者になりたくなければ、PCRを受けないこと。 同じことが発達障害の診断にも言えるのではないだろうか。 大前提として発達に何らかの心配事があるからこそ、病院に行くのだから、診断を付けること自体のハードルは下がっているといえます。 「ただの発達がゆっくりだけだよ、お母さん」と笑顔で家に帰してくれる医師は、この日本の中にどのくらいいるのでしょうか? そもそもが発達が遅れた状態、抜けた状態であるのだから、その遅れやヌケが埋まれば、というか、時間の経過と共に育っていけば、そこら辺にいる普通の子になるわけです。 私が発達相談でお会いする子ども達の9割がたは単に未発達なだけです。 ですから、やるかやらないか、育てるか育てないか、時間が経過するかどうかの話で終わります。 遅れていた発達が後から育つなんてことは普通ですし、一人ひとり育つタイミングが異なるのは当たり前です。 そんなヒトの発達がわからない人たちがギャーギャー騒いでいるのがギョーカイであって、ギョーカイが黙れば、私達が子どもだった頃のように自然と育っていくので良いのです。 偽陽性からの2週間隔離状態がここんところの特別支援の世界。 このようなお話なので、私自身、治るのは当たり前だと思っていますし、支援や診断が必要なくなり、同世代と同じような生活、道に戻っていくのは自然な現象だと考えています。 だから、正直、この頃はあまり「治る」には関心がありません、自然現象だから。 じ

【No.1181】資本主義の原理のもとにギョーカイが成り立っている

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函館は25万人規模の市なので、ご丁寧に一人ずつ陽性になった人の報告があります。 それを見ていると、ほぼ無症状、軽症。 2019年まででしたら、病院などにかからず、各自が自宅で治していたはずです。 というか、ほとんど気づきもしなかったと思います。 そういった人達までをも、せっせと入院させるんだから、いくら病院があってもすぐにキャパ越えしてしまいます。 全国にある病院のベッドの2%のみしか使わず、これで「医療崩壊だあ~!」と叫ぶのなら、いっそのこと、医療崩壊してしまえば良いと思いますよ。 そうすれば、政治が決断できなくとも2019年以前の世界に戻ります。 とにかく陽性になれば、全員入院というほうがおかしいのです。 とにかく医師が診断したら発達障害というのも、同じように異常だといえます。 診断される前と診断された後では何が変わるのでしょうか。 子どもはいきなり障害者になるの? そこを境にして一般的な子育てはしちゃいけないの? 普通の親子の生活、遊びよりも、療育というやつに行かないといけないの? それをやるようにしなきゃ、子どもはどんどん異常になっていくの? いいえ、そんなはずはありません。 だって、受精した瞬間から今まで子どもは生きていて、歴史は続いている。 だから、診断されたからといって、何かを大きく変える必要はないと思うんです。 我が子を育てることには変わりないでしょ。 どこかわからないところから、いきなり子どもが現れたんじゃないんだし。 一方で医療、福祉などのサービスを提供する側としては、診断後、変わってもらわないといけないんです。 そもそも資本主義というのは、ニーズを生みだすことで発展してきたのですから。 目の前に発達に遅れがある子がいる。 その子を診断しなければ、そのまま、家族とともに普通の子育てが行われていたのです。 でも、一旦、診断をつければ、一気に障害児に変わり、そこからいろいろなサービス利用の可能性が出てくる。 もともとは無で、お金は必要ないのです。 子育ってて、基本的に無料でしょ。 公園で遊ぶのだって、海で遊ぶのだって無料。 だけれども、障害児になり、サービスを利用すると、急にお金が出てくる。 そうやって、もともと無だったところから、ニーズを作りだし、そしてサービスを提供することでお金を得ていく。 無症状の人は、2019年までは普通の人だったわけ。 し

【No.1180】事業所一覧の紙を渡されても

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知事のお仕事は気楽なものです。 「お盆期間の帰省の自粛を求めます」とアナウンスすれば、お仕事したになるのですから。 普通、帰省の自粛をお願いするのではなく、みんなが安心して帰省ができるように仕事をするのが行政の仕事ですよね。 たとえ発症しても、安心して医療が受けられる体制作り、準備を行うのが行政の仕事ですよね。 補償はしないけれども、お願いはする。 挙句の果てに、「国民の中で危機感が共有できていないことが問題」だと、なんだか我々のほうが悪いみたいな言い方をしている。 「孫の顔がみたいから」といって、せっせと治験中のワクチンを打ったジジババも少なくないはずです。 あれだけ「ワクチンを打てば、日常生活が戻せる」と言っていたお医者様たち、専門家の皆様たちは、心が痛まないのでしょうか。 これこそ、デマ太郎が注意すべき発言だと思います。 このように言いっぱなしで責任を取らないのが専門家。 行政も、自分たちは汗をかかず、ただアナウンスするだけで、「あとは国民の責任」と投げてしまうのが本質です。 似たようなことは発達支援における行政の姿にもみられます。 なにか支援を受けようとするとき、行政で渡されるのはその地域で利用できる施設の一覧です。 たとえば児童デイなら、〇〇市の児童デイ一覧がまとめられたものが手渡され、「あとはご家族で決めてください」と言われます。 でも、だいたい初めてそういったサービスを受ける親御さんですので、いきなり一覧を渡されても、どこが良いとか悪いとかわかりませんよね。 その地域に1つか、2つかしか施設がなければ、そこまで迷うことはありませんが、今は雨後の筍状態で乱立しているところが多いので、困ってしまうと思います。 だけれども、だれもそれぞれの施設の違いは教えてくれない。 行政は責任を負いたくないので、あとからメンドクサイことに巻き込まれたくないので、意見や説明を求められても、頑なに「ご自身の目で」と言い続ける。 これって、本当に不親切なことだと思うんです。 現実的な問題として、すべての施設を見学に行くことはできません。 たとえ見学に行ったとしても、表面的なことしかわからないと思います。 本来、我が子の課題、今後伸ばすべき点がわかって初めて、選ぶ基準が生まれるのですから。 選ぶ基準が曖昧ですと、「家から近い」ですとか、「利用時間が長い」「なんとなく施設がきれい」