【No.1187】勉強で観ているのは、脳・神経の「どことどこが繋がっているかな?」
将来、自立した生活が送れるための一つのポイントが、「小学校4年生の学力がついていること」になります。 小学校4年生くらいになりますと、物事の概念や社会の仕組み、ある程度の社会性&経験がなければ、理解が難しく、別の言い方をすれば、この小学校4年生の教科書レベル、テストで8割以上取れていれば、社会で生きていくための基本的な学びを身に付けている、ということでもあります。 ですから、たとえ時間がかかったとしても、小学校4年生レベルの学力を身に付けることは重要であり、そういった意味で、教科学習を投げているような特別支援教育の実態に憤りを覚えるのです。 といった話を方々でしていますと、教科学習に関するご相談や実際の発達相談においてテストやノートなどを見せてくださるご家庭が多くあります。 テストの点数はダイレクトに理解度がわかりますし、ノートの具合からどのような姿で授業を受けているのかがわかります。 なぜ、間違ったのか、どこの過程で間違ったのか。 それを確認し、教え方の工夫、学習の仕方の工夫を助言することも大事だと思っています。 しかし、それははっきりいって発達援助ではないと考えています。 そういった工夫を導き出すのは、教職に関わる人達が専門で、得意とする分野です。 発達に遅れがあり、テストの点数がとれない、ゆえに教授方法、学習方法の工夫。 そうではなく、私の仕事は、発達援助の仕事は、発達の遅れに対するアプローチです。 大雑把な言い方をしてしまえば、発達の遅れという根っこが解決すれば、そこが改善すれば、自然と学習する力は上がって行くだろう、小学校の授業レベルはわかるようになるだろう、ということです。 では、具体的にどのようなアセスメント、アプローチをしていくかと言えば、筆圧や字のバランス、音読の声の出し方、言葉のスムーズさ、音の強弱や文章理解、概念の理解、作業の継続時間、間違ったことに対する修正能力、姿勢や目の動き、自制心、目標が立てられるか、それに向けて実行できるかなどです。 そしてよく勘違いされている方が多く、もっとも重要な部分が発達援助的な見方をすれば、「学習するということは神経を繋げる作業である」ということになります。 たとえば、漢字練習をしているとします。 何でもよいのですが、「大」という字をノートに書いて練習しているとしますと、私からすれば、「大」という字が書けるとか...