2021年8月26日木曜日

【No.1187】勉強で観ているのは、脳・神経の「どことどこが繋がっているかな?」

将来、自立した生活が送れるための一つのポイントが、「小学校4年生の学力がついていること」になります。
小学校4年生くらいになりますと、物事の概念や社会の仕組み、ある程度の社会性&経験がなければ、理解が難しく、別の言い方をすれば、この小学校4年生の教科書レベル、テストで8割以上取れていれば、社会で生きていくための基本的な学びを身に付けている、ということでもあります。
ですから、たとえ時間がかかったとしても、小学校4年生レベルの学力を身に付けることは重要であり、そういった意味で、教科学習を投げているような特別支援教育の実態に憤りを覚えるのです。


といった話を方々でしていますと、教科学習に関するご相談や実際の発達相談においてテストやノートなどを見せてくださるご家庭が多くあります。
テストの点数はダイレクトに理解度がわかりますし、ノートの具合からどのような姿で授業を受けているのかがわかります。
なぜ、間違ったのか、どこの過程で間違ったのか。
それを確認し、教え方の工夫、学習の仕方の工夫を助言することも大事だと思っています。


しかし、それははっきりいって発達援助ではないと考えています。
そういった工夫を導き出すのは、教職に関わる人達が専門で、得意とする分野です。
発達に遅れがあり、テストの点数がとれない、ゆえに教授方法、学習方法の工夫。
そうではなく、私の仕事は、発達援助の仕事は、発達の遅れに対するアプローチです。
大雑把な言い方をしてしまえば、発達の遅れという根っこが解決すれば、そこが改善すれば、自然と学習する力は上がって行くだろう、小学校の授業レベルはわかるようになるだろう、ということです。


では、具体的にどのようなアセスメント、アプローチをしていくかと言えば、筆圧や字のバランス、音読の声の出し方、言葉のスムーズさ、音の強弱や文章理解、概念の理解、作業の継続時間、間違ったことに対する修正能力、姿勢や目の動き、自制心、目標が立てられるか、それに向けて実行できるかなどです。
そしてよく勘違いされている方が多く、もっとも重要な部分が発達援助的な見方をすれば、「学習するということは神経を繋げる作業である」ということになります。


たとえば、漢字練習をしているとします。
何でもよいのですが、「大」という字をノートに書いて練習しているとしますと、私からすれば、「大」という字が書けるとか、書けないとか、そこには注目していないんです。
それよりも「大」という字を書くことを通して、目と手の神経同士が繋がること、順序性がある作業(書き順)を理解するための脳を刺激すること、右脳と左脳を連動させながら全体(字のバランス)と細部(書き順)を意識した作業ができること、見本と自分の字を見比べて、つまりイメージを頭の中に保持しながら再現すること、間違いを指摘されたとき、その間違いの意味を理解できることと修正&再現できることなどが大事ですし、そういったことを通して神経発達を促していく方が重要だと考えています。
そう考えると、「ノートに鉛筆で字を書く」というスタイルにこだわる必要はありませんし、同じように目と手の協応を育てるのなら漢字練習にこだわる必要はないのです。


テストで50点しか取れていない、と悩まれている親御さんもいらっしゃいます。
しかし、脳神経の繋がりが進んでいけば、テストの点数は自然と上がっていくものです。
特に専門的な学問、高度な内容ではない公立の学校の、公立の教科書レベルなら。
冒頭で上げた「小学校4年生の学力」も、そういったレベルで、となります。
なので、「どうして30点しか取れないの!?」「なんで、何回やっても間違うの!?」というのは、子どもが悪いのではなく、親御さんのほうが勘違いしているだけなのです。
漢字練習は漢字を覚えることが大事なのではありません。
計算ドリルは計算が早くなることが大事なのではありません。
漢字練習や算数ドリルを通して、どことどこの脳神経が繋がっているか、刺激され発達しているか、に注目すべきなのです。


脳の準備、発達の準備が整っていないから、テストで30点をとる、宿題ができない、という風に観るのが発達的な視点になります。
もしその状態が長く続くようでしたら、脳や発達のほうに課題があると考えます。
ですから、「算数ができなくて」という親御さんに対して、「こういった遊びをすると、できるようになりますよ」と提案するのです。
算数ができないから、算数ドリルをたくさん買って、たくさんやらせてもできないでしょう。
それでできるのなら、そもそも特別支援などいらないのです。


発達が順調に育っていて、テストが30点なら何も心配はありません。
脳や発達の準備が整っていくと、その成果がテストや学習に表れるからです。
昨年の夏、自然の中で毎日遊んだ子が、2学期からテストで100点をとれるようになったお話は、以前紹介した通りです。
一学期、親子で涙を流しながら行った家庭学習は一切せずに、とにかく海や山など自然の中で遊んだ。
「2学期からは支援学級へ」という話はなくなったそうです。
私達が見ているのは、脳の、神経の「どことどこが繋がっているかな?」


花風社さんの新刊【医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう】の詳細・ご予約はこちらからできます→ http://kafusha.com/products/detail/55




2021年8月24日火曜日

【No.1186】私がお伝えしたいのは「How to」ではない

このたび、花風社さんから出版される新刊を楽しみにしてくださっている方達が多くいらっしゃることを知って私は嬉しく思っています。
花風社さんのサイトからのご注文の方には9月中に届く予定とのことでした。
さて、皆さまのお手元に届く前に、ご説明しておいた方が良いと思うことがありましたので、今日のブログの内容とさせていただきます。


私のセッションや発達相談をお受けになったご家庭はわかると思いますが、いわゆる標準療法というか、「THE支援・療育」みたいなことを提案して終わり、ということはございません。
現在の中心は、家庭の中で、親子でどのような遊びをしていけば、より良い発達に繋がるのか、どういった運動や生活を行えば、神経発達が促されていくか、という視点で助言させていただいています。
もちろん、このブログやラジオチャンネルでも、同様の発信を続けています。
ですから、特にここ2,3年で私のことを知ってくださった方達は、身体アプローチという方法で、発達障害を治していく人(?)という印象を持たれているかもしれません。


しかし新刊の中での浅見さんとの対談でもお話ししていますが、私はバリバリのギョーカイ人でした。
大学在学中よりTEACCHやABA、感覚統合などを勉強し、社会人向けの研修にももぐりこんで受講していましたし、ある意味、その技術、知識を磨くために、第二種自閉症児施設という日本に3つしかなかった専門施設に就職し、働きながら学びを続けていました。
こうやって独立したあとも、最初の数年間は、と言いますか、栗本啓司先生の書籍を読むまでは相変わらずギョーカイの手法をベースに行っていたのです。
花風社さんの書籍のラインナップでいえば、赤本以降、継続して書店で見つけるたびに購入していましたが、施設職員時代はほとんど休みなく働いており、しかも職場は山の中でほぼネットが繋がらなかったので、改めて過去に戻り、購入していなかった本を買い足していったのは、やはり栗本先生の黄色本が出版される前後でした。
黄色本(『自閉っ子の心身をラクにしよう!』)は2014年8月の出版でしたので、身体に注目したアプローチを学び始めたのは、7年くらいなものです。


で、詳しくは新刊の中でお話しさせていただいておりますが、この流れをご存じない方が私の言動を見ますと、いつも療育や支援を引き合いに出して主張していますので、方法VS方法の話かと思われるかもしれません。
もっと具体的に言えば、「今、ギョーカイがやっている療育や支援よりも、身体アプローチが優れているんだ」という主張です。
しかし私の考えから言えば、方法論の優劣で主張しているわけでも、闘っているわけでもないんです。
重度の知的障害を持つ人や行動障害など、すぐに対処しなければならない場合は、視覚支援や行動変容、服薬や環境調整も有効だと思いますし、実際、そのような助言をさせて頂くこともあります。


ただそういった対処療法では根本解決に至らないし、育てるという視点がなければ、いつまで経っても、課題は残り、本人は生きづらいまま。
ですから、身体からのアプローチを学び、そういった視点から対処だけではなく、根本からの育ちを目指していきましょう、というのが私の考えです。
「身体アプローチ」という特定の決まった療法があるわけではないことを改めて知っていただければと思います。


そして何よりも、私はギョーカイの中にいて、いろいろな世界を見てきて、その中で今のギョーカイ、特別支援に対して大いなる疑問と憤りを持ったのです。
自立支援と言いながら、自立を目指さない支援、教育。
早期診断早期療育と言いながら、無症状者狩りのような診断とそれに続くベルトコンベヤー方式。
「専門的な支援を」という建前で、親御さんの養育力を奪い、子育てを奪っていく専門家たちの言動。
軽度の子を重いように仕立て、実際に重い子はお断り、という支援者都合のトリアージ。
こういった現実に疑問を持たず、また意欲を失っていく保護者の姿。
私が闘っているといえば、この理不尽な現状についてです。


ですから、本人の発達成長、課題の解決、ラクになる日々の生活が達成できれば、どんなアプローチ、方法だってよいと思います。
ただ現状では、身体からのアプローチのほうが、根本解決に繋がりますし、そもそもが単に未発達な状態の子ども達が中心なので、そちらを中心に援助しているまでです。
今後もっと素晴らしい方法があれば、学び、どんどん取り入れたいと思いますし、そういった実践家の人は時代とともに必ず現れるものなので教えていただきたいと思っています。
子どもが一人ひとり違うように、発達の仕方はひとそれぞれ。
だったら、そのときそのときで良いとこどりをすれば良いのです。


私はギョーカイの中にいて、子ども達の学ぶ権利、発達する機会が十分に保障されていないと思いましたし、実際今も奪われ続けていると考えています。
どうも私には、将来支援しやすい子、扱いやすい子に矯正しているようにしか見えません。
なので、私は「療育を選ぶか?」「身体アプローチを選ぶか?」「支援を選ぶか?」「治るを選ぶか?」という面で闘っているつもりはありません。
あくまで、どの子も当たり前に持っている発達する権利に対する闘いです。
一旦、「発達障害」というレッテルが貼られると、その当たり前の権利が奪われる現状を変えていきたいのです。
そういった視点で、今度の新刊を読んでくださると、またこれからのてらっこ塾としての発達相談を受けていただくと、大久保から「How to を教わるわけではない」ことが再認識できると思います。
発達相談において、具体的なアプローチの仕方を身体を使ってお伝えしているのは、より良い子育てを考えていただけるための練習であり、きっかけ、入り口というつもりでした。


そもそもが一人ひとりが異なる人間で、すべての子に共通した「How to」など存在するわけがないのです。
もしそれがあるとすれば、商売としてのパッケージングです。
700万年もの人類の歴史で、共通した子育ての方法など生まれていません。
あるのは、目の前の子に応じた子育てだけ。
より良い子育てを目指していく上での試行錯誤の機会として、新刊やブログ等の発信、私の発達相談、援助を捉えて頂ければ、幸いです。


花風社さんの新刊【医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう】の詳細・ご予約はこちらからできます→ http://kafusha.com/products/detail/55




2021年8月23日月曜日

【No.1185】無症状者の入院治療は何をしているのだろうか?

函館に住んでもう20年以上になりますが、こんな田舎にも医師会というのがあるのだと初めて知りました。
しっかりお盆休みをとられたのでしょうか。
つやつやしたお顔の医師会長さんが函館、いや道南、いや渡島半島、唯一のデパート丸井さんで購入したのかはわかりませんが、素敵なスーツで会見を開いていました。
「この先も感染(←陽性)が続けば、病床がひっ迫する」
「このままでいけば、一般診療に滞りが生じる」
「ホテルや病床が埋まれば、軽症者は自宅療養になる」
医師会では使うべき論法が決まっているのかもしれませんね。
「~すれば」はすべて仮定であり、予測のお話です
そりゃあ、同じペースで陽性者が増えて、その人達をバンバン入院させていけば、病床が埋まってしまうのは小学生でもわかります。


函館は小さな町ですので、ご丁寧に日々の陽性者を一覧にして発表してくれます。
そこを見ると、軽症者、無症状者がほとんどで、しかもほぼ「入院」になっています。
100歩譲って軽症者はわかりますが、無症状者が入院して、どんな治療を受けるのでしょうか?
想像ではありますが、朝昼晩検温して、あとは病院食を食べて、院内をお散歩などは止められるでしょうから、何日間もベッドで過ごしているのでしょう。
それって免疫下がりませんかね。
暇という罰を与えて、ワクチン接種を促しているのでしょうかね。
2019年まで「症状はないけれども、治療してください」と病院に行っても、追い返されていたと思いますよ、やったことないけれども(笑)
無症状者の入院治療というのは、まさにコロナ騒動の謎の一つでしょう。


客観的な事実として、医療にはお金がかかりますし、それが商売になっています。
今、新コロでは患者さんの支払いはありませんが、その分、国が代わりに支払いを行っています。
というか、その国のお金は、我々が支払っている税金ですが。
コロナ専用病床を作ると、そこに多額の税金が支払われますが、「病床はあるけれども、人員がいない」ということで、コロナ患者を受け入れず、お金だけ頂戴している病院が多数あることがわかりましたね。
こんな事件(公金詐欺まがり)が起きるのを見ると、医師の中にはお金のためにその職業に就いた人が少なくないのかな、と思います。
そもそもテレビに出てくる医師たちが、脅し文句を使い続けていることに、私は不信感を持っています。
人の健康、命を守ったり、救ったりする人は、脅し文句で人を動かそうとはしないですもんね。


私はコロナ騒動が始まってから、「発達障害は無症状感染者」と言っています。
新コロも陽性者の8割は軽症、または無症状者と言われていますので、現在の発達障害も同じ感じだと思います。
確かに軽症者の中には、病状が悪化して中等症や重症になる人もいるでしょうが、それは稀な例であり、背景には持病や基礎疾患、過ごし方など、なんらかの理由があるものです。
同じようにただ発達がゆっくりなだけ、発達にヌケがあるだけの子どもさんがいて、中には誤った学習のさせ方や「発達の遅れ=障害」という誤解からの支援で、発達の凸凹が大きくなったり、知的障害が作られたりすることもあります。
でも、対応さえ間違わなければ、つまり、発達が遅れているのなら、そこを丁寧に育てていこうという普通の子育てがあれば、ほとんどが家庭で治っていくのです。


2000年代初頭くらいまでのギョーカイには、その活動の意義、果たしてきた役割が大きかったと思います。
それまでは、もちろん、重度の知的障害を併せ持つ発達障害の子ども達ばかりで、その子ども達には十分な教育がなされていませんでした。
それこそ、とにかく反復学習と働くための体力づくり。
その段階から環境調整や行動変容によって、人として生きてくための教育がなされ、また彼らの認知様式に合わせた必要な支援が行われるようになったからです。


しかし、いうならば、中等症、重症の人達だけに絞って入院や治療を行っていたのに、どんどんその範囲を広げ、軽症者や無症状者さえをも患者に仕立ててしまったのです。
で、ギョーカイはかなり大きくなりました。
PCR検査のように、次から次へと診断をつけていった。
そのウィルスが感染力がなかったとしても、「ウィルスがあった」というだけで、感染者扱いになってしまう。
同じように、「発達の遅れがあった」というだけで、障害児扱いになってしまう。
「えっ、今遅れているだけであって、今後も発達しない、よくならないという意味ではないのでは!?」と疑問を持ってもダメ。


さらにPCRはするけれども、発熱者お断りのクリニックのように、「発達の遅れがあります」と診断を付けたあとは、療育機関に丸投げ。
時々、「ワクチン接種はしますよ」というように、「精神科薬の処方はしますよ」という医師もいますが、基本は治療はしない、「このまま支援を受けなければ、二次障害になる」などの個人的な予測による脅しだけ。
それで療育機関に行くと、無症状者の入院のように、バイタルチェックのようなアセスメントが行われる。
「アセスメント」なんて横文字だからすごいことをやってそうな感じがするかもしれませんが、ちゃんとチェックシートがあって、検査者・支援者は、それに沿って確認しているだけです。
だから、北海道でも、東京でも、大阪でも、沖縄でも、みんな同じアセスメントの記述になるのです。
「ここを確認しなさい」と決まっているから。


2019年まで、無症状の人は患者とは言われなかった。
私達も知らず知らずのうちにウィルスを持っていて、誰かに感染させていたかもしれません。
多少の熱や咳があっても、昭和のサラリーマンは出社していたし、寮内でインフルエンザが蔓延していて職員にも症状が出ていても、「どうせ、みんな罹っているんだから勤務しろ」と管理職に言われていました。
今も思いだされますが、「検査をしなければ、インフルエンザじゃない」という上司の名言は忘れませんし、現在にも通じることがあります。


発達の遅れやヌケは、病気でなければ、障害でもありません。
ただの状態であり、未発達の子ども達が育っていく過程です。
服薬などのどうしても医療の力が必要なときは頼れば良いと思いますが、発達の遅れを促してくれる薬は処方してくれません。
結局、その子が持っている育つ力を頼り、その力を最大限引き出すために親御さんがいて、教員がいて、家庭があるのだと思います。
「発達障害」「療育」などと言われますが、一般的な言葉で言えば、発達がゆっくりな子どもに合わせた、もっといえば、目の前にいる我が子への丁寧な子育てでしょ。
子育てで病院に治療に行きますか?
子育てをするのに、診断名は必要ですか?
「無症状感染」という診断名をもらうために検査待ちをしますか?
無症状の子ども達に、無理やり療育をしようとするから、いびつになるのでは、と私は思っています。


北海道は既に二学期が始まっていますが、本州では「デルタ株ガー」と言って、バカ親たちが騒ぎ、夏休みの延長が決まったようですね。
こういった親たちは、将来のつけを払わなければなりません。
子ども達の発達の遅れ、健康被害、脳や身体へのダメージ…。
この騒動が終わったあと、目に見える形で影響が出てきた我が子を見て、こういうでしょう。
「あのとき、学校を休校にしたから」
「マスクをつけて授業をしていたからだ」
バカな大人は常に原因を外に見ようとするものです。


コロナ騒動もそうですが、発達障害の騒動も、気が付いた人から抜け出していくことができます。
そのためには大人である私達が疑問を持つこと。
「無症状の人の入院治療って具体的に何をしているのだろう?」
「児童デイに行って、スタッフと鬼ごっこをする必要はあるのだろうか?」
「アセスメントを受けたけれども、具体的にどうすればいいって書かれていないのは意味があるのだろうか?」
「あの先生が言っていたことは本当だろうか?」
テレビが「デルタ株」というから、デルタ株が怖い。
でも、RNAウィルスは変異しやすいのが特徴で、どこを指して「デルタ株」と言っているのだろうか、と考えてみる。
本当に国家的な危機なら、「街ブラロケしてないよな」、「重症化リスクが高い人達が座布団敷いて大喜利していないよな」と気づく必要があると思いますね。


花風社さんの新刊【医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう】の詳細・ご予約はこちらからできます→ http://kafusha.com/products/detail/55




2021年8月20日金曜日

【書籍発売のお知らせ】医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう!

もうご存じの方が多いかと思いますが、花風社さんの浅見淳子さんと共著で本が出版されます。
タイトルは【医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう!】です。


タイトルに『1』がついている理由は、今年の2月23日に創業25周年を迎えられた花風社さんの記念企画の一環で、今後もパート2、パート3の出版が予定されているからです。
そしてそのパート1を光栄にも浅見さんから対談、共著の御使命を賜った次第です。


学生時代、友人にたまたま誘われて行うことになった障害を持った子の余暇支援ボランティアで、たまたま担当になったのが自閉症の男の子でした。
18年の人生で初めて出会った自閉症と呼ばれる子のことが知りたくて、書店に行き、最初に手を取ったのが『自閉っ子、こういう風にでできています!』(ニキリンコ+藤家寛子●花風社)。
それから20年が経ち、ずっと読んできて、部屋の本棚にずらっと並んでいる花風社さんの書籍に私が携わる機会があるなんて夢にも思わない出来事がありました。


長年の愛読者としては、浅見さんと原稿のやりとりを行わせていただいている間、読者の中で最初に本を読むことができ、「ラッキー♪」という想いがしていました。
対談や原稿のやりとりを通して、浅見さんには私の内側にある多くの言葉を引き出していただいたように感じています。
また初めて書籍づくりに関わらせていただき、表紙をデザインして頂いた廣木道心さんのお仕事、そして特に今回、私が実践してきたことをイラストや漫画で表現して頂いた小暮画伯さんのお仕事を拝見できたことが勉強になり、またありがたく、そして嬉しく感じております。
私は文字でしかお伝えしていなかったのですが、小暮さんからはまるでその場にいて描かれているかのようなイラストが返ってきて、私は何度も驚かされました。
是非、小暮さんの優しさがにじみ出ているイラストや漫画を楽しみにしていただければ、と思います。


私は家庭支援がしたくて、親御さんの子育て、ご家族のより良い未来への応援がしたくて、今の仕事を起業しております。
その想いと今まで学んできたこと、経験してきたことを今回の書籍の中に込めました。
今、子育て中の親御さんへは、私も同じ子育て世代として共に頑張っていきましょう、という想いを感じていただければ、と思っております。
また今後将来、子どもを授かり、我が子の発達の遅れに気が付いたとき、悲しみの涙を流す前に手をとって頂ける書籍に、読んでくださる皆さまのお力で育てていただきたいと願っております。


元発達障害児の人たちがどのような子育て、プロセスで治っていったか。
発達障害が治っていく歩みの中には、親御さんが発達を後押しする力が重要だというのは、私も、浅見さんも同じ意見です。
私と浅見さんが20年以上かけて見てきた「発達障害の治り方」の世界へ、どうぞお越しください!


*花風社さんのサイトより書籍の予約販売の受けつけが始まりました。
お申し込みいただいた方には、特性のクリアファイルもいただけるそうです。




2021年8月18日水曜日

【No.1184】治すのは本人、治る場所は社会全部

久しぶりに更新したためか、一昨日・昨日の記事にアクセスが集中していました。
ブログを読んでくださった方からのメールもたくさん来ていて、個別にはすべて返信しましたが、もう少し説明した方が良いかなと思い、今日も綴っていきます。


まず食事の件ですが、添加物の影響について2つの話が混在していて分かりづらかったかもしれません。
子どもさんがインスタント食品やお菓子、飲料水、ファーストフードなどを食べるから「治らない」ということではありません。
確かに糖質や添加物を摂ると、衝動性や多動性、こだわりなどの症状が強くなる子がいます。
ですから、そういったものを減らしていくと、「落ち着いて見える」ということはあるでしょう。
実際、ADHDと言われていた子が食事を見直すと、落ち着いて勉強に臨めるようになったということがあります。
しかし、食事の見直しだけで改善するとしたら、それはただの誤診であり、生活の乱れや添加物に対する生体の反応として一時的な症状が出ていただけだといえます。


じゃあ、そういった一時的な症状を表している子ではない場合、何がまずいかと言えば、そういったインスタントな食品、添加物の多く入った食品を好んで食べている間は、神経発達が起きづらいだろうな、そもそも神経発達の準備が整っていない状態だよな、ということです。
私はアセスメントで、どんなものを食べているかは必ずチェックします。
そこでそういったものを好んで食べているようでしたら、もちろん、そんな貧しい食事では栄養の面で満たされた状態だとはいえませんし、嗅覚・味覚をはじめとした感覚、消化器系の働きの課題や未発達を疑います。
嗅覚や味覚は原始的な感覚の部分であり、発達の土台なので、そして消化器系も、ここが育っていないとしたら、その上に発達を積み上げていこうとしてもなかなかうまくいかないものです。
また食事の課題は愛着の課題とリンクしていることが多いので、ここも育ちにくさと繋がっていると考えます。


つまり、インスタント食品などを好んで食べている、それしか食べないというのは、まだ神経発達が育つだけの準備が整っていないということです。
なので、私は「生野菜食べられますか?」とよく尋ねます。
生野菜というのは複雑な味であり、同じ野菜でも微妙に化合物の量や種類に違いがあります。
その複雑な味や一つとして同じ味ではない野菜を生で食べられるというのは、嗅覚や味覚の育ちを見る基準となります。
もちろん、嗅覚・味覚に大きな発達の遅れがあり、ほとんど味を感じていない、ゆえになんでも食べられるものは食べる、という状態の子を見抜くことは大事ですが。
生野菜を食べられるようになった子が、ググッと発達するというのはよく見る姿です。


あと親の世代におけるインスタント食品、添加物、化学物質の影響ですが、これは神経発達症が障害全体で言えば軽度の障害に当たることを考えれば、大人たちが長年の生活の中で蓄積してきたものが次の世代に影響を及ぼし、神経の繋がりに軽微なエラーを起こしたと考えるのは妥当だと思います。
代々「ハイハイを抜かす家庭」というような遺伝的な運動発達のパターンゆえの【発達のヌケ】とは異なり、胎児期に繋がっておくべきところ同士が繋がっていない、ゆえの【発達の遅れ】がそれなのでしょう。
発達のヌケはバランスを崩した状態でのいびつさを感じ、発達の遅れは神経が伸びにくそうにしている息苦しさを感じます。
また親御さん自体の食事が乱れていると、当然、エネルギーが出ませんので、一緒に遊べなかったり、頭でっかちになったり、誰かの言ったことをそのままやってしまったり、試行錯誤ができなかったり…となって、それが結果的に子どもの子育てからの発達への影響という面もあると思います。


次に「治らない子」の話題についてですが、治らないまま、大人になり、自立して生活している若者を何人も知っています。
今の小さい子どもさんたちのように、未発達の子がそれぞれのタイミングで育ち、本来の姿に戻ったというのは、どこからどう見ても普通の子なので、周囲から見れば「治った」といえる状態でしょう。
私個人の意見としては、この子達は「治った」というよりも「育った」だと思いますが。
で、治らないまま、大人になった若者たちと言うのは、一般の20代、30代と比べれば、「ちょっと変わっているな」「できないことがあるな」という感じで、普通の人という基準で言えば、治ったとはいえないと思います。
しかし、社会全体から見れば、変わっていようが、多少できないことがあろうが、どうでもよい話で、任された仕事を行い、他人に危害や迷惑をかけるようなことがなく、身の回りのことを自分で行いながら生活できていればよいわけです。


そういった人達は幼児期、小学校低学年のときにドカンが来て、治っちゃった、ということはありません。
とにかく時間をかけて、コツコツとゆっくり丁寧に育ち、課題を克服していった人達だといえます。
未発達の子が本来の発達の流れに戻った状態だとすれば、この方達は不具合を一つ一つ作り変えて形作った状態とも見えます。
就学時に発語がなかった、重度の判定が出ていた、支援学校に通っていた。
だから、親御さんと話しても、「治る」とは思っていなかったし、そんなことを考えてもいなかったけれども、少しでも生きやすくなるように、自立的な生活ができるように、と10年、20年積み上げていった結果、気が付けば一般就労ができたということがあります。
重度から中度、中度から軽度と、時間をかけて変わっていく人たちがいます。


同世代と同じような普通の人になる、IQでいえば、90以上になる、という意味では「治らない人」がいるのも事実です。
私が出会ってきた治っていないけれども、社会人として謳歌している若者たちもそうです。
しかし、彼らが、また彼らの親御さん達が、「どうせ治らないから」と言って、発達の課題と向き合わず、またそこを育てることをして来なければ、子育てではなく支援だけをしていれば、学校卒業後働くことはできなかったと思います。


このような敢えて言えば、普通の人になるという意味の「治らない人」は、何よりも根気が必要です。
そして多くのご家庭は、小学校入学後、学年が上がって行くたびにフェードアウトしてしまう。
最初、「治したい」「治ってほしい」「将来は自立を」と言って頑張っていた親御さん達も、年数が経つと心が折れ、支援に預けてしまう姿を幾度となく私も見てきました。
ですから、これは無理もないことだと思います。
親も年を取りますし、介護や他の兄弟のことなど、状況は年々変化していくのですから。


治っていないけれども、働いている人、自立している人はいます。
変人枠で社会を謳歌している人も大勢います。
じゃあ、彼らはどうしてそれが叶っているかといえば、ゆっくりでも進み続けたから。
私が出会ってきた方達の中ですが、共通するのはみなさん、現状に満足しない人でありました。
「もっと私はできる!」「絶対にできるようになってみせる!」
そんな想いを言葉や態度で示していた姿が印象に残っています。
たとえ親が年を取って疲れちゃっても、学校がポンコツであっても、くだらない専門家が支援の世界へと手を指し伸ばしてきても、本人に変わりたい、課題を克服したいという意思があれば、発達の課題はクリアできることが多いと思います。
神経発達症は、神経が欠損している障害でも、神経発達が生じない障害でもないのですから。


親御さんも、学校の担任も、地元の支援者も、口を揃えて「普通の大学は無理だ」「親もと離れての生活は無理だ」と言った。
でも、自分の意思で大学進学を決め、在学中、トラブルがあったり、留年があったりしたけれども、なんとか卒業し、就職した若者もいました。
そういった姿を見るたびに、治すのは本人だと思うのです。
あくまで親御さんも、先生も、支援者も、本人の背中を押す存在でしかない。
そう考えると、ますますギョーカイも、私のような支援者もいらないし、こだわる必要は決してない。
ましてや、支援級や支援学校、放課後児童デイなどは可能性を狭める可能性すらある。
本人が変わりたいと思い、そのきっかけやアイディアを貰えるのなら、専門家、先生、支援者に限定する必要はないのだから。
治すのは本人、治る場所は社会全部です。




2021年8月17日火曜日

【No.1183】神経発達症と食についての連想

「ブレイクスルー感染」って、一言でいえば、「利いていない」ってことじゃないですかねww
当初、「感染予防のため」「大事な人を守るため」と言っていたはずなのに、イスラエル、イギリス、アメリカというワクチンをたくさん打った順番に再感染、再拡大が起っている。
そうすると、専門家の大先生たちはいつの間にか「重症化を防ぐために」とか言ってるし。
接種者も、非接種者も、体内から排出されるウィルス量は同じ。
でも、接種者は重症化を防ぐ???
ウィルス量が同じなら重症化率も同じでは。
というか、デルタ株が弱毒化したから重症者が減ったとも考えられますね。
というか、1年半、日本では死者も、重症者も少なかったんだから、ブレイクスルーするやつをわざわざ副反応ルーレットと引き換えに接種する必要はないと思います。


都合が悪くなると、横文字や専門用語を使うのは定石です。
私が学生時代、多くの偏食の子ども達と出会いました。
給食は食べられないから、ふりかけご飯を持参する。
家の食事は食べられないから、コンビニのおかずを買う。
食べられるものがほとんどないから、食事でポテチを食べる。
朝ご飯はいつも菓子パン。
これはあたかも障害特性の一つかのごとく、説明されることが多かったですが、当時から私は納得ができなかった。
もちろん、知識も経験もなかった私ですから、「そうですかそうですか」とうなずいていたけれども、心の中ではこれはおかしいと思っていました。
偏食と言うか、食事の問題では??


白いものを好むとか、特定の食感じゃなきゃダメというのは、感覚系の未発達や愛着の問題があるでしょう。
でも、特定のコンビニの●●しか食べないとか、朝は決まって●●製パンの菓子パンだとか、マックなら食べるとか、って障害特性ですかね、こだわりってやつですかね。
今思い返しても、確かに未発達などの感覚系の課題があった子ども達もいましたが、それがこだわりだから、障害特性を理解することだからと良いように解釈して手を抜いていた家庭も多かったと思います。


じゃあ、なんでそんなことが言えるのかといえば、施設での経験があるからです。
だいたいどの子も、入所してくるときの事前の資料には「偏食」が書いてありました。
実際、親御さんからも、「特定の●●しか食べません」「煮物、煮魚は食べたことがありません」「カレーは●●のレトルトカレーしか食べないのです」と言われることがあります。
しかし実際はどうでしょう。


入所直後は家庭から持ってきた食べ物があります。
「●●しか食べないので、置いていきます」といった食料も、数日経てばなくなるものです。
施設というのは、全員が同じものを食べます。
というか、同じものしか出てきません。
食べなければ、食べないまま、終了になります。
いくらわめいても、近くにコンビニはなく、マックもありません。
そうすると、最初は手をつけなかった子も、少しずつ食べるようになるのです。
もちろん、職員もその子が食べられそうなものを盛りつけ方などを工夫しながら提供するのですが、やっぱり一番は空腹です。
お腹が空けば、食べようとするのです。
空腹にこだわりが勝る子は見たことがありません。
だいたい入所から半年、1年経てば、どの子もモリモリ食べるようなりました。


偏食については、「こだわり」などとも言われることがありますが、お母さんの手料理にこだわる子はいません。
同じ感覚系の問題から来ているこだわりなら、手料理にだってこだわる子がいてもおかしくありません。
しかし、そういった子はいなくて、みんな、コンビニ、ファーストフード、機械で作られた食品ばかりにこだわるのです。
そこを指摘すると、ある支援者は「コンビニなどの食品は、いつも同じ味だから、それが自閉症の子にとっては安心するんだ」と言っていました。
そういうのはお勉強ができるバカの発言です。
「自閉症はこだわり、固執、同一性保持がある→同じ味を好む」という頭で発言しているのです。
そこに味覚の発達、ヒトの食事の発達の視点がなければ、「ただの経験不足では?」という違う角度からの疑問もない。
あるのは昔習った古典的な自閉症の姿だけ。
「強度行動障害には視覚支援が有効」と言っているのと同じで、視覚支援を提示した瞬間、ぶっ壊される、というか近づいた職員は噛みつかれる、というのを知らないから言えるのです。


ここからは最近、この仕事をしていて思うこと、感じること。
偏食がある子が好むものは、先ほど挙げた通り、インスタントなモノが多い気がします。
で、なぜ、インスタントなモノが多いのかと言えば、親御さんの食生活にインスタントなモノが馴染んでいるからだと感じることがあります。
もちろん、発達の遅れは感覚系にも表れ、味覚の発達の遅れもあるのでしょうが、それ以上にインスタント食品に対して抵抗感が少ない。
雰囲気的に伝わってくることですが、妊娠中と言うよりも、妊娠前、それこそ男も、女も、結構コンビニ飯食べていましたよね、インスタント食品好きですよね、という感じの方が多い気がします。
目の前で子どもさんがお菓子やインスタント食品を食べている姿を拝見することもあるのですが、食べ慣れているというか、口よりも胃が馴染んでいるような感じが伝わってきます。
1歳とか、2歳とか、3歳とかで「胃が馴染んでいる」というのは違和感があるので、やっぱり前の世代の影響が出ているのかな、と思います。


確かに農薬散布が多い地域の子ども達は神経発達に軽微な問題がある子が多いと思います。
また大陸からの影響で大気汚染が懸念される地域も同様です。
でも、最近思うのは、そういった環境、つまり外部から入ってくるものの影響よりも、内側、つまり食の影響が大きいと思うのです。
農薬を多く使用している国の順番で発達障害児が多くなっている(1位韓国、2位日本、3位米国)。
だけれども、この国のメンツを見ると、食品添加物も結構摂っている国ですよね(ちなみにコンビニの数は1位日本、2位米国、5位韓国)。
添加物とガンの研究結果が次々に明らかになっているくらいですから、生体に何らかの影響が出ると考えるのは自然だと思います。


そういえば、プロテインはどうですかね。
確かに栄養不足が課題の根っこでググッと良くなる子もいますよね。
でも、プロテインに入っている添加物って確認していますか。
たまに飲むくらいなら、そこまで心配することはないかもしれませんが、毎日飲んでいたとしたら、どうですかね。
タンパク質は摂れたけれども、添加物も摂れた。
小麦や乳製品など、つまり摂取したものが腸内で反応を起こし、子ども達の神経症状に影響しているという話もあります。
その辺りとの整合性は…。
ちなみにジム通いをしている私は、添加物フリーのプロテインにしています。
まあ、おじさんなので、そこまで気を付ける必要はないかもしれませんが(笑)
ただ添加物を摂ったあと、感覚が鈍る感じがするので避けています。
脳にブレークスルー感染って感じです。




2021年8月16日月曜日

【No.1182】発達成長はしているけれども、治り切らない、育ちきらない

発達の遅れやヌケは障害ではないし、私達大人が子どもだった頃も、そんな同級生、子ども達はそこら辺にいたと思う。
だけれども、2000年代の高機能ブームに乗じて、その子達までをも支援対象にしてしまったのが大きな過ちの始まりだったと今はわかります。
当時の私も、「周囲や自分自身でも理解ができず、苦しんでいる人たちがいるのなら良いことだ」と思っていましたが、ここまで青田買いが進むとは想像できませんでした。
あくまで本人や家族、周囲に気づかれないまま、大人になった高機能の人達が支援対象だったのに、どんどんあの子も、この子もとなって、今では1歳児に診断名が付く時代。
むしろ伺いたいが、完璧な発達をしている1歳児って、どんな子どもなの?


発達の遅れを障害と定義してしまったら、どんな子どもも「発達障害児」になってしまう。
それこそ、PCRを受けたら陽性者になるように。
陽性者になりたくなければ、PCRを受けないこと。
同じことが発達障害の診断にも言えるのではないだろうか。
大前提として発達に何らかの心配事があるからこそ、病院に行くのだから、診断を付けること自体のハードルは下がっているといえます。
「ただの発達がゆっくりだけだよ、お母さん」と笑顔で家に帰してくれる医師は、この日本の中にどのくらいいるのでしょうか?


そもそもが発達が遅れた状態、抜けた状態であるのだから、その遅れやヌケが埋まれば、というか、時間の経過と共に育っていけば、そこら辺にいる普通の子になるわけです。
私が発達相談でお会いする子ども達の9割がたは単に未発達なだけです。
ですから、やるかやらないか、育てるか育てないか、時間が経過するかどうかの話で終わります。
遅れていた発達が後から育つなんてことは普通ですし、一人ひとり育つタイミングが異なるのは当たり前です。
そんなヒトの発達がわからない人たちがギャーギャー騒いでいるのがギョーカイであって、ギョーカイが黙れば、私達が子どもだった頃のように自然と育っていくので良いのです。
偽陽性からの2週間隔離状態がここんところの特別支援の世界。


このようなお話なので、私自身、治るのは当たり前だと思っていますし、支援や診断が必要なくなり、同世代と同じような生活、道に戻っていくのは自然な現象だと考えています。
だから、正直、この頃はあまり「治る」には関心がありません、自然現象だから。
じゃあ、何に関心があるかと言えば、「なぜ、治らないか?」です。


さきほど、「9割がたは単に未発達」と述べた通り、相談や依頼がある子ども達の大部分は治っていく子ども達です。
しかし1割くらいの子ども達は、なかなか治っていかない。
もちろん、育ってはいるんだけれども。
では、この子ども達にはどんな要因や共通点、背景があるのでしょうか。
現時点で見えてきたモノを綴っていきたいと思います。


まず思いつくのが、「やっているようでやっていない」です。
発達に一番必要なものは時間なのに、本人が育ちきる前にやめちゃうことがあるように感じます。
どちらかといえば、本人ではなく、親御さんの方が先に折れちゃうみたいな。
そのような場合は、専門家のウインドーショッピング状態で、あの方法が良いとなればあっちに行き、また別の方法が良いと思えんばそっちに行き…って感じです。
あと、遺伝的に言語発達に脆弱性を持っているご家庭は特にメディア視聴に気を付けましょう、とお伝えしたけれども、やっぱり見せちゃってるね、タブレットフリーで与えちゃっているよね、ということもあります。
また発達援助が訓練やトレーニングになっている場合(やらされ、やらしている状態)も、発達にはつながらないので、結果的に治っていかないことが多いと思います。


しかし、こういったものは枝葉の部分であって、本質ではないと思っています。
発達成長はしているけれども、なかなかスピードが上がっていかない、育ちきる、治り切るところまでいかない。
そういった子ども達がいるのも事実です。
受精後、8週間でほぼヒトとしての形を作り上げるくらい一気に変化していきます。
受精後9週目からは【胎児期】になり、胎児、ヒトとしての生活が始まります。
切迫流産や早産、低出生体重児など、出生に関わるトラブルがあった子も発達障害児の中には多いですが、結構、この子ども達は治っていく子も多いです。
私の感覚、見える感じでは、それよりももっと前の段階。
つまり、親の世代がどのような生活をしてきたか、もっと詳しく言えば何を食べ、どのくらい運動をし、生活のリズム等、身体的な健康を保っているかが影響しているように感じます。
なかなか治っていかない子ども達はなぜか、みんな、添加物が入った食品をよく食べていますね。
ちょっと話が逸れますが、ずっと添加物が入った食事を好んでいた子がそれを一切やめたあと、生野菜が食べられるようになったタイミングで発語が出たということがありました。


あとはどの時点で発達のヌケが埋まったか、も育ちきる、治り切るに関連性が高いと思います。
たとえば、就学前にヌケが育った子と、就学後にヌケが育った子。
年少でも、年中でも、その時点で発達のヌケが育ってしまえば、同年齢と比べて幼かったとしても、体験の差はそこまで広がっていないので、遅れても積み上げ、徐々に追い付くことができます。
一方で就学をまたいでしまうと、幼児期にヌケがあってできなかったこと、体験できなかったことをやり直していくのが大変になります。
単純に普通級で学べなかった、支援級・支援学校のため、日々の体験の差、学習の差が大きくなった、というのだけではなく、発達にヌケがある状態で10年近くなると、神経発達的にもダイナミックな変化が生じにくくなってくるからです。


これはヒトの発達を考えれば当然のことで、生まれ出た環境に適応して発達していくのが大体、8歳くらいまでで、それ以降は、そこの発達の部分に多くのエネルギーを割かなくなり、生涯に渡り、度々ダイナミックに神経発達を起こしていては、大きくなった身体、命を保つだけのエネルギーが足りなくなるわけです。
生涯神経発達は生じるとはいえ、やはりどうしても神経発達が盛んで、メインな時期があるのも事実で、それが大体6~8歳がピークになります。
そうなると、ドカンという発達が生じやすいのが幼児期の子ども達で、就学後の子ども達は1つ1つコツコツと丁寧に育てていく必要があります。
で、さらに就学後、コツコツと丁寧に育て、ヌケが育った時点での形作られた神経ネットワーク(環境に適応した発達形)の再構築、じゃあ、今から3歳の頃、やるべきだった遊び、運動、社会性を今からやりましょうかとなると、物理的に難しくなりますし、ダイナミックな神経発達が起きる時期を過ぎているので、そこもさらにコツコツと丁寧に育て直しが必要で…となるわけです。


発達障害と呼ばれるほとんどの子ども達は、単に発達がゆっくりなだけ、ヌケがあっただけなので、時間が解決してくれます、もちろん発達に必要な刺激と栄養は必要ですが。
しかし、中には時間だけで解決できない子ども達もいるのも事実です。
強度行動障害の人達の中にも、赤ちゃんのときから四六時中かんしゃくを起こしていた、短眠の繰り返しで睡眠が安定しなかった、食べるということ自体が難しかったなど、どう考えても生物学的な課題を持ってきたといえる人がいました。
ですから、生物学的な困難を抱えてくる子がいて、その子達はなかなか一般的な発達の状態まで育っていかない場合もあると思います。


じゃあ、そういった子ども達、親御さん達に、私は何ができるのか。
どのような発達相談、発達援助を提案していくことがその子ども達のより良い未来へと繋がっていくのか。
親御さんの持つ子育ての力を萎ませることなく、後押しすることができるのか。
このことが今後の私のテーマであり、課題になると思っています。
どう考えても、同世代の人と同じようになるのは難しい。
でも、発達援助の素晴らしいところは、いつからでも始められて、やれば発達や成長、生きやすさに繋がっていくことができる。
だからこそ、この仕事は難しいのかもしれないと思う今日この頃です。




2021年8月3日火曜日

【No.1181】資本主義の原理のもとにギョーカイが成り立っている

函館は25万人規模の市なので、ご丁寧に一人ずつ陽性になった人の報告があります。
それを見ていると、ほぼ無症状、軽症。
2019年まででしたら、病院などにかからず、各自が自宅で治していたはずです。
というか、ほとんど気づきもしなかったと思います。
そういった人達までをも、せっせと入院させるんだから、いくら病院があってもすぐにキャパ越えしてしまいます。
全国にある病院のベッドの2%のみしか使わず、これで「医療崩壊だあ~!」と叫ぶのなら、いっそのこと、医療崩壊してしまえば良いと思いますよ。
そうすれば、政治が決断できなくとも2019年以前の世界に戻ります。
とにかく陽性になれば、全員入院というほうがおかしいのです。


とにかく医師が診断したら発達障害というのも、同じように異常だといえます。
診断される前と診断された後では何が変わるのでしょうか。
子どもはいきなり障害者になるの?
そこを境にして一般的な子育てはしちゃいけないの?
普通の親子の生活、遊びよりも、療育というやつに行かないといけないの?
それをやるようにしなきゃ、子どもはどんどん異常になっていくの?
いいえ、そんなはずはありません。
だって、受精した瞬間から今まで子どもは生きていて、歴史は続いている。
だから、診断されたからといって、何かを大きく変える必要はないと思うんです。
我が子を育てることには変わりないでしょ。
どこかわからないところから、いきなり子どもが現れたんじゃないんだし。


一方で医療、福祉などのサービスを提供する側としては、診断後、変わってもらわないといけないんです。
そもそも資本主義というのは、ニーズを生みだすことで発展してきたのですから。
目の前に発達に遅れがある子がいる。
その子を診断しなければ、そのまま、家族とともに普通の子育てが行われていたのです。
でも、一旦、診断をつければ、一気に障害児に変わり、そこからいろいろなサービス利用の可能性が出てくる。


もともとは無で、お金は必要ないのです。
子育ってて、基本的に無料でしょ。
公園で遊ぶのだって、海で遊ぶのだって無料。
だけれども、障害児になり、サービスを利用すると、急にお金が出てくる。
そうやって、もともと無だったところから、ニーズを作りだし、そしてサービスを提供することでお金を得ていく。
無症状の人は、2019年までは普通の人だったわけ。
しかし、「無症状も病気」と決めたから治療対象になった。
傍から見ると、自分たちで病人を作り、薬だ、入院ださせて儲けていないの??
さらに全世界の人を対象にワクチンまで打とうとしている。
手法はどちらも一緒です。


発達相談をお受けしていて、よく思うのが、「そのニーズは誰のニーズ?」ということです。
発達に遅れのある子が、一般的な子育ての中で、遅れを取り戻し、将来自立して生きていければ、支援のニーズはなし。
だから、必死にギョーカイは啓発するのです。
そして「早期診断、早期療育」と叫ぶ。
「生まれつきで治らない」というのは、そうでなきゃ、支援を受けるニーズが生まれないからです。
すぐに治っちゃうと、そこで商売が終わってしまって困る。
だから、ダラダラと支援を受け続けてもらう。
でも、何かしないとバレちゃうから、やってます感満載の支援グッズを使ってアリバイ的な時間を過ごさせる。


ギョーカイが引っ張ってきた今の特別支援の世界は、ある意味、支援者にとっては見事な世界を作り上げたんだと思います。
彼らにすれば、結果は求められず、長期間、それこそ生涯にわたっての顧客、サービス利用者を作りだせたのですから。
少しでも改善や成長が見られれば、「私達の支援のおかげ」
改善や成長がみられず、反対に悪化したとしても、「それが障害だから、障害特性だから」となる。
どっちに転んでも、彼らにとってはOK。
「オリンピック中止を求める」と言っている野党やメディア、専門家、医師会連中と同じ構図。
陽性者が増えれば「それいったモノか」で、減れば「我々が注意喚起したおかげで」となる。


さらに「治らない障害」と洗脳されている親御さんからすれば、子どものIQが下がったり、症状が重くなったりすれば、「こんなに支援や療育を受けても、うちの子は良くならないのだから、よっぽど重いんだろう」と解釈してくれる。
そうなると、さらに医療や支援に対する依存性が高まり、「うちの子を生涯支援してくれる人たちに捨てられないように」とどんどん言いなりになっていく。
ここまでくれば、一丁上がりです。


医師会連中がメディアで取り上げるたびに、胸糞悪くなるのと同じで、私も元施設職員、元教職員として、自分が行ってきた仕事、特別支援の現状にネガティブな感情を抱きます。
こいつらが協力しないため、無意味な緊急事態宣言や自粛要請が出され、どれだけの人たちが苦しんだことか。
結局、医師会がごねたのはお金のためでしょ。
「オリンピックか、命か」などと、お前たちが言うんじゃない、と思いますよ。
散々、経済を壊し、人々の夢や希望、生きがい、そして命を奪ってきたのに。


大袈裟かもしれませんが、同じようなことはこの特別支援の世界でも起きていると思います。
診断さえ受けなければ、普通の子育てをし、普通の親子関係を築き、普通の親子の時間、家族の思い出をたくさん作れたのに、訳も分からない支援を受けさせ、挙句の果てに学ぶ機会と将来の可能性を奪ってしまう。
命までは奪ってはいないかもしれませんが、一人の人生をまったく違うものにした可能性だってあるのです。
そんな重い仕事をしているわりには、そこが見えていない医師、支援者、教員が多すぎです。


だから私は、家庭でできる発達援助を行っています。
それこそ、ギョーカイによってニーズが作られる前に、家庭で、子育てで、親子の中で発達のヌケや遅れが取り戻せることを目指しています。
あれこれ子育ての中で育てたけれども、育ちきらない部分は、その子にとってニーズがある部分だと言えるのでしょう。
最近はずっと1歳、2歳、3歳の子の相談が続いていますが、本当に支援が必要かなんてわかりません。
こういったお子さん達の目を見れば、本人たちにニーズはないのがわかります。
子ども達は発達がゆっくりかもしれないが、日々の生活を楽しんで生きている。
結局、このような子ども達に診断や支援を受けさせるのは、無から金のなる木を作っているだけにすぎません。
せめても自分たちの腕やサービスの質を磨き、一般の人ではできない特別な何かができるというのなら、自分たちでお金の実を育てているのですから文句はありませんが、脅して無理やりニーズを作るのは、「42万人が死ぬ」とやっていることは同じです。


私が学生だった頃、施設で働いていた頃とは異なり、ヒトの発達のプロセス、どのように神経発達が進んでいくか、どのような刺激が発達に繋がるか、などの研究が進み、幅広い情報や知見が積み重なってきています。
そこにアクセスするのは難しいことではありません。
しかし、特別支援の世界からそれらを探そうとすると、出てきません。
YouTubeなどのプラットフォームでは、(私企業ゆえに)ワクチンを否定するような発言はすぐに削除されています。
そんなたいそうなことじゃないけれども、ギョーカイも支援や療育に否定的な意見はすべて「デマだ」と必死に打ち消していくからです。
偏った情報からは偏った見解しか生まれてきません。


大事なことは、いろんな情報から、一人ひとりが考え、選択していくこと。
そのためにはアクセスできる情報に幅を持たせなければなりません。
私の知見や経験、情報も偏りがあるけれども、考える幅ときっかけを作ることを目的に発信しています。
できることなら、私を含めて、サービスを受けずに、各家庭でより良く育て、治っていくのがベストです。
「ニーズがない」「ニーズを感じない」というのが理想的な子育てができている証拠ですから。
子どもの視点に立てば、それが一番でしょ。
大人が作ったニーズになんか付き合いたくないはずです。




2021年8月2日月曜日

【No.1180】事業所一覧の紙を渡されても

知事のお仕事は気楽なものです。
「お盆期間の帰省の自粛を求めます」とアナウンスすれば、お仕事したになるのですから。
普通、帰省の自粛をお願いするのではなく、みんなが安心して帰省ができるように仕事をするのが行政の仕事ですよね。
たとえ発症しても、安心して医療が受けられる体制作り、準備を行うのが行政の仕事ですよね。
補償はしないけれども、お願いはする。
挙句の果てに、「国民の中で危機感が共有できていないことが問題」だと、なんだか我々のほうが悪いみたいな言い方をしている。


「孫の顔がみたいから」といって、せっせと治験中のワクチンを打ったジジババも少なくないはずです。
あれだけ「ワクチンを打てば、日常生活が戻せる」と言っていたお医者様たち、専門家の皆様たちは、心が痛まないのでしょうか。
これこそ、デマ太郎が注意すべき発言だと思います。
このように言いっぱなしで責任を取らないのが専門家。
行政も、自分たちは汗をかかず、ただアナウンスするだけで、「あとは国民の責任」と投げてしまうのが本質です。


似たようなことは発達支援における行政の姿にもみられます。
なにか支援を受けようとするとき、行政で渡されるのはその地域で利用できる施設の一覧です。
たとえば児童デイなら、〇〇市の児童デイ一覧がまとめられたものが手渡され、「あとはご家族で決めてください」と言われます。
でも、だいたい初めてそういったサービスを受ける親御さんですので、いきなり一覧を渡されても、どこが良いとか悪いとかわかりませんよね。
その地域に1つか、2つかしか施設がなければ、そこまで迷うことはありませんが、今は雨後の筍状態で乱立しているところが多いので、困ってしまうと思います。
だけれども、だれもそれぞれの施設の違いは教えてくれない。
行政は責任を負いたくないので、あとからメンドクサイことに巻き込まれたくないので、意見や説明を求められても、頑なに「ご自身の目で」と言い続ける。


これって、本当に不親切なことだと思うんです。
現実的な問題として、すべての施設を見学に行くことはできません。
たとえ見学に行ったとしても、表面的なことしかわからないと思います。
本来、我が子の課題、今後伸ばすべき点がわかって初めて、選ぶ基準が生まれるのですから。
選ぶ基準が曖昧ですと、「家から近い」ですとか、「利用時間が長い」「なんとなく施設がきれい」などという視点で決めてしまいがちになります。
そうなると、親御さんは良いか悪いか分からないまま、どんな効果があるかがわからないまま、施設が説明することをそのまま受け入れて利用してしまう。
そして実際に利用し、ときが立ったのちに、「ここは違うかも」と思えてくる。
ここでの問題は、費やした時間が戻ってこないことです。
訳も分からず利用していた発達支援が、発達に繋がっていなかったとしたら、その貴重な子ども時代の時間を無駄にしてしまったことにもなります。


一覧表の紙切れ一枚を渡して、お仕事になるのなら、気楽な仕事だと思います。
ですが、それではいけないと、国のほうも見直しが始まっています。
児童デイのあり方について、その専門性、質の担保について検討が行われ、この秋にも公表されることになっています。
どう考えても、今のように申請書の不備がなければ、だいたいOKというあり方はいけないと思います。
どの発達支援も、その原資は税金になりますので、税金の使い方として質の担保なしに認めるのはまずいでしょう。
だから、今日も一日DVDとか、公園に連れていってあとは自由とか、鍵のかかった何もない部屋で過ごすだけ、というような施設が出てくるのです。


児童デイに関しては、レスパイトと発達支援を明確に分けるべきだと思います。
今は発達支援という名のレスパイトが多すぎです。
確かに、レスパイトなら、子どもさんが一日怪我なく過ごしてくれさえすればよくて、募集要項にある「未経験者も大歓迎」という人達でも可能です。
なので、レスパイトならレスパイトとしての役割を明確に打ち出し、親御さんも納得の上で利用できるようのしたほうが良いと思います。


あと、発達に力を入れていると謳っているところは、「うちは発達支援事業所です」と打ちだし、きちんと質の評価をされるべきだと思います。
今どき、スケジュールカードを使っているから発達支援している、とは言えないでしょうし、そんなレベルでは恥ずかしくて外に言えないはずです。
少なからず、神経発達症ですし、発達が盛んな子ども時代なのですから、上辺の対処法ではなく、根本的な発達に寄与するものが行わなければ、税金を使って行う必要はありません。
だったら、学童や放課後クラブ、公文やスポーツクラブなどのほうがよっぽど発達に繋がります。


つまり、税金を使うのなら、もっといえば、ほとんどの国民は利用していないサービスを一部の人たちが独占的に利用するのですから、結果が問われなければならないのです。
今みたいに、「今日の利用者は5名です」で、5名分のお金が貰えるというのはダメだと思います。
ただDVDを観せていても5万円。
一生懸命、発達に繋がるアプローチを行っても5万円。
だったら、みんな前者のほうに流れるよねって、現在問題になり、ようやく見直しのための検討が行われているのです。


コロナ騒動後、福祉予算が削られるのは目に見えています。
当然、表向きは「支援の質の担保」ではありますが、実際は予算削減のための事業者同士の淘汰を目指したものになると思います。
すると、今後は事業者として選ばれるサービスができるかどうか、そしてそれをアピールできるかどうか、がポイントになっていくはずです。
そういった近未来を考えると、事業所ごとの特色が重要になっていきますし、そこで私のほうも商売になるかな、と思っています。
特色をつけるために一番簡単なのは、特色のある人間を入れる。
「〇〇氏の定期コンサルを受けています」とか、「欧米で認められている〇〇療法の認定者がスタッフにいます」とか、がインスタントにできる方法です。
どう考えても、いちから人を育てるのは大変ですし、そもそもがこの児童デイで生涯やっていこう、と思っているスタッフがどれほどいるか。
ですから、児童デイの質が問われるようになると、私たちのような個人でやっている支援者同士の質が問われるようになってくるだろう、とふんでいます。


「帰省しないでください」「県境を跨がないでください」
というのは、やっている感だけ。
やはりそこには実際の行動と責任がなければ、責務を果たしたとはいえないと思います。
どう頑張っても、「行動の自由」の上に知事は存在しない。
同じように、ペラッと一覧表を渡すだけの福祉行政もダメ。
ちゃんと行政の責任で、事業者を指定し、そして質の担保を目指すためのチェックは行わなきゃ。
行政的な手続きはわかるけれども、行政の中にそれぞれの事業所、支援サービスの内容の説明ができる人をつくらなければならないと私は思います。




*8月27~29日の予定で関東出張を行います。28日(土)は一日予定が決まりましたが、それ以外の日程でご希望の方がいらっしゃいましたらお問い合わせください。
てらっこ塾HP→ここをクリック
*8月4日、すべての訪問先が決定いたしました。受付を終了いたします。