【No.1186】私がお伝えしたいのは「How to」ではない

このたび、花風社さんから出版される新刊を楽しみにしてくださっている方達が多くいらっしゃることを知って私は嬉しく思っています。
花風社さんのサイトからのご注文の方には9月中に届く予定とのことでした。
さて、皆さまのお手元に届く前に、ご説明しておいた方が良いと思うことがありましたので、今日のブログの内容とさせていただきます。


私のセッションや発達相談をお受けになったご家庭はわかると思いますが、いわゆる標準療法というか、「THE支援・療育」みたいなことを提案して終わり、ということはございません。
現在の中心は、家庭の中で、親子でどのような遊びをしていけば、より良い発達に繋がるのか、どういった運動や生活を行えば、神経発達が促されていくか、という視点で助言させていただいています。
もちろん、このブログやラジオチャンネルでも、同様の発信を続けています。
ですから、特にここ2,3年で私のことを知ってくださった方達は、身体アプローチという方法で、発達障害を治していく人(?)という印象を持たれているかもしれません。


しかし新刊の中での浅見さんとの対談でもお話ししていますが、私はバリバリのギョーカイ人でした。
大学在学中よりTEACCHやABA、感覚統合などを勉強し、社会人向けの研修にももぐりこんで受講していましたし、ある意味、その技術、知識を磨くために、第二種自閉症児施設という日本に3つしかなかった専門施設に就職し、働きながら学びを続けていました。
こうやって独立したあとも、最初の数年間は、と言いますか、栗本啓司先生の書籍を読むまでは相変わらずギョーカイの手法をベースに行っていたのです。
花風社さんの書籍のラインナップでいえば、赤本以降、継続して書店で見つけるたびに購入していましたが、施設職員時代はほとんど休みなく働いており、しかも職場は山の中でほぼネットが繋がらなかったので、改めて過去に戻り、購入していなかった本を買い足していったのは、やはり栗本先生の黄色本が出版される前後でした。
黄色本(『自閉っ子の心身をラクにしよう!』)は2014年8月の出版でしたので、身体に注目したアプローチを学び始めたのは、7年くらいなものです。


で、詳しくは新刊の中でお話しさせていただいておりますが、この流れをご存じない方が私の言動を見ますと、いつも療育や支援を引き合いに出して主張していますので、方法VS方法の話かと思われるかもしれません。
もっと具体的に言えば、「今、ギョーカイがやっている療育や支援よりも、身体アプローチが優れているんだ」という主張です。
しかし私の考えから言えば、方法論の優劣で主張しているわけでも、闘っているわけでもないんです。
重度の知的障害を持つ人や行動障害など、すぐに対処しなければならない場合は、視覚支援や行動変容、服薬や環境調整も有効だと思いますし、実際、そのような助言をさせて頂くこともあります。


ただそういった対処療法では根本解決に至らないし、育てるという視点がなければ、いつまで経っても、課題は残り、本人は生きづらいまま。
ですから、身体からのアプローチを学び、そういった視点から対処だけではなく、根本からの育ちを目指していきましょう、というのが私の考えです。
「身体アプローチ」という特定の決まった療法があるわけではないことを改めて知っていただければと思います。


そして何よりも、私はギョーカイの中にいて、いろいろな世界を見てきて、その中で今のギョーカイ、特別支援に対して大いなる疑問と憤りを持ったのです。
自立支援と言いながら、自立を目指さない支援、教育。
早期診断早期療育と言いながら、無症状者狩りのような診断とそれに続くベルトコンベヤー方式。
「専門的な支援を」という建前で、親御さんの養育力を奪い、子育てを奪っていく専門家たちの言動。
軽度の子を重いように仕立て、実際に重い子はお断り、という支援者都合のトリアージ。
こういった現実に疑問を持たず、また意欲を失っていく保護者の姿。
私が闘っているといえば、この理不尽な現状についてです。


ですから、本人の発達成長、課題の解決、ラクになる日々の生活が達成できれば、どんなアプローチ、方法だってよいと思います。
ただ現状では、身体からのアプローチのほうが、根本解決に繋がりますし、そもそもが単に未発達な状態の子ども達が中心なので、そちらを中心に援助しているまでです。
今後もっと素晴らしい方法があれば、学び、どんどん取り入れたいと思いますし、そういった実践家の人は時代とともに必ず現れるものなので教えていただきたいと思っています。
子どもが一人ひとり違うように、発達の仕方はひとそれぞれ。
だったら、そのときそのときで良いとこどりをすれば良いのです。


私はギョーカイの中にいて、子ども達の学ぶ権利、発達する機会が十分に保障されていないと思いましたし、実際今も奪われ続けていると考えています。
どうも私には、将来支援しやすい子、扱いやすい子に矯正しているようにしか見えません。
なので、私は「療育を選ぶか?」「身体アプローチを選ぶか?」「支援を選ぶか?」「治るを選ぶか?」という面で闘っているつもりはありません。
あくまで、どの子も当たり前に持っている発達する権利に対する闘いです。
一旦、「発達障害」というレッテルが貼られると、その当たり前の権利が奪われる現状を変えていきたいのです。
そういった視点で、今度の新刊を読んでくださると、またこれからのてらっこ塾としての発達相談を受けていただくと、大久保から「How to を教わるわけではない」ことが再認識できると思います。
発達相談において、具体的なアプローチの仕方を身体を使ってお伝えしているのは、より良い子育てを考えていただけるための練習であり、きっかけ、入り口というつもりでした。


そもそもが一人ひとりが異なる人間で、すべての子に共通した「How to」など存在するわけがないのです。
もしそれがあるとすれば、商売としてのパッケージングです。
700万年もの人類の歴史で、共通した子育ての方法など生まれていません。
あるのは、目の前の子に応じた子育てだけ。
より良い子育てを目指していく上での試行錯誤の機会として、新刊やブログ等の発信、私の発達相談、援助を捉えて頂ければ、幸いです。


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