【No.1185】無症状者の入院治療は何をしているのだろうか?
函館に住んでもう20年以上になりますが、こんな田舎にも医師会というのがあるのだと初めて知りました。
しっかりお盆休みをとられたのでしょうか。
つやつやしたお顔の医師会長さんが函館、いや道南、いや渡島半島、唯一のデパート丸井さんで購入したのかはわかりませんが、素敵なスーツで会見を開いていました。
「この先も感染(←陽性)が続けば、病床がひっ迫する」
「このままでいけば、一般診療に滞りが生じる」
「ホテルや病床が埋まれば、軽症者は自宅療養になる」
医師会では使うべき論法が決まっているのかもしれませんね。
「~すれば」はすべて仮定であり、予測のお話です
そりゃあ、同じペースで陽性者が増えて、その人達をバンバン入院させていけば、病床が埋まってしまうのは小学生でもわかります。
函館は小さな町ですので、ご丁寧に日々の陽性者を一覧にして発表してくれます。
そこを見ると、軽症者、無症状者がほとんどで、しかもほぼ「入院」になっています。
100歩譲って軽症者はわかりますが、無症状者が入院して、どんな治療を受けるのでしょうか?
想像ではありますが、朝昼晩検温して、あとは病院食を食べて、院内をお散歩などは止められるでしょうから、何日間もベッドで過ごしているのでしょう。
それって免疫下がりませんかね。
暇という罰を与えて、ワクチン接種を促しているのでしょうかね。
2019年まで「症状はないけれども、治療してください」と病院に行っても、追い返されていたと思いますよ、やったことないけれども(笑)
無症状者の入院治療というのは、まさにコロナ騒動の謎の一つでしょう。
客観的な事実として、医療にはお金がかかりますし、それが商売になっています。
今、新コロでは患者さんの支払いはありませんが、その分、国が代わりに支払いを行っています。
というか、その国のお金は、我々が支払っている税金ですが。
コロナ専用病床を作ると、そこに多額の税金が支払われますが、「病床はあるけれども、人員がいない」ということで、コロナ患者を受け入れず、お金だけ頂戴している病院が多数あることがわかりましたね。
こんな事件(公金詐欺まがり)が起きるのを見ると、医師の中にはお金のためにその職業に就いた人が少なくないのかな、と思います。
そもそもテレビに出てくる医師たちが、脅し文句を使い続けていることに、私は不信感を持っています。
人の健康、命を守ったり、救ったりする人は、脅し文句で人を動かそうとはしないですもんね。
私はコロナ騒動が始まってから、「発達障害は無症状感染者」と言っています。
新コロも陽性者の8割は軽症、または無症状者と言われていますので、現在の発達障害も同じ感じだと思います。
確かに軽症者の中には、病状が悪化して中等症や重症になる人もいるでしょうが、それは稀な例であり、背景には持病や基礎疾患、過ごし方など、なんらかの理由があるものです。
同じようにただ発達がゆっくりなだけ、発達にヌケがあるだけの子どもさんがいて、中には誤った学習のさせ方や「発達の遅れ=障害」という誤解からの支援で、発達の凸凹が大きくなったり、知的障害が作られたりすることもあります。
でも、対応さえ間違わなければ、つまり、発達が遅れているのなら、そこを丁寧に育てていこうという普通の子育てがあれば、ほとんどが家庭で治っていくのです。
2000年代初頭くらいまでのギョーカイには、その活動の意義、果たしてきた役割が大きかったと思います。
それまでは、もちろん、重度の知的障害を併せ持つ発達障害の子ども達ばかりで、その子ども達には十分な教育がなされていませんでした。
それこそ、とにかく反復学習と働くための体力づくり。
その段階から環境調整や行動変容によって、人として生きてくための教育がなされ、また彼らの認知様式に合わせた必要な支援が行われるようになったからです。
しかし、いうならば、中等症、重症の人達だけに絞って入院や治療を行っていたのに、どんどんその範囲を広げ、軽症者や無症状者さえをも患者に仕立ててしまったのです。
で、ギョーカイはかなり大きくなりました。
PCR検査のように、次から次へと診断をつけていった。
そのウィルスが感染力がなかったとしても、「ウィルスがあった」というだけで、感染者扱いになってしまう。
同じように、「発達の遅れがあった」というだけで、障害児扱いになってしまう。
「えっ、今遅れているだけであって、今後も発達しない、よくならないという意味ではないのでは!?」と疑問を持ってもダメ。
さらにPCRはするけれども、発熱者お断りのクリニックのように、「発達の遅れがあります」と診断を付けたあとは、療育機関に丸投げ。
時々、「ワクチン接種はしますよ」というように、「精神科薬の処方はしますよ」という医師もいますが、基本は治療はしない、「このまま支援を受けなければ、二次障害になる」などの個人的な予測による脅しだけ。
それで療育機関に行くと、無症状者の入院のように、バイタルチェックのようなアセスメントが行われる。
「アセスメント」なんて横文字だからすごいことをやってそうな感じがするかもしれませんが、ちゃんとチェックシートがあって、検査者・支援者は、それに沿って確認しているだけです。
だから、北海道でも、東京でも、大阪でも、沖縄でも、みんな同じアセスメントの記述になるのです。
「ここを確認しなさい」と決まっているから。
2019年まで、無症状の人は患者とは言われなかった。
私達も知らず知らずのうちにウィルスを持っていて、誰かに感染させていたかもしれません。
多少の熱や咳があっても、昭和のサラリーマンは出社していたし、寮内でインフルエンザが蔓延していて職員にも症状が出ていても、「どうせ、みんな罹っているんだから勤務しろ」と管理職に言われていました。
今も思いだされますが、「検査をしなければ、インフルエンザじゃない」という上司の名言は忘れませんし、現在にも通じることがあります。
発達の遅れやヌケは、病気でなければ、障害でもありません。
ただの状態であり、未発達の子ども達が育っていく過程です。
服薬などのどうしても医療の力が必要なときは頼れば良いと思いますが、発達の遅れを促してくれる薬は処方してくれません。
結局、その子が持っている育つ力を頼り、その力を最大限引き出すために親御さんがいて、教員がいて、家庭があるのだと思います。
「発達障害」「療育」などと言われますが、一般的な言葉で言えば、発達がゆっくりな子どもに合わせた、もっといえば、目の前にいる我が子への丁寧な子育てでしょ。
子育てで病院に治療に行きますか?
子育てをするのに、診断名は必要ですか?
「無症状感染」という診断名をもらうために検査待ちをしますか?
無症状の子ども達に、無理やり療育をしようとするから、いびつになるのでは、と私は思っています。
北海道は既に二学期が始まっていますが、本州では「デルタ株ガー」と言って、バカ親たちが騒ぎ、夏休みの延長が決まったようですね。
こういった親たちは、将来のつけを払わなければなりません。
子ども達の発達の遅れ、健康被害、脳や身体へのダメージ…。
この騒動が終わったあと、目に見える形で影響が出てきた我が子を見て、こういうでしょう。
「あのとき、学校を休校にしたから」
「マスクをつけて授業をしていたからだ」
バカな大人は常に原因を外に見ようとするものです。
コロナ騒動もそうですが、発達障害の騒動も、気が付いた人から抜け出していくことができます。
そのためには大人である私達が疑問を持つこと。
「無症状の人の入院治療って具体的に何をしているのだろう?」
「児童デイに行って、スタッフと鬼ごっこをする必要はあるのだろうか?」
「アセスメントを受けたけれども、具体的にどうすればいいって書かれていないのは意味があるのだろうか?」
「あの先生が言っていたことは本当だろうか?」
テレビが「デルタ株」というから、デルタ株が怖い。
でも、RNAウィルスは変異しやすいのが特徴で、どこを指して「デルタ株」と言っているのだろうか、と考えてみる。
本当に国家的な危機なら、「街ブラロケしてないよな」、「重症化リスクが高い人達が座布団敷いて大喜利していないよな」と気づく必要があると思いますね。
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