【No.1182】発達成長はしているけれども、治り切らない、育ちきらない
発達の遅れやヌケは障害ではないし、私達大人が子どもだった頃も、そんな同級生、子ども達はそこら辺にいたと思う。
だけれども、2000年代の高機能ブームに乗じて、その子達までをも支援対象にしてしまったのが大きな過ちの始まりだったと今はわかります。
当時の私も、「周囲や自分自身でも理解ができず、苦しんでいる人たちがいるのなら良いことだ」と思っていましたが、ここまで青田買いが進むとは想像できませんでした。
あくまで本人や家族、周囲に気づかれないまま、大人になった高機能の人達が支援対象だったのに、どんどんあの子も、この子もとなって、今では1歳児に診断名が付く時代。
むしろ伺いたいが、完璧な発達をしている1歳児って、どんな子どもなの?
発達の遅れを障害と定義してしまったら、どんな子どもも「発達障害児」になってしまう。
それこそ、PCRを受けたら陽性者になるように。
陽性者になりたくなければ、PCRを受けないこと。
同じことが発達障害の診断にも言えるのではないだろうか。
大前提として発達に何らかの心配事があるからこそ、病院に行くのだから、診断を付けること自体のハードルは下がっているといえます。
「ただの発達がゆっくりだけだよ、お母さん」と笑顔で家に帰してくれる医師は、この日本の中にどのくらいいるのでしょうか?
そもそもが発達が遅れた状態、抜けた状態であるのだから、その遅れやヌケが埋まれば、というか、時間の経過と共に育っていけば、そこら辺にいる普通の子になるわけです。
私が発達相談でお会いする子ども達の9割がたは単に未発達なだけです。
ですから、やるかやらないか、育てるか育てないか、時間が経過するかどうかの話で終わります。
遅れていた発達が後から育つなんてことは普通ですし、一人ひとり育つタイミングが異なるのは当たり前です。
そんなヒトの発達がわからない人たちがギャーギャー騒いでいるのがギョーカイであって、ギョーカイが黙れば、私達が子どもだった頃のように自然と育っていくので良いのです。
偽陽性からの2週間隔離状態がここんところの特別支援の世界。
このようなお話なので、私自身、治るのは当たり前だと思っていますし、支援や診断が必要なくなり、同世代と同じような生活、道に戻っていくのは自然な現象だと考えています。
だから、正直、この頃はあまり「治る」には関心がありません、自然現象だから。
じゃあ、何に関心があるかと言えば、「なぜ、治らないか?」です。
さきほど、「9割がたは単に未発達」と述べた通り、相談や依頼がある子ども達の大部分は治っていく子ども達です。
しかし1割くらいの子ども達は、なかなか治っていかない。
もちろん、育ってはいるんだけれども。
では、この子ども達にはどんな要因や共通点、背景があるのでしょうか。
現時点で見えてきたモノを綴っていきたいと思います。
まず思いつくのが、「やっているようでやっていない」です。
発達に一番必要なものは時間なのに、本人が育ちきる前にやめちゃうことがあるように感じます。
どちらかといえば、本人ではなく、親御さんの方が先に折れちゃうみたいな。
そのような場合は、専門家のウインドーショッピング状態で、あの方法が良いとなればあっちに行き、また別の方法が良いと思えんばそっちに行き…って感じです。
あと、遺伝的に言語発達に脆弱性を持っているご家庭は特にメディア視聴に気を付けましょう、とお伝えしたけれども、やっぱり見せちゃってるね、タブレットフリーで与えちゃっているよね、ということもあります。
また発達援助が訓練やトレーニングになっている場合(やらされ、やらしている状態)も、発達にはつながらないので、結果的に治っていかないことが多いと思います。
しかし、こういったものは枝葉の部分であって、本質ではないと思っています。
発達成長はしているけれども、なかなかスピードが上がっていかない、育ちきる、治り切るところまでいかない。
そういった子ども達がいるのも事実です。
受精後、8週間でほぼヒトとしての形を作り上げるくらい一気に変化していきます。
受精後9週目からは【胎児期】になり、胎児、ヒトとしての生活が始まります。
切迫流産や早産、低出生体重児など、出生に関わるトラブルがあった子も発達障害児の中には多いですが、結構、この子ども達は治っていく子も多いです。
私の感覚、見える感じでは、それよりももっと前の段階。
つまり、親の世代がどのような生活をしてきたか、もっと詳しく言えば何を食べ、どのくらい運動をし、生活のリズム等、身体的な健康を保っているかが影響しているように感じます。
なかなか治っていかない子ども達はなぜか、みんな、添加物が入った食品をよく食べていますね。
ちょっと話が逸れますが、ずっと添加物が入った食事を好んでいた子がそれを一切やめたあと、生野菜が食べられるようになったタイミングで発語が出たということがありました。
あとはどの時点で発達のヌケが埋まったか、も育ちきる、治り切るに関連性が高いと思います。
たとえば、就学前にヌケが育った子と、就学後にヌケが育った子。
年少でも、年中でも、その時点で発達のヌケが育ってしまえば、同年齢と比べて幼かったとしても、体験の差はそこまで広がっていないので、遅れても積み上げ、徐々に追い付くことができます。
一方で就学をまたいでしまうと、幼児期にヌケがあってできなかったこと、体験できなかったことをやり直していくのが大変になります。
単純に普通級で学べなかった、支援級・支援学校のため、日々の体験の差、学習の差が大きくなった、というのだけではなく、発達にヌケがある状態で10年近くなると、神経発達的にもダイナミックな変化が生じにくくなってくるからです。
これはヒトの発達を考えれば当然のことで、生まれ出た環境に適応して発達していくのが大体、8歳くらいまでで、それ以降は、そこの発達の部分に多くのエネルギーを割かなくなり、生涯に渡り、度々ダイナミックに神経発達を起こしていては、大きくなった身体、命を保つだけのエネルギーが足りなくなるわけです。
生涯神経発達は生じるとはいえ、やはりどうしても神経発達が盛んで、メインな時期があるのも事実で、それが大体6~8歳がピークになります。
そうなると、ドカンという発達が生じやすいのが幼児期の子ども達で、就学後の子ども達は1つ1つコツコツと丁寧に育てていく必要があります。
で、さらに就学後、コツコツと丁寧に育て、ヌケが育った時点での形作られた神経ネットワーク(環境に適応した発達形)の再構築、じゃあ、今から3歳の頃、やるべきだった遊び、運動、社会性を今からやりましょうかとなると、物理的に難しくなりますし、ダイナミックな神経発達が起きる時期を過ぎているので、そこもさらにコツコツと丁寧に育て直しが必要で…となるわけです。
発達障害と呼ばれるほとんどの子ども達は、単に発達がゆっくりなだけ、ヌケがあっただけなので、時間が解決してくれます、もちろん発達に必要な刺激と栄養は必要ですが。
しかし、中には時間だけで解決できない子ども達もいるのも事実です。
強度行動障害の人達の中にも、赤ちゃんのときから四六時中かんしゃくを起こしていた、短眠の繰り返しで睡眠が安定しなかった、食べるということ自体が難しかったなど、どう考えても生物学的な課題を持ってきたといえる人がいました。
ですから、生物学的な困難を抱えてくる子がいて、その子達はなかなか一般的な発達の状態まで育っていかない場合もあると思います。
じゃあ、そういった子ども達、親御さん達に、私は何ができるのか。
どのような発達相談、発達援助を提案していくことがその子ども達のより良い未来へと繋がっていくのか。
親御さんの持つ子育ての力を萎ませることなく、後押しすることができるのか。
このことが今後の私のテーマであり、課題になると思っています。
どう考えても、同世代の人と同じようになるのは難しい。
でも、発達援助の素晴らしいところは、いつからでも始められて、やれば発達や成長、生きやすさに繋がっていくことができる。
だからこそ、この仕事は難しいのかもしれないと思う今日この頃です。
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