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【No.1268】二項対立という罠

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私は『ポストコロナの発達援助論』の中で、マスクの弊害と子ども達の変化、発達に関する懸念事項を記しています。 もちろん、全員が全員、影響が出るとは考えにくいですが、特定の子ども達、とくに根っことして発達の課題を抱えていた子ども達、0歳から8歳までの脳が柔らかい子ども達にとっては少なからず影響が出るでしょう。 しかし、こんなことをいうと、「医者や看護師、調理師などは、コロナ前からずっとマスクをつけていた」という反論がやってきます。 中には、「私はぜんぜん苦しくない」といった個人的な感想を述べられる人も。 こういった反論に対して、私達は無意識的に「マスク問題ない派とマスク危険派」といった図式を頭の中に作ってしまいます。 でも、こういった二項対立的な図式を描くこと自体、思考停止へ、また相手の思うつぼなんですね。 これは両者をいつの間にか同列に並べてしまっています。 そもそもが条件が違うのに。 マスクが問題ないという人達は、だいたいが大人のことを言っていますし、今のように外にいる間中、マスクをつけていることはありませんでした。 マスクが危険と言っている人達は、主に子ども達のことを言っているのであり、神経発達が盛んな時期のマスクと、職業的につけるマスクの意味合いは比べられるものではないのです。 肺の小さな子ども達にとっては、その肺疲労が人体に及ぼす影響も違いますし、手術や調理の運動量と動きまわる子どもの運動量も違うわけです。 もちろん、顔の表情を読むことを十分学んだ大人が一時的に(2年間ですが)半分隠れた顔を見てコミュニケーションするのと、他人の顔を見ることで表情を読む力、相手の気持ちを察する力、言葉の出し方を学んでいる今まさに発達途上の子ども達とでは意味合いが異なります。 そういった条件が違うということを忘れさせてしまうのが、「マスクは問題VSマスクは問題ない」の図式です。 というか、マスクはつけたい人がつけるものなので、「マスクつけるか、外すか」もおかしいですね。 こういった二項対立、意図的に違う条件、状態のものを並べて錯覚させることは古典的な方法で、もちろん、ハッタツの世界にも存在しています。 皆さんがわかりやすいのは、発達障害と偉人を並べるものです。 偉人が発達障害だったのと、発達障害が偉人になるとは全然違います。 偉人は偉人であり、発達障害は発達の遅れや凸凹がある状態

【No.1267】焦った方が良いとき、悪いとき

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開業5年目くらいから北海道外の出張の依頼をいただくようになりました。 最初はいたずらか、冷やかしかなんて思っていたくらいで(笑)、「本当に良いんですか?」「函館からだと飛行機代とホテル代が結構かかりますよ」なんて言って何度も確認をしていました。 当時を振り返ると、「ひと家族のために」でカバン一つ持って出かけていたものです。 親御さんの熱い思いに応えたい、子ども達が少しでも治っていけるのなら全力で頑張りたい、そんな感じでした。 近頃では出張の予定が決まり、アナウンスすると、すぐにお問い合わせをいただけるようになりました。 本当にありがたいことです。 それだけ日頃から情報をチェックしている親御さん達が多いということでしょう。 子ども時代の一日はとても貴重なものです。 なので、「そんなにすぐに出張してもらえるんですか!?」と驚かれることもありますが、とくに8歳以下の子どもさん達の場合には、できるだけ早くお会いできるように日程調整をしています。 8歳を過ぎると伸びなくなるわけではありませんが、やはり根っこから治していくには神経発達が盛んな時期に始めたほうが良いですね。 こんな風に書くと、焦ってしまう方達がいらっしゃると思います。 しかし私は、焦ったほうが良いとも考えているのです。 基本的には「何かをしたから治った」というよりも、時間の経過とともに治っていったというのが真実だと思います。 神経発達はひと足飛びにはいかないもので、ある一日、頑張ったからといって神経の繋がりが生じるわけではありません。 コツコツと継続していくことで、同じ神経回路を刺激が通り続け、「この神経、ネットワークは必要なものだ」ということになっていくのです。 なので、週に1回とか、月に1回とか、スペシャルな先生に施術を受けたからといって何かが定着するわけではありません。 自閉症や発達障害の子ども達の脳内では、シナプスの刈り込みが"少ない"ことが問題とされていて、それはよく使う神経回路とそうではない神経回路の違いが明確ではない、とも言い換えることができます。 つまり、神経発達には時間がかかるため、早く始めるに越したことがないのです。 しかしここで注意しなければならないのは、「なにを始めるか?」になります。 たとえば、スプーンが持てない子に、いくらスプーンを持たせてもほとんど意味がありません

【No.1266】コロナ後の社会を見据えた発達相談、発達援助

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欧州では食料品の値上がりが続いており、米国ではスーパーの棚が補充されていない状態が続いているという状況です。 燃料の値上がりは、輸送費の値上がりを招き、そのしわ寄せはトラック運転手にいく。 そして輸送網で働く人達が減れば、当然、各国、各地への輸送が制限されていき、食料不足、値上がりを招きます。 また陰謀論ではなく事実として、コロナでさらに資産を増やしたグローバル企業が食料(トウモロコシや大豆など)の買い占めと遺伝子組み換え食品&農薬を世界に広げていて、着々と流行病→戦争→食糧危機の歴史を繰り返しているわけです。 まだ日本ではその次の危機を実感していないと思いますが、というかまだコロナ騒動を引っ張り続けている日本(+中国)という残念すぎる状況ですが、この2年間、飲食店をターゲットにした意味がそろそろ分かってくると思います。 飲食店は閉めれば給付金が貰えた。 一方でそこに食材を卸している人達、また生産者には給付金はなかったわけです。 つまり、飲食店は残ったとしても、すでにそこを支える人達が離職、廃業している。 コロナ騒動を止め、いざ食事をしようと思っても、それを支えてくれている人達がいなくなっては飲食店ばかりか、スーパー、小売店など、私達一般の人たちの食糧にも影響が出る可能性が高いといえます。 日本は水に恵まれた国ですので、生きるための最低限の水は大丈夫そうですが、それも外資が狙っている状況です。 東日本大震災のとき、また2020年の緊急事態宣言のとき、スーパーの棚に食料品が瞬く間に無くなったように、ある日突然、そういった状況がやってくるのだと思います。 経済制裁も戦争に参加しているという意味になりますので、ロシアと日本は戦争状態で、関係悪化が日本のエネルギー問題を長引かせるでしょう。 円安の日本は外資に企業も、土地も、人も、買われてしまう。 だけれども、頭がお花畑の日本人は今日もマスクを付け、そんな世界情勢や未来に目を向けることなく、「誰かがマスク外してよいって言ってくれないかな」「誰かがプーチンをやっつけてくれないかな」なんて思っている。 同じ日本人として、大人として、本当に情けなく思います。 ぶっちゃけどうせ日本がなくなるのなら、発達障害を治しても、治さなくても、同じじゃないかと思うことがあります。 だけれども、日本の歴史を振り返れば、富士山の大噴火や大地震、飢饉

【No.1265】0歳の子ども達のところまで手が伸びてきている

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てらっこ塾は開業10年目を走り始めましたが、0歳、1歳、2歳代の乳幼児さんの相談が増え続けています。 診断の低年齢化が留まることを知らず、またそれ自体が良いことであるかのように今日もまたどこかで「発達障害」という診断がつけられている。 そして就学前の子ども達が当たり前のように精神科薬を飲んでいるのです。 神経発達が盛んな時期の子ども達が服用することは問題ないのでしょうか。 それを中長期的に飲み続けることで、子どもの発達、健康に副作用は生じないのでしょうか。 発達障害全体を見ても、その人数は加速度的に増え続けています。 もし発達障害が遺伝子の障害だとしたら、ある一定の人数で安定していくはずです。 つまり、これは環境側の問題が大きく影響しているといえるのです。 添加物、遺伝子組み換え食品、大気汚染、水の問題、農薬、薬などの化学物質の影響。 それらは三世代に跨り、蓄積、影響していきます。 また忘れてはならないのは、ガバガバな診断と「発達障害は生まれつき」というプロパガンダによって原因追及と根本治癒を目指そうとしなかった専門家たち、支援者たち、ギョーカイの問題もあります。 ここまで増え続けた発達障害を各家庭の問題、「たまたまで偶然」という認識のままではもう無理です。 発達障害の問題は、子ども達の危機であり、それは私達大人が築いてきた社会の問題です。 なので私は、社会問題としてこの発達障害を捉えています。 「障害が作られる」というのは、過去のうつ病キャンペーン、ADHDのキャンペーン、大人の発達障害のキャンペーンという歴史を見れば明らかです。 そのような精神医学の歴史を知らない方でも、この2年間のコロナ騒動を見れば、お分かりでしょう。 欧米各国が規制を止め、そもそも彼らが打とうとしない武漢型のワクチンをどうして3回も、4回も打ち続けるのでしょうか。 結局、国籍が明確ではないグローバル企業によって日本人の国民皆保険、資産、お金が狙われ、搾取されているだけです。 うつ病だって、早期診断で早期治療によって、皆さんが治り、元気に社会復帰できているのなら問題ないのですが、増える一方ですし、治ってはいきません。 どちらかといえば、薬で症状を抑え付けているだけですし、長期的な服用により利き目がなくなれば、また発症し、それを繰り返しています。 さらにいえば、長期的な服用は依存性を生み、却って

【No.1264】母体との関係性から親子の関係性へ

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「"クソババア"って言ってくるんですよ」と幼児さんを持つお母さんがおっしゃっていました。 ですから、「ちゃんとお母さんの愛情が伝わっているんですね」とお応えしました。 素晴らしいじゃないですか、「私がお母さんのことをクソババアって言っても、お母さんとの関係性は壊れない」そんな実感を持てているのですから。 いい歳の大人が自分の親についてどうのこうのと言っている。 それはまだ親と子の関係性の中に留まっている証拠です。 なので、支援者のことを親と子の関係性で見てしまう。 「〇〇を治すにはどうしたら良いのですか?」 「どのくらい続ければ?」 「どうなったら終わりですか?」 「次はどうしたらいいですか?」 発達障害はその人個人に起因した障害と思われがちです。 しかし、発達障害を「発達が遅れている状態」「発達過程にヌケがある状態」とすれば、そこに個人的な要因だけではなく、環境側の課題、さらにいえば、家庭環境と私の関係性、親と子の関係性の中にも、その要因がある場合があります。 環境側の視点に立てば、今までの関係性を変えなければなりませんよ、ということになる。 当然、その人個人の内側にある要因によって発達が遅れることもあります。 でも、そこを変えることは可能なのでしょうか。 そこだけに注視することで改善していけるのでしょうか。 私はずっと家庭支援を行ってきたので、今発達が遅れている状態を形成している環境との関係性を変えていくことのほうが、ずっと楽で、自然に治っていけると感じています。 別の言い方をすれば、原因をその人個人の内側だけに見ている間は治ってはいかない。 時折、私に「治してください」という依頼があります。 関係性で言えば、私とその子の間で治るを目指すわけです。 しかし私は非日常であり、ひと時の関係性です。 たとえ、数時間の間、治っていける関係性を築けたとしても、治るには到底到達できるだけの時間が足りません。 多くの親御さんは「この子だけの問題ではない」ということに気がついていると思います。 ただそれを認められるだけの余裕がないだけ、勇気がないだけ。 また一端出来上がった関係性を崩すだけの覚悟がないだけ。 だからこそ、自分のような家庭に入って行き、一緒に関係性を再構築できるような役割、仕事が必要なんだと思っています。 あるご家庭では、お父さんが子育てに参加

【No.1263】自分自身でやめ時がわかる、自分に必要なものかどうかがわかる

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私は20年ほどハッタツの世界にいて、画一的な療育、支援に対して批判的な意見を述べてきました。 学校の教室や療育園、施設に行けば、みんな同じ支援グッズを使い、同じトレーニングを受ける。 全国どこに行っても、内容は一緒で焼き増しに次ぐ、焼き増し。 検査所見なんて、定型文があるかのごとく、「自閉症は視覚優位」「刺激を減らした環境づくり」「頑張ったらご褒美というパターンを学習する」「言葉よりも絵や具体物で」といったことが綴られています。 私は第二種自閉症児施設で働いていましたので、入所される利用者さんは全員「自閉症」という診断がついていましたが、誰一人として同じ支援はありませんでした。 同じ診断名だからと言って、同じ支援ということはあり得ません。 それが目の前で展開されているとすれば、それは支援者側の怠慢でしかありませんね。 現実問題として、普通級、一般の幼稚園、保育園で個別に対応しようとするのは労力がかかり過ぎて不可能です。 しかし、一斉授業は難しいけれども、個別の対応、指導によっては学び、成長できる子もいるのは事実で、そのために支援級や通級指導があるのだと思います。 一人ひとり課題が異なり、発達状態、段階が異なるのは当然なこと。 それにできるだけ応えようとするのが特別支援だったと思います。 親御さんのニーズとしても、「我が子に合った教育、支援」。 もし診断名が同じというだけで、隣の子も、学年が異なる子も、みんな同じ支援、指導、学習内容でしたら、親御さんは不満の声をあげるでしょう。 ですが一方で、画一的な栄養療法が行われていないでしょうか。 発達障害の子ども達の中で、栄養療法によって効果がある子もいると思います。 しかし、発達障害ゆえに栄養療法が効果がある、とは言えないはずです。 発達に遅れが生じた理由、その背景は一人ひとり異なるわけで、当然、そこまでに至る過程、成育歴、環境、何を食べてきたか、食べてこなかったか、腸内環境、消化吸収の機能、その子の体質も含めて様々なわけですね。 それなのに、みんなやっていることが同じで、高タンパク質&低糖質、プロティンとサプリ、肉&魚&卵は、どうなのでしょうか。 コロナ前ですから3,4年前になりますが、発達障害の分野で栄養療法が話題になり始めたとき、その根拠となる文献、書籍を集め、読みました。 そこで感じたのは欧米

【No.1262】「治る」を外側から見てみる

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伏線の回収はドラマのお決まりのパターンですが、さすがにカムカムエヴリバディの最終回はないよなって思いました(笑) 最終週になって感動の押し売りみたいになってドラマ感が強くなり、森山良子のダッシュを見て「次はランスマかww」ってなって、今日の最終回ではすべてが繋がり過ぎだろって。 人生一つ二つは奇跡的なことが起きるでしょうが、全部の出来事、登場人物が最後に繋がるのは無理があるのでは。 この世界は、限られた登場人物の中で回っているのかなって感じでしたね。 来週からは2001年上半期の『ちゅらさん』以来の沖縄本島を舞台にした『ちむどんどん』が始まりますので期待です。 限られた人、世界にいると、おかしなことになっていくのは、この2年間で見た専門家たちの姿です。 尾身会長は「感染再拡大の準備が必要だ」なんてまた壊れたラジオ状態。 大谷くんの大リーグの開幕戦観ましせんでしたか。 観客はノーマスクで叫んでましたよ。 オミクロンになって重症化率もインフル並みになり、欧米各国、ほぼ規制撤廃した日本で、いまだに専門家はコロナだけを見ている。 この人達に、市井の息づかい、体温は感じられないのでしょう。 専門家こそ、専門バカにならないように、別の世界に飛び込み、外から専門分野を見る必要があるのだと思います。 そういう私も専門バカにならないように、と日々意識するようにしています。 具体的には、他分野の人、とくに発達障害とは関係ない仕事や人の話は積極的に聞く姿勢を心掛けています。 そうすると、意外にも発達援助と繋がることがあって、新たな発達援助、アセスメントの視点を手に入れることができます。 また私は発達障害の改善や治る人に興味関心があるのですが、敢えて改善しない人、治らない人から学ぶこともあります。 改善しない、治らないの典型はギョーカイなのですが、この頃、ばったり交流がないので(笑)、私が関わっているご家庭でなかなか改善が見られない方、治っていかない方から、「どうして治っていかないのか」という視点で考えるようにしています。 これは決して下に見ているわけでも、ダメな例として見ているわけでもなく、治っていかないことに発達障害の本質があるのだと思っているのです。 なかなか治っていない子ども達を見ますと、やはり発達のヌケがストッパーになっているような気がします。 とくに言葉を獲得する以前の段階、胎

【No.1261】人類の歴史から見る栄養療法

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ストイックにではありませんが、だいたい私は一日2食です。 たまに3食にすると、ボーとする感じがして、頭の回転が鈍くなるような気がします。 朝抜いて昼夕とか、昼抜いて朝夕とか。 ジムやランニングも毎日行っていますが、特に欠乏感はないので、人間は本来、このくらいの栄養で大丈夫なのかなと思います。 700万年の人類の歴史を振り返っても、そのほとんどが飢餓状態だったでしょうし、こんなに簡単に調理ができたり、インスタントに食事が摂れたりするのは、戦後の家電と飲食店、コンビニ等ができた以降。 現代の世界を見渡しても、多くの国、人々は飢餓状態だといえますので、日本のほうが人間の生き方としては異常なのかもしれません。 獲物は常に獲れるとは限りませんし、常にきのこや木の実、貝が落ちているわけでもありません。 稲作は天候に大きく左右されるため、飢餓に強い人間が生き延びてきたともいえます。 ということは、飽食や栄養過多は却って人体に悪いのではないかという想像ができます。 栄養不足は発達障害のリスク要因になるのでしょうか。 栄養を満たすことが発達障害を改善することになるのでしょうか。 私が関わる親御さんの多くは、既に栄養療法を行っている方が多いので、そこから感じることをお話ししたいと思います。 母体の栄養状態がそのまま胎児に影響するのは、その通りだと思います。 何故なら、お母さんがつわり等で食事が摂れず、栄養が枯渇していた場合、生まれてくる子どもの代謝の状態に変化が見られるからです。 母胎も胎児にとっては環境であり、出生後の世界を表すものですので、飢餓状態に適応して生まれてきます。 ですから、そういった子は現在日本の通常の食事を行うと、すぐに栄養が体内に蓄積する傾向が強く見られます。 なので、母体の栄養欠乏は栄養そのものというよりも、胎児への酸素供給の不具合につながることが問題の根っこで、胎児の神経発達に欠かせない酸素不足の影響が大きいのだと考えられます。 そう考えると、お母さんの血の状態、血管の状態が大事で、食用油、添加物、喫煙(受動喫煙も)、長期的な薬の服用も気を付ける必要があって、栄養が足りていたかどうか、貧血が、フェリチンがというだけではなんとも言えないように思えます。 また妊娠期間中の常時マスクは、胎児の神経発達に影響が出ないというほうが無理があると思います。 ちなみに男性で言え

【No.1260】弱者に仕立て上げられた人達

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函館の街を走っていると、季節が変わったことも影響してか、マスクを外す人が増えた気がします。 ご年配の女性はマスク徹底していますが、おじいさん、おじさんラインが外し始めてる感じがして、「そうだよ、高齢者が外せばいいんだよ」と思います。 そもそも「高齢者を守るために」というのが錦の御旗のJAPANでしたので、ご高齢の人たちが率先してマスクを外せば、「じゃあ、我々も」となる人が多くなるのでは。 逆を言えば、ご高齢の人達が自己中心的で、かつ次の世代の幸せのために闘おうとしないから、こんなさざ波で敗戦したのだと思います。 このご高齢の人たちの親は、戦争で闘った世代。 その戦争だって、領土拡大を目指した侵略戦争ではなく、我が国、もっといえば、大事な家族や次の世代、日本の未来を守るための自衛戦争だったわけです。 必死で守ろうとした自分の子ども達の世代が、こんなしょぼしょぼのウィルス一つで悲鳴を上げ、さらに若い世代、孫の世代までをも犠牲を強いている姿を見れば、天国にいる先人たちは何と思うことでしょうか。 コロナ騒動を見ていても、「弱者を守ること」と「弱者になること」は違うと思います。 今回、高齢者は自ら「弱者」になっていったような印象があります。 コロナ前まで旅行に行き、ジムに行き、カラオケで大声で歌っていた人達は弱者ではないでしょう。 ダイヤモンドプリンセス号の乗客は、お金も、体力も、同世代より余裕があったはずです。 それなのに、コロナ騒動が始まると、みんな「私は弱者で、ウィルスには弱いんです」みたいな顔をしていました。 高齢者にはリスクのあるウィルスと言われましたが、亡くなったのは寝たきりや基礎疾患のある人達ばかりで、そういった人達はコロナ以外でも亡くなる可能性が高い人達です。 そういった人達と比べれば、喫茶店でべちゃくちゃしゃべり倒しているお婆さん達は弱者ではないですね。 こういった背景には、戦後定年を決め、早々と働ける知力、体力のある人達までをも高齢者扱いしてきたこのシステムがあるのだと思います。 今年も自閉症啓発デーがあったようですが、こういった活動にまったく賛同できないのは、その理解啓発という言葉に、自閉症という弱者という意識が強く見られるからです。 自閉症の人達は、本当に弱者なのでしょうか。 もっといえば、発達の遅れやヌケ、その凸凹は、その人の一部であり、人生全体で見

【No.1259】開業10年目を迎えました

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先日、街でばったり、施設職員時代、大変お世話になった方とお会いました。 ずっと応援してくださったようで、新聞で出版を知ったとき、自分のことのように嬉しかったと言っていただけました。 私はいろんな方たちの応援を受け、仕事を続けることができているのだと改めて感じました。 本日よりてらっこ塾は10年目に突入します。 事業は10年続いて一人前という想いがありますので、ここまできたのならあと1年、どんなことがあっても踏ん張り丸10年をやりぬきたいと思います。 そして散々無理だと言ってきた人達に「10年やり切ったぞ!」と言ってやります(笑) 振りかえれば、後退することなく、毎年利用者数を伸ばすことができました。 9年目は沖縄出張もできましたし、本も2冊出版することができました。 定期的に伺っている地域では、「家庭でできることはたくさんある!」「発達のヌケや遅れはあとから育て直すことができる!」という考えが根付き始め、治ったご家庭から次のご家庭へと繋がっているように感じます。 起業するとき、「そんなのリスクだらけだ」「どうぜ潰される」と言われました。 でも、私には「この地域に福祉以外の選択肢を作らなければならない」という強い想いがありましたので、まったく迷うことも、信念が揺らぐこともありませんでした。 何かを始めるには、そして既存のものに対して挑もうとするときには、リスクが伴うのは当然です。 コロナ騒動では、大人が子ども達にリスクを負わせてばかりいなかったでしょうか。 高齢者を守るために、子ども達の学び、体験、青春は制限され、挙句の果てにはわけのわからないワクチンまで接種されようとしている。 子ども達は、自分の未来に、どんだけ多くのリスクを抱えていかなければならないのか。 大人が先陣を切って、リスクを負わなければならないでしょ。 卑怯な大人が多すぎる。 そんな卑怯な大人たちを守るために、子ども達が犠牲になる必要などない。 発達のヌケ、遅れは個性なんかじゃなくて、彼らの自立した人生、自由な人生を阻害するものです。 今は良いかもしれないが、将来、彼らの幸せな人生を送るためにリスクとなるものは、たとえ見えなかったとしても、大声で伝えていかないといけないと思っています。 子ども達の人生を守るために、より良い人生を歩んでもらえるように、心あるご家族、親御さん達の後押しをしていきます。 全員

愛知県出張のご案内(4月22~24日)

*4月2日23時を持ちましてすべての予定が決まりましたので、募集を終了いたします。 4月22日(金)~24日(日)の日程で愛知県にお住まいのご家族の元へ発達相談に伺うことが決まりました。 もし愛知県内、またはその近くにお住まいのご家族で出張のご希望がございましたら、お問い合わせください。 【空き状況】 4月22日(金)午後 東京 4月23日(土)午前 愛知 / 午後 岐阜 詳細を確認したい方は【出張相談問い合わせ】と件名に書き、お問い合わせいただければ、ご説明いたします。 出張相談についての内容は、 てらっこ塾ホームページ をご覧ください。 ご依頼&お問い合わせ先: メールアドレス

【No.1258】無意識のしわざ

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いろんな検査結果やアセスメントシートを読ませていただく機会がありますが、「できる」に対して大いに不満があります。 一言で「できる」「できている」といっても、どのくらいコンスタントにできているのか、補助や指示などを受けずに自力のみでできているのか、特定の場所だけではなくてどんな場所でもできるのか、そういった部分が評価されていないからです。 また同じ行動だとしても、それが「反射」のレベルでできているのか、「意識」のレベルでできているのか、「無意識」のレベルでできているのか、ここのところの評価ってとても重要だと思うんです。 何故なら、発達障害の子ども達は味方によってはできていることが多く、たとえば、歩くだってちゃんと立って歩いてはいますね。 だけれども、彼らの問題の本質は、そのぎこちなさだったり、意識しないとできないことだったりするので、「足の筋肉に注意を向けて、足を上げる高さ、右足の次は左足に意識を向けて…」という具合に、私達が無意識で行っていることが自動ではできない点だといえるのです。 私達が向けなくても良い部分に意識を向けている分、歩いていると周りが見えずによくぶつかってしまったり、「歩きながら会話する」など別の活動に意識が向けられなかったりする。 それらが発達障害の人達に見られる不器用さ、ぎこちなさ、柔軟性のなさ、結果的に空気が読めないなどの社会性の部分とも繋がっていると思います。 ですから、私がアセスメントするときは必ずどのレベルでできているのかを確認します。 結構、親御さんができていると思っていることでも、本人は意識を集中させ、かなり頑張って「できている」状態ということもありますね。 そういった子を反射から意識レベルへ、意識レベルから無意識レベルへ、発達の後押しをしていくのが大切な子育ての一つだといえます。 「できる」を無意識レベルまで育てることが大事な発達援助になりますが、一方で無意識レベルでの問題を解決するのも、私の大事な仕事になります。 親御さんの中には、子どもさんが治りそうになると、急にそのアプローチをやめてしまう人がいます。 まあ、親御さんに愛着障害があり、我が子とは言え、課題を解決し、生きやすくなろうとしていることを許せない(自分のみじめさが浮き彫りになるためや、自分が必要とされなくなってしまうことが怖いため)といったこともあります。 これは教師や