【No.1268】二項対立という罠

私は『ポストコロナの発達援助論』の中で、マスクの弊害と子ども達の変化、発達に関する懸念事項を記しています。
もちろん、全員が全員、影響が出るとは考えにくいですが、特定の子ども達、とくに根っことして発達の課題を抱えていた子ども達、0歳から8歳までの脳が柔らかい子ども達にとっては少なからず影響が出るでしょう。
しかし、こんなことをいうと、「医者や看護師、調理師などは、コロナ前からずっとマスクをつけていた」という反論がやってきます。
中には、「私はぜんぜん苦しくない」といった個人的な感想を述べられる人も。


こういった反論に対して、私達は無意識的に「マスク問題ない派とマスク危険派」といった図式を頭の中に作ってしまいます。
でも、こういった二項対立的な図式を描くこと自体、思考停止へ、また相手の思うつぼなんですね。
これは両者をいつの間にか同列に並べてしまっています。
そもそもが条件が違うのに。


マスクが問題ないという人達は、だいたいが大人のことを言っていますし、今のように外にいる間中、マスクをつけていることはありませんでした。
マスクが危険と言っている人達は、主に子ども達のことを言っているのであり、神経発達が盛んな時期のマスクと、職業的につけるマスクの意味合いは比べられるものではないのです。
肺の小さな子ども達にとっては、その肺疲労が人体に及ぼす影響も違いますし、手術や調理の運動量と動きまわる子どもの運動量も違うわけです。
もちろん、顔の表情を読むことを十分学んだ大人が一時的に(2年間ですが)半分隠れた顔を見てコミュニケーションするのと、他人の顔を見ることで表情を読む力、相手の気持ちを察する力、言葉の出し方を学んでいる今まさに発達途上の子ども達とでは意味合いが異なります。
そういった条件が違うということを忘れさせてしまうのが、「マスクは問題VSマスクは問題ない」の図式です。
というか、マスクはつけたい人がつけるものなので、「マスクつけるか、外すか」もおかしいですね。


こういった二項対立、意図的に違う条件、状態のものを並べて錯覚させることは古典的な方法で、もちろん、ハッタツの世界にも存在しています。
皆さんがわかりやすいのは、発達障害と偉人を並べるものです。
偉人が発達障害だったのと、発達障害が偉人になるとは全然違います。
偉人は偉人であり、発達障害は発達の遅れや凸凹がある状態です。
しかし、こうやって発達障害と偉人を並べると、勝手に頭の中で発達障害がネガティブなものだけではない感じがします。
よく個性だ、資質だ、なんて言っている人達は完全に騙されている人達ですね。
偉人の才能と発達の遅れ、凸凹の状態は並列できるものではありません。
こうやって発達障害の診断、もっといえば、発達障害が増えることで利益が得られる人達は、ポジティブなものを横に並べることで、診断のハードルを下げようとしているのです。


もう一つ思考停止の例として、昨今の栄養療法があります。
栄養療法は根本治療だと思っている人が多いようですが、これはどう考えても対症療法です。
急性期に行うものであって、一年も、二年も継続するものではないでしょう。
そんなに長期間続けなくてはいけないということ自体、治っていない証拠で、対症療法だと言っているものです。
一年以上、栄養を盛っても、心身が健康にならないのなら、それは消化吸収、内臓系の問題が根本にあるでしょうし、そんな栄養過多な状態をしかも精製されたもので摂り続けていたら、体内に人工的なものが蓄積されてしまいます。
そもそも現代人は、人類の歴史から見れば、食べ過ぎです。
700万年の人類はほぼ飢餓との闘いでしたし、今のように三食、しかも決まった時間に何か食べてはいません。
カタカナの食べ物だってこの100年、200年の間に日本に入ってきたものばかりですし、そんな短期間に縄文時代からこの地に住んでいる日本人の身体は、内臓は、消化吸収できるようには変化しませんね。
牛乳とパンは1945年以降に多くの日本人が食べるようになったもの。


ですから栄養療法と身体アプローチは全然違うものです。
身体アプローチなんて言葉ができていますが、身体アプローチは方法ではなく、「発達のヌケや遅れの根っこを確認し、そこから育て直していきましょう」という考え方です。
ではなぜ、"身体"アプローチかといえば、発達障害は神経発達症であり、その神経の中心は脳から脊髄に繋がっている中枢神経になるからです。
また神経は全身に張り巡らされているので、そこを刺激するには身体をマッサージしたり、動かしたり、子どもで言えば遊ぶことがそのまま身体へのアプローチになるのです。
よく紙を使ってソーシャルスキルを教える方法がありますが、あれは脳の表面だけをターゲットにしたアプローチで、神経発達症の子ども達の根本には触れていません。
私達は根本治癒を目指しているのです。


なので、栄養療法があって、そこに身体アプローチという方法があるのではなく、根本から治していくための条件の一つとして栄養を整えていくことがあるのだといえます。
神経も生きていますので、栄養が欠乏している状態ではなかなか発達が加速していかないものですし、生命の危機がある状態ではなかなかよりよく生きるための発達にエネルギーは回っていかないものです。


世の中、二項対立、「ワクチン推奨VS反ワクチン」など、簡単な図式が出てきたら要注意です。
「いいか、わるい」の判断は、思考のレベルとしたらとても低いレベルになります。
だいたいどんな出来事、内容、事象も、二つに何か分けれませんし、白黒がはっきりするようなものはあり得ません。
そう考えると、政治家はよくこの論法を使っていましたね。
「郵政を民営化するか、しないか」「消費税を3%にするか、5%にするか」「原発をやめるか、再稼働するか」「構造改革に抵抗する勢力は、抵抗勢力だ」
これらは既に発信者によって条件が決められているわけです。


子どもにとって必要な発達刺激が得られたのなら、その発達を止めるのは無理。
ですから「発達障害を治すか、治さないか」ではなくて、発達障害は栄養を整え(課題があるのなら)、発達の課題の根っこを確認し、身体から神経を刺激することで自然と治っていくものですね。
治るのは本人ですので、私達が二項対立で考えようとも、子どもには関係がない話になります。




☆『ポストコロナの発達援助論』のご紹介☆

巻頭漫画
まえがき
第1章 コロナ禍は子ども達の発達に、どういうヌケをもたらしたか?
〇五感を活用しなくなった日本人
〇専門家への丸投げの危険性
〇コロナ禍による子ども達の身体の変化
〇子どもの時間、大人の時間
〇マスク生活の影響
〇手の発達の重要性と感覚刺激とのソーシャルディスタンス
〇戸外での遊びの大切さ
〇手の発達と学ぶ力の発達
〇自粛生活と目・脳の疲労
〇表情が作れないから読みとれない
〇嗅覚の制限 危険が察知できない
〇口の課題
〇やっぱり愛着の問題
〇子ども達が大人になった世界を想像する
〇子どもが生まれてこられない時代
〇子育てという伝統

第二章 コロナ禍後の育て直し
〇発達刺激が奪われたコロナ禍
〇胎児への影響
〇食べ物に注意し内臓を整えていく
〇内臓を育てることもできる
〇三・一一の子どもたちから見る胎児期の愛着障害
〇胎児期の愛着障害を治す

第三章 ヒトとしての育て直し
〇噛む力はうつ伏せで育てよう
〇感覚系は目を閉じて育てよう
〇身体が遊び道具という時期を
〇もう一度、食事について考えてみませんか?
〇食べると食事の違い
〇自己の確立には
〇右脳と左脳の繋がりが自己を統合していく
〇動物としての学習方法
〇神経ネットワーク
〇発達刺激という視点

第四章 マスクを自ら外せる主体性を持とう
〇なぜマスクを自ら外せることが大事なのか
〇快を知る
〇恐怖を、快という感情で小さくしていく

第五章 子どもの「快」を育てる
〇「快」がわかりにくいと、生きづらい
〇快と不快の関係性
〇子どもの快を見抜くポイント
〇自然な表情

第六章 子ども達の「首」に注目しよう
〇自分という軸、つまり背骨(中枢神経)を育てる
〇首が育っていない子に共通する課題
〇なぜ、首が育たない?
〇首が育たない環境要因
〇首が育つとは
〇背骨の過敏さを緩めていく
〇首を育てるには

第七章 親御さんは腹を決め、五感を大切にしましょう
〇子育て中の親御さん達へのメッセージ
〇部屋を片付ける
〇子どもと遊ぶのが苦手だと思う親御さんへ
〇ネットを見ても発達は起きません
〇発達刺激という考え方
〇五感で子どもを見る
〇特に幼児期は一つに絞って後押ししていく

第八章 自由に生きるための発達
〇発達の主体を妨げない存在でありたい
〇大人が育てたいところと子どもが育てたいところは、ほとんど一致しない

あとがき
こういう本を読んできました
巻末漫画

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