【No.1258】無意識のしわざ

いろんな検査結果やアセスメントシートを読ませていただく機会がありますが、「できる」に対して大いに不満があります。
一言で「できる」「できている」といっても、どのくらいコンスタントにできているのか、補助や指示などを受けずに自力のみでできているのか、特定の場所だけではなくてどんな場所でもできるのか、そういった部分が評価されていないからです。
また同じ行動だとしても、それが「反射」のレベルでできているのか、「意識」のレベルでできているのか、「無意識」のレベルでできているのか、ここのところの評価ってとても重要だと思うんです。
何故なら、発達障害の子ども達は味方によってはできていることが多く、たとえば、歩くだってちゃんと立って歩いてはいますね。
だけれども、彼らの問題の本質は、そのぎこちなさだったり、意識しないとできないことだったりするので、「足の筋肉に注意を向けて、足を上げる高さ、右足の次は左足に意識を向けて…」という具合に、私達が無意識で行っていることが自動ではできない点だといえるのです。


私達が向けなくても良い部分に意識を向けている分、歩いていると周りが見えずによくぶつかってしまったり、「歩きながら会話する」など別の活動に意識が向けられなかったりする。
それらが発達障害の人達に見られる不器用さ、ぎこちなさ、柔軟性のなさ、結果的に空気が読めないなどの社会性の部分とも繋がっていると思います。
ですから、私がアセスメントするときは必ずどのレベルでできているのかを確認します。
結構、親御さんができていると思っていることでも、本人は意識を集中させ、かなり頑張って「できている」状態ということもありますね。
そういった子を反射から意識レベルへ、意識レベルから無意識レベルへ、発達の後押しをしていくのが大切な子育ての一つだといえます。


「できる」を無意識レベルまで育てることが大事な発達援助になりますが、一方で無意識レベルでの問題を解決するのも、私の大事な仕事になります。
親御さんの中には、子どもさんが治りそうになると、急にそのアプローチをやめてしまう人がいます。
まあ、親御さんに愛着障害があり、我が子とは言え、課題を解決し、生きやすくなろうとしていることを許せない(自分のみじめさが浮き彫りになるためや、自分が必要とされなくなってしまうことが怖いため)といったこともあります。
これは教師や支援者にも見られますね。
しかし、そんな愛着障害はなく、心から我が子の幸せを願っているのにもかかわらず、治りそうになると、それをやめたり、却って阻害するような行動に出る親御さんもいるんです。


その根っこを辿っていくと、親御さんの内側にある無意識の影響だとわかります。
医者から言われた「発達障害」「一生治らない」「生涯支援が必要」という言葉に強いショックを受け、それが心の中に深く刻まれている状態。
また親やパートナーから言われた「あなたのせいで」という言葉が辛すぎて、「うちの子は発達障害」と思い込むことで生活している状態。
さらにずっと治らないと思っていて、この子には支援や療育が必要だと行動してきた親御さんが、あとから治ることを知り、そういったアプローチを行っている場合も、同様のことが起きるように感じます。
つまり、こういった状態に共通するのは、無意識レベルで「我が子は発達障害である」という認識です。
ですから、治っていく過程の中で、いざ治りそうになると、自分の内側にある認識との不協和が生じ、無意識的に妨害しようとするのだと思います。


同じようなことは、成人した発達障害の人にも見られて、本人は治そうと努力し、コツコツと発達のヌケを育て直しているんだけれども、あと一歩のところで、「私はやっぱりダメです」と連絡が来たり、パタッと身体育てをやめてみたり、一般企業の最後の採用面接をすっぽかしたり、といったことが往々にしてあります。
よく当事者の人が「自閉症だから私」みたいなことを言いますが、これは無意識レベルまで沁みついた認識を守るための、これまた無意識による言動だったことが想像できます。
無意識レベルに深く刻まれていればいるほど、その無意識レベルに染みついた時間が長ければ長いほど、「自分は発達障害である」という認識から外れないようにしてしまうのだと思います。


こういった成人の方たちと接してきて思うのは、やっぱり「気がついたら治っていた」こそ最善の策だなということです。
自分自身で強く治そう治そうとすると、内側の無意識が本人の行動を変えてしまう。
ですから、治りかけで大変だったとしても就職したり、一人暮らしを始めたり、思い切って社会の中に飛びだしてみる、支援という囲いの中から飛びだしてみることが良いと感じています。


私も最初はこのような方たちのあと一歩での離脱に対し、「なんであと少しだったのに」「口では治りたいといっているけど、嘘なんじゃ」と思っていましたが、関わっていく中で彼らもそうした行動に至った理由に気がついていないことがわかりました。
「急に怖くなって」というのは、すべてが愛着やトラウマの問題ではなく、無意識の仕業だったのです。
同じようなことを我が子にしてしまう親御さんに対しても、まずその内側にある無意識に気づいてもらうことが大事だと感じています。
長年、治そうとして頑張っている親御さんから「どうしてうちは治り切らないんでしょうか?」とご相談がありますが、結構、こういったことがありますね。




☆新刊『ポストコロナの発達援助論』発売のお知らせ☆

巻頭漫画
まえがき
第1章 コロナ禍は子ども達の発達に、どういうヌケをもたらしたか?
〇五感を活用しなくなった日本人
〇専門家への丸投げの危険性
〇コロナ禍による子ども達の身体の変化
〇子どもの時間、大人の時間
〇マスク生活の影響
〇手の発達の重要性と感覚刺激とのソーシャルディスタンス
〇戸外での遊びの大切さ
〇手の発達と学ぶ力の発達
〇自粛生活と目・脳の疲労
〇表情が作れないから読みとれない
〇嗅覚の制限 危険が察知できない
〇口の課題
〇やっぱり愛着の問題
〇子ども達が大人になった世界を想像する
〇子どもが生まれてこられない時代
〇子育てという伝統

第二章 コロナ禍後の育て直し
〇発達刺激が奪われたコロナ禍
〇胎児への影響
〇食べ物に注意し内臓を整えていく
〇内臓を育てることもできる
〇三・一一の子どもたちから見る胎児期の愛着障害
〇胎児期の愛着障害を治す

第三章 ヒトとしての育て直し
〇噛む力はうつ伏せで育てよう
〇感覚系は目を閉じて育てよう
〇身体が遊び道具という時期を
〇もう一度、食事について考えてみませんか?
〇食べると食事の違い
〇自己の確立には
〇右脳と左脳の繋がりが自己を統合していく
〇動物としての学習方法
〇神経ネットワーク
〇発達刺激という視点

第四章 マスクを自ら外せる主体性を持とう
〇なぜマスクを自ら外せることが大事なのか
〇快を知る
〇恐怖を、快という感情で小さくしていく

第五章 子どもの「快」を育てる
〇「快」がわかりにくいと、生きづらい
〇快と不快の関係性
〇子どもの快を見抜くポイント
〇自然な表情

第六章 子ども達の「首」に注目しよう
〇自分という軸、つまり背骨(中枢神経)を育てる
〇首が育っていない子に共通する課題
〇なぜ、首が育たない?
〇首が育たない環境要因
〇首が育つとは
〇背骨の過敏さを緩めていく
〇首を育てるには

第七章 親御さんは腹を決め、五感を大切にしましょう
〇子育て中の親御さん達へのメッセージ
〇部屋を片付ける
〇子どもと遊ぶのが苦手だと思う親御さんへ
〇ネットを見ても発達は起きません
〇発達刺激という考え方
〇五感で子どもを見る
〇特に幼児期は一つに絞って後押ししていく

第八章 自由に生きるための発達
〇発達の主体を妨げない存在でありたい
〇大人が育てたいところと子どもが育てたいところは、ほとんど一致しない

あとがき
こういう本を読んできました
巻末漫画

出版元である花風社さんからのご購入はこちら→https://kafusha.com/products/detail/56
Amazonでも購入できます。

前著『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』もどうぞよろしくお願い致します(花風社さんのHPからご購入いただけます)。全国の書店でも購入できます!ご購入して頂いた皆さまのおかげで二刷ですm(__)m


コメント

このブログの人気の投稿

【No.1358】体軸が育つ前の子と、育った後の子

【No.1364】『療育整体』を読んで

【No.1370】それを対症療法にするか、根本療法にするかは、受け手側の問題