【No.1262】「治る」を外側から見てみる

伏線の回収はドラマのお決まりのパターンですが、さすがにカムカムエヴリバディの最終回はないよなって思いました(笑)
最終週になって感動の押し売りみたいになってドラマ感が強くなり、森山良子のダッシュを見て「次はランスマかww」ってなって、今日の最終回ではすべてが繋がり過ぎだろって。
人生一つ二つは奇跡的なことが起きるでしょうが、全部の出来事、登場人物が最後に繋がるのは無理があるのでは。
この世界は、限られた登場人物の中で回っているのかなって感じでしたね。
来週からは2001年上半期の『ちゅらさん』以来の沖縄本島を舞台にした『ちむどんどん』が始まりますので期待です。


限られた人、世界にいると、おかしなことになっていくのは、この2年間で見た専門家たちの姿です。
尾身会長は「感染再拡大の準備が必要だ」なんてまた壊れたラジオ状態。
大谷くんの大リーグの開幕戦観ましせんでしたか。
観客はノーマスクで叫んでましたよ。
オミクロンになって重症化率もインフル並みになり、欧米各国、ほぼ規制撤廃した日本で、いまだに専門家はコロナだけを見ている。
この人達に、市井の息づかい、体温は感じられないのでしょう。
専門家こそ、専門バカにならないように、別の世界に飛び込み、外から専門分野を見る必要があるのだと思います。


そういう私も専門バカにならないように、と日々意識するようにしています。
具体的には、他分野の人、とくに発達障害とは関係ない仕事や人の話は積極的に聞く姿勢を心掛けています。
そうすると、意外にも発達援助と繋がることがあって、新たな発達援助、アセスメントの視点を手に入れることができます。


また私は発達障害の改善や治る人に興味関心があるのですが、敢えて改善しない人、治らない人から学ぶこともあります。
改善しない、治らないの典型はギョーカイなのですが、この頃、ばったり交流がないので(笑)、私が関わっているご家庭でなかなか改善が見られない方、治っていかない方から、「どうして治っていかないのか」という視点で考えるようにしています。
これは決して下に見ているわけでも、ダメな例として見ているわけでもなく、治っていかないことに発達障害の本質があるのだと思っているのです。


なかなか治っていない子ども達を見ますと、やはり発達のヌケがストッパーになっているような気がします。
とくに言葉を獲得する以前の段階、胎児期から2歳までの発達のヌケは発達を堰止めていると感じます。
愛着形成のヌケは、自分の周囲の世界と関わろうとする気持ちを萎ませ、結果的に社会的な機会、運動発達的な機会を失い、それが発達の遅れに繋がる。
運動発達のヌケは、そもそも自分の身体自体をコントロールすることができないため、発達の機会を遠ざける。
また脳みそ、心身の余裕がないため、認知機能的な発達にまで意識も、エネルギーも向かわず、結果的に発達できないでいる。


もっと原始的な部分で言えば、首から始まる背骨の問題が刺激の伝達を妨げ、身体で感じた刺激が発達として積み上がっていかない事態を生じさせ、何年も同じ発達課題をやり続けていることに繋がっていると思います。
基本的に今の発達検査は、定型発達、標準年齢とのギャップを診て、障害の重さを判定していますので、3歳の子がグルグル回っているのと、10歳の子がグルグル回っているのでは、10歳の子のほうが異常で、障害が重いとされてしまいます。
つまり、やり切れないことが障害となってしまうのです。
実際、発達課題をやり切れずにいる子は、その次の発達段階へ進めないので、たとえ進めたとしても歪んだ形での移行になりますので、早かれ遅かれどこかの発達課題で躓いてしまいます。


あと当然ですが、快食快眠快便が整っていない、安定していない子は治っていけません。
動物としての基礎基本、土台の部分、生き抜くための土台ですから、サバイバルするだけで大変、精一杯な子はなかなか発達段階を進めないものです。
もちろん、栄養も関連性が見られ、栄養が足りていないというよりも、偏った食事、同じものばかり食べている、糖質過多、添加物の多い食事を続けている子、それが習慣になっている子も、なかなか思うように発達が進んでいかない感じがします。
たぶん、内臓、腸に課題を持っている子が多く、上記のような食生活が消化吸収、そして毒素の排出に負担をかけるのと、神経発達に必要な栄養素がそちらのほうに消費されるため、うまく発達に回っていかないのとがあると思います。
ジェル状のものや柔らかいもの、つまり咀嚼の乏しさが脳への刺激を軽減しているのもあるように感じます。


環境面で言えば、過度な刺激、メディア等の自然界にない強い刺激は、脳内処理で精一杯になって、またそういった刺激に頑張って適応しようと神経が動いてしまうため、これまた発達できない状態になっていると思います。
当然ですが、幼い子にとって家庭、親御さんが一番の環境になりますので、親御さんが子育てよりも支援や介護をしてしまったり、本人が育てようとしている行動を「問題行動だ」「障害特性だ」と誤解し制止してしまうと、やりきれずに発達のヌケができちゃうパターンもあります。
また両親の不仲も、子どもが安心できないことに繋がり、家という環境が不穏ならサバイバルモードになりますので、発達よりも生き抜くモードになるわけで。
結構、夫婦の課題がクリアされると、気がついたら発達が進んでいた、治っていたということもありますね。


忘れてはならないのは、遺伝の話です。
「なかなか治っていかないんです」というご家庭の相談で伺うと、結構、親御さんがバリバリ自閉症、発達障害の人がいます。
「言葉がなかなか出ない」という相談でも、お父さんが同じように小学校卒業するまで言葉が出ていなかったり、「ハイハイを抜かした」というのはお母さんも、おじいちゃんも同じだったり、「不器用な手先、身体の使い方なんです」と言われるお父さんがスポーツ、運動が全くダメということもあります。
「何年も頑張ったけれども、治らなかった」とおっしゃるご家庭は、小学校、中学校、大人になって治るパターン、そういった発達を辿る家系だったりも、よくあります。
お父さんが小学校高学年くらいから先生の話が聞けるようになったなら、子どもさんも同じくらいの年齢にならなければ、話が聞けないかもしれません。
反対に「治った」と喜んでいるご家族も、なにかをしたからというよりも、「ときがきた」「親御さんと同じ道を辿った」ということもあります。
治す対象と思っていたことが、受け継いだ資質ということも。


実際は上記のようなことが複雑に絡み合って、現在の発達の遅れが生じているわけですが、中には乳幼児期の頭部への強い衝撃、気づかれていなかったてんかん発作が、など医学的な問題から発達が遅れていることもあります。
出生時のトラブルもそうですが、胎児期の薬の影響、母体の栄養状態、添加物、農薬、公害等の影響は、胎盤が防御してくれているのか、影響があったとしても出生後の環境改善によって治っていける印象です。
ですから、「胎児期に〇〇したかも」と心配されている親御さんも少なくないですが、そうだから治らない、のではなく、別の要因のほうが大きいと思います。


ここまで「なかなか治らない」から「どうやったら治っていけるか」を見てきましたが、結構、後天的に改善できること、今日から家の中でできることは多くあると思いませんか。
「発達障害が治る」って聞くと、なにか専門的な、特別な、スペシャルな方法と人がいて、神業みたいに治してくれる、とイメージされるかもしれませんが、私の仕事での経験から言っても、ちょっとした家庭の改善、子育てのアイディアで、子ども達の発達はガラッと変わっていくものです。


大事なのは止まっている発達の歯車を前進させることであって、全部のストッパーを取り除くことができなかったとしても、ある程度の妨げなら、本人の内側にある発達する力で歯車を回すことができます。
大きな岩が詰まっていたら、たくさんの石が詰まっていたら歯車は回りませんが、小さな小石くらいなら、石の量が減ったなら、歯車は回っていく。
何か参考になることがあれば、「あっ、うちの子に当てはまるかも」ということがあれば、1つでも良いので改善してみてください。
新年度、新学期がより良い発達と成長の見られる一年間になりますように!




【新刊『ポストコロナの発達援助論』発売のお知らせ】
北海道から沖縄まで、全国の書店に並びました。店頭でのご購入もよろしくお願い致します。
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