【No.1263】自分自身でやめ時がわかる、自分に必要なものかどうかがわかる

私は20年ほどハッタツの世界にいて、画一的な療育、支援に対して批判的な意見を述べてきました。
学校の教室や療育園、施設に行けば、みんな同じ支援グッズを使い、同じトレーニングを受ける。
全国どこに行っても、内容は一緒で焼き増しに次ぐ、焼き増し。
検査所見なんて、定型文があるかのごとく、「自閉症は視覚優位」「刺激を減らした環境づくり」「頑張ったらご褒美というパターンを学習する」「言葉よりも絵や具体物で」といったことが綴られています。
私は第二種自閉症児施設で働いていましたので、入所される利用者さんは全員「自閉症」という診断がついていましたが、誰一人として同じ支援はありませんでした。


同じ診断名だからと言って、同じ支援ということはあり得ません。
それが目の前で展開されているとすれば、それは支援者側の怠慢でしかありませんね。
現実問題として、普通級、一般の幼稚園、保育園で個別に対応しようとするのは労力がかかり過ぎて不可能です。
しかし、一斉授業は難しいけれども、個別の対応、指導によっては学び、成長できる子もいるのは事実で、そのために支援級や通級指導があるのだと思います。
一人ひとり課題が異なり、発達状態、段階が異なるのは当然なこと。
それにできるだけ応えようとするのが特別支援だったと思います。


親御さんのニーズとしても、「我が子に合った教育、支援」。
もし診断名が同じというだけで、隣の子も、学年が異なる子も、みんな同じ支援、指導、学習内容でしたら、親御さんは不満の声をあげるでしょう。
ですが一方で、画一的な栄養療法が行われていないでしょうか。


発達障害の子ども達の中で、栄養療法によって効果がある子もいると思います。
しかし、発達障害ゆえに栄養療法が効果がある、とは言えないはずです。
発達に遅れが生じた理由、その背景は一人ひとり異なるわけで、当然、そこまでに至る過程、成育歴、環境、何を食べてきたか、食べてこなかったか、腸内環境、消化吸収の機能、その子の体質も含めて様々なわけですね。
それなのに、みんなやっていることが同じで、高タンパク質&低糖質、プロティンとサプリ、肉&魚&卵は、どうなのでしょうか。


コロナ前ですから3,4年前になりますが、発達障害の分野で栄養療法が話題になり始めたとき、その根拠となる文献、書籍を集め、読みました。
そこで感じたのは欧米人が基準になっているため、日本人にそのまま当てはまるのだろうか、ということ。
そしてこれは急性期に行われるものであって、慢性疾患や日々の健康維持のために継続的に行われるものではないだろう、ということです。
栄養状態の急激な悪化に対して、また発達障害においては神経発達の準備、土台を安定させるためには有効だと思いました。
またこれは書かれていなかったこと、私が見つけられなかったからかもしれませんが、栄養療法、とくにメガ盛りをしたあとのやめ時が難しいのではないかという疑問、懸念をもちました。


確かに「余分なものは排出される」ということですので、そこまで心配する必要はないのかもしれません。
がしかし、人間の排出活動だってエネルギーが必要ですし、それが発達期にある、まだ排出系が未発達の幼い子ども達だったら、身体に負担がかかったり、反対に神経発達に使うエネルギーが排出に回り却って支障がでるのでは、とも思いました。
サプリ等は通常の食事で摂れる栄養素を純度を高めて高栄養素にしたものですから、子どもの内臓がそれに適応してしまったら、また噛むというプロセスを省いた栄養吸収は身体にどのような変化を及ぼすのか。
この辺りを考えていると、発達障害というだけで飲んでいる精神科薬を連想するわけです。


私がいた施設は自閉症児の専門施設だっただけではなく、強度行動障害の人たちも入所していました。
ですから、びっくりするような量の精神科薬を飲んでいる人も少なくありません。
しかも、その精神科薬は日々飲み続けていると耐性ができるためか、どんどん効かなくなるわけで、種類と量は増える一方で、かつ服用するよりも、服用しない方のリスク、本人の辛さ、乱れが増すばかりです。
精神科薬だって、本人に必要な神経伝達物質を増やすことを目的としたもので、薬の説明を読めば、セロトニンとか、ドーパミンとかが書かれていたのです。


脳内神経伝達物質はタンパク質とビタミン等で生成されていきます。
ですから、精神疾患などを持つ人にとっては、高タンパク質&低糖質の食事は脳内神経伝達物質の生成を促すことになり、効果がある。
そしてこれは精神科薬の目的と同じで、脳内の神経伝達物質の調整により、症状や悩みを解決していこう、という話だと思います。
となると、懸念事項としてやはり依存が考えられますし、虚脱症状も連想されます。
これをそのまま発達期にある子どもに当てはめても大丈夫なのでしょうか。


得られるメリットとデメリットの比較は、みなさん、できているのか、私は心配になることがあります。
事例として、栄養療法によって、〇〇さんちの子どもさんに良い効果があったというのが、そのまま我が子に当てはめても大丈夫なのでしょうか。
それは特別支援の世界で展開されてきた「自閉症だから視覚支援」と同じ、「発達障害だから栄養療法」に見えてしまいます。
また支援のやめ時を設定しないまま導入してしまった結果、「支援されるのが当たり前」「支援がないと生きられない」という支援依存を作ったり、発達&成長よりも支援ということで育つ機会を失ったり。
これは腸内環境を整え、内臓を育て、噛む機会、消化吸収の機会を失う姿を連想させます。
そして自然界にない高栄養素の食品は、子ども達が服用する精神科薬と同じ目的を持つと感じさせます。


このように考えますと、精神科薬を服用するよりは、栄養療法のほうがデメリットが少ないように感じますが、やっぱりこれは急性期の話で、慢性疾患や日々の健康維持、そして発達障害児における日々の子育て、発達成長の後押しとして続けるものではないと思います。
積極的に栄養療法を勧める人もいますが、結構、やめ時、いつまで続けるか、といった点については述べられていないことが多いような気がします。
またこれはどの療法も同じなのですが、弊害の部分については述べられていませんね。
そして私個人の意見としては、栄養が満たされただけでは神経発達は生じない。
「栄養療法で良くなった」というご家庭にも多く伺いましたが、例外なく、栄養療法だけではなく、神経発達を促す遊び、運動、取り組みをされていますね。
肥料と水を与えれば、あとは伸びるだけの植物とは、ヒトの神経は異なりますので。


ですから、栄養療法というのは、それにハマる精神状態、つまり、親御さんの状況を知るためのものなんだな、というのが正直なところです。
栄養療法にどんどん傾倒していくというのは、親御さん自身、栄養が足りていないこともあるし、試行錯誤という子育てを行う余力がない状態。
「タンパク質が〇gで、ビタミンAが…」というのは、子育てに正解があると思っている表れであり、次々と正解を求めてしまうため、どんどんご自身を苦しめている状態。
大量のサプリのストックは依存の表れで、それは他に頼る人がいない、身近な協力者がいない、いても頼れない、または自分が他人に頼ることができない、それが苦手な状態、愛着のヌケ。
自分の発達相談を振り返れば、栄養療法ブームは親御さんを知るための窓であり、親御さん自身の課題を確認し、それを改善していくことを通して、家庭の養育力を整えていくために利用していたように思えます。


ちなみに私の家にもサプリ等がありますが、身体が欲したときのみ、服用しています。
自分に必要なとき、量、種類を身体が教えてくれる感じです。
つまり、自分の内側の「快」に合わせて飲んでいます。
そういった意味では、子ども達の「快」の感覚を育てることが重要であり、よくある「ある日を境に、子どもが"もうサプリはいらない"って言ったんです」という状態まで育つことが理想的だといえます。
自分自身でやめ時が分かる、自分に必要なものかどうかがわかる。
子ども達は自分に必要な刺激、遊び、運動が本能的にわかるのと同じで、食べ物に関しても本来その鋭い感覚は持っていると思いますね。




☆新刊『ポストコロナの発達援助論』発売のお知らせ☆

巻頭漫画
まえがき
第1章 コロナ禍は子ども達の発達に、どういうヌケをもたらしたか?
〇五感を活用しなくなった日本人
〇専門家への丸投げの危険性
〇コロナ禍による子ども達の身体の変化
〇子どもの時間、大人の時間
〇マスク生活の影響
〇手の発達の重要性と感覚刺激とのソーシャルディスタンス
〇戸外での遊びの大切さ
〇手の発達と学ぶ力の発達
〇自粛生活と目・脳の疲労
〇表情が作れないから読みとれない
〇嗅覚の制限 危険が察知できない
〇口の課題
〇やっぱり愛着の問題
〇子ども達が大人になった世界を想像する
〇子どもが生まれてこられない時代
〇子育てという伝統

第二章 コロナ禍後の育て直し
〇発達刺激が奪われたコロナ禍
〇胎児への影響
〇食べ物に注意し内臓を整えていく
〇内臓を育てることもできる
〇三・一一の子どもたちから見る胎児期の愛着障害
〇胎児期の愛着障害を治す

第三章 ヒトとしての育て直し
〇噛む力はうつ伏せで育てよう
〇感覚系は目を閉じて育てよう
〇身体が遊び道具という時期を
〇もう一度、食事について考えてみませんか?
〇食べると食事の違い
〇自己の確立には
〇右脳と左脳の繋がりが自己を統合していく
〇動物としての学習方法
〇神経ネットワーク
〇発達刺激という視点

第四章 マスクを自ら外せる主体性を持とう
〇なぜマスクを自ら外せることが大事なのか
〇快を知る
〇恐怖を、快という感情で小さくしていく

第五章 子どもの「快」を育てる
〇「快」がわかりにくいと、生きづらい
〇快と不快の関係性
〇子どもの快を見抜くポイント
〇自然な表情

第六章 子ども達の「首」に注目しよう
〇自分という軸、つまり背骨(中枢神経)を育てる
〇首が育っていない子に共通する課題
〇なぜ、首が育たない?
〇首が育たない環境要因
〇首が育つとは
〇背骨の過敏さを緩めていく
〇首を育てるには

第七章 親御さんは腹を決め、五感を大切にしましょう
〇子育て中の親御さん達へのメッセージ
〇部屋を片付ける
〇子どもと遊ぶのが苦手だと思う親御さんへ
〇ネットを見ても発達は起きません
〇発達刺激という考え方
〇五感で子どもを見る
〇特に幼児期は一つに絞って後押ししていく

第八章 自由に生きるための発達
〇発達の主体を妨げない存在でありたい
〇大人が育てたいところと子どもが育てたいところは、ほとんど一致しない

あとがき
こういう本を読んできました
巻末漫画

出版元である花風社さんからのご購入はこちら→https://kafusha.com/products/detail/56
Amazonでも購入できます。


コメント

このブログの人気の投稿

【No.1376】根本から治したいなら、これくらいやる必要がある

【No.1390】20年間、この世界に身を投じてきた私の結論

【No.1407】援助・支援・余計なお世話