捨てる覚悟

大河ドラマ『いだてん』が終わってしまいました。
視聴率が低かったそうですが、それは視聴者層の違いとリアルタイムで観た人が少なかっただけで、とても興味深い作品だったと思いました。
まだ、途中までしか観ていませんけれども(笑)


来年の大河は、萬平さんの明智光秀。
きっと織田信長の配下になるし、きっと12月ごろには本能寺に向かうし、最後はきっと落ち武者狩りに遭うに決まっています。
だから、今年中に最終話までいかない『いだてん』を観ようと思います。
今、関東大震災が起きたあと、国立競技場で運動会をやったところです。
前の国立競技場が建てられた当時は、今とは全然異なる神宮外苑、千駄ヶ谷辺りだったのが、よくわかります。


私は千駄ヶ谷が好きで、子どもの頃、よく行っていました。
スワローズの本拠地、神宮球場がありますし(オリンピック期間中、機材置き場なんてヒドイ!)、通っていた将棋会館もありました。
今は藤井聡太棋士ですが、私が通っていたときのスターは、羽生善治棋士。
大人になってからは、ほとんど指さなくなった将棋ですが、今でも羽生さんのことは応援しています。


そんな羽生さんの言葉で、とても印象に残っているものがあります。
それは、『山ほどある情報の中から、自分に必要な情報を得るには、「選ぶ」より「いかに捨てるか」の方が重要だと思います』という言葉。
どんな世界でも、1つのことを極め、続けてきた人の言葉には、様々な真理へと繋がる深みを感じます。


仕事を通してお会いする親御さんには、この『情報との付き合い方』に段階があるように感じます。
まず、まったく情報を持っていない段階。
「発達障害」という言葉は知っていたけれども、まさか我が子が診断されるなんて…。
そのような状況の親御さんは、限られた情報に飛びつく傾向があります。
ですから、このときの保健師、医師の言葉は絶大。


出会った人によって、「風邪みたいに治るもんじゃない」と言われれば、「そうか、治らないんだ。受け入れるしかないんだ」となりがちです。
反対に、「この時期の診断名は仮みたいなもんだから。子どもは発達するし、診断基準から外れる子もいますよ」と言われれば、「そうか、じゃあ、より良く育つには、どうしたらいいんだろうか」と前向きな情報獲得へと向かいます。


この情報が限られている状態から、「受け入れる&支援」に向かうか、「より良く育てる」に向かうかは、運次第なところもあります。
しかし、どっちにしろ、多くの親御さんは、全く持っていない情報の段階から、情報探索、情報収集の段階へと進みます。


情報探索、収集の段階で、どういった類の情報を選ぶかは、前段階の影響を受けるような気がします。
いずれにせよ、現代の親御さんは情報を集めるのが上手ですし、勉強熱心な人が多いです。
専門家顔負けといいますか、そこら辺の支援者より、ずっと多くの情報を親御さんの方が持っていると感じます。
そりゃそうです、支援者はお仕事&定年、退職、異動までですが、親御さんにとっては我が子であり、家族であり、人生に含まれる部分ですから。
真剣味が違えば、姿勢が違います。
ある療法だけ勉強し暗記しちゃえば、なんとなく形が整って見える支援者とは違うのです。


ちょっと横道に逸れてしましましたが、私のところに連絡をくださる方の多くも、この情報探索&収集の段階で知った親御さん達です。
まあ、私みたいなチョーマイナーな支援者を見つけるくらいですから、皆さん、芸能記者並みの情報収集能力と量です(笑)
だからなのでしょうか、反対に多くの情報が集まりすぎてしまい、どれが我が子に合っているか、今必要なのか、迷子になっている親御さんも少なくないような気がします。


良いものを、効果があるものを、それこそ、エビデンスがあるものを、できる限り集めたからと言って、すべてが我が子に当てはまるわけではありません。
子どもさんの場合は、日々、発達&成長しますので、昨日必要だった刺激が、今日そうではなくなる、なんてことも、普通にあります。
親心としては、「良いものを全部」と思いがちですが、特に小さいお子さんの場合、「あれもこれも」が却って刺激過多になったり、本人が主体的に行う遊び、育ちを阻むことにもつながったりします。
ズバッと指摘させていただいた方もいますが、大人が学び、実行しようとするものには、少なからず学習の要素がありますので、「子どもを型にはめる」、子どもに発達ではなく、「学習をさせてしまう」可能性がゼロではないのです。
基本的に、発達とは、本人の『主体性と自由』の中に存在するものですから。


情報をたくさんお持ちの親御さんの場合は、一緒に「情報を捨てていく」というのも、私の仕事の役割になります。
継続してこの仕事をしていると、その子に必要なもの以上に、必要じゃないもの、いらないもの方がはっきり見えてきます。
それは発達を阻害しているものを見つけ出すだけではなく、「今、必要じゃないよね」「それって、発達課題の根っこじゃなくて、枝葉だよね」というものもあります。
先ほども述べたように、幼いお子さんの場合は、本人の主体性と自由度を最大限にすることが重要ですので、発達援助はよりシンプルに、よりスリムに、がポイントです。
そのお子さんにもよりますが、「〇〇だけ、1ヶ月続けてみて。他は〇〇くんが遊びたいように、感じたいように過ごす」という方が伸びるということも多々あります。


私達が子どもだった頃、「より早く、より多くのことを暗記し、ペーパーに書ける」が素晴らしい学力とされていました。
ですから、少なからず、我々世代の人間は、「情報をストックする」という回路が脳に刻まれているといえます。
だからこそ、逆に「捨てるのが苦手」ともいえます。
特に我が子のこととなれば、その回路が呼び起こされ、フル活用されるのでしょう。


「あれもこれも」やって、お子さんが混乱し、親御さんも疲弊しているご家庭。
日々、効率よく“こなしていく”ことで、支援や療育という型を学習してしまったお子さん。
少しやっては効果が出ず、少しやっては効果が出ず、を繰り返し、いろんなことが中途半端になっているご家庭。
良い支援者、専門家のハシゴをして、普通の生活自体が窮屈になってしまっているご家庭。
このようなご家族は、珍しくありません。
ですから、情報に溢れ、情報をたくさん得やすい時代だからこそ、「捨てる」ことの重要性が増していくのだと、私は感じています。


羽生さんの言葉には、こういったものもあります。
『何事であれ、最終的には自分で考える覚悟がないと、情報の山に埋もれるだけ』
そうです、子育てにも、情報を取捨選択するにも、「覚悟」が必要です。


金栗四三さんは、覚悟をもって、ストックホルムに旅立ちました。
その覚悟が、1940年東京オリンピック、2020年東京オリンピックへとつながったのだと思います。
そして、スワローズファンは、バレンティンがいなくなり、さらに続く低迷の数年間を覚悟しなければなりません。
覚悟があれば、道は開ける。
その道は千駄ヶ谷、神宮外苑、国立競技場へと続く。
でも、マラソンは札幌でしたね(爆)

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