【No.1366】まずは私たち大人が本気にならなきゃ

悲観する親御さんを慰め、不安をもつ親御さんに「私が支えます」と言う。
「こういったアプローチがありますよ」と伝え、親御さんに手取り足取り教えてお金をいただく。
結果的によくなったり、変わらなかったり。
よくなれば、「ああ、教えてもらったアプローチが効いたんだ」と親御さんが喜び、変わらなければ「うちの子に合う別のアプローチが(どこかに)あるだろう」と外に意識が向かっていく。
そして年月は過ぎていく。
みなさんはこんな支援、援助、サービスをお求めなのでしょうか。


私も一応、大学を出ているので(笑)、世の中の状況を見て、どんな商売の仕方が儲かるのか、想像することができます。
たぶん、上記のような寄り添い、意識を外へ外へと向かわせるようなサービスのほうがお客さんがくるでしょう。
ちまたのなんとかセンターの支援者のように偽善の優しい言葉を掛けることだってできる。
ちまたの心理カウンセラーのように、偽善の仮面をかぶり、笑顔を振りまくことだってできる。
だけれども、私はそんな仕事はしたくない。
そんな自分の信念を曲げるような商売はしたくない。


散々見てきたじゃないですか。
特別支援が始まって20年、このような親御さんを接待するだけの支援を。
親御さんの心は軽くなるかもしれない。
だけれども、その陰で子ども達の発達や成長、彼らの生活、人生が後回しにされてきたのを。
「支援があれば」が本当だったとしたら、今頃、発達障害をもった人たちも自分の人生を歩んでいけているはずです。
なぜ、幼少期から診断と支援を受け、大人になった今も、誰かの庇護のもと、他人の決定に従い生きているの?


私は根っこから治っていくことを目指しているのだから、自動販売機のような「この症状にはこのアプローチ」みたいな仕事はすることができません。
できたとしても、それは急性期の非常事態がその子や家族に迫っているときだけ。
基本的に発達障害は慢性疾患の部類で、発達を遅らせている根っこから改善していかなければならないものです。


「発達障害は親御さんの頑張りで改善します」と言っている一方で、「発達障害は親御さんの過ちによって悪くなることがある」とは言わない。
私と同じような「治る」を目指している援助者の中にも、そこには触れない人もいる。
そういった人を見かけるたびに「あなたも、親御さんの力、家族の力を見くびっているのか、低く見積もっているのか」と思ってしまうのです。


私は親御さんこそが、子どもの「治る」や育ちをもっとも後押しできる存在だと信じています。
信じているからこそ、親御さんにも根本を見つめてほしい、自分の内側にある発達を遅らせた要因にも向き合ってほしいと思います。
子どもを変えたいと思うのなら、まず私たち、大人が変わらなきゃ。
自分のダメさ加減と向き合い、「ああ、自分はポンコツなんだ」と認め、そこから這い上がっていこうじゃありませんか。
子ども達の幸せのためなら頑張れるでしょ!
「子どもは治ってほしいけれど、私のネガティブな部分はそっとしておいてほしい」という人が多すぎた玄白。




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