【No.1364】『療育整体』を読んで

従来の知的障害を伴うような自閉症児、発達障害児の親御さん達は共生を求めていました。
一般の人たちに向けて「理解を」
社会に向けて「支援を」
彼らに必要な支援を受けながら、同じ社会の一員として遊び、学び、働き、生活していけることを願っていました。
しかし2005年を境にし、新たな概念として発達障害の枠に入ってきた人たちは、「うちの子に必要な支援があれば、自立できるのに」と考えているように見えました。
『自立するための支援』と『共生するための支援』の違いです。


『自立するための支援』はいつしか特別な支援、特化した支援、個別化した支援へと変貌していきました。
それが発達障害児と定型発達の子ども達とを分けていくことにつながります。
放課後、同じ公園で遊んでいるのに、かたや約束をして集まってきた子ども達、かたや児童デイの車に乗せられてきた子ども達。
同じ地域の同じ学校に通っている子ども達なのに、だったら一緒に遊べばいいのに、支援者の管理のもと同じ児童デイに通っている子ども同士でしか遊ばせない異様さ。
子ども同士もお互い視界に入っているのに、どちらからも関わりを求めようとはしない。
「住む世界が違う」というのは、子ども時代に培われる。


私が子ども時代は、今でいう発達障害と言われる子とも一緒に学び、一緒に遊んでいたものです。
勉強ができなくても排除するわけでもなく、運動が苦手でも自然とハンディをつけながら共に遊びました。
そうやっていろんな子どもがごちゃまぜになって遊び、子ども同士で成長していた時代。
そういった子どもを仲間外れにしようもんなら先生にこっぴどく怒られたものですが、いまは先生が率先して「発達の専門家に診てもらったら」「お薬飲んでみたら」「支援級に行ってみたら」と仲間外れを行っている。
そんな時代だからこそ、親心をもった支援者、専門家が求められるのでしょう。


『療育整体』を考案された松島眞一さんは我が子を楽にしてあげたいその一心で身体に働きかけを行いました。
整体師としての技能を我が子に応用したわけです。
でもその間には大事な親心があった。
整体の技能と発達に課題のある我が子の間をつないだのです。
整体が療育整体へと純化していく過程には「よいとこどり」と「応用」の原型があります。


発達障害に特化したものを行おうとすればするほど、発達障害ばかりが前面に出て、一人の人間としての個が見失われていく。
個を失った支援というのは、いつしか親を喜ばせるための見せる支援に変わっていきます。
「ほら、あなたの子どもさんのためにこんな支援グッズを作りました」
「ほら、ちゃんと個別に対応しているでしょ」
特別支援が特別扱いに変わる瞬間です。
特別扱いに満足する心は親心ではなく、消費者としての心。


支援者が見せるための支援をするようになった今、もう一度、子ども達が将来、ともに生きていけるような援助に戻す必要があると思います。
そのためには松島さんのような親心を持った援助者が求められるでしょう。
目の前にいる我が子の幸せを追求した結果、生まれた『療育整体』は見せるための支援とは一線を画している。


子どもの健やかな成長と自立、幸せを後押ししてくれるアプローチは世の中にごまんとある。
だけれども、それが「発達障害」という壁があるとつながってはいかない。
一般のお絵かき教室に漂う魅力は、「療育で絵を描きます」となると瞬時に失われる事象から垣間見えます。
本当はそこら辺にある何気ないものに我が子の発達を後押しするものがある。
そこに気づけないのは、我が子よりも発達障害を見ているから。
親心は「どうにか我が子に合わせてよいとこどりできないだろうか」と応用力を引き出す。


「よいとこどり」と「応用力」の先に生まれた『療育整体』
だからこそ、どんな子にも自然と応用ができてしまう。
素晴らしく効果があるアプローチというのは、得てして工夫する余地が狭いといえます。
だったら、「やらない」という手はないでしょう。
いま、困っている我が子に今できるのが『療育整体』です。


親心と整体師としての経験と理論に裏付けられた『療育整体』
今回の書籍にはQRコードがついていて実際の動画も確認することができます。
身体が変わり、動きが変わり、心が変わる。
そんな子ども達の反応、姿を見て、私たち大人も親心を育んでいければ良いなと思います。
発達支援ではなく、子ども達のよりよい生活に向けて応援したい方は必見です!


*療育整体の講座の様子は↓




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