【No.1369】心から治ってほしいと思っている人はほとんどいない

YouTubeのおススメ動画にあがってくる発達障害の子を持つママの再生数が数千から1万を超えている。
私の動画は頑張っても300再生なのに(笑)
まあ、再生数を稼ぐことを目的としていないので良いのですが、私の見立ては間違っていたのかと思ったりする。
YouTubeってニッチな内容が受けるんじゃないのかな。
一般的な教科書や書籍、講演会で聴けないような話、情報を求めてYouTubeにやってくる。
発達障害の分野でいえば、「本に書いてあることでもうまくいかない」「講演会や支援者の話を聞いてもピンとこない」「療育も、発達相談にも行ったけどよくならない」「だからYouTubeで違った視点、情報が欲しいんです」でYouTubeにアクセス!じゃないんですかね。
教科書に書いてあることを教科書通り動画にしてもつまんないでしょ。


そんな風に思ってYouTubeを始めたんですけど、1か月やってみて私の勘違いだということがよくわかりました。
まず本を読まない、読めないから動画って人が多いってこと。
日本人全体として本を読まないのも知っていたし、Twitterなど、あんな少ない文字数でも読み間違える人がいるのは肌身でわかっていた。
だけれども、我が子の問題ですよ。
そりゃあ、日ごろ、本を読まない人でも、ある程度、本を買って読むでしょ。
でも違うんです。
「大久保さんの本が発達障害の分野で初めてです☆彡」みたいな人もいます(褒めてますw)。
「私、本苦手で、全部ネットで検索して情報集めたんです」というツワモノもいます。
だから、本や講演会代わりにYouTubeって人もやっぱり実際にいるんだなと思いました。
そういった人たちにとっては、ニッチな内容よりも、教科書通りの情報のほうがニーズですね。


あとこれは以前から言ってきたように、治ってほしいと思う親御さんは実は少ないということ。
まあ、一般的に障害と聞けば、治らないと思うでしょうし、そもそもが我が子に根本からは良くなってほしいと思っていない。
これは「うちの子に治ってほしいんです」と言っている親御さんの中にもある話。
なぜ、それがわかるかといえば、ほとんどの人が「(この子だけ)治して」と言うから。
「言葉が出ないんですけど、出るアプローチ教えてくれませんか?」
「発達のヌケが埋まるアプローチを教えてください」
「集団行動ができるようになってほしいんです」
「排泄が自立するためにあとなにをやればいいですか?」
みなさん、どうして発達に遅れが出たのか、なぜ、その遅れがそのままで育っていかないのか、そのあたりは興味がない”ふり”をしている。


だから表面的な課題に対する解決方法が知りたいと言う。
それって多動を抑えたいから薬を飲むのと何が違うの?
眠れないんで眠剤飲ませますと何が違うの?
暴れる人に身体拘束する精神科病棟と何が違うのでしょうか。
支援者がコントロールしやすいようにスケジュールを組み立て提示するのと一緒でしょ。
結局、私が楽になりたい、私が責められないために、私が考える通りにこの子が行動してほしい、という深層心理が出ているといえるのです。
それじゃあ、治らないし、ずっと課題は解決しないまま。
だって、望まれてるんだもん、障害がある状態が。


あと言っちゃ悪いけど、我が子の障害に関して涙を流す動画を1万人以上の人が観ているのも健全じゃないと思う。
当然、そんな動画を上げているほうも問題だと思うけれども。
それだけ他人の不幸が必要な人が多いってことでしょ。
「ああ、悩んでいるのはうちだけじゃないんだ」
「自分だけがダメ親じゃないんだ」
そんな風に夜な夜な動画を観て一緒に涙を流しているのではないでしょうか。
いやいや、その時間があるのなら、それくらい涙を流せるのなら、それは目の前にいる我が子のために使えばいいんじゃないのって思いますよ。
せっかく家にいながら、たくさんの情報が得られる時代になったんですもん。
一人として同じ発達障害児はいないし、発達の遅れ方も、その育ち方も、一人ひとり異なる。
だからこそ、いろんなアイディアを組み合わせて、我が子に落とし込まなきゃ。
そして動画や情報を持っているだけじゃ何も変わらなくて、実際に手を動かさなきゃ。


まあ、だから私は「本気で治ってほしいと思っている親御さんは少ない」と言うんです。
治ってほしいのはその子の表面的な課題であり、その先にある子どもの資質を伸ばしながら、活き活きとした人生を送ってほしい、というところは目指していないから。
発達援助はノウハウじゃなくて、子育てそのもの。
どうやったら、その子がのびやかに育っていけるか。
そのために親や家族、私たち大人や社会が何を学び、行動し、後押ししていくか。
子どもによりよく育ってほしいと思っているのに、「私、変わる気ありません」という人が多すぎ。
いや、まず変わるのは親であり、大人である私たち。
私たちがよりよく成長できていないのに、子どもがよりよく成長するわけないんですよ。
さらにいえば、よりよくと言う前に、発達が滞っているんだから。
本気で変わろうとしなければならないでしょ。


私は公式を教えるつもりはありませんね。
公式なら地元の支援者、ギョーカイの本や講座を聴けばいいのです。
私が教えたいのは、問いを立て、答えを導き出そうとするその姿勢。
療育やアプローチという公式をいくら集めても、目の前の子の課題はクリアできないし、根っこから治ってはいけない。
子育てはその子が自立するまで続くものだからこそ、その子がよりよく成長し続けられる環境になれることが親に求められる姿。
根っこから治ってほしいと思うのなら、その根っことつながっている自分の中にある課題と向き合わなければなりません。
それはドロドロしていて、見るのも嫌になるかもしれませんが、それでも目を開き、反吐が出ても変わるために行動する必要があるのです。
それがどんなに辛いことであったとしても、我が子のためなら頑張れるでしょ、未来を担っていく子ども達の幸せのためなら歩を進めることができるでしょ。
だから涙を流しているママの動画を観ないで、私の動画を観ましょう。
👍ボタンとチャンネル登録をお願いします(初めて言っちゃった笑)




コメント

  1. 動画を拝見しました。発達支援と発達援助の違い、わかりやすかったです。発達が滞っている部分を見つけ、そこが育つよう大人が諸々調整したら子どもは確かに勝手に育ちます。だから子育て領域なのですが、その子育ての英知が学校にも支援センターにもありませんね。だから気が付いた親が勉強し自分の子に実行していくしかない世界なのだと思います。そのことに気が付く親御さんがもっともっと増えてほしいなと思います。

    返信削除
    返信
    1. にんにんさんへ
      ブログと動画をご視聴していただき、またこういった力強いメッセージを頂戴し、ありがとうございました。
      学校は強化を中心とした教育の場であり、療育や支援は将来、支援を受けながらの自立=上手にサポートを利用できる人になる、支援と言う世界に適応できる人になることが目的になっているような気がします。ですから、発達の課題を育て、治していく場は家庭であり、子育てが中心になると考えています。
      このことに気づけないと、親御さんが教育をしようとしたり、支援をしようとしたりしてしまいますね、大事なのはその子の発達を後押しする普通の子育てなのに。
      私もこういった活動、てらっこ塾を続けていくことで、気づいてもらえる親御さんを増やしていきたいです!

      削除
    2. 大久保さん お返事ありがとうございます! 今はつくづく「普通の子育て」がしにくい世の中になってしまっていると思います。「支援」「困りごと」などの言葉が乱発されて、親からは「子育て」が奪われ、子どもからは「普通の成長(発達)」が奪われ、学校は「教育」を見失っている状況かと思います。言葉に惑わされず冷静にその方の行動を見て判断していくことが大切だと、子育てをしていて、しみじみと感じています。

      削除
    3. にんにんさんへ

      おっしゃる通り、「普通の子育て」「普通の成長(発達)」また「普通の教育」があたかもよくないような、一段低いような雰囲気がありますね。それは「特別支援」の特別に対する日本人のイメージがそうさせているのだと思います。
      本来、その「特別」は全体ではなく、その子個人に合わせた「固有の」という意味であるはずです。しかし「special(特別)」がスペシャルな、なんか素晴らしいもののような勘違いが生まれ、どんどん普通の〇〇とかけ離れていったように感じます。「普通」と「特別」の間は対立ではなくて、普通の中にこそ、個別である特別な子育て、教育がある。
      「特別」に偏れば偏るほど、普通の子育てから離れ、普通の発達ができなくなるのは、こういった言葉の印象による勘違いが招いている面もありますね。私たちは言葉に惑わされることなく、目の前にいる子ども達をしっかりと見てともに子育て、発達の後押しを頑張っていきましょう!

      削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

【No.1358】体軸が育つ前の子と、育った後の子

【No.1364】『療育整体』を読んで

【No.1370】それを対症療法にするか、根本療法にするかは、受け手側の問題