【No.1383】発達に遅れがあるから「普通の子育てはできない」という誤解、言い訳

児発や児童デイのスタッフさん、学校の先生、保育士さんなどから相談を受けると、「同じ方向で支援できない問題」がよく挙がります。
確かに福祉や教育の分野はいまだに「治すよりも、支援」「自分で行動よりも、支援を受けやすい子に」で進んでいますね。
だからそういった組織にいる「治そう!育てよう!」という志と行動力のある支援者さんが私を呼んでくれて、「さあ、この思想をぶっ壊してください」というわけです(笑)


他人の考えを変えるのは難しい。
ましてや、長年、そこに勤務しているベテラン職員となると、なおのこと、難しいというか、不可能。
だいたいどこにでもいるでしょ、「その人しか支援できない状態」にしちゃっていることって。
この支援者、先生が勤務しているときは落ち着いているけれども、別の人がくると乱れる子どもさん。
これって見方によっては「支援がうまい」「長年の信頼関係」などと言われるけれども、そうじゃない。
結局、支援者側の愛着障害に起因する共依存関係ってこと。
生涯、この支援者がそばにいてくれるなら良いかもしれませんが、卒業とともにポイっと捨てられる関係性。


学校を卒業したあとの親御さん達はこんなことを言います。
「ああ、学校にいる間は落ち着いていたのに」
「ああ、児童デイに通っている間はこんな問題はなかったのに」
これも一言でいえば、親御さんも”依存”していたという証拠。
学校や児童デイに任せっぱなしだったから、卒業後、乱れているのです。
だって、自身をコントロール術を、自立して生活していけるスキルを身に付けられなかった、18年間という子育ての中で教えられなかったってことだから。
学校や児童デイ、支援者、学校の先生がそれらを教えきることができるって!?
それは学校や福祉、専門家、教員、支援者に期待しすぎだし、表面上期待しているふりをして(深層心理では)責任転嫁の自己防衛ってとこでしょ。


志ある支援者さん、学校の先生や保育士さんにはこんなことをお話しています。
もし本気で「治そう!育てよう!」と考えているのなら、「仕組みを作りましょう」と。
そこに通ってくる子ども達が勝手に育っていくような、自身で育っていけるような仕組みを作るのです。
組織のメンバーを変えようとしても難しいし、時間もかかる。
逆に「自分一人だけでも」と頑張れば、その人が勤務しているときだけ、になる。
「〇〇さん、頑張っているよね」って言われるだけで、そして凡支援者が「私にはムリ~」と言って中途半端なものになるのが関の山。
だから、たとえ自分がいなくても、いなくなっても、その施設、教室に来ると、子ども達が育っていけるような仕組みを作るのです。
日本人の多くは仕組みができると、従順に行動する国民だから(笑)


また親御さんは、もう一度、「子育てである」という自覚をもったほうが良いと思います。
以前からずっとコンサルや支援者会議では「身辺スキルを目標にするな」と主張してきました。
だって、学校の個別目標が「トイレの自立」っておかしいでしょ。
「ボタンのある服が着れること」
「箸を使って食事ができること」
「うがいと手洗いができること」
それって学校が、支援機関が教えないといけないことでしょうか。
家庭生活の中で、親御さんが教えられないことなのでしょうか。
家庭と学校、支援機関で、それぞれなにが教えられるか、教えるべきかを明確にし、いろんな方面から育ちを応援するのが本来の姿だと思うのです。
ですから、支援者側も「なんでもやります(親の指導はめんどくさいから)」もダメだし、親も甘えちゃダメ。


「私達、親がこの子が将来、自立できるように育てていく」という動物本来の子育てを思い出し、足りない部分、それ以外の部分で学校や支援機関の手を借りていく。
そのような意識がなければ、子どもが自立するなんてありえない。
だって、自立していない親の子が自立するわけないでしょ。
それは子どもの知的障害や症状が「重度だから」とかは関係ない。
検査上は重度でも、卒業後、働き続けている若者もいるし、成人した後も認知面で発達し、いろんな自立に必要なスキルを覚えている若者もいます。
そういった私が知っている若者たちは、みんな、家族が子育て頑張っていたもん。


「たぶん、うちの子は将来、福祉のお世話になるけれども、それでも自分のこと、身の回りのこと、最低限の生活するうえでのスキルは身に付けさせたい」って言ってた親御さんの子はいま、一般企業に勤めて、休みの日は趣味や旅行に出かけています。
この若者が特別?たまたま?そもそも誤診だった?
そうやって外からレッテルを貼り、自分の心を慰めることはできる。
だけれども、そういった若者を子ども時代から見てきて思うのは、その家庭が子育てと考えるか、特別な支援と考えるかの違い。
発達に遅れがあるから、「一般の子育てができない、必要ない」というのは誤解であり、親の言い訳。
発達に遅れがあっても、身の回りのこと、自立に必要なスキルを教えるのは家族の役目。
だって、ともに生活しているのですから。
だって、親ほど、子どもの自立と幸せを心から願う人はいないのですから。
さあ、今日も、子育て、一緒に頑張りましょう!




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