【No.1370】それを対症療法にするか、根本療法にするかは、受け手側の問題
目指すべきところは、本人のよりよい発達成長であり、自立した自由な人生、幸せな人生を送られること。
とすれば、どんな療法でも、アプローチでも、名もなき遊びでも、地域の習い事でも、日光浴でも、名前のないような関りであっても良いわけです。
ですから、「栄養療法が大事なんです!」「ABAが大事なんです!」「ビジョントレーニングが大事なんです!」って、枝葉末節の話でしょ。
そりゃあ、栄養療法が効く子もいれば、効かない子もいるし、逆にネガティブな反応がある子だっている。
物事には陰と陽があり、時と場合があり、一方的に良いも、悪いもない。
治験中の注射があたかもノーリスクで利点しかない、と言われてきた2年間をお忘れでしょうか。
物事の一面しか述べられないとき、そこには発信者の別の隠された意図があるものです。
発達障害の人に対するアプローチで、みんながみんな、同じ反応があるとしたら、それはその人の資質や個別性を無視できる次元の話になります。
叩いたら痛い。
食事を与えない。
劇薬を飲ませる。
つまり、同じ反応が得られると主張する人も、それを信じてアプローチを続ける人も、対象である個人の人権を無視した行為だということ。
一人ひとり免疫の具合、国や人種による違いがあるのに、一律にマスクしろ、社会的距離を取れ、注射を打て、なんてことは人権侵害だってわかるでしょ。
まあ、ひとは恐怖心をあおられると、冷静な思考や判断ができなくなるもので、最初に入った情報を更新することが苦手という特徴もありますが。
だから、特定のアプローチには、特定の脅し文句がある。
そこに繋ぎとめるためには、恐怖や不安を煽る必要があるから。
「二次障害になる」はそういった類の言葉でした。
ただでも発達の遅れ、知的の遅れがあるのだから、さらに二次障害となれば、不安が増長されるのは自然な反応。
そうやって飲みたくもない精神科薬を飲み、泣き叫ぶ子を連れ家事をほったらかし療育に通い、効果があるかどうかわからないアプローチを必死に続ける。
第一、続けないと維持できないアプローチなんて、問題の本質に迫れていないでしょ。
「栄養療法、1年続けています」
「毎日、サプリを摂って、丸3年」
「金魚体操を始めて2年半」
ビジョントレーニングは1年で、原始反射の統合は1年3か月。
挙句の果てには、療育に通って12年。
「降圧剤を飲んで正常の値です」は健康な状態とは言えないでしょ。
そもそもなんで血圧が高い状態が続けているのか、そっちの根本に目を向け、改善する必要がある。
だから、みんな、治りたくないのです、深層心理では。
降圧剤を飲んで、ケーキを食べている人が多すぎ。
プロテイン飲んで、鉄のサプリを摂って、袋に入ったパンを食べる、工場で作られた唐揚げを食べる、家族で楽しい食卓を囲んでいない。
ビジョントレーニングをして、スマホを2時間、外遊びをしない。
原始反射の統合をやって、スキンシップはしない、愛着形成のヌケは育てない。
自律神経は整えるけれども、好きなものを食べ、睡眠薬で眠り、整腸剤で便を出す。
子どもを治そうとするけれども、自分の課題はそのまま、目を向けようとしない。
枝葉末節にこだわるのは、専門家か、専門バカか、本質の課題を隠そうとしている人。
栄養療法にこだわり続けるのは、食事にトラウマがある人が多い。
子ども時代の楽しい食卓の思い出がない。
食事のとき、家族が喧嘩ばかりしていた。
愛情のある手作りの食事を作ってもらえなかった。
今の夫(妻)が食事を作ろうとしない。
そもそも本当に栄養療法をやってほしいのは夫(妻)のほうで、でもそれを言えない状況がある。
自分が頑張って食事を作っても評価されない、またはそうやって共感できる相手がいない。
料理が女性性の象徴で、内なる嫌悪感と繋がっている。
頭では、どんな療法やアプローチにも限界があり、必要な期間とタイミングがあるのにも関わらず、無意識下の自分がこだわり続ける。
そんなトラウマを隠すために、自分自身をだまし続けるために。
どんな療法、アプローチも、それを対症療法にするか、根本療法にするかは、受け手側の問題です。
「金魚体操は何分やればいいですか?」
「身体アプローチはいつまでやればいいですか?」
「原始反射の統合は何回やればいいですか?」
そういった意味では栄養療法は具体的な数値で計算しやすいのでウケたのかもしれませんね。
つまり、治らない問題の本質は対象者の欲している雰囲気や「心地よい」がわかならいことにある。
そういったものをキャッチするためには、まず自分の心地よいがわかる必要がある。
だって、自分の心地よいを通して、他人の内側の世界から出るメッセージを察していくものだから。
子どもの問題を解決したいと思うのなら、まず自分の問題、課題と向き合わなきゃ。
親自身が変わる姿を見て、子どもは自分も変わりたい、治りたいと思うのです。
親は変わらないけれども、子である自分は変われ。
傲慢ですね。
それでは子は治っていきません。
「課題を持っている人と、その課題を作った人にしか治せない」というのも、私が行う発達援助の根底に流れている自然な原理原則なのです。
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