【No.1289】治すことが役割になる子ども達

この前、私の発達相談を同席した支援者さんから、「愛着障害のあるなしって、どうやったらわかるんですか?」という質問がありました。
なぜ、わかるかと言われれば困っちゃうのですが、だいたい会った瞬間、わかります。
だって、顔に「愛着障害あり」って書いているんだもん(笑)
独特の雰囲気がありますね。
時間の経過の中でも、その愛着障害オーラ(?)が溢れたり、穏やかになったり。
そんなのもわかります。
ですから、その変化を見ながら、コアな部分を探っていくんですね。
もちろん、溢れすぎて危険な場合は、話を逸らすことも行います。


で、お子さんと親御さんの愛着障害の関係性を見ていきます。
お互いどんよりしているご家庭もありますが、だいたい子どもさんの愛着障害が薄くて、親御さんの愛着障害が濃い場合が多い気がします。
子ども達は気づいているんですね、親御さんが一生懸命愛そうとしていることを。
だけれども、親御さんのほうは、ちゃんと我が子を愛せているか、自分には母性がないのかもしれない、自信がなくて不安に思っている。
このように意識化できている親御さんは不器用ながらも、我が子を愛し、それに対して子ども達は愛情を感じている。
だから、親御さん>お子さん、という愛着障害の関係性が多い。


一方でお互いがどんよりしているご家庭というのは、親御さん自身が気がついていない場合が多い。
気がついていないというか、意識の下、無意識レベルでの認識という人が多いと思います。
冒頭でお話しした支援者さんも、「愛着障害があるって聞いてビックリした。反対に明るくて、愛情たっぷりなお母さんに見えていたから」と言っていましたので。
愛着障害のもっとも大変なところは、こういった無意識レベルの、もっといえば、無意識レベルに押しやっている、自分自身で無意識的に蓋を占めている人達なんです。


無意識レベルに愛着障害を持っている人達というのは、一人でいる場合、また表面的な付き合いをする場合、その問題が表出しません。
ですから、いわゆるよそ行きの顔のときは、むしろ明るくて元気なお母さんに見えたりする。
が、他人と関係性を結ぶような場面が来ると、愛着障害が顔を出す。


愛着障害とは、他人との関係性の障害、課題だといえます。
なんで、他人と関係性ができるとき、その歪みが出るんです。
その歪みを見て、私は具体的にどのあたりの、どの時期の、どういった出来事、環境に対して歪みが生じたかを当てを付けていきますね。
「ああ、胎児期、不安が強かったかな」
「お腹にいるとき、嫌な言葉を聞いちゃったかな」
「赤ちゃんの時、あまり目を合わせてもらえなかったかな」
「自分のタイミングではなく、おっぱいが終わりになったかな」
「きょうだいが生まれたタイミングでの不全さかな」
これまたイメージではありますが、目の前にいるお母さんに重なって小さな女の子が泣いているとか、赤ちゃんが丸まっているとか、そんな姿が見えるんですね。


振り返れば、7月頭の講座でも愛着障害について結構、強く言っていたように思います。
愛着障害も三代続きますし、ぶっちゃけ発達障害が治ってなくても、愛着障害が治った、ない人のほうが自立していますね。
別の言い方をすれば、なんか治っていかないよね、なんかもう一歩のところで止まっているよね、というご家庭を見れば、問題の本質が発達のヌケや遅れじゃなくて、愛着形成のほうだったりする。


胎児期から2歳前後、言葉を獲得する前の段階に起きる発達のヌケや遅れ。
となれば、その間の育つ環境は、どうしてもお母さんのお腹の中だし、お母さんとのおっぱの時間だし、お母さんとのスキンシップだったり、お母さんとの見つめ合い、遊びだったり。
そのお母さんという環境、つまり、お母さんと子どもの関係性に歪みがあれば、伸びやかな発達にならない、発達しきれない、というのは自然なことになるでしょう。


講座の中で、「なんのために発達障害を治そうとするのか?」という話をしたと思います。
我が子の発達障害がわかったあと、いろいろと調べていく中で、自分がやったことが発達を阻害していたことに気がつく人もいる。
もともと普通の子だったのに、誤った環境が脳や発達を歪ませた。
その子を必死に治そうとすることで、自分の過去の過ちをどうにかしたいと思う。
ここまでは愛着障害ではなく、普通の親心。
というか、"治す"ではなく、元の流れに戻れるよう"育てよう"になる。
だけれども、そんな我が子のことをもともと発達障害だったかのように言ってしまう点に、愛着形成の歪みを感じざるを得ません。
そこに無意識レベルの責任回避、責任は外にある、自己防衛、他者評価、他人の目が気になるなどの生き方が表れ、辿っていけば親御さん自身の親との関係性の歪みが顔を出します。
で、他の家庭、家族、親子関係が気になり、無意識的に同じような関係性で接してしまう。
またその子自身も他人の目を気にしながら生きようとする。


どの親御さんも、我が子を発達障害にしようなんて思っていないはずです。
できるだけのことをしてあげたい、より良い発達をしてもらいたいと思い、胎児からずっとあれこれやってきた。
ある意味、子どもにマスクをつけさせる親御さんも、同じなのかもしれません。
だけれども、もう隠しきれないくらいマスクの弊害、過剰な感染対策の影響が出てきています。
「言葉に遅れがあるんです」
「表情が出ないんです」
「他人と関わらず、一人で過ごしているんです」
そういった相談が増える一方で、これからが本番といった感じでしょう。
そんなとき、親御さんとして、自分がやってきたことに対して向き合えるか。


そこに向き合うためには、親御さん自身の愛着形成が関わってきます。
自分の親との関係性の中で、伸びやかな発達、成長ができていたのなら、根本に目を向け、腹を決めることができる。
一方で親御さん自身に課題があれば、「あのときは仕方がなかった」という想いが出て、そのバツが悪いのを隠すために、我が子を治そうとする。
意識、無意識を問わず、自分のために我が子を治そうとすれば、そこに新たな愛着形成の歪みが生じる。
治すことが役割になる子ども達。
たとえ、そのときの発達のヌケが埋まったとしても、愛着形成の歪みは残り続けます。
それが子どもさんの友達関係、親との関わり方に出てきて、それはそれで自立を妨げる。


愛着形成に歪みを持った人達は、自分の親にできなかった関わり、想いを他人にぶつけようとするものです。
発達障害といわれた若者たちからの相談もありますが、その根っこは発達のヌケではなく、愛着のヌケ。
だから、私に対して甘えたり、わざと怒らせるようなことをしたり、試し行動をしたり。
自分自身でもなぜ、こんな行動をしてしまうのかわからない人も多いですね。
言葉以前の愛着障害は言葉での認識ができませんので。
「社会性の問題・障害」といわれるものの中には、愛着形成の歪みによる他人との関係性を築けないことが本質ということが少なくないと思います。


というようなことをブログにすると、愛着障害を持つ人、無意識レベルで持っている人は、気がひけて問い合わせができなくなる(笑)
そういった方は、自分の課題と向き合う覚悟ができてからご連絡ください。
子どものことを「あれができない」「これができない」と言っている間は、どうしても対症療法になり、根本からアプローチできませんので。




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