【No.1287】夏の宮島にて想う

月曜日の午後、広島出張から函館に戻ってきました。
厳密に言えば、呉市の出張になります。
呉市の相談員さんが毎年呼んでくれていて、今年がちょうど5年目でした。
5年前はというと、ちょうど広島県の豪雨災害のときで、「行くのやめにしますか?」と尋ねると、「待っている人達がいるから」とそのまま決行したのを思い出します。
道路もあちこち寸断されていて、発達相談のあとは車が入れない場所に住む方に一緒に水を運ぶこともしました。


私は支援者という人達が嫌いですし、学校の先生も嫌いです。
ですが、この呉市の相談員さんは違うのです。
目の前にいる子ども、大人、家族が少しでも良くなるのなら、どんなことでもやる。
たとえ朝早くだろうが、夜遅くだろうが、すべてを投げ打ってさえも必要なことは行う。
しかも全部、無意識に、本能でやっている。
もちろん、それくらいの人だからこそ、間違ったことに対しては心から叱るし、拒否もする。
一緒に泣いたり、笑ったり。
その人が自立したと聞けば、わんわん泣ける人なのです。
なかなかいませんよ、こういった相談員さん、支援者さん。


5年前、初めてお会いした瞬間、「この方は、目一杯、子ども時代に愛されて育った人だ」というのが見えました。
実際、お話ししても、やはり特に母親からの深い愛情を受けて育ってきたことがわかりました。
溢れるくらいの愛情を受けて育ってきたからこそ、溢れるくらいの愛情を周囲に手渡すことができる。
まるで瀬戸内海に登る太陽みたいな方です。


「スーパーバイザーをお願いしたい」
「うちの事業所でコンサルをしてもらいたい」
「雇ってください」
「一緒にそばについて、学ばせてください」
といったお話はいただくことがあります。
でも、無理。
まず愛着障害の人と長い時間、一緒にいるのが疲れるんですね。
純粋にアセスメントの視点や発達援助のアイディアなどを教えたいのに、というかまずは目の前にいる子が一番大事で、その子がよりよく変わっていけるための時間にしたいのに、どうして私があなたの愛着障害をケアしないといけないの。
まずはご自身で治してからお越しくださいって感じ。


時々、強者がいて、「私、昔愛着障害があったんですけど、治したんですよ」という人がいます。
しかし愛着障害は、そんなに簡単なものではない。
どの時期の愛着障害かもあるし、階層的でとても複雑です。
だいたい意識レベルに上がっている愛着障害は氷山の一角であって、その下、無意識レベルはその何倍も深くて大きいものがあります。
ここが根っこ。
だから、「愛着障害治った!」という人も、次の衝撃があると、ポキッと折れたり、元通りになったりしているのです。
だから、それまで頼ってくれていた存在が自分から離れようとすると、心がざわつき、不安定になるのです。
「治った」と「ラクになった」のはき違えですかね。
愛着障害は治す必要があるものですが、時間がかかるし、思考パターン、支援者で言えば、その助言、援助、支援方法すべてに影響を与えるので、また同時に愛着障害を持つ当事者、親御さんと対峙すると揺り戻しが生じるので難しい。


呉市の相談員さんは、溢れるくらいの愛情を受けて育っているので、常にポジティブだし、助言が的確。
その助言は発達障害が治るといった範囲ではありませんが、その子が、その家族が、幸せな方向へと進んでいけるための助言です。
治せる知識、技術は後天的に学んでいけば身につき、実践することができる。
だけれども、心からの充実感、幸せを感じる心と身体、そしてこの世に対する、この世に生まれてきたことに対する安心感は体感している人にしか伝えられることができない。


技術や知識レベルで素晴らしい先生や支援者さんはいます。
でも、心、感覚、身体、無意識レベルで、その人の人生全般に影響を与えるような支援、援助ができる人は稀有。
だって、与えるよりも、与えて欲しいから人と関わる仕事を選んでるんだもん。
無意識レベルのドロドロとした課題が、対象者の自立を妨げているのに気づくことができない。
そういった意味でも、特別支援、福祉の世界には近づかないほうがいいし、近づいても短期で離れる必要がある。


呉市に行くと、朝8時から夜の8時までみっちり発達相談です。
移動の車中も、訪問したご家庭のまとめと、別のケースについて助言。
5年間で、50家族以上の家庭訪問を行い、ほとんどのご家族が良い変化と卒業をされています。
分単位のスケジュールではありますが、その限られた時間でも、真剣に話を聞いてくださる親御さん達、本人達。
さらに相談員さんが、私が帰ったあとも、定期的に確認しながら、本人の自立、卒業のために頑張ってくださっている。
愛着障害のない、むしろ愛情あふれるような相談員さんだからこそ、3日間の発達相談を一緒に行なうことができていると思っています。
たぶん、この相談員さんじゃなかったら、私はムリ。
支援者を育てるくらいなら、一人でも多くのご家庭に行き、本気で我が子のことを想う親御さんに私の持っているすべてをお渡しした方が良いと思っているから。


例年なら2泊3日の滞在で、着いた瞬間から帰りの飛行場で車を降りるその瞬間まで仕事なのですが、今回は午後の便がないため、3泊4日にしました。
そのため、初めて呉市以外に行くことができ、宮島・厳島神社まで観光に出かけました。
宮島についたのは、もう夕方だったのですが、多くの観光客がいてビックリ。
ちゃんとノーマスクの啓発活動もしてきて、外国人観光客、たぶん米軍基地の家族5~6組くらい、あと日本人カップル、小さな子ども達多数が、私の顔を見たあと、マスクを外してくれました♪
日本を占領している軍人が、日本の意味不明な空気を読むんじゃないよ、って感じ。
何よりも5年前に買った広島観光の雑誌が役に立ってよかったです(笑)
夏の夕方の宮島から見た海はとてもきれいでした。
今回も、多くのご家庭、子ども達とご縁を頂き、ありがとうございました。
頑張って報告書を作成します!




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