【No.1158】保身列島ニッポン

道内でもワクチン(?)、新薬(?)の摂取が始まり、高齢者施設での様子が伝えられていました。
摂取したご高齢の方が「これで安心しました」と言っていましたが、その"安心"とは何をもっておっしゃっているのか。
たぶん、2019年まで長い間、mRNAワクチンが認可されなかったという事実も、長期的な効果と副反応についてはまだ明らかになっていないということも知っているわけではなく、ただ施設職員や病院関係者、またマイクを向けてきた人たちから「ああ、よかったね、安心だね、おばあちゃん」と言われたのを素直に受け取り、純粋に「これで安心しました」とコメントしていたのでしょう。


たまたまテレビをつけると、「ワクチンが足りない」と叫んでいるコメンテーターが出ていました。
いつから日本は、「自分さえ良ければそれでいい」というような人間を生むようになったのでしょうか。
どう考えても、欧米に比べればさざ波程度、誤差程度でしかない波と陽性者数なのですから、他国で作ったものを優先して持ってくる必要はないでしょう。
欧米からすれば、また途上国からすれば、「日本よりも我々だろう」と思うはず。
私がこの国の指導者なら、「どうぞお先に使ってください」とワクチンを本当に必要な国に渡します。
それこそ、ワクチン外交ってやつです。


国内の利権争いで勝手に自分たちで医療崩壊を起こそうとしていて、その一方で他国よりも先にとワクチンをもってこようとする。
しかも、その利権争いの中心が、「発熱者はお断り」などと病院の扉に貼る始末。
病気で苦しんでいる人がいるのに、自分がかかったら困るからと患者さんを診ない、なんてことはあり得るのでしょうか。
そんなんだったら「医者を辞めてしまえ」と思うのです。
たとえ自分が病気にかかる危険性があったとしても、患者さんを救おうとするのが医学を志した人間の務めだと思うのです。


学校の一番の目的は、子ども達の学びと成長をサポートすることだと思います。
それがいつの間にか、「子どもの命が大事」とそれらしいことを言い、マスクを強要しているのです。
19歳以下で一人も死者が出ていない病気で、全国2100万人くらいの子ども達、若者たちがもう1年以上も脳神経に悪影響を及ぼす酸欠状態で日に何時間も過ごしている。
神経発達に問題が生じる子ども達は2020年を機に、また増加の一途を辿るでしょう。
それも子ども達の成長を保障すべき学校が後押ししているのです。
「マスクを任意にすると、する子としない子がいて…」が学校の常套句になっています。
これは学校が平等の意味をはき違えている証拠。
平等とは皆が同じ条件、状態になることではなく、それぞれに合った方法を取捨選択できる自由を保障することです。
ただ管理しやすいように、ただクレーマー対策のために、もっといえば、保身のために「一律〇〇」としているだけを「平等」と言ってほしくない。
コロナ騒動を経験し、日本に特別支援教育の理念は根付かないし、実現は不可能だと私は悟りました。


学校同様、子どもの発達を守るべき存在である小児科の医師からぜんぜん声が上がってこないのはどうしてでしょうか。
何度か小児科の組織から声明が出されましたが、そば屋の出前状態で、一向に実物のそばがやってこない。
ただ声明を出すだけではなく、周知徹底できるように啓発しないんでどうするんです。
結局、あんたたちも保身で仕事をやっているのか、と思ってしまいます。


そして日頃、発達障害を専門にしている医師、支援者たち。
この一年間で何をしていたのか。
まったくもって存在感がありませんでした。
やったことといえば、あいも変わらず、決まり切った支援方法のレクチャーと、惰性でやっている青いお祭りくらい。
専門にしているのが「神経発達症」の子ども達なのですから、神経発達の観点からコロナ騒動が及ぼす発達の影響を訴えることができたのに、と思う一方で、やっぱり「神経発達症」と捉えていないから、「自分たちには関係がない」というスタンスなんだと感じます。
手の洗い方の手順書??
家での過ごし方の構造化??
神経発達に注目できない専門家たちに、そもそもが神経発達症の子ども達の課題を解決するアイディアも、知見もなく、期待するだけ無駄だということです。


国民に安心を与えるべきトップが、一年中、不安を煽っています。
専門家は客観的なデータよりも、自己顕示欲にまみれた個人的な意見を述べ、医師は患者を診ることを拒否し、マスコミは切り貼りした情報を垂れ流す。
この日本に、自らの職責を果たそうとする人間、たとえ批判にさらされたとしても真実を伝えようとする人間、我が身よりも世の中全体の幸福のために行動できる人間はいなくなってしまったのでしょうか。


外でマスクをして歩いている高齢者に、「すれ違っただけでうつることはない」というのを伝えてあげる人はいないのか。
あんなペラペラのマスク一枚で得られる安心とはなんだろうか。
そんなものにすがることでしか生きられないほど、この社会の大人たちはだらしないのか、考える力がないのか、と改めて思うのです。


ヒトはいずれ死にます。
長く生きてもたかだか100年くらいなものです。
そうやって700万年の間、ヒトは生まれ死んでいった。
だからこそ、次の世代に何を残すか、少しでもより良いものを渡していけるか、が重要になってくるのだと思います。
自分の仕事を全うするということは、まさに次の世代により良いものを残すための務め。
子ども達はその未来そのものなのですから、発達・成長・命を守るために闘える大人たちがもっと増えなければならないと思います。
そのためには、まず大人たちが学び、考え、行動できるようになる必要がある。
ですから、これからもこの仕事を続けている限り、子ども達のポジティブな変化のための後押しと、特に親御さん一人ひとりが闘っていけるための情報提供を続けていきたいと考えています。




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