志を共にする支援者さんと
共働きの子育て世代ですから、子どものことに、家のことに、仕事のことに、てんやわんやの毎日を送っております。
ですから、私が出張するのにも、妻の理解と協力が必要です。
福岡→函館マラソン→広島という週末を快く送りだしてもらいました。
そんな妻が、広島から帰ってきた私に一言。
「あなたの仕事は、必要とされなくなるのが目的だもんね。また一歩、目標に近づけたね」と。
基本的に、私は支援者という人達を信じていません。
だって、支援することで成り立つ仕事でしょ。
支援される人がいるから支援者でい続けられる。
そして何よりも、「私には支援する人がいる」と思いたがっている。
つまり、弱い立場の人を使って、「必要とされる自分」を感じ、自分の存在意義を確かめたり、愛着障害を癒そうとしたりしている。
ですから、口では自立だ、なんだ、と言っているけれども、本気で自立を望んでいる支援者はほとんどいません。
というか、それを心から望めないのが支援者の性なのです。
じゃあ、お前はどうなんだ、支援者だろう、と言われそうですが、私は出発地点から異なります。
私が支援したいのは、親御さんであり、もっといえば、子育てです。
あくまで、私の仕事の中心は家庭支援。
それは、学生時代からずっと思い描いていたことです。
だからこそ、「24時間の生活を知らなければならない」と思い、大学卒業後は24時間型の入所施設に就職したのです。
支援者、学校の先生からも、「勉強させてほしい」「うちの施設に来て、アドバイスが欲しい」「一緒に連携して活動を」などというお話をいただくことがあります。
しかし、だいたいそういった依頼は上辺だけで、私が関わった家庭を紹介してほしい、ですとか、名前や人脈を頂戴したい、ですとかばかりです。
勉強したいという気持ちが伝わってくる人でも、なぜ、スキルアップしたいかが、私の考えと違います。
私は、支援者という職業を無くすために仕事をしてます。
でも、スキルアップすることで、「自分のとこにお客さんがたくさん来てほしい」「良い支援、助言ができる自分を見て欲しい」というように、支援を止める気がない、むしろ、支援し続けるためにスキルアップを目指す、というのは、私と考え方、方向性が異なるのです。
親御さんから求められれば、私は自分の持っている視点、技術、アイディア、あらゆるものをすべて差し出します。
だって、親御さんは心から自立してほしいと願っているから。
目の前の我が子をラクにしたい、治ってほしい、とただそれだけを願い、真っ直ぐな目で私を見つめてくれるから。
そんな真っ直ぐな眼差しを向けてくれる支援者さんがいます。
私は、この人だったら、すべてをお渡ししたいと思えるような支援者さんです。
広島での出張では、この支援者さんと3泊4日、朝8時半くらいから夜は22時くらいまで、トイレ以外の時間はほぼ一緒という具合に過ごしました。
移動中の車内でも、「どうして、あのようなアドバイスになったのか?」「これから、どうすれば、ラクになってもらえるだろうか?より良く育っていくか、治っていくか?」と途切れることなく投げかけてくださいました。
この支援者さんは、心から子ども達に、親御さん達に「ラクになってもらいたい」「治ってほしい」と思っていることが伝わってきます。
私よりも、キャリアも、経験も、ずっと上の方です。
でも、「私には力がないから」と言いながら、だからこそ、「この地域のために、子ども達、家族のために」と私に声をかけてくださいました。
しかも、自腹を切って呼んでくださった。
だいたい支援者というのは、自腹を切らないものです。
というか、自分を磨くことに自腹が切れない人、金の出し渋りをする人は、どの職業でも大成しません。
自分を磨くのに、お金をかけずに、何に出すんだ、と思います。
自慢じゃないけれども、組織に所属していたときだって、研修に行くときは全部自腹でした。
あるけれども、見たこともない有休をどうにかお願いして使い、貯めたお金で、全国に研修に行っていました。
自分を磨くには、自分でお金を出さなければ、身につかない。
「勉強させてくださ~い」というメールや電話がきますが、タダで教えてもらおうとする人が多すぎです。
冒頭で述べたように、私は支援者を信用していないし、考え方も違うから、支援者を育てようと思うこともないですし、興味もない。
というか、同じ時間を使うのなら、我が子のことを一生懸命に想う親御さんのために使いたい。
私だって、いつまで生きるか分からない。
だったら、与えられた時間を、自分の家族のために、そして同じ志を持つ全国の人達と共に使いたいと思うのです。
実は、広島のこの支援者さんも、昨年呼んでくださったときには、「本当に治るん?」「改善とか、成長なんじゃないの」という半信半疑の気持ちだったのです。
しかし、昨年も同じように地域を周り、そして、一年間、身体アプローチ、言葉以前のアプローチについて本や研修、講座で学ばれたそうです。
子ども達、親御さん達が変わっていく様子を見て、気持ちや考えが変わっていきました。
何よりも、「治るという方向性は、子ども達、親御さん達に前向きな話と歩みができるから、本当にうれしい」と仰っていました。
出張するときは、私一人ですし、お会いするご家族とは、ほとんどがその日、一回限りの面会になります。
「初めまして」と「さようなら」が同じ日。
ですから、自分自身の変化には気づきづらい状況です。
支援者さんから、「一年前よりも、見たてと方向性を出すスピードが早くなった」と最後に感想をいただきました。
もしかしたら、一年前よりも、自分自身も成長できたかもしれない、と思い、嬉しかったです。
しかし、早くなった分、雑になる危険性もありますので、より質の高い見立て、アドバイスができるようになることが、これからの目標だと思います。
3泊4日で、講演会と9家族の訪問支援を行いました。
帰りの飛行機の中で、最初に思ったのが、「もっと勉強したい」ということです。
ということは、この4日間で、自分の持っているものを出しきれたということ。
空っぽになったから、新たなものを入れたくなる。
全力を出しきったから、また一段階、次に進むことができる。
これは、子育て、発達援助でも、同じこと。
子ども達は、一つのことをやり切ると、次の発達段階へ進んでいく。
この支援者さんと過ごした4日間は、私にとっても、幸せな時間でした。
ですから、私が出張するのにも、妻の理解と協力が必要です。
福岡→函館マラソン→広島という週末を快く送りだしてもらいました。
そんな妻が、広島から帰ってきた私に一言。
「あなたの仕事は、必要とされなくなるのが目的だもんね。また一歩、目標に近づけたね」と。
基本的に、私は支援者という人達を信じていません。
だって、支援することで成り立つ仕事でしょ。
支援される人がいるから支援者でい続けられる。
そして何よりも、「私には支援する人がいる」と思いたがっている。
つまり、弱い立場の人を使って、「必要とされる自分」を感じ、自分の存在意義を確かめたり、愛着障害を癒そうとしたりしている。
ですから、口では自立だ、なんだ、と言っているけれども、本気で自立を望んでいる支援者はほとんどいません。
というか、それを心から望めないのが支援者の性なのです。
じゃあ、お前はどうなんだ、支援者だろう、と言われそうですが、私は出発地点から異なります。
私が支援したいのは、親御さんであり、もっといえば、子育てです。
あくまで、私の仕事の中心は家庭支援。
それは、学生時代からずっと思い描いていたことです。
だからこそ、「24時間の生活を知らなければならない」と思い、大学卒業後は24時間型の入所施設に就職したのです。
支援者、学校の先生からも、「勉強させてほしい」「うちの施設に来て、アドバイスが欲しい」「一緒に連携して活動を」などというお話をいただくことがあります。
しかし、だいたいそういった依頼は上辺だけで、私が関わった家庭を紹介してほしい、ですとか、名前や人脈を頂戴したい、ですとかばかりです。
勉強したいという気持ちが伝わってくる人でも、なぜ、スキルアップしたいかが、私の考えと違います。
私は、支援者という職業を無くすために仕事をしてます。
でも、スキルアップすることで、「自分のとこにお客さんがたくさん来てほしい」「良い支援、助言ができる自分を見て欲しい」というように、支援を止める気がない、むしろ、支援し続けるためにスキルアップを目指す、というのは、私と考え方、方向性が異なるのです。
親御さんから求められれば、私は自分の持っている視点、技術、アイディア、あらゆるものをすべて差し出します。
だって、親御さんは心から自立してほしいと願っているから。
目の前の我が子をラクにしたい、治ってほしい、とただそれだけを願い、真っ直ぐな目で私を見つめてくれるから。
そんな真っ直ぐな眼差しを向けてくれる支援者さんがいます。
私は、この人だったら、すべてをお渡ししたいと思えるような支援者さんです。
広島での出張では、この支援者さんと3泊4日、朝8時半くらいから夜は22時くらいまで、トイレ以外の時間はほぼ一緒という具合に過ごしました。
移動中の車内でも、「どうして、あのようなアドバイスになったのか?」「これから、どうすれば、ラクになってもらえるだろうか?より良く育っていくか、治っていくか?」と途切れることなく投げかけてくださいました。
この支援者さんは、心から子ども達に、親御さん達に「ラクになってもらいたい」「治ってほしい」と思っていることが伝わってきます。
私よりも、キャリアも、経験も、ずっと上の方です。
でも、「私には力がないから」と言いながら、だからこそ、「この地域のために、子ども達、家族のために」と私に声をかけてくださいました。
しかも、自腹を切って呼んでくださった。
だいたい支援者というのは、自腹を切らないものです。
というか、自分を磨くことに自腹が切れない人、金の出し渋りをする人は、どの職業でも大成しません。
自分を磨くのに、お金をかけずに、何に出すんだ、と思います。
自慢じゃないけれども、組織に所属していたときだって、研修に行くときは全部自腹でした。
あるけれども、見たこともない有休をどうにかお願いして使い、貯めたお金で、全国に研修に行っていました。
自分を磨くには、自分でお金を出さなければ、身につかない。
「勉強させてくださ~い」というメールや電話がきますが、タダで教えてもらおうとする人が多すぎです。
冒頭で述べたように、私は支援者を信用していないし、考え方も違うから、支援者を育てようと思うこともないですし、興味もない。
というか、同じ時間を使うのなら、我が子のことを一生懸命に想う親御さんのために使いたい。
私だって、いつまで生きるか分からない。
だったら、与えられた時間を、自分の家族のために、そして同じ志を持つ全国の人達と共に使いたいと思うのです。
実は、広島のこの支援者さんも、昨年呼んでくださったときには、「本当に治るん?」「改善とか、成長なんじゃないの」という半信半疑の気持ちだったのです。
しかし、昨年も同じように地域を周り、そして、一年間、身体アプローチ、言葉以前のアプローチについて本や研修、講座で学ばれたそうです。
子ども達、親御さん達が変わっていく様子を見て、気持ちや考えが変わっていきました。
何よりも、「治るという方向性は、子ども達、親御さん達に前向きな話と歩みができるから、本当にうれしい」と仰っていました。
出張するときは、私一人ですし、お会いするご家族とは、ほとんどがその日、一回限りの面会になります。
「初めまして」と「さようなら」が同じ日。
ですから、自分自身の変化には気づきづらい状況です。
支援者さんから、「一年前よりも、見たてと方向性を出すスピードが早くなった」と最後に感想をいただきました。
もしかしたら、一年前よりも、自分自身も成長できたかもしれない、と思い、嬉しかったです。
しかし、早くなった分、雑になる危険性もありますので、より質の高い見立て、アドバイスができるようになることが、これからの目標だと思います。
3泊4日で、講演会と9家族の訪問支援を行いました。
帰りの飛行機の中で、最初に思ったのが、「もっと勉強したい」ということです。
ということは、この4日間で、自分の持っているものを出しきれたということ。
空っぽになったから、新たなものを入れたくなる。
全力を出しきったから、また一段階、次に進むことができる。
これは、子育て、発達援助でも、同じこと。
子ども達は、一つのことをやり切ると、次の発達段階へ進んでいく。
この支援者さんと過ごした4日間は、私にとっても、幸せな時間でした。
地元の人達から人気のあるお店に連れていってもらいました♪
他にも美味しい連れていってもらったのですが、写メできませんでした( ;∀;)
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