我が子を授かったときの想い
以前、面談した親御さんから連絡をいただきました。
あれから毎日、コツコツ育て直しをやっています、と。
目が回るようになったし、背中の過敏さが落ち着いてきた、とのことでした。
本人も前向きに取り組んでいるようですが、何よりもお母さん自体が、とっても前向きで、元気になったような印象を受けました。
面談の際、何度も、「私が子育てをしていたとき、この子の子ども時代は、そんな話を誰もしてくれなかった」とおっしゃっていました。
とにかく支援が大切なんですと「支援」「支援」「支援」の子育てだったそうです。
問題が起きるのは、「事前の準備が足りないからだ」と言われ、事前に先回りし、問題が起きそうなものは取り除き、そういった場所には行かず、周囲に配慮を求め続けた。
自分の中でも理解しきれないままに、「家庭でも視覚支援を」と言われ、見よう見まねで作ったカードの数々。
先回りに、視覚支援、挙句の果てに、我が子のパニックは、無視をする…。
生まれつきで、脳の障害だから、特別な支援が必要。
問題が起きれば、配慮が、支援が、知識が、足りなかっただからと自分自身を責める。
そんな月日を、成人した我が子の年齢の分だけ経験してきた親御さんは、このご家族以外にも多くいるのだと思います。
我が子を授かったとき、親は「あんなことがしたい、こんなことがしたい」と思うもの。
どこの世の中に、最初から「我が子の支援がしたい、療育がしたい」と考える親がいるのでしょうか。
きっとこの親御さんも、そうだったはず。
でも、我が子の障害がわかり、必死に専門家、支援者、先生の言うことを聞いて、今日まできたのです。
この親御さんは、きっと動きたいタイプの人。
他人のために何かをすることが喜びで、それでご自身がますます元気になる、という雰囲気がありました。
ですから、本人が一人で育てていく方法よりも、育み合って育てていくような方向でお話をしました。
すると、お母さんはみるみるうちに顔が明るくなっていき、最後には「成人した我が子だけれども、この子のためにまだできることがあるってわかって本当にうれしい」と涙を流されていました。
その涙の中には、したかった子育てができなかった、という想いも含まれているような感じがしたのです。
実は、世代に関わらず、未発達の部分、ヌケている部分の育てる方法を提案や紹介しますと、同じように涙を流される親御さんが少なくありません。
その様子をそばで拝見していますと、「治る」という希望が見えたこと以上に、普通の子育てができる、していいんだ、という安堵感の方が強いような気がします。
どの親御さんも、療育や支援が良いと言われるからやっているのであって、本心では葛藤があり、自分の気持ちに正直になれていない部分があるのだと思います。
たとえ、同年齢の子ども達と比べて発達の遅れがあったとしても、普通の子育て、自然な子育て、そして何よりも自分が思い描いていた子育てがしたい、というのが皆さんの本心ではないでしょうか。
昭和は、「親の育て方、しつけが」と言われていた時代です。
その揺り戻しで、「親のせいではありません」が強調された平成。
確かに、発達障害になるのは、親のせいではないかもしれません。
でも、出生後の発達の仕方、その歩み方には、大きな影響を与えるのが親であり、家族です。
育て方では発達障害にはならないけれども、未発達な部分を親が育てようとしなければ、発達のヌケや遅れは残り続け、同世代の子ども達の差は広がるばかり。
なんでもかんでもが「親のせいではない」になってしまった結果、親は責められることが減ったと思います。
でも、いつしか、普通の子育て、しつけの部分まで、「親のせいじゃないよ」と言われるようになってしまった。
そうやっていくうちに、「いいよ、母さん、私達、専門家がやるから」と、普通の子育ての部分にまで支援者が入り込んでいき、その主体性まで奪ってしまった。
それが私の見てきた平成の特別支援の世界。
日本の特別支援の創成期に活躍した有名支援者が、私の上司だったとき、こんなことを良く言っていました。
「入所施設に入ってくるとき、排泄が未自立、一人で食事が摂れない、ってどういうことなんだ。これは、障害云々ではなく、家庭でのしつけ、子育ての範疇だろう。でも、それをいいよいいよ、という支援者がいて、学校の中で教えますよ、なんていう教師がいる。そんなことをしていたら、この国の障害児者は、どんどん何もできなくなっていくんだ」
まさに予想通りの未来がやってきています。
支援者が、子育ての主導権を奪ってから、障害を持った人達の自立は遠のいていっています。
私の事業の目的も、私のライフワークも、『親御さんが伸びやかに、楽しみながら行える子育て』です。
なので、本来は、どうやったら、より良い子育てができるか、子どもの資質だけではなく、親御さんの、家族の資質と併せて、考えていくことが仕事だと思っています。
でも、それ以前に、奪われた子育ての主体性を取り戻す、ということも仕事の一つになっています。
令和の時代になって、超早期診断を受けるような親御さんであっても、未だに「普通の子育てではダメ。それはできない」というようなメッセージを受け取り、悩み苦しんでいる人達がいます。
早期診断は、より良い子育てのための一歩であるはずなのに、特別支援という枠へ組み込まれるための通過儀礼になってしまっている。
時代が変わっても、支援者はまだ親御さんから子育ての主導権を奪おうとするのだろうか。
そんなにも、支援者でいること、支援することが大事なのだろうか。
冒頭で紹介した親御さんは、育て直し、いや、子育てを楽しんでいるような雰囲気を感じました。
ずっと抑えてきた感情、エネルギーがやっと解放できた感じです。
本人もよく「気持ちいい」というそうですし、その姿を見て、お母さんも嬉しい気持ちでいっぱいだということです。
「うちの子を、もう一度、育て直して、ラクな身体に育ててあげることが、私の目標です」とおっしゃっていた親御さん。
その言葉には、喜びと前向きな感情がにじみ出ていました。
子どもを授かったときの想いと繋がるお手伝いができて、私自身も嬉しかったです。
言葉以前の発達段階へのアプローチなのですから、本人にとって名も無い遊びが大事なように、自然な親子の育みが大事なのは当たり前なのです。
子育ての主導権を奪われてはいけませんし、誘導されて渡してもいけません。
ごく自然に流れる親子の歩みの中に、発達がある。
普通のことはしないで、特別なことをしようとするから、特別な子になってしまうのです。
あれから毎日、コツコツ育て直しをやっています、と。
目が回るようになったし、背中の過敏さが落ち着いてきた、とのことでした。
本人も前向きに取り組んでいるようですが、何よりもお母さん自体が、とっても前向きで、元気になったような印象を受けました。
面談の際、何度も、「私が子育てをしていたとき、この子の子ども時代は、そんな話を誰もしてくれなかった」とおっしゃっていました。
とにかく支援が大切なんですと「支援」「支援」「支援」の子育てだったそうです。
問題が起きるのは、「事前の準備が足りないからだ」と言われ、事前に先回りし、問題が起きそうなものは取り除き、そういった場所には行かず、周囲に配慮を求め続けた。
自分の中でも理解しきれないままに、「家庭でも視覚支援を」と言われ、見よう見まねで作ったカードの数々。
先回りに、視覚支援、挙句の果てに、我が子のパニックは、無視をする…。
生まれつきで、脳の障害だから、特別な支援が必要。
問題が起きれば、配慮が、支援が、知識が、足りなかっただからと自分自身を責める。
そんな月日を、成人した我が子の年齢の分だけ経験してきた親御さんは、このご家族以外にも多くいるのだと思います。
我が子を授かったとき、親は「あんなことがしたい、こんなことがしたい」と思うもの。
どこの世の中に、最初から「我が子の支援がしたい、療育がしたい」と考える親がいるのでしょうか。
きっとこの親御さんも、そうだったはず。
でも、我が子の障害がわかり、必死に専門家、支援者、先生の言うことを聞いて、今日まできたのです。
この親御さんは、きっと動きたいタイプの人。
他人のために何かをすることが喜びで、それでご自身がますます元気になる、という雰囲気がありました。
ですから、本人が一人で育てていく方法よりも、育み合って育てていくような方向でお話をしました。
すると、お母さんはみるみるうちに顔が明るくなっていき、最後には「成人した我が子だけれども、この子のためにまだできることがあるってわかって本当にうれしい」と涙を流されていました。
その涙の中には、したかった子育てができなかった、という想いも含まれているような感じがしたのです。
実は、世代に関わらず、未発達の部分、ヌケている部分の育てる方法を提案や紹介しますと、同じように涙を流される親御さんが少なくありません。
その様子をそばで拝見していますと、「治る」という希望が見えたこと以上に、普通の子育てができる、していいんだ、という安堵感の方が強いような気がします。
どの親御さんも、療育や支援が良いと言われるからやっているのであって、本心では葛藤があり、自分の気持ちに正直になれていない部分があるのだと思います。
たとえ、同年齢の子ども達と比べて発達の遅れがあったとしても、普通の子育て、自然な子育て、そして何よりも自分が思い描いていた子育てがしたい、というのが皆さんの本心ではないでしょうか。
昭和は、「親の育て方、しつけが」と言われていた時代です。
その揺り戻しで、「親のせいではありません」が強調された平成。
確かに、発達障害になるのは、親のせいではないかもしれません。
でも、出生後の発達の仕方、その歩み方には、大きな影響を与えるのが親であり、家族です。
育て方では発達障害にはならないけれども、未発達な部分を親が育てようとしなければ、発達のヌケや遅れは残り続け、同世代の子ども達の差は広がるばかり。
なんでもかんでもが「親のせいではない」になってしまった結果、親は責められることが減ったと思います。
でも、いつしか、普通の子育て、しつけの部分まで、「親のせいじゃないよ」と言われるようになってしまった。
そうやっていくうちに、「いいよ、母さん、私達、専門家がやるから」と、普通の子育ての部分にまで支援者が入り込んでいき、その主体性まで奪ってしまった。
それが私の見てきた平成の特別支援の世界。
日本の特別支援の創成期に活躍した有名支援者が、私の上司だったとき、こんなことを良く言っていました。
「入所施設に入ってくるとき、排泄が未自立、一人で食事が摂れない、ってどういうことなんだ。これは、障害云々ではなく、家庭でのしつけ、子育ての範疇だろう。でも、それをいいよいいよ、という支援者がいて、学校の中で教えますよ、なんていう教師がいる。そんなことをしていたら、この国の障害児者は、どんどん何もできなくなっていくんだ」
まさに予想通りの未来がやってきています。
支援者が、子育ての主導権を奪ってから、障害を持った人達の自立は遠のいていっています。
私の事業の目的も、私のライフワークも、『親御さんが伸びやかに、楽しみながら行える子育て』です。
なので、本来は、どうやったら、より良い子育てができるか、子どもの資質だけではなく、親御さんの、家族の資質と併せて、考えていくことが仕事だと思っています。
でも、それ以前に、奪われた子育ての主体性を取り戻す、ということも仕事の一つになっています。
令和の時代になって、超早期診断を受けるような親御さんであっても、未だに「普通の子育てではダメ。それはできない」というようなメッセージを受け取り、悩み苦しんでいる人達がいます。
早期診断は、より良い子育てのための一歩であるはずなのに、特別支援という枠へ組み込まれるための通過儀礼になってしまっている。
時代が変わっても、支援者はまだ親御さんから子育ての主導権を奪おうとするのだろうか。
そんなにも、支援者でいること、支援することが大事なのだろうか。
冒頭で紹介した親御さんは、育て直し、いや、子育てを楽しんでいるような雰囲気を感じました。
ずっと抑えてきた感情、エネルギーがやっと解放できた感じです。
本人もよく「気持ちいい」というそうですし、その姿を見て、お母さんも嬉しい気持ちでいっぱいだということです。
「うちの子を、もう一度、育て直して、ラクな身体に育ててあげることが、私の目標です」とおっしゃっていた親御さん。
その言葉には、喜びと前向きな感情がにじみ出ていました。
子どもを授かったときの想いと繋がるお手伝いができて、私自身も嬉しかったです。
言葉以前の発達段階へのアプローチなのですから、本人にとって名も無い遊びが大事なように、自然な親子の育みが大事なのは当たり前なのです。
子育ての主導権を奪われてはいけませんし、誘導されて渡してもいけません。
ごく自然に流れる親子の歩みの中に、発達がある。
普通のことはしないで、特別なことをしようとするから、特別な子になってしまうのです。
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