2019年7月24日水曜日

障害名(仮)

幼少期についた診断名には、(仮)がつくのは当たり前のこと。
特に、自閉症、ADHD、LD、知的障害というような診断に関しては、“現時点で”、“検査、診断したとき”は、「〇〇障害だよね」「〇〇障害の診断項目に該当するね」って感じです。
今まさに人生の中で一番盛んな発達期を過ごす子ども達なのですから、これからの発達によって、どのようにも変わっていくのです。


現在、いかに早く診断名が付けられるかが、世界的なトレンド、専門家の同士の腕比べになっているようですが、本来、そんなことはどう~でもよいこと。
大事なことは、その子がより良く発達していけるにはどうしたら良いか、という未来のお話なのですから。
いくら1歳で診断ができるようになったとしても、「じゃあ、その1歳までの発達のヌケをどう育てるか?」という視点がなければ、意味がないのです。
まさに、昆虫採集と一緒。
それは、本人、家族のためではなくて、診断する者の趣味嗜好のレベル。


診断名が変わっていくのは、当たり前。
ですから、本当は診断名によって、「支援級だ」「支援学校だ」と決められるのはおかしなことなのです。
さらにいえば、一度支援級に入った子が、普通級に転籍するのに相当な労力がいるのもおかしい話。
何故、就学前についた(仮)の障害名をそのまま、6年間、引き継ぐのでしょうか。
挙句の果てに、中学まで引き継ごうとする。


いやいや、就学前と今を比べれば、大きく変わるに決まっているでしょ。
就学前に知的障害があったって、その後の発達によって、知的障害が軽度化していくし、標準域に入ることも普通にあります。
自閉症という診断だって、未発達な部分が育てば、治ります。
ですから、支援級の場合は特に、同じ学校内に普通級もあるのですから、そのときの発達段階、状態によって、柔軟に行き来できれば、と思いますし、それが本来の個別支援、インクルーシブ教育だったのではないのでしょうかね。
どうも、教育という名のお役所仕事のように思えることが多々あります。


私のところに相談をくださる方達の年齢が、本当に低くなったと感じます。
事業を始めた当初は、就学前の子どもさんからの相談があれば、早いなと思ったのですが、今は1歳、2歳、3歳くらいの子どもさん達が多くなっています。
明らかに利用される方達の年齢の中心が低い年齢へ、低い年齢へと移ってきています。


そんな年齢の低い子の親御さんに対して、最初に尋ねるのが、「診断を受けたときに、ちゃんと(仮)の説明がありましたか?」ということです。
皆さん、「そんな話は聞いたことがない」と口をそろえて言われます。
それどころか、「風邪のように治らない障害」「生涯、支援が必要になります」「早期に療育を受ければ、その子らしく成長することができますよ」というような平成初期から続く定型文ばかり。
超早期診断に熱を上げ、それが一般的になるのは良いけれども、説明は平成のままってやめてくれよな、って思います。


1歳で診断がついたけれども、向かった先が、「治りません」というギョーカイ団体。
いくら治る時代になっても、いくら診断名は(仮)であるという前提になっても、運用する先が、行き着く先が、旧来のままなら、なんも意味がない。
ただ支援が早く始まり、支援期間が伸びるだけ。
就学前後の診断だったら、その間に治ってしまう子もいただろうに、その可能性、機会すら奪ってしまいかねない現状。
1歳、2歳で診断しても良いけれども、そのとき、ちゃんと「(仮)だからね、お母さん」「発達していく中で、診断名は変わっていくし、外れていくこともあるからね」と説明してもらわなきゃ困ります。


どこの世界に、1歳、2歳の子どもの未来がわかる人がいますか。
DNAが、その子の人生のすべてを決定づけているわけではないし、そもそも発達障害の診断で遺伝子検査は行われていない。
超早期診断だって、表情とか、視線とか、共同注視があるか、指さしがあるか、といった行動観察。
1歳児に指さししなかった子が、あとから指さしするようになることなんて珍しくもなんともないですし、反対に目が合って、指さしもあった子が、2歳以降、急にやらなくなることもあります。


そんなのは当然なんです。
ヒトが、どのように発達していくのか、遺伝的な面を発現させていくか、なんか予測はできません。
この子が、どんな環境、刺激の中で育っていくかがわかったら、それこそ、オカルトの世界です。
超早期診断も、普通(?)の診断も、血液型占いか、星座占いかの違いみたいなものです。
ですから、せめても「これは占いですよ。信じる信じないかはあなた次第」くらいは言ってほしい。
それが(仮)の説明だと思うのです。


1歳とか、2歳とか、3歳の子の親御さんが、(仮)を知らなかったばかりに、「この子には、たくさん支援を受けさせることが幸せになる」と思い込み、未発達な部分を育てるよりも、我が子の子育ての時間を楽しむよりも、幼い子を連れて、何時間もかけて、何か月も待って、蕎麦屋の出前みたいな療育、支援を受けに行く姿を見るたびに、私は悲しくなります。
何百回も言いましたが、早期診断早期療育で突き進んでいった先進地域の元子ども達は、バスに揺られて、今日も明日も明後日も変わらぬ日々を過ごしているのです。
早期診断、早期療育は、「自立して生きていくために」と言われてたのですよ。
これだったら、先進地域以外の障害を持った人達の方が、自由な子ども時代を過ごし、ガチガチな脳、身体にならずに、作業所に通えています。
先進地域で早期療育を受けてきた高機能の人達までも、作業所に行く現実を見た方が良いのです。


「診断名(仮)」を流行らそうと、私は思っています。
だって、せっかく授かった命、我が子ですから。
子ども時代で一番かわいい時期、愛しい時期を、とにかく必死で療育に通ったという思い出だけで埋めて欲しくなのです。
「泣いている我が子を抱きかかえて、療育に通っていました」というお話は、親にとっても、子どもにとっても、不憫で仕方がありません。


朝のテレビの占いで12位だったとしても、明日は1位かもしれない。
そんな感じでいいんじゃないですかね。
だって、どんな明日が来るかは、誰にも分からないのですから。
(仮)だからこそ、治る可能性だってありますし、治っていく子がいるのも自然なのです。

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