エビデンスは見えないけれども、治った人は見ることができる
昨日のブログ『障害名(仮)』には、多くの反響がありました。
その反応は、私が実際にお話しした親御さん達の反応と似ていましたので、それだけ大前提を抜かされた説明、支援に囲まているのだと思います。
一方で、「私が診断を受けたときは、ちゃんと“障害名は変わることがある”と説明があった」という話を教えてくださった親御さん達がいました。
そういった親御さん達に共通していたのが、実際、お子さんの診断名が変わり、というか、診断名が外れ、治っていった方達でした。
最初に説明してくれたお医者さんの説明は正しかったですし、お子さんもそのように成長していったのです。
もちろん、親御さんの力もあると思います。
しかし、じゃあ、診断された当時、我が子が幼く、突然の「障害」と出会ったときに、「障害名は変わることがあるよ、お母さん」と言われていなかったら…。
もしかしたら、今、治って、社会の中で同世代の人達と同じように生きている子ども達の未来が変わっていたかもしれません。
その障害名をそのまま丸飲みし、思いっきり療育、支援、理解の世界へと突き進んでいた可能性もあるのではないでしょうか。
医師、専門家の一言は、家族のあり方、子どもの未来を変えてしまう。
現在の知見、科学では、発達障害かどうかの根拠を誰も示すことができません。
だったら、その無力さをまず自分たちが受け入れた上で、アドバイスなり、サポートなりすべきだと、私は思うのです。
診断基準に照らし合わし、スコアを付けることはできても、何故、発達障害なのか、その原因と理由を説明できません。
それなら、そのようにちゃんと話をするべきです。
「スコアをつけたら、自閉症の診断基準に該当していた。だけれども、これは今日見た中での結果であって、明日、1年後、将来、どのようになるかまでを示したものではありません。知的障害があると判定された子も、成長と共に正常域になっていったなんて珍しくないんですよ」
そういった一言が添えられていれば、どれだけ多くの親御さん達が、子育てを諦めず、我が子がより良く成長できるように頑張ろう、と前向きになれたか。
同時に、子どもは基本的に親を選べないし、育てられ方の選択肢もないのです。
ということは、極端なことを言えば、1歳とか、2歳とか、人生が決まるかもしれない、本人の意思表明ができるようになる前に。
何も分からないまま、少なくとも子ども時代は、障害児として生きる道が用意されてしまう。
実は、発達障害が治るも、治らないも、その根拠はどちらにもないのです。
ただ分かっているのは、発達とともに障害名は変わっていくこと。
そして揺るぎがない現実として、幼少期に障害名が付いた子の中に、診断基準を満たさなくなった子がいること、社会の中で、学校の中で、同世代の人達と同じように生きていること。
研究や論文では、肯定も、否定もできますが、実際に治った人の存在まで否定することはできません。
だって、その人がそこにいるから。
エビデンスは見えないけれども、治った人は、この目で見ることができる。
真面目な話として、最初にどういった専門家と出会うか、がとても重要だと思います。
未だに(昭和じゃなくて令和ですよ、令和!一年後は東京オリンピックなのに!!)、「一度付いた障害名は変わることがない」と本気で思っている専門家たちがいるのですから。
また中には、こういった大前提を知っていても、敢えて説明しない人もいるのです。
だって、支援したいから、僕の存在意義を確認するために、私が食べていくために。
発達障害は、“発達期”に生じるのですから、発達の仕方によって変わっていくのは当たり前でしょ。
治った人と治らなかった人の違いは、些細なきっかけなのかもしれない。
だからこそ、治った人達がいることを発信していくのは、今の子ども達のためにも、社会のためにも必要なことなのです。
根拠のないインチキ占いよりも、治った人の生の声。
「治った人がいるんだ」
「一生涯の支援ではなくて、自立できた人がいるんだ」
それがわかるだけで、どれだけの親御さん達が前向きに歩んでいけるか、子ども達の可能性が広がっていけるか。
たとえ、診断時に(仮)の説明がなかったとしても、自分が住んでいる地域に、そういった考えの人、治った人がいなかったとしても、全国には大勢の治った人達と、治ってほしいと願っている人達がいます。
お会いした人達にはお伝えしていますが、まだブログでは紹介できていませんでした。
【治そう!発達障害どっとこむ】
会員登録が必要なわけでも、料金がかかるわけでもありません。
同じ志を持つ人達が、ただただ心から治ってほしいと願い、交流しているサイトです。
自由に覗けて、いろんな方達の物語が見られます。
インチキ臭い私のブログですが、このサイトをご覧いただければ、(仮)が本当だったんだと分かって頂けると思います(笑)
その反応は、私が実際にお話しした親御さん達の反応と似ていましたので、それだけ大前提を抜かされた説明、支援に囲まているのだと思います。
一方で、「私が診断を受けたときは、ちゃんと“障害名は変わることがある”と説明があった」という話を教えてくださった親御さん達がいました。
そういった親御さん達に共通していたのが、実際、お子さんの診断名が変わり、というか、診断名が外れ、治っていった方達でした。
最初に説明してくれたお医者さんの説明は正しかったですし、お子さんもそのように成長していったのです。
もちろん、親御さんの力もあると思います。
しかし、じゃあ、診断された当時、我が子が幼く、突然の「障害」と出会ったときに、「障害名は変わることがあるよ、お母さん」と言われていなかったら…。
もしかしたら、今、治って、社会の中で同世代の人達と同じように生きている子ども達の未来が変わっていたかもしれません。
その障害名をそのまま丸飲みし、思いっきり療育、支援、理解の世界へと突き進んでいた可能性もあるのではないでしょうか。
医師、専門家の一言は、家族のあり方、子どもの未来を変えてしまう。
現在の知見、科学では、発達障害かどうかの根拠を誰も示すことができません。
だったら、その無力さをまず自分たちが受け入れた上で、アドバイスなり、サポートなりすべきだと、私は思うのです。
診断基準に照らし合わし、スコアを付けることはできても、何故、発達障害なのか、その原因と理由を説明できません。
それなら、そのようにちゃんと話をするべきです。
「スコアをつけたら、自閉症の診断基準に該当していた。だけれども、これは今日見た中での結果であって、明日、1年後、将来、どのようになるかまでを示したものではありません。知的障害があると判定された子も、成長と共に正常域になっていったなんて珍しくないんですよ」
そういった一言が添えられていれば、どれだけ多くの親御さん達が、子育てを諦めず、我が子がより良く成長できるように頑張ろう、と前向きになれたか。
同時に、子どもは基本的に親を選べないし、育てられ方の選択肢もないのです。
ということは、極端なことを言えば、1歳とか、2歳とか、人生が決まるかもしれない、本人の意思表明ができるようになる前に。
何も分からないまま、少なくとも子ども時代は、障害児として生きる道が用意されてしまう。
実は、発達障害が治るも、治らないも、その根拠はどちらにもないのです。
ただ分かっているのは、発達とともに障害名は変わっていくこと。
そして揺るぎがない現実として、幼少期に障害名が付いた子の中に、診断基準を満たさなくなった子がいること、社会の中で、学校の中で、同世代の人達と同じように生きていること。
研究や論文では、肯定も、否定もできますが、実際に治った人の存在まで否定することはできません。
だって、その人がそこにいるから。
エビデンスは見えないけれども、治った人は、この目で見ることができる。
真面目な話として、最初にどういった専門家と出会うか、がとても重要だと思います。
未だに(昭和じゃなくて令和ですよ、令和!一年後は東京オリンピックなのに!!)、「一度付いた障害名は変わることがない」と本気で思っている専門家たちがいるのですから。
また中には、こういった大前提を知っていても、敢えて説明しない人もいるのです。
だって、支援したいから、僕の存在意義を確認するために、私が食べていくために。
発達障害は、“発達期”に生じるのですから、発達の仕方によって変わっていくのは当たり前でしょ。
治った人と治らなかった人の違いは、些細なきっかけなのかもしれない。
だからこそ、治った人達がいることを発信していくのは、今の子ども達のためにも、社会のためにも必要なことなのです。
根拠のないインチキ占いよりも、治った人の生の声。
「治った人がいるんだ」
「一生涯の支援ではなくて、自立できた人がいるんだ」
それがわかるだけで、どれだけの親御さん達が前向きに歩んでいけるか、子ども達の可能性が広がっていけるか。
たとえ、診断時に(仮)の説明がなかったとしても、自分が住んでいる地域に、そういった考えの人、治った人がいなかったとしても、全国には大勢の治った人達と、治ってほしいと願っている人達がいます。
お会いした人達にはお伝えしていますが、まだブログでは紹介できていませんでした。
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同じ志を持つ人達が、ただただ心から治ってほしいと願い、交流しているサイトです。
自由に覗けて、いろんな方達の物語が見られます。
インチキ臭い私のブログですが、このサイトをご覧いただければ、(仮)が本当だったんだと分かって頂けると思います(笑)
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