【No.1213】発達障害を子育ての領域に取り戻す
実質、濃厚接触者になった受験生の試験不可が取り消されました。
これは最初から織り込み済みで、「試験不可の通知→世論からの反発→首相の指示で撤回」が一つのストーリーになっていたと推測されます。
日本は共産主義の独裁国家ではありませんので、憲法、法律を超えて、このようなことなどできるわけがありません。
それに大学共通テストまで約三週間前のタイミング、年末で公官庁が休みに入るタイミングで、「じゃあ、そのように試験体制を準備しなきゃ」なんて物理的にもできるわけがありませんね。
ですから、このストーリーで何を得ようとしていたのか、裏の意図を想像することが大切です。
南アフリカはワクチン接種率も26.6%で、すでにピークアウト。
現地の専門機関からの報告では、重症者も、死者もほぼいない。
一方で日本はブースター接種が始まりますが、秋くらいからずっと地を這うような陽性者数。
全国の重症者が38人で(一つの県に一人もいない計算!)、医療崩壊の心配はない状況。
ちなみにイギリスがこの頃、毎日10万人(日本の人口で考えたら20万人)を超えていますが、医療崩壊していませんね。
つまり、濃厚接触者の試験不可の茶番劇は、ターゲットが若者、受験生と家族。
どうして、ここまで接種の流れを作るのかの背景は分かりませんが、デルタよりも症状が軽いものに変異したので喜ばしいことだと思います。
ほとんどの人が無症状で、亡くなる人がいないのなら良いのでは??
そういえば、去年の分までインフルエンザが大流行する設定だったのでは??
信頼し合える人間同士なら考える必要はないと思いますが、たいていの場合は表の意図と裏の意図があるものです。
ですから、この仕事をしていて医師や専門家、支援者、学校の先生などの話をそのまま受け取ってしまう親御さんが多いことに対して、私は驚くばかりです。
どうしてその日、初めて会った医師の言葉を無条件に信じることができるのでしょうか。
ましてや、他の疾病とは異なり、発達障害の生物的なマーカーは存在していません。
どう頑張っても、その医師の主観が入りますし、人間ですから当然間違うこともあります。
さらに、その日の子どもさんの状態だって、いろんな条件によって変化するものです。
診察室で見える姿は、その子の一部分でしかありませんね。
「生まれつきの障害」と支援者たちが好んで使うのは、そういうと親御さんが傷つかないからです。
もっといえば、自分が親御さんを傷つけたくない、そういった発言を避けたい、自分が批判されたくない、というだけです。
「生まれつきの障害」というのなら、その証拠を出してみなさい。
破水したとき、赤ちゃんがオギャーと生まれるとき、「はい、この子は発達障害」「はい、この子は定型発達」と産婦人科医の他に、発達障害専門の医師が立ち合い、出産したのでしょうかね(笑)
そもそもが自閉症、発達障害を客観的な指標で証明することができないのですから、生まれつきと言うのも嘘八百です。
支援者が好んで使う「生涯に渡る支援」というのは、本人にそれが必要だからではなく、「長く御贔屓に」「末永くご利用を」という意味です。
本当にその人の臨む支援をしようとするのなら、本人の生きづらさをクリアし、できるだけ支援が必要ない状態まで変わっていけることです。
学校が言う「支援級へ」という提案は、どうなったらまた普通級に戻っていけるかという見通しとセットなら子どもさんの学習、成長を考えてになりますが、行ったっきりでその後の見通しがないのならそれは姥捨て山のように思われても仕方がありません。
支援級に行くのは、普通級で学ぶよりも、より豊かに学習や成長ができるから、であるはずです。
「支援級へと言われちゃいました。どうしましょう」とうろたえる前に、そこは親として、保護者として、学校に確認すべき点だと思います。
コロナ騒動により不登校の児童、生徒が増加し、その結果、支援級や支援学校への転籍を勧められるケースが増えています。
学校に行けない=なぜ、発達の問題になるのでしょうかね。
交流がある現場の人達の声では、「家庭の問題を指摘しずらいから、発達の課題として受診を提案する」「30日ルールがあるから、不登校数にカウントしなくて済むように、特別な事情があります(発達の課題)としてしまう」などです。
管理職としては在校生の不登校数は、なにかと気になるご事情があるようで…ね。
為政者、組織、専門家など、相手との間に持っている情報の差を感じれば、自然と相手を自分の望むべき方向へ背中を押そうとするものです。
自分が理想とする人になってもらうようにコントロールしようとする場合もあれば、自分の意のままにコントロールしたいという場合もあるでしょう。
純粋に「目の前の人が幸せになってほしい」とただその一点のみで、我が身を投げ打ってもと行動できる人は、家族などの身内か、よっぽどの信頼関係を築いた人だけだと思います。
この2年間で国も、専門家も、国民一人ひとりの幸せなんか、考えていないのはよくわかったでしょう。
ハッタツの世界だって、本気で一人ひとりの幸せを願っていたら、支援漬け、福祉漬けなんかにはしないはずです。
いまだに「生まれつきの障害」「社会に理解をー」なんて言っているのが、何よりもその証拠です。
本人の内側にある違和感、生きづらさ、不便さを改善しようとしないのですから。
2022年は児童デイサービスの大きな見直しが予定されています。
サービスの質の問題が挙げられていますが、結局、増加の一途を辿る児童デイとそれに関わる予算で、これ以上出せない、これからは投入する税金を減らしていく、という意思だと考えられます。
表だって、「予算が増えすぎたので減らします」と言うと、「障害児の福祉を減らすのか」「この子達の放課後の権利は」などと言う声が上がり、左系の人と一緒に要望書の連発が目に見えています。
ですから、事業者のせいにしつつ、お金を減らしていくだけ。
このように国の意思は示されました。
なので、今まで通り、のほほんと支援を受けていればいいや、というおうちから一気に大変なことになっていくでしょう。
発達障害児にとっては、福祉が面倒見てくれる時代は終わったといえます。
メッセージとしては、家でしっかり育てなさい、もしサービスを受けたいのなら地域にある民間のサービスを実費で使いなさい、ということ。
医療的ケア児がここ10年で2倍に増えたのですから、どう考えても、この子達への支援のほうが必要度、切迫度が高い。
2022年は今までのツケを払う年であり、個人的には大掃除の年だと思っています。
緊急事態宣言下で、療育などに行かなくても、家庭で伸びることが明らかになりました。
ギョーカイの「理解をー」という啓発も、ほこりのかぶった療育法の講習会も、この社会的な緊急事態では助けにもなりませんでした。
この2年間で、診断を受けた親御さんは、実践的な講演会には参加できていないでしょう。
なので、ギョーカイが、支援者が、「我が子の役に立った」という実感がない親御さん達だといえるのです。
中途半端にギョーカイと関わる親御さんのほうが、なかなか抜けられず、ずるずる治らない道を歩む傾向がありますので、この点は良かったと思っています。
発達障害は医療が専門の分野ではありません。
もちろん、専門的な支援、療育を受けなければならないものでもありません。
発達障害児を育てるのではなく、発達に遅れやヌケがある我が子の子育てにすぎないのです。
コロナでいろんなものを得た専門家たちが騒動を終わらせたくないように、発達障害というブームで儲けてきた人たちも終わらせたくないと抵抗するでしょう。
しかし、この2年間で白昼にさらされたのは揺るぎない事実。
ちょうど良いタイミングで、児童デイの見直しが行われます。
従来の専門家、療育、支援が退場する2022年。
「発達障害を子育ての領域に取り戻す」のが私の目標、願いでもありますので、来年から始まる新たな年を楽しみにしています。
【先行予約のお知らせ】
12月3日より出版元である花風社さんで新刊の予約の受けつけが始まりました。
花風社さんで直接お申込みいただけると、特製のミニクリアファイルがついてきます。
書店で並ぶよりも早く読むことができますので、是非、ご利用ください。
ご予約はこちらから→https://kafusha.com/products/detail/56
前著『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』もどうぞよろしくお願い致します(花風社さんのHPからご購入いただけます)。全国の書店でも購入できます!お正月休みの読書に♪帰省、ご旅行の御供に♪
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