ある高等支援学校、現場の叫び

ある高等支援学校の先生が「もう辞めたい」と言っていました。
とてもじゃないけれど、授業ができる状態ではないそうです。
自分は何のために教壇に立っているのかわからなくなるくらいの状況とのことでした。


これが教師の経験、力量の問題だとしたら、「もう辞めたい」という発言に同情はできないでしょう。
しかし、私はその言葉に不憫な気持ちになりました。
まったく教科学習をしてこなかった、またはその力が全然ついていない生徒ばかり。
その一方で、関わりを多く求めてくる、良い関わりも、悪い関わりも。


小学校、中学校と支援学級で学んできた子ども達が、高校でも就職訓練だけではなく、より普通の高校のカリキュラムに近い形で学んでいきたいと思うことは自然なことであり、そういった希望に沿う学びの場が増えることは良いことだと思います。
普通高校には通えないけれど、特別支援学校は…という生徒のニーズに応えるべく、その中間に位置するような高校は増えてきています。
実際、どこの学校も、希望者、入学者が増えているそうです。


このような学校に入ってくる生徒たちの多くは、支援学級で学んできた子たちです。
支援学級ということですので、当然、教科学習もしてきたはず。
しかし、実態は基本的な学力が身についていない。
知的障害がない生徒もいますし、あっても軽度の子ばかりですので、まったく勉強ができない、身につかない子ということはありません。
じゃあ、どこに課題があるのか。


聞いた話ですし、実際に生徒を見たわけではないので、私が想像したことを書きます。
私が関わっている支援学級在籍の小学生、中学生に共通してみられるのが、学校で教科学習に力が入れられていないことが挙げられます。
その一方で、教師との関わりが強いというか、大人がキーになって動いている姿です。
同級生との関わり、集団での関わりへと発達しておらず、対教師、対大人で止まっている印象を受けることが多いです。
こういった子ども達が、普通高校と特別支援学校の中間に位置するような高等支援学校へと進んでいるのではないか。
そして、9年間で基礎的な学力を身に付けていないから、高校で授業をしても意味が分からない。
意味が分からないから授業を集中して受けられないし、少人数の中でより濃い先生との関わりをしてきたから、その関わりを高校の先生との間でもやろうとしているのではないか。
そう思うのです。


普通高校で学んでいくのは難しい。
支援学級在籍で通知表の評価がついていないので、普通高校を受験できない。
だけれども、まだまだ勉強がしたい。
そう思う生徒がいて、それを願う親御さんがいます。
実際に、教科学習をコツコツ積み重ねてきた子もいます。
しかし、そういう希望を持って進学した高校、そういった希望を叶えようとする社会と先生がいる中で、冒頭の学校のような授業が成り立たない状況が生まれている。
本当に残念なことです。
このままでは、支援学級が支援学校化したように、普通高校のカリキュラムに近い形の高等支援学校も支援学校と変わりがなくなってしまいます。


普通学級で学ぶのは難しかったけれども、しっかり9年間で学び、基礎的な学力、姿勢を身に付けている生徒が多ければ、そこまで大きな問題にはならないでしょう。
でも、実際は、しっかり学んできた生徒が一部。
これでは高い意識があっても、しっかり生徒を育てることができないと思います。
その無念さを冒頭の先生の言葉から感じました。


私は学校の基本は、教科学習であり、その力をしっかり養うのが一番の目的だと思います。
結局、小学校、中学校で、それができていなければ、新しい学び場ができたとしても、どんどん支援学校化していき、その先には教育ではなく、福祉化が待っているのだと思います。
「支援学級に在籍していた子にも、高校で教科を学ぶ機会を」という新しい芽は大切に育てていかなければなりません。
そのために私ができることは、しっかり学べるための発達援助であり、土台作りのお手伝い。
また、こういった実態を幼い子の親御さんに伝えていくことだと考えています。

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