「治って嬉しい」

昨晩、放送されたNHKスペシャル『人体 神秘の巨大ネットワーク』を観て、革命と言われるくらい医学が発展し、変わっていることを知りました。
以前は、治らなかった病が治るようになっている。
それは技術面の発展とともに、「病気を治したい」「患者さんを救いたい」という想いで、臨床に励み、研究されている多くの医師たちの存在を感じました。


この番組内でもそうですが、いろいろな番組、文章で、山中教授は「治って嬉しい」と発言されます。
とてもシンプルな言葉ですが、こういったシンプルな想いが人を医師にするのだと思います。
治ってほしいから、治したいから、医師を志す。


不治の病と呼ばれている病気、障害を治そうとしている人達がいる。
人類がガンを克服する日のために、挑んでいる人達がいる。
そして、自閉症、発達障害の完治を目指し、原因の特定、薬の開発を目指している人達がいる。
それぞれの道で、それぞれ「治す」というゴールを目指し、歩んでいる。


医学界の中にも、発達障害を治そうとする人達がいます。
でも、臨床医の中には、特にギョーカイ活動をしている医師たちは、「治りません」と言います。
ここで、いつも私は疑問に思うのです。
「治りません」と言う医師は、多くの医師が持っているであろう「治ってほしい」「治したい」という想いを持っていないのだろうか、と。


「現代、医療では治らないけれど、いつかは治したい」と思っているのか、それとも、「これからも治らないし、治ってほしくない」と思っているのか。
どうも、治そうという意志が伝わってこないですし、治らない現状を良しとしている印象を受けます。
医師を志したからには、皆さん、治ってほしいという想いを持っているのではないのでしょうか。
治したいという想いを持ち続ける人が研究者の道へ、治したくない人が臨床の道へ進む、なんてことにはなっていないと思いますが…。
とにかく医師の中で「治らない」とはっきりと言い、治さない、治そうとしない自分自身の診療に堂々としていられる人がわからないのです。


思想や腕の問題で、自分の食い扶持のために「治りません」と主張するのは、想像がつきます。
しかし、治そうと研究している同じ医師に対し、揚げ足とりをしたり、その治そうとする姿勢を否定したりする意味がわかりません。
治そうと日夜研究している人達を応援すれども、否定する筋合いはないと思います。
だって、患者さんが治ってほしいと願うのが医師だと思うから。


全国には、発達の遅れやヌケを育て直し、発達障害を治している実践家の方達がいます。
そして、医学界の中にも、発達障害を治そうと研究されている方達がいます。
きっと近い将来、発達障害も医学的に治せる時代がくるのだと思います。
医学が治し、実践家も治す。
そうすれば、真っ先に消えてなくなるのが、「治らない」と言い、治療もしないで、啓発やペアレントなんとかをしている医師たちでしょう。


昨晩の番組を見て、発達障害の生物学的な原因がはっきりし、それに対する直接的な治療が行われるのも時間の問題だと思いました。
不治の病と呼ばれていた病気、障害が、ステージ4のがんと診断された患者さんが克服し、完治するようになっているのですから。
医学は、人類は、確実に治すという方向へと歩んでいます。
意地悪な見方をすれば、その流れを一番肌身で感じている人達だからこそ、危機感を持ち、懸命に「治らない」と主張し、その一方で治る時代になっても食い扶持がなくならないように啓発となんとかメンター、ライセンスビジネスで首をつなごうとしているのかもしれませんね。

コメント

このブログの人気の投稿

【No.1358】体軸が育つ前の子と、育った後の子

【No.1364】『療育整体』を読んで

【No.1369】心から治ってほしいと思っている人はほとんどいない