症状の集合体が『障害』になる

私は、治るを信じ、治すことが使命だと思い仕事をしていますが、私が直接かかわっている人の中にも、「本当に治るのだろうか」と思っている人はいます。
例え友達の紹介で話を聞いていたとしても、HPやブログを読んでいたとしても、「治らないから障害なのだ」という摺りこみから離れられない人がいても不思議ではありません。
ですから、お子さんを治すための発達援助を行うのと同時に、私が言う「治す」「治る」という意味をきちんと伝えるのも責務の一つだと考えています。


「障害」と聞くと、何か固定されたものがあるような印象を受けます。
しかし、診断基準を見てもらえば分かるように、症状がある一定以上集まったとき、その人に「障害がある」としているのです。
身体障害の人とは異なり、発達障害には具体的な症状があるわけではありませんので、一言に自閉症、発達障害と言っても、一人ひとりが全然違うのです。
治らないと思っている方には、症状の集合体が自閉症であり、発達障害であるというお話をします。


症状の集合体が"障害"なのですから、症状が減れば、"障害"には当てはまらなくなるということになります。
ですから、支援の考え方はとってもシンプルなもので、この症状の中で治りやすいものから治していく、というものになります。
例えば、聴覚過敏があって学校や生活に支障があるのでしたら、聴覚過敏の根っこを掴み、そこから育てなおしていく。
聴覚過敏が治れば、集中して勉強ができるかもしれない、学校に行くのがそこまで疲れなくなるかもしれない。
以前よりも余裕ができた分、また新たな取り組みや学びができるかもしれません。
そうやって芋づる式に、症状が治っていけば、いつの間には診断名が付かない状態まで治っているようになります。


発達障害を治すというのは、このように障害と呼ばれる症状の集合体の中から治しやすいところを見つけ、そこから一つずつ治していくことを言います。
なにか「発達障害を治す」というと魔法をかけたり、信仰的に聞こえたりするかもしれませんが、障害という塊で見るのではなく、症状の集合体と見てアプローチするということです。
治すための発達援助をしていて面白いのは、最初は治しやすいところを見つけ、一つずつ治していくのですが、一つ治ると別の症状も連なって治ることが多々あるのです。
こういった様子を見ると、成長はスモールステップではなく、始まったら一気に階段を駆け上がるようなものだといえます。


自閉症、発達障害は、スペクトラムです。
別の異次元に存在している人達ではなく、定型発達と呼ばれる私達と同じ連続体の中にいます。
私達だって症状を持っていますので、違いがあるとすれば、その症状の数と濃さです。
素晴らしい実践家の方たちによって、個別の症状を治す方法が明らかになっていますので、自分にある症状、我が子にある症状を一つずつ治していけば良いのです。
そして、その一つずつ治していく積み重ねが、障害と呼べない状態にまで成長、発達することであり、そこまで来れば、本人も生きやすく、より豊かな自分の人生を歩めるようになると思います。


治すというのは、障害を一気に治すという意味ではなく、症状を一つずつ治していった結果として障害が治っている、という意味です。
治るのを信じる人と信じない人の違いは、根本である自閉症、発達障害とはどういった障害であるか、という点での認識の違いがあるように感じています。

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