責任を味わう

若い世代の方達とお話をしていると、「責任を取らずに、ここまで来たのかな?」と感じる人たちがいます。
いざ、自分で責任を取らないといけない場面がやってくると、その責任の取り方を知らない。
何故なら、彼らは支援、配慮という名の“接待”を受けてきたために、常に責任は誰かが肩代わりしてくれていた。
または、「障害ガー」「社会の理解ガー」ってことで、周りにいる大人すら責任を取らなかった。
そんな姿が、過去が見える人もいます。


責任を取らずに歩んできた彼らも、自分がしたことの“結果”は見てきました。
でも、その結果は、純粋な結果ではなかったのです。


障害の有無に関わらず、成長する過程の中で、多くの失敗をします。
自分がしたことの失敗という結果を見ること、体験することで、失敗という概念を理解し、試行錯誤という生きる力を身に付けていきます。
たくさん失敗したことがある子の方が力強いのは、たくさん試行錯誤をしてきたからだといえます。


しかし、支援という名の接待を受けてきた子たちは、そもそも失敗の経験が多くありません。
それは、定型発達の子たちと同じように失敗したとしても、失敗という純粋な結果を見せてもらえなったと言い換えることができます。


配慮がなされることで、どっかのVIPですか並みに、どこに行っても、並ばなくても良いし、着いた瞬間に始められて、しかも他から影響を受けないような特等席が用意される。
支援がなされることで、失敗しそうになったら、すぐに手が差し伸べられるし、たとえ失敗しても、大きな失敗ではないように見せる支援が展開される。
中には、「一緒に責任を取る」という訳のわからない支援がなされ、本人の代わりに支援者が誤ったり、後始末をしたりすることもある。


情報処理の仕方、世の中の切り取り方、捉え方に違いがある自閉脳の人達に対し、支援や配慮は結果の姿を歪ませることもあります。
本当は、自分がやった行いで、他人を怒らせてしまった。
でも、本人が見えないところで、「あの人は、自閉症という障害があって」「悪気はないんだ、特性でもあるんだ」と説明し、本人が気づかないうちに責任をうやむやにしてしまう。
そういった支援や配慮を想像できなかった場合、本人に残るのは、自分に対し怒ってきた他人の姿だけ。
自分に責任があるのに、「あの人は怖い人だ」なんて誤って捉えてしまうこともあります。


また仕事場で、本人ができなかった分の仕事を支援者が代わりにやったりする。
実習なんかの場合には、「本人の自尊心、達成感を大切にする」というこれまた訳のわからない支援が展開され、賃金が減らされることなく、きちんと仕事をした人と同じ分のお金を貰う。
これでは、働く姿勢は養われません。
できなかった分、賃金が減らされるという結果を得ることで、真面目に働くことの大切さ、仕事ができるようになるための試行錯誤が生まれます。


遅刻したら、その分、給料を減らされるのは、その企業がブラック企業だからではありません。
授業の単位を落とすのは、その学校に、先生に、障害の理解がないからでも、配慮が足りないからでもありません。
接待慣れした人は、原因を自分の外に見ようとします。
今まで支障がなく、エスカレーターのように進めていたのは、気が付かないところで配慮や支援がなされていた場合もあります。
「自分は何でも出来るんだ」という誤解は、接待が作りだしたものといえます。


良い年齢の若者が、目の前に“責任”がやってくると、ボーと立ち尽くしたり、誰かの支援をただただ待つ、そして、その人が解決してくれるのを待つ、という姿を見ることがあります。
世の中の切り取り方、捉え方に違いがある人達だからこそ、きちんと結果を見せること。
配慮や支援という名で、結果を歪ませてはいけません。
例え失敗した結果だったとしても、それを直視できるようになれば、試行錯誤へとつながり、生きていく力を身に付けていくことになります。


野生の動物を見ても、親が獲物を捕ってくるのは幼いときまで。
ある段階まで成長すれば、子どもに狩りをさせます。
子どもに来る日も、来る日も失敗をさせ、どうすれば獲物を捕れるのか学ばせます。
これこそ、試行錯誤の始まりです。


人間は、野生の動物のように獲物を捕りに行くことがほとんどなくなりましたが、生きていくうえで試行錯誤する力は大切であり、試行錯誤するからこそ、成長できると思います。
だからこそ、試行錯誤につながる「責任を取る」という経験を子ども時代から積んでいってほしいと考えています。
「責任を取る」という音の雰囲気が良くないので、私は「責任を味わう」と言っています。


責任をしっかり味わうことがなく、大人になった若者たちを見ると、障害以外に配慮を受け、支援を受けたことの寂しさを感じるのです。

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