【No.1360】「隠れて〇〇問題」に視る構造
「うちの夫、隠れてテレビ見せているんです」
「うちの夫、決めた時間以上、ゲームをさせているんです」
「うちの夫、子どもと出かけたときは、糖質だらけのお菓子を食べさせているんです、なにしてんねん」
う~ん、何百回も聞いた悩み(笑)
結構、お母さんは一度決めたらストイックにやるけれども、多くの日常生活はお母さんが主で、子どもと二人の時間が長いので、週末限定ルールにイラっと来る。
「せっかく平日は頑張っているのに、週末になると…」
ここにジジババが加わると、カオス状態に。
ジジババはただ目の前にいる子がかわいいだけだから、孫が喜べばテレビは見せるし、お菓子もあげる(で、ごはん食べない)。
そしてこそっと「ママには言ったらあかんよ」と言ったりする(油投下!)。
子どもなんて反応が良いから、実家に行かなくても、どんな時間を過ごしてきたのか、手に取るようにわかるものを(笑)
夫やジジババに対する不満の気持ちは、よくわかります。
でも、「(隠れてテレビ見せているから)発達していかへん」というのは違うと思います。
昔は「一貫性のある支援」とよく言われたもので、家庭で暴れると、「ほら、学校と同じ支援ができないから」と根拠のない責任転嫁がなされていたものです。
それと一緒で、平日はテレビを見せないように頑張っているけれども、週末、私のいないところではテレビを見せちゃっているから…というのは、表面的な理由探しにほかならないですね。
確かにそういったご家庭は発達が進んでいきません。
それは夫が隠れてテレビを見せているからではなく…
●夫婦で子育ての方針がかけ離れている
●夫婦間の理解が足りない、コミュニケーションができていない
●妻(夫)の言葉を理解してくれるだけの信頼がない
●夫のせいにしてしまっている「私は悪くない」という思考
●自分自身で解決できない、解決に向かえない姿勢
●パートナーに本音が言えない=自分の親との関係性の問題、愛着のヌケ
●自分ではない他人が解決してくれるという甘え
●「テレビ=悪」という白黒思考による解釈の薄さ
●環境をコントロールできたら、子供の成長もコントロールできると思う傲慢さ
●問題の根っこを見ようとしない、そこから逃げようとしていること
●物事を単純化することで、本当は自分自身も子どもと関わりたくない、責任を持ちたない
●言ってることやってることの一貫性のなさ
●常に一発逆転を狙っている姿勢
●協働、共感の苦手さ
●自分の非を認められない弱さ、腹の括れなさ
ほか無数。
発達が遅れる、うまく進んでいかないのは、一つの現象です。
その背景には抑圧があるかもしれないし、悪影響があるからかもしれない。
何かしら不具合があり、ちぐはぐさがあるため、のびやかに育っていけない状態が「発達の遅れ」だといえます。
しかし、それは我が子だけに起きている現象であり、状態なのでしょうか。
つまり、我が子に起きていることは、母親にも起きているし、父親にも起きている。
そしてきょうだいを含めた家族という集団にも起きているし、親戚一同にも起きている。
そうやって同じ構造を見抜くことが、根本解決を目指すためのアセスメントだと私は考えています。
今回の「隠れて〇〇事件(笑)」ですが、そこには単にテレビを見せた、お菓子を与えた、というだけではない本質的な問題の構造があると考えるのです。
夫が隠れてテレビを見せるというのは、諦めという構造があるかもしれない。
それは「どうせ、妻に言っても怒るだけやし」という妻に対する諦め、また「どうせ、週末ちょっとテレビ見せたくらいでは変わらへん」「どうせ障害はそのままなんだから、無理してやってもやらなくても同じとちがう、知らんけど」という子に対する諦め。
で、その諦めの構造は、父親の内側にもあり、「どうせ俺なんか」という諦めや、自分の親から諦められた態度をとられた傷として存在している、といった感じでアセスメントを進めていきます。
これは神田橋先生がよくおっしゃっている「フラクタル構造」であり、東洋思想の捉え方、解釈の仕方ですね。
てらっこ塾は10年、その前のキャリアを含めると20年くらいこの世界にいますが、発達障害を子ども側(だけ)の問題として解釈している家庭は、いつまで経っても治っていきませんね。
表面的には「治った!」と言われるようなご家庭でも、根っこからは治っていなかったり、時間が経ってから問題の根っこが現れたり、世代をまたいで問題が生じたり。
結局、今の親御さん達の子どもさんに発達の遅れがあるのも、親御さんの子ども時代、当然、自分の親との関係性、家族という集団の中にも同じ構造があって、それが解決できないから孫の代に表面化しただけともいえるのです。
ジジババからの相談もあって、「うちの娘が困ってて」「孫に障害があって不憫で」「どうしてうちの孫に限って」などとおっしゃる方もいますが、「いやいや、あなたともつながっていますから」「いやいや、あなたも当事者ですから」と私はツッコんできましたよ。
今流行りの鉄タンパク不足だって、その最たるもので、そうやって食べる行為を大切にできなかったこと、自分の身体を大切にできなかったこと、命を育むという動物としての大切さを伝えられなかったこと、生理的な欲求よりも「他者からどう見られているか」「痩せているほうが美しい」という他人軸で育てたジジババにも問題があり、ジジババ自身にも自分の身体を大切にしてこなかった抑圧という構造があるかもしれない。
とにかく発達障害を「発達していけない状態」と捉えなおすことで、そこにある構造を見抜き、また自分やパートナー、家族、親戚、友人、仕事や学校へと広げていくことで、根本から治していくことを目指していくのです。
私は神田橋先生の言葉に感銘を受け、フラクタル構造という視点は大事にしています。
てらっこ塾は発達に課題を持つ子と家庭を後押しすることで、よりよい変化を目指す。
それがそのご家庭の知り合い、療育機関や学校へと広がっていき、最終的には社会全体がよくなっていく。
発達に遅れがあった子がよりよく育っていけるようになり、将来的に社会に飛び立ち、自分の資質を活かしてもらえるようなことになれば、社会全体が今よりも良いものに変わりますよね。
私の仕事は発達相談であり、発達援助ですが、常に目指すところはよりよい社会になっています。
良い構造も同じように広がっていくと信じていますので。
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