【No.1310】3世代のアセスメントと発達援助

先週の木曜日、最終便で東京へ行き、翌日の朝一の新幹線で愛知のご家族のもとに。
一日、愛知県内を回って次の日は関東を回って、日曜日の午前中、東京のご家族の発達相談を終えて、午後函館に戻ってきました。
同時進行で福岡と東京の出張の調整をしていて、訪問した子どもさん達の報告書を作成しつつ、途中で取材を受けながら、溜まっていたメール相談にお応えし、やっと息をついて今ここです。


取材中、気がついたのですが、「大変なことは何ですか?」と訊かれて、自分では大変さを感じていないことがわかりました。
「自分がやりたい仕事を自分で作ったから、大変さを感じていなんですよ」なんて自分の口から出て、「そういえば、結構ハードで、毎日毎日、なにかしたら発達相談を行っているけれども、疲れてないよな」と思ったり。
相談者の年齢も0歳の子もいれば、成人した人もいて、親御さんからの相談もあれば、ご本人からの相談もある。
みんな、同じ「発達障害」と言われているけれども、一人ひとり課題は異なり、根っこも異なる。
もっといえば、その悩み、生きづらさは「発達障害」からきていないこともあるし、そもそもそれって治す必要があるのかってこともある。


このように一人として同じ答えはないし、答え自体、存在しない。
だから毎日、頭に汗しながら、一方で楽しく仕事ができているんだと思います。
私は子ども時代から器用貧乏なところがあって、なんでも一応はできてしまう。
その分、飽きっぽくて長続きしないところがあるんです。
唯一、続いているのはスワローズファンと妻との結婚生活(笑)
大学卒業後からハッタツの世界に入ったけれども、正直、こんなに続くとは思わなかったですね。


以前、実際に発達相談を受けられた人から「紹介で」ということもあります。
そうすると、「全然、聞いていた感じと違う」とおっしゃる方もいますね。
当然、一人ひとり異なるのですから、しかも最低でもお子さんと親御さん二人のキャラクターがいるのですから、私が言うことはその人によって全く変わります。
たとえ課題の根っこが同じであったとしても、どこから育てていくのか、アプローチしていくのか、その優先順位は子どもさんの今の状態と親御さんの理解、姿勢によって異なります。
一言でいえば、「できないこと」「続けられないこと」を言っても仕方がないと私は思っています。
また置かれた状況を鑑みて、耳の痛いことを言うこともあれば、一生懸命励ましの言葉を届けることもありますし、一緒に涙を流すこともあります。


確固たる理論、アプローチがあって、「絶対、この方法を」「ここから育てて」「これをやったら最短だ」ということもあるでしょう。
私の中にも、そういったもの、「3ヶ月続けたら改善するだろう」というのもあります。
しかし一方で、それはあくまで支援者、他人の視点なのです。
そのご家族は、発達障害を治すために生活しているのではありません。
そのご家族は、自分の持っている理論を体現するためのモルモットではありません。
家族一人ひとりに感情があり、想いがあり、願いがあり、自分の人生を豊かにするために生きている。
だから、その家族の生活、意思決定を左右させるようなことを言うべきじゃないし、介入すべきじゃない。


いろんな療法があり、それが一番だと思っている専門家、支援者、援助者がいるのは確かです。
しかし、万人に共通する改善のアプローチがあるとしたら、今現在、発達障害は社会問題になっていないでしょう。
発達障害が増え続けているということは、そんな唯一のアプローチがないという証拠。
結局、個別化しかないのです。
そして全員が全員、普通の人になるわけではない。
その人その人でゴールも、自立も、「治った」も、改善も、違います。


SNSで流れてくるのを見ていても、ほとんどの発信は当事者、子どもさん自身ではなく、親御さんです。
「良かった」と言われる方法も、本当に良かったのか、それが一番の要因なのか、そもそも子どもさん自身が満足しているのか、それを望んでいたのか、わからないのです。
正直、私には親御さんの自己満足であり、自己治療だと感じることが多々あります。
「栄養療法がいい」という人は、「栄養療法が良いものであってくれ」という心理があり、一つのアプローチに固執しなければならないほど、心身共に余裕が無いのかもしれない。
またもっと深いところで言えば、無数あるアプローチの中から他を選べない何かがあり(環境や家族の問題)、本人も気づいていないところでいえば、「失敗したらどうしよう」という不安、さらにその奥には幼少期に失敗を咎められた体験や、挑戦自体をさせてくれない親との関係性、幼少期があったかもしれないし、そもそも食事は愛着の象徴であり、おっぱいをもらうときの雰囲気、胎児期の愛着へと繋がっている場合もあって親御さんの課題からそれにこだわっていることもある。


ですから私は、療法にしろ、アプローチにしろ、専門家にしろ、なにかに固執しているのは、子どもや社会のためではない"何か"のためだと考えています。
また何気ない行動一つにしても、そこにはその本人が意識していることもあれば、無意識レベルでの心理がそうさせていることもあるのだと思います。
本気で我が子に良くなってもらおうと心から思っているのなら、一人の専門家、アプローチにこだわるわけはないのです。
ほとんどの大人は、一つの方法、専門家ですべてがうまくいくとは思っていない。
だけれども、こだわらざるを得ない何かがそこにある。
知識、情報のアップデートは基本ですし、テーラーメイドがヒトの子育て、発達援助の基本中の基本。


日本のコロナ対策は3年前と変わりません。
むしろ、盛りに盛っています。
一方、海外では情報がアップデートされ、過去に間違えがあればそれを認め、その対策を否定、捨て去ることができるので、もうコロナは過去の話になっているのです。
発達相談において、「大久保さんに、もっと早く会いたかった」「この子がもう少し小さいときに発達相談をお願いしたかった」と言われる親御さんがいます。
しかし、その過去は今振り返れば否定できるようなことであったとしても、そのときはそれが最善だと思い、一生懸命行ってきたことでしょ。


ですから、次に進むためにこだわりを捨て、過去を否定することは必要ですが、まったくなかったものにしてはいけません。
その今思えば間違いだったといえることも、その子の人生、子育ての歴史としてつながっていて、今の土台になっている。
だから、その過去をなかったものにするような発達相談はしたくないのです。
その過去も含めてその子自身。
それをアセスメントできなければ、それを含んでの助言、アプローチの提案ができなければ、支援者の自己満足か、自己治療、自己実現のための発達援助になってしまいます。
もちろん、親御さん自身もそうです。
発達障害の子が生まれ、そういった課題を持った子の子育てをし、悩んでいるのにも、理由があるし、親御さん自身の生きてきた道とのつながりもある。


親も、子も、もっといえば祖父母も、現代社会も含めて、発達相談だし、発達援助。
だから何のために「発達相談、援助という仕事をしているか?」と尋ねられれば、子どもさんを中心に親御さん、じいちゃんばあちゃん、これから生まれてくる子とその次の世代、3世代が幸せになることと、社会がよりよくなるため、ですね。
先日、取材してくださった方は真摯に聞いてくださったので、私が言わんとしていることを理解してくれました、きっと暑苦しい人だと思われたことでしょうが(笑)




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