【No.1306】見えるものと見えないもの

夏は過ぎ去ったのに、下の子の石ブームは去ることを知らず、昨日も採掘場(園庭とも言う)でお気に入りの石を採掘してきました(笑)
このペースで採掘を続けたら、家は確実に石だらけになるでしょう。
石って数個飾る分にはいいですけど、さすがに100を超えてくると保管場所が大変です。
それだけ集まると重いし、歩いていたら転がっている石を踏んでいたいし…(涙)


そういえば勾玉って知っていますか?
図書館で借りてきた石の本を見たら、あの意味が書かれていました。
私達の古い祖先たちは、あの勾玉を見て、「見えるものだけではなく、見えないものも大切にしなければならない」と考えていたようです。
クジラみたいな形ですが、反対側に同じ形をくっつければ、円になる。
当時の道具を想像すると、あの形にするのはとても難しく、労力のいる作業だったはずが、それだけ勾玉に込めたい意味があったのだと思います。


私も見えないものを大切にしたい気持ちはもっていて(笑)、神田橋先生が患者さんの左側頭部に邪気が見えるのを知ってから、私にも見えないものかと精進したものです。
そこに邪気がある人は、言語面での課題や疲弊感を持っているようで、たぶん、側頭葉にある聴覚野とウェルニッケの感覚性言語中枢、前頭葉ではありますがブローカーの運動性言語中枢の状態が見えているんだと思います。
確かに言葉の遅れがある子は、左側頭葉らへんに重い感じがありますよね。


重い雰囲気を感じたら、それは聴覚の疲労なのか、側頭葉のダメージなのか、「聴きたくない」っていう強い意思(深層心理)やトラウマか。
一方で聴覚(耳)の未発達、右脳の育ちの遅れから左脳の発達全般に遅れが出ている、そもそも脳全体が幼いって場合は、そのような邪気、よどんだ感じは見えませんね。
ですから、左側頭葉の邪気は、まあ、邪気全般にいえることかもしれませんが、なんらかの原因によってその部分の機能が抑制されている状態、発揮できずにもがき苦しんでいる状態なのかもしれないと捉えています。
そんな場合は、脳みそ全体をラクにする方法が有効で、運動や遊び、栄養や休養の改善、トラウマの解消などによって、言語発達が進んでいくことが多い気がします。


一方で邪気を感じない、むしろつるつるしているような感じがした場合の言葉の遅れは、やっぱり爬虫類の脳、哺乳類の脳に課題があると思うんです。
先ほど言語中枢について記しましたが、人類の進化の過程をみればわかるように、最初から前頭葉、側頭葉に言語中枢があったわけじゃないですよね。
二足歩行ができるような身体になり、そのあと、発声ができるようになった。
そして700万年の歴史から見れば、つい最近、やっと言葉を話すことができるようになったのです。
つまり、本来、その機能を持っていなかった脳の部位に、新しく言葉を話す機能、言葉を聴く機能ができたわけです。
よって、言葉が遅れているからといって、言葉のみに注目したアプローチは効果的だとはいえませんね。


言葉を話すためには、まず言葉を聴き取れることが必要です。
脳の聴覚野と感覚性言語中枢は隣同士。
いろんな音、音程、リズムを聴くことで言葉の耳が育っていくでしょうし、そのいろんな音を聴くためには平衡感覚を中心とした重力との付き合い方を学んでおく必要がある。
シンプルに言えば、重力→聴覚→言葉を聴きとれる、文字が読める、ですね。


耳が育つと同時に、しゃべる方の口も育てて準備しておくことが重要です。
胎児期の指しゃぶり、羊水を飲んで吐き出しての発達に始まり、出生後はおっぱいを飲んだり、手を口に入れたり、いろんなものを嘗めたり、で口と舌を育てていく。
また思いっきり泣くことで、ちゃんと呼吸を育てておく。
もちろん、そういった生命維持に関する機能は、脳幹が司っているため、また脊椎動物であるため、首から背骨がきちんと育っていることが必要になります。


そして忘れてはならないのが、脳の発達の順番。
「下から上」「右から左」「後ろから前」「中から外」(@『活かそう!発達障害脳』長沼睦雄著)というところから考えても、前頭葉にある運動性言語中枢は最後のほうに育つことがわかります。
別の言い方をすれば、言葉が出るためには、そこに至るまでの発達全般(呼吸、内臓、身体、感覚、運動)がヌケなく育っていることが必要なんです。
ハイハイしている子は言葉をしゃべりません。
みんな、二足歩行ができてから言葉を話し始める。
さらに「言葉も道具である」という視点がとても大事で、手を使って物を操作し、上手に道具が使えるようになると、言葉も自在に使いこなせるようになるんですね。
きっと文章構成と道具の操作手順は、同じような高度な脳機能を使っているのでしょう。
うまく二語文、三語文と育っていかない子の多くが、同年齢と比べて使える道具が少ない傾向があります。


言葉の遅れでの相談は多いのですが、よくあるのが二足歩行がきちんとできていないケースです。
一見すると、立っているし、歩いている。
だけれども、きちんと確認すると、だましだまし、なんとなく立って、なんとなく歩いている場合が少なくありません。
そういった子どもさんに、いくら言葉のシャワーを浴びせても、いくら言語トレーニングをしても、言葉は出てきません。
出てきたように見えても、聴いた音をそのままコピーみたいな話し方になってしまいます。
意味理解を伴わない言葉の模倣は、ヒトの発達を無視した言語アプローチを感じます。


言葉って、それまでにあった脳の部位を間借りしてできたような感じもありますし、進化や赤ちゃんの発達を見ても、それまでの土台があって最後に育つ部分。
だから、発達の悩みで圧倒的に多いのが言葉の遅れになるんだと思います。
その言葉が出るまでのプロセスの中にヌケや遅れがあったら、発語にもろ影響しちゃうから。
そしてどうしても目に見えている言葉の遅れに注意が向きやすいから、課題の根っこを見失い、こんがらせてしまうポイントでもある。
ですから、言葉の遅れについてどのようなアセスメントをするか、単に言語トレーニングではなく、それ以外のアプローチを提案できるか、が支援者の力量が試されるところであります。


最後に私の勝手な想像、妄想なのですが、言葉の遅れのない発達障害、自閉症の人、LDやADHDの人っていますよね。
この子ども達っていうのは、言葉の遅れがあった子ども達のように胎児期から2歳前後の発達過程でヌケや遅れがあったのでしょうか?
そのヌケや遅れの程度の違いによって、軽微だとしたら言葉の遅れがない、ということなのでしょうか?
通常、2歳までで言葉の準備が整うところ、発達がゆっくりであったために3歳で言葉の準備が整ったという場合もあるでしょうが、それは発達障害とはいいませんね。


ですから、言葉の遅れのない〇〇という子どもさんの場合、その診断名自体を疑う必要があるかもしれません。
あと遺伝の可能性、2歳以降の環境による影響、心因性のものも考慮する必要があると思っています。
「生きてきた環境によって、その不具合が作られたんじゃなかろうか?」という視点ですね。
実際の発達相談では、案外、「発達のヌケや遅れ」が根っこで栄養&身体アプローチで治していく"以外"のケースが多いんですよ。
「発達のヌケ」「身体アプローチ」「栄養療法」がみなさんの目に見えるようになった分、見失っている部分があるような気がしています。




☆『医者が教えてくれない発達障害の治り方』のご紹介☆

まえがき(浅見淳子)

第一章 診断されると本当にいいことあるの?
〇医者は誤ることはあるけど謝ることはない
〇早期診断→特別支援教育のオススメルートは基本片道切符
〇八歳までは障害名(仮)でよいはず
〇その遅れは八歳以降も続きますか?
〇未発達とは、何が育っていないのか?
〇就学先は五歳~六歳の発達状況で決められてしまうという現実
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのメリット
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのデメリット
〇療育や支援とつながるほど、子育ての時間は減る

第二章 親心活用のススメ
〇親子遊びはたしかに、発達に結びつく
〇変わりゆく発達凸凹のお子さんを持つ家庭の姿
〇学校は頼りにならないと知っておこう
〇安定した土台は生活の中でしか作れない
〇支援者が行うアセスメントには、実はあまり意味がない
〇親が求めているのは「よりよくなるための手がかり」のはず
〇人間は主観の中で生きていく
〇専門家との関係性より親子の関係性の方が大事
〇支援者の粗探しから子どもを守ろう
〇圧倒的な情報量を持っているのは支援者ではなく親

第三章 親心活用アセスメントこそ効果的
〇子育ての世界へ戻ろう
〇その子のペースで遊ぶことの大切さ
〇「発達のヌケ」を見抜けるのは誰か?
〇いわゆる代替療法に手を出してはいけないのか
〇家庭でのアセスメントの利点
1.発達段階が正確にわかる
2.親の観察眼を養える
3.本人のニーズがわかる
4.利点まとめ
〇家庭で子どもの何をみればいいのか
1.発達段階
2.キャラクター
3.流れ
4.親子のニーズの不一致に気を付けよう

第四章 「我が子の強み」をどう発見し、活かすか
〇支援と発達援助、どちらを望んでいますか?
〇子ども自身が自分を育てる方法を知っている
〇親に余裕がないと「トレーニング」になってしまう
〇それぞれの家庭らしさをどう見つけるか
〇親から受け継いだものを大切に、自分に自信を持とう

あとがき(大久保悠)


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