【No.1311】支援者になる理由

福祉の世界に入って最初にびっくりしたのが、職員にきょうだい児や親御さんが多かったことです。
これは支援学校で働いたときも感じたことで、もっと前に戻れば、教育大学に入学したとき、養護学校教諭を目指す課程の学生の多くがそうでした。
当時は「やっぱり一般の人には障害を持った人と関わる機会がないから、身近にいた人が目指し、自然と割合が多くなるのかな」と思っていましたね。
でも実際に同僚として働いてみると、そんなシンプルな話ではなかったことに気がつきました。


特別支援の世界でも「愛着障害」という言葉が市民権を得て、そういった支援者たちの背景がわかりやすく説明される機会が増えました。
一言でいえば、「支援する自分」が愛される存在。
幼少期、どうしても我慢する場面が多かったきょうだい児。
親としても、意識無意識を問わず、我慢してくれたときにポジティブな雰囲気、メッセージを送ることが多かった。
きょうだい児としては、そういった親の感情を敏感に察し、親が望むような行動をするようになる。
親の顔色を伺い、子どもらしからぬ先回りをして手のかからない良い子を演じようとした結果、いつしかそれが自分の人格であるかのように錯覚してしまう。
本当は甘えたいし、我がままを言いたいし、自分だけに注目してほしかった。
いくら良い子を演じていても、身体はそういったことを望み、そこのヌケは隠しきれない。


だからそういった背景を持つ支援者は、とにかく利用者さんの身体に触れようとする。
平気で彼らのプライベートに入りこみ、いつしか疑似家族を形成してしまう。
本人は「利用者さんのため」と言いつつ、なんでも手出ししてしまうのは、幼少期に身についたお世話係としての役割。
とにかく1対1の強い結びつきを持とうとする。
なので、彼らの自立を阻む最大の壁が支援者なのです。


こういった説明は、今までも行ってきましたし、みなさん、なんとなく支援者と関わっていて察することができる話だと思います。
しかし話は続きます。
たぶん、これは実際に働いた人にしかわからない感覚だと思います。


当然、無意識レベルではありますが、こういった愛着形成のヌケを埋めるために、沁みついた役割を果たすために支援者になった人だけではなく、復讐のために支援者になった人も少なくありません。
上記のように自分の生い立ちやきょうだいに近い人をターゲットにして愛着形成のヌケを埋めようとする一方で、それ以外の利用者さんに対して極端に冷たいということがあります。
むしろ、攻撃的という場合もあります。
基本的に福祉の世界に入ってくる人なので、心の優しい人が多いのですが、そういった攻撃性を伴っているときは憑依したようになります。


たぶん、本来不満をぶつけたかった対象にできなかったことを、疑似的に行っているんだと思います。
きょうだい児が排泄で苦労した人は、排泄を失敗する利用者につらくあたる。
きょうだい児がコミュニケーションで苦労した人は、コミュニケーションがうまくとれない利用者につらくあたる。
あとから冷静になったとき、話を聞くと、自分でもどうしてあんなにカッとなったのかわからないといいます。
もしかしたらフラッシュバックも起こしていたのかもしれません。
あとからつらく当たってしまった現実を直視し、涙を流し、後悔の念を吐露する同僚も少なくはありませんでしたね。


またさらに話は広がっていきます。
支援者の無意識の復讐は、その利用者の親にまで向かっていく場合があります。
とにかくやたらに利用者さんの親に対して攻撃的になる人もいます。
「どうしてあの親は〇〇しないんだ」
「もっと〇〇すれば、子どもは良くなっていくのに」
「親としての自覚、責任が足りない」
など。
時々、独身の支援者がこういうもんだから、笑ってしまうこともありました。
みなさん、お分かりの通り、これは利用者さんの親に言っているのではなく、自分自身の親に言っているんですね、当時言えなかった想いを。


私はもともと心理学の専攻で、そっちの道に入ろうと思っていましたし、大学に入るまで障害を持った人との関わりがなかったもので、また最初から将来的に起業することを決めていて、期間を決めて福祉の世界に入ったので、第三者的に冷めた目線で見れていたんだと思うんです。
だから、すごく違和感を持ち、その背景を見ようとしていたのだと思います。
今は親御さんメインで、支援者と関わる機会はほとんどありませんが、こういった体験が「支援者と関わらないことが自立の近道」という考えにつながっているんだと思います。


繰り返しになりますが、怖いのはこういった支援者が「無自覚」だということです。
彼らはなぜ、特定の利用者さんと強い結びつきを持とうとするのか、別の利用者さんにつらく当たるのか、親御さんの一挙手一投足が気に入らないのか、自分自身では分かっていないのです。
もっといえば、なぜ、自分が障害を持った人と関わる仕事を選んだのか、わかっていない。
もちろん、志望動機を口にして、文字にして表現することはできるけれども、それは深層心理にコントロールされた上辺の理由でしかありません。
この前も発達相談で、「私は言葉を50%しか信じていない」というお話をしたところです。
胎児期のトラウマを抱える子ども達は、あり得ない恐怖感で身体にできた傷を表現しようとするのと同じです。


結局、きょうだい児の支援者は、利用者さんに依存しているんだと思う。
依存しているから、無意識に自立を阻む最大の足かせになっている。
しかも彼らのほとんどは無意識で行っているから、自分の深層心理に気がついていないから、良かれと思って支援をし、利用者さんと依存関係を築き、そして周りにいる支援者も巻き込む、どんどん自立から遠ざかる環境、支援者を増産していく。
なので良い支援者は生まれても、自立や治せる支援者は彼らの中から生まれてこないんだと思います。
それくらい根の深い話で、きっとこんな話を耳にしたら、脊椎反射を起こし、いの一番に強く否定するでしょう。


「あの先生についていけば」というのも、依存です。
本人は体よく「師匠だから」「素晴らしい支援者だから」という言葉を使うでしょうが、この先生の元にいれば、良い方法、アイディアが貰える、お客さんが貰える、というのは完全なる依存関係。
対等な関係とはもらえる分、自分も与えられる関係のことです。
こういった危険性を知っているから、支援者である自分自身が最大の自立を幅む障壁になるという自覚があるから、私は基本的に1回で終わる発達相談を行っています。
大事なことは、与え、与えられる関係性を築くことではなく、親御さん自身で我が子の発達状態と課題を確認でき、試行錯誤していける姿勢です。
ちなみに支援者と同様に、親が無意識に子どもの自立を阻んでいることもあります。
実際、我が子に「治ってほしい」「自立してほしい」と言いつつも、無自覚に反対のことを行っている親御さんもいますね。
それくらい愛着の問題、幼少期、どのような環境、親子関係で育ったかって大きいんです。




☆『医者が教えてくれない発達障害の治り方』のご紹介☆

まえがき(浅見淳子)

第一章 診断されると本当にいいことあるの?
〇医者は誤ることはあるけど謝ることはない
〇早期診断→特別支援教育のオススメルートは基本片道切符
〇八歳までは障害名(仮)でよいはず
〇その遅れは八歳以降も続きますか?
〇未発達とは、何が育っていないのか?
〇就学先は五歳~六歳の発達状況で決められてしまうという現実
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのメリット
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのデメリット
〇療育や支援とつながるほど、子育ての時間は減る

第二章 親心活用のススメ
〇親子遊びはたしかに、発達に結びつく
〇変わりゆく発達凸凹のお子さんを持つ家庭の姿
〇学校は頼りにならないと知っておこう
〇安定した土台は生活の中でしか作れない
〇支援者が行うアセスメントには、実はあまり意味がない
〇親が求めているのは「よりよくなるための手がかり」のはず
〇人間は主観の中で生きていく
〇専門家との関係性より親子の関係性の方が大事
〇支援者の粗探しから子どもを守ろう
〇圧倒的な情報量を持っているのは支援者ではなく親

第三章 親心活用アセスメントこそ効果的
〇子育ての世界へ戻ろう
〇その子のペースで遊ぶことの大切さ
〇「発達のヌケ」を見抜けるのは誰か?
〇いわゆる代替療法に手を出してはいけないのか
〇家庭でのアセスメントの利点
1.発達段階が正確にわかる
2.親の観察眼を養える
3.本人のニーズがわかる
4.利点まとめ
〇家庭で子どもの何をみればいいのか
1.発達段階
2.キャラクター
3.流れ
4.親子のニーズの不一致に気を付けよう

第四章 「我が子の強み」をどう発見し、活かすか
〇支援と発達援助、どちらを望んでいますか?
〇子ども自身が自分を育てる方法を知っている
〇親に余裕がないと「トレーニング」になってしまう
〇それぞれの家庭らしさをどう見つけるか
〇親から受け継いだものを大切に、自分に自信を持とう

あとがき(大久保悠)


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