【No.1270】マスクをどのように外していくか注目!

とうとう中国と日本の一騎打ちになったマスク。
中国は抑え付けて付けさせている分、トップの意向が変われば、一気に正常化すると思います。
となると、最後まで続けるのは日本人か。
まあ、つけた人は死ぬまでつけていればいいわけで、私には関係がない話です。
マスクも、ワクチンも、つけた人がつけ、打ちたい人が打つ、それだけの話。


時々、「あんな危険なワクチンを作り、打っている製薬会社が悪いんだ」と言っている人もいますが、私は賛同できませんね。
いくら危険性があろうとも、製薬会社からすれば、完全な毒ではない限り、たくさん商品が売れる方がいいですし、それを目指して研究開発やプロモーションを行っているわけです。
日本のメディアには専門家と広告塔の二つの顔を持つ人達が出ていましたが、それだって営業戦略の一つだといえるのです。
戦後、日本に小麦を普及させるために「米を食べるとバカになる」というキャンペーンが日本人の大学教授によって行われたのも有名ですし、牛乳を飲ませるために母子手帳を導入したのも有名な話。
そうやって小麦と牛乳を売り続けたアメリカだって、1980年代から長くリタリンを売るために診断のチェックシートを配り、専門家と多額のお金を使いメディアで広告し、多くのADHDの子ども達を作った歴史があります。


ですから、勝手に善玉菌と悪玉菌などの言葉を作ってヨーグルトを売っている乳製品メーカーと同じで、ワクチンの効果を宣伝し、いかに多くの国と人々に買ってもらおうとあれこれ手を打つのは企業としては当たり前のことだと思います。
「本当は打ちたくなかったけれども、同調圧力が…」という人もいますが、その同調圧力を誘導したのも広告塔である専門家とメディアですから、まんまと手の上の乗った方が悪いともいえます。


医師が「清廉潔白で、人々の命と健康を一番に考え、身をなげうってもでも病気と闘い、私達を治してくれる人達」というのは、外にいる人間の勝手な希望です。
もちろん、中にはそういった人もいるのでしょうが、「発熱患者お断り」と書かれた町の病院、少なくなかったでしょ。
PCRとワクチン接種はやるけれども、患者は診ない。
そういう医師も少なくなくて、だけれども、それに対して失望するのも、こちら側の勝手な期待が裏切られただけ。
医師だって楽して儲けたい人もいるでしょうし、自分が危険な目にはあいたくない、という人もいるでしょう。
なんとなく代々医師の家系だから、なんとなくお勉強ができたから医学部へ、という人だっているはずです。


医療だって市場の原理が働きますし、開業医なら経営を考える必要があります。
いくら志が高くても、患者がこなければ経営はできません。
逆にいくら志がなくても、患者が押し寄せてくれば経営が成り立つ。
それは街の飲食店と同じで、医師にだけ「儲けを度外視して、患者を助けろ!」というのは違うと思います。


つまり何が言いたいかと申しますと、発達障害だって増えた方がいいという考えの医師や専門家、支援者がいてもおかしくはないということです。
そもそもが何か悩みをもって来院する人達ですから、そこに診断や薬を与える行為はある意味、正しい行為だと思います。
あとから情報を得て「必要なかった」と怒っても、そのとき、歩いて行ったのは本人です。
長く利用してもらいたければ、「生涯の支援」とか、「二次障害が」とかいって固定客にしようとするでしょうし、青いお祭りなんか新しい顧客獲得のためのイベント活動です。
メディアに出る専門家だって、発達障害を減らそうというよりも、増やそう、気づいていない人にも気づいてもらおう、と思って出演しているはずですし、そういった意図をもって仕事として行っている人もいるはずです。
そういった人や行為を勝手に営利目的と切り離し、「障害を持っている人達に関わる人達は善人に違いない」という色眼鏡で見ている自分がいる、といった感じ。


医療も、専門家も、支援者も、みんな発達障害の人がいるから、成り立っている商売です。
しかも、治ったらお金が貰える仕組みではなく、利用したら利用した分、お金が貰える仕組み。
だから何度でも通ってもらいたいし、長く利用してもらいたい。
それに対して利用する者は、ここで何を得たいのか、どうなったら利用を止めるのか、考えるのが当然だといえます。
マスク同様、義務ではない限り、つまり自分の意思で行動している限り、他の誰かが「外していいですよ」なんてはいってくれない。
同じように、発達障害の専門家だって、利用している者の中に卒業しようという意思を感じない限り、「もう来なくていいですよ」とはならないですね。
「病院、療育機関に通っても治らないんです」という人もいますが、「卒業を意識して通っていないから治らないんです」ともいえます。


人間は自分で判断がつかないことに対して、多数派に流れるという傾向があります。
ワクチンも、マスクも、アクリル板も、消毒液も、自分では判断できないから「みんながやっているから私も続けます」という状態なんだと思います。
発達障害だって、90%くらいは誤診で、そもそもが診断も、療育も必要ない子ども達なのに、少しでも気になることがあれば「診断→療育→特別支援教育」という多数派の流れに乗ってしまいます。


保健師も、保育士も、学校の先生も、自分で判断がつかないから親御さんに専門機関への受診を勧める。
それが現在の多数派だから。
そして親御さんも、周りを見て診断という多数派に流れていく。
この問題の根っこは「判断がつかない」という点だといえます。
なぜ、判断がつかないといえば、人間の発達だから。
機械のように何かをしたらどうなったなどはありません。
さらに定型発達などというものもありますが、子ども一人ひとりでその辿り方は異なります。
子育て自体が不確実なものだからこそ、多数派に流れやすい傾向が出てしまいます。
「わからないから、みんなに合わせる」は、自然災害の多い日本人のDNAに刻まれた生存戦略なのかもしれません。


マスクを外せない国は、発達障害を治せない国なのかもしれない。
あんなペラッペラの布すら外せない人達が、子育てという不確実で、しかも長い年月をかけて変化していく行為に対して、覚悟を決めて家族の力だけで進んでいけるのだろうか、とも思います。
でも、そんな中でも家族で試行錯誤しながら治っていた人達がいるわけで、確実にそういった姿は「我が子にも治ってほしい」「治したい」という他の誰かの判断の後押しになっています。


オセロのように一気に裏返しにはならないと思いますが、確実に「治る」という輪は広がっていると感じます。
今は1対99の「治る」と「治らない」だと思いますが、今、治っている人が、治そうとしている人がもう一人の希望になれば、1が2になっていきます。
そして10年、20年と続けていくうちに、2が4になり、4が8になり…未来の親御さん達が判断できるための希望の情報になる。
これから夏に向けて世の中のマスク着用がどのように変化していくか。
そこには日本人らしい過程があると思っていますし、それが発達障害が治るもんだという流れに変えるためのヒントがあると考えています。
どのように日本人がマスクを外していくか、またはどれだけの人が、どういった人が外さずにいるか、注目です。




☆『ポストコロナの発達援助論』のご紹介☆

巻頭漫画
まえがき
第1章 コロナ禍は子ども達の発達に、どういうヌケをもたらしたか?
〇五感を活用しなくなった日本人
〇専門家への丸投げの危険性
〇コロナ禍による子ども達の身体の変化
〇子どもの時間、大人の時間
〇マスク生活の影響
〇手の発達の重要性と感覚刺激とのソーシャルディスタンス
〇戸外での遊びの大切さ
〇手の発達と学ぶ力の発達
〇自粛生活と目・脳の疲労
〇表情が作れないから読みとれない
〇嗅覚の制限 危険が察知できない
〇口の課題
〇やっぱり愛着の問題
〇子ども達が大人になった世界を想像する
〇子どもが生まれてこられない時代
〇子育てという伝統

第二章 コロナ禍後の育て直し
〇発達刺激が奪われたコロナ禍
〇胎児への影響
〇食べ物に注意し内臓を整えていく
〇内臓を育てることもできる
〇三・一一の子どもたちから見る胎児期の愛着障害
〇胎児期の愛着障害を治す

第三章 ヒトとしての育て直し
〇噛む力はうつ伏せで育てよう
〇感覚系は目を閉じて育てよう
〇身体が遊び道具という時期を
〇もう一度、食事について考えてみませんか?
〇食べると食事の違い
〇自己の確立には
〇右脳と左脳の繋がりが自己を統合していく
〇動物としての学習方法
〇神経ネットワーク
〇発達刺激という視点

第四章 マスクを自ら外せる主体性を持とう
〇なぜマスクを自ら外せることが大事なのか
〇快を知る
〇恐怖を、快という感情で小さくしていく

第五章 子どもの「快」を育てる
〇「快」がわかりにくいと、生きづらい
〇快と不快の関係性
〇子どもの快を見抜くポイント
〇自然な表情

第六章 子ども達の「首」に注目しよう
〇自分という軸、つまり背骨(中枢神経)を育てる
〇首が育っていない子に共通する課題
〇なぜ、首が育たない?
〇首が育たない環境要因
〇首が育つとは
〇背骨の過敏さを緩めていく
〇首を育てるには

第七章 親御さんは腹を決め、五感を大切にしましょう
〇子育て中の親御さん達へのメッセージ
〇部屋を片付ける
〇子どもと遊ぶのが苦手だと思う親御さんへ
〇ネットを見ても発達は起きません
〇発達刺激という考え方
〇五感で子どもを見る
〇特に幼児期は一つに絞って後押ししていく

第八章 自由に生きるための発達
〇発達の主体を妨げない存在でありたい
〇大人が育てたいところと子どもが育てたいところは、ほとんど一致しない

あとがき
こういう本を読んできました
巻末漫画

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