【No.1273】模倣する力を育てる

人類にまだ「教育」という言葉がなかった頃、子ども達はどうやって学び、自立した大人へと成長していたのでしょうか。
きっと子ども達は周囲にいる大人たちがやっていることを「まねる」ことで、食糧を得ること、他人とコミュニケーションすること、踊ること、道具を作ること、協力すること、身の危険を避けることを身につけていったのだと思います。
厳密に言えば、大人から教わる前段階の準備が「まねる」ということだったのでしょう。
大人が木の実を拾っているのを見て、自分も石を拾い集める、みたいな。
その集める行為、遊びに近い模倣が今度、大人から教わるときの土台に。


発達相談においても、「息子に何かを教えようとしても、こっちを見てくれない」「そもそも同じ動きをすることができない」といったお話を伺います。
幼少期の子ども達が主に模倣することで、身の周りに関することを身に付けていっているのを見ると、親御さんは焦ってしまうのは当然で、またそこが同年齢の子ども達とのズレを生じさせる要因の一つだといえます。
「発達障害児におけるミラーニューロンの違い」などとも言われますので、特別支援の中でも模倣スキルに注目が集まっています。


そんなことは今の親御さん達からすれば、当たり前の知識だと思います。
じゃあ、その「ミラーニューロン」とやらをどう育てればいいのか、そこが弱い子ども達にはどうやって物事を教えていったらいいのか、そういった話ですよね。
ですから、私が発達相談で関わったご家庭の中で改善していった子ども達についてお話ししたいと思います。
実際、模倣スキルの改善、向上がきっかけになり、ガラッと変わる場合が多くあります。


我が子が模倣しないとなると、どうしても気持ちは「模倣させたい」というほうへ向かっていきます。
しかし、模倣しない子に、まだ模倣の準備が整っていない子に、「模倣しなさい」と言っても難しい話です。
でもだからといって、「模倣しないのも障害特性なんだ」「それが育つまで待つしかないんだ」というのも違うと思います。


まず模倣しない子には、親御さんのほうから模倣することをお勧めしています。
たとえば、ブロックをひたすら並べている子がいれば、自分も一緒にブロックを並べてみる。
もちろん、その子が並べているブロックに「触ってほしくない!」といってきたら、その子の近くで別のブロックを使って同じように並べていく。
子どもさんがチラッとでも見たらOKです。
理想で言えば、同じブロックを使って、子どもさんと親御さんが順番交代で並べていけると、より「一緒のことをしている」という感じが出て良いです。


しかし、このモノや活動を通した模倣に、子どもさんの興味関心、注目が向かない場合は、身体活動を通した模倣が良いといえます。
子どもさんがジャンプしたら、親御さんもジャンプする。
子どもさんがグルグル回ったら、親御さんも回る(もちろん、目が回るので無理がない程度にw)。
可能なら、一緒に手をつないでジャンプなんかすれば、より一体感が出て同じことをしている感が強く感じられます。
子どもが笑ったら、目の前で一緒に笑うのも良いですね。
できれば、そのとき、子どもさんと同じようなトーン、波長で笑い声を出すのも良いです。


つまり、模倣の前段階、準備には、一体感が必要だと思うんです。
模倣ができない子の脳を見ると、まるでテレビ画面を観ているかのように対象を見ているんですね。
自分と目の前にいるお母さんが切り離されているような。
ですから、まずはお母さんとの一体感を感じることが、それは感覚面(匂いや体温、質感など)でも、身体面(おんぶやスキンシップなど)でも、大事だといえます。


もともとへその緒でつながっていて、胎児期は母子が一体だったわけです。
そこから生まれ出て、肌と肌の触れ合い、授乳、抱っこ、おんぶなどを経過していく中で、徐々に母子の分離が始まっていきます。
そのもともとは一緒だった存在が行う行動に対し、自然と興味や意識が向き、「同じようにやってみたい」という気持ちと繋がるのだと思います。
だけれども、発達障害の子ども達は、とくに感覚面での遅れや違いがあるため、うまく母子一体感を感じられずに、「さあ、一人で生きていきなさい」となってしまう。
模倣が苦手な子ども達は、身近な親御さんに対してテレビの登場人物の一人のごとく見入ってしまいます。
本来、見入ってしまう対象ではなく、「マネしたい!」「同じことをやってみたい!」という対象であり、それが学びの土台であり、他人から教わるための準備になります。


当然、母子一体感を感じるためには、感覚面の課題を育てる必要があります。
感覚過敏などの未発達を育てると、共感する力や模倣する力までもが引っ張られるようにして育っていくのは、こういった背景、繋がりがあるかもしれないと私は考えています。
別の言い方をすれば、感覚面の課題が育たないと、本当の意味での共感や模倣の力は育っていかないんだと思います。
目の前にいる人に共感するためには、まず自分の感覚を通して想像する必要があり、「自分の感覚がよく分からない」「刺激に圧倒されて感覚自体が苦痛だ」という子は相手のことを思えないですよね。
同じように運動発達のヌケがあれば、同じ動きをしようと思っても、自分の身体が同じように動かない。
ゆえに、自分と目の前にいる人はまったく別の存在だとなり、模倣の力が育っていかない。


ヒトの最初の模倣は、お母さんと顔を合わせた瞬間。
目と目が交わり合い、ニコッとお互いが笑顔になる。
相談者の中には、模倣だけガクッと落ちている子がいて、話を伺えば、授乳中、スマホの画面ばかり見ていたというお話もあります。
あと忙しくて、保育園に早く入園させないといけないからと、授乳を早々と切り上げ、母子一体感を味わい切る前に離されていった場合もあります。
そういったご家庭には、もう一度、目と目を合わせること、子どもを包み込むように抱きしめること、おんぶやだっこをすることなどをお勧めしています。
もともと脳に問題があった子どもではない場合、こういったやり直しで発達のヌケが埋まっていくことも多々あります。
この前も、おんぶのやり直しを行ったお母さんから「言葉が出ました」「私を意識してくれるようになりました」と連絡をいただいたばっかりです。
言葉も道具ですから、やはり模倣する力が必要ですね。
感覚&運動発達↔母子一体感↔共感↔模倣↔学習(生活スキル&言葉、社会性)の繋がりを意識されると、目の前にいる子の課題の根っこが見えてくるかもしれません。




☆『医者が教えてくれない発達障害の治り方』のご紹介☆

まえがき(浅見淳子)

第一章 診断されると本当にいいことあるの?
〇医者は誤ることはあるけど謝ることはない
〇早期診断→特別支援教育のオススメルートは基本片道切符
〇八歳までは障害名(仮)でよいはず
〇その遅れは八歳以降も続きますか?
〇未発達とは、何が育っていないのか?
〇就学先は五歳~六歳の発達状況で決められてしまうという現実
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのメリット
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのデメリット
〇療育や支援とつながるほど、子育ての時間は減る

第二章 親心活用のススメ
〇親子遊びはたしかに、発達に結びつく
〇変わりゆく発達凸凹のお子さんを持つ家庭の姿
〇学校は頼りにならないと知っておこう
〇安定した土台は生活の中でしか作れない
〇支援者が行うアセスメントには、実はあまり意味がない
〇親が求めているのは「よりよくなるための手がかり」のはず
〇人間は主観の中で生きていく
〇専門家との関係性より親子の関係性の方が大事
〇支援者の粗探しから子どもを守ろう
〇圧倒的な情報量を持っているのは支援者ではなく親

第三章 親心活用アセスメントこそ効果的
〇子育ての世界へ戻ろう
〇その子のペースで遊ぶことの大切さ
〇「発達のヌケ」を見抜けるのは誰か?
〇いわゆる代替療法に手を出してはいけないのか
〇家庭でのアセスメントの利点
1.発達段階が正確にわかる
2.親の観察眼を養える
3.本人のニーズがわかる
4.利点まとめ
〇家庭で子どもの何をみればいいのか
1.発達段階
2.キャラクター
3.流れ
4.親子のニーズの不一致に気を付けよう

第四章 「我が子の強み」をどう発見し、活かすか
〇支援と発達援助、どちらを望んでいますか?
〇子ども自身が自分を育てる方法を知っている
〇親に余裕がないと「トレーニング」になってしまう
〇それぞれの家庭らしさをどう見つけるか
〇親から受け継いだものを大切に、自分に自信を持とう

あとがき(大久保悠)


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