2022年5月19日木曜日

【No.1276】治り方は子どもの数だけあり、それぞれが自由に治っていく

「屋外ではマスクが必要ない」とか、「就学前の子ども達にマスク着用を求めない」とか、ホントにどうでもいい。
どちらも意味がないことなんて、0.00001秒くらいでわかるし、むしろ、子どもの発達に悪影響が出るなんて動物としての本能でわかりきった話。
どこの世界に、マスクをつけて子育てをする人々がいますか?
人類700万年の歴史の中で、顔が半分隠れた状態で生活したことがありますか?
というか、マスクをつける動物なんている??


もういい加減、バカにされているのに気がついた方が良くないですか。
政府だって、メディアの中の人だって、「こんな報道をしたら、国民がこんな反応する」なんてわかっているでしょうに。
むしろ、報道とは何が報道されているかではなく、何が報道されていないかが重要なんで、「やったー、政府もようやくマスクの弊害に気がついてくれた」と思うのはお花畑で、「いや、マスクの害などエビデンスがない」なんて言うのは自らの身体と頭で考えることを放棄した人。


マスクをつけるのも、つけないのも、ワクチンを打つのも、打たないのも、一人ひとりが考え選択すれば良い話で、政府や専門家、他人がとやかく言う話ではありません。
どうして自らこうも自由を差し出す人がいるのか意味不明。
「無言の圧力ガー」「世の中の空気ガー」だって、結局、他人のせいにしているだけで、自分に跳ね返すだけの勇気と行動力がないだけでしょ。
子ども達ならまだしも、大人がそんなことを言っているのは大丈夫かと思います。


人間にとって一番大切なものは「自由」です。
その自由がなければ、それは奴隷であり、家畜と同じなのです。
人間は自由に移動し、自由に食べ、自由に寝て、自由に生きる存在。
そうやって自分たちのように、子ども達にも自由に生きていってもらいたいから、発達障害を治し、一生懸命子育てをしているのではないのですか。


発達の遅れが指摘されると、いつの間にか特別支援の土俵の上に乗せられてしまう。
なぜ、そこに疑問を持たないのか、それが嫌だと拒否しないのか。
「専門機関へ」というのは提案であり、選択肢の一つであり、ただのセールスです。
専門機関に行かなくても子育てはできますし、発達も、成長もしていきます。
走るのが遅いチーターの子をお母さんチーターは、足の速いチーターのところにいって、「うちの子を育ててください」なんてお願いしますか。
その子が少しでも早く走れるように、一緒に伴走しながら、弱った獲物を目の前に見せたりしながら育てるでしょ。
獲物を獲るのが苦手なライオンの子がいたら、「じゃあ、同じように苦手な子ども達を集めて、一緒に育てよう」なんてしますか。
一生懸命、子どもに狩りの仕方を教えようとするはずです。


専門家を頼ったり、本やネット、講演会などから学ぶことは大切だと思います。
でも、それって”始まり”じゃない。
自分で「こうやったらうまくいくかも」「我が子の発達、成長に繋がるかも」、そんな風に感じた遊びや運動、環境づくりをやればいいと思います。
目の前に愛する我が子がいて、困っていることがあるのなら、本能的に「どうにかしてあげたい」と思うでしょう。
その想いのままに、自分が良いと思うことをやればいいのです。


子育てに正解なんてない。
試行錯誤しながら、より良い子育て、より良い成長の道を創造していけば良いだけ。
野生動物が目の前の子どもだけを見て子育てしているのに、いつの間にか専門家の方を、情報の方を見て子育てをしている。
専門家も、知識情報も、自分が行った子育ての意味を確認するくらいの意味でちょうど良いのです。
我が子がなんかぐにゃぐにゃしている。
きっと体軸の問題だろう。
だから、もう一度、ハイハイしてみる。
だから、一緒に木登りをしてみる。
それから専門家を訪ね、「やっぱり体軸、背骨の問題だったね」と確認する。


専門家や専門知識、情報は、本来、子どもの生活、人生を自由にするためのものです。
「できれば、支援が必要ないくらい育ってくれて、自由に自分の人生を歩んでほしい」
「たとえ支援が必要だったとしても、できるだけ一人でできることを増やしていき、より自由な人生を歩んでほしい」
それが願いであり、親心。
そうだったのに、いつの間にか専門家を頼り、依存し、神格化してしまう。
専門家や情報の奴隷には、なってはいけないのです。
それは子どもの自由のために。
親が自由になれないのに、子が自由になれますか。
知らず知らずのうちに、専門家という枠の中に子育てが規定されてしまっているのです。


「誰々さんがこういったから、これをやってみよう」
「ネットにこうやって書いてあったから、同じようにやってみよう」
これは自由な子育てじゃない。
誰一人として同じ人間はいなくて、目の前にいるのはたった一人の我が子。
もし子育てに答えというモノがあるのなら、それは目の前の子を真剣に見て知るしかありません。
野生動物が我が子に獲物の取り方を教えるように、人類が「子育て」も、「教育」も、そんな言葉がなかった時代に子ども達を導き、応援し、後押ししてきたように自由な関わり合いを。


子どものマスクやワクチンには反対しているのに、特別支援の枠の中に収まっている人がいる。
私が子どものマスクやワクチンに反対してるのは単に発達に影響を及ぼすからだけではなく、そこに自由の放棄があるから。
血中の酸素濃度や論文、エビデンスの話なんてちっぽけな話で、こういった法律でも、憲法でも決められていないものを、たとえ決まっていたとしても、誰かの指示に無条件に従い続ける、みんなが同じ格好をして同じ行動をして同じ意見だ、なんて気持ち悪いことを子ども達にはさせたくないだけ。
私達大人は、誰かの言うことをそのまま聞いて行動するような人間を育てたいのですか?
それってコントロールしやすい人間を作るってことでしょ。
障害者福祉って、ずっとそうやってコントロールしやすい人間を作ってきて、しかも今もそれが行われてきて、「そんなの絶対に嫌だ」と言って特別支援の枠を超え、治る道を探求してきたのではないですか。


治るって自由になることだと思います。
誰のためでもなく、目の前の我が子の自由のために、ときに大人たちは闘う姿勢を見せないといけないことがある。
マスクをつけることによって行動が自由になっているような感じがするけれども、実際はマスクに自由を奪われているのです。
既に「屋外でのマスク着用の要請解除」という文字に心が動かされてしまっている。
それは政府やメディア、自分ではない誰かにコントロールされている状態。
だから、たとえ「治る」という専門家、情報にだってコントロールされてはダメ。
目の前の子どものことを想い、一生懸命試行錯誤した結果が、「気がついたら治ってた」という状態になるのですから。
治り方は子どもの数だけあり、それぞれが自由に治っていくものです。
さあ、お母さん、お父さん、我が子だけの自由な子育てを!




☆『ポストコロナの発達援助論』のご紹介☆

巻頭漫画
まえがき
第1章 コロナ禍は子ども達の発達に、どういうヌケをもたらしたか?
〇五感を活用しなくなった日本人
〇専門家への丸投げの危険性
〇コロナ禍による子ども達の身体の変化
〇子どもの時間、大人の時間
〇マスク生活の影響
〇手の発達の重要性と感覚刺激とのソーシャルディスタンス
〇戸外での遊びの大切さ
〇手の発達と学ぶ力の発達
〇自粛生活と目・脳の疲労
〇表情が作れないから読みとれない
〇嗅覚の制限 危険が察知できない
〇口の課題
〇やっぱり愛着の問題
〇子ども達が大人になった世界を想像する
〇子どもが生まれてこられない時代
〇子育てという伝統

第二章 コロナ禍後の育て直し
〇発達刺激が奪われたコロナ禍
〇胎児への影響
〇食べ物に注意し内臓を整えていく
〇内臓を育てることもできる
〇三・一一の子どもたちから見る胎児期の愛着障害
〇胎児期の愛着障害を治す

第三章 ヒトとしての育て直し
〇噛む力はうつ伏せで育てよう
〇感覚系は目を閉じて育てよう
〇身体が遊び道具という時期を
〇もう一度、食事について考えてみませんか?
〇食べると食事の違い
〇自己の確立には
〇右脳と左脳の繋がりが自己を統合していく
〇動物としての学習方法
〇神経ネットワーク
〇発達刺激という視点

第四章 マスクを自ら外せる主体性を持とう
〇なぜマスクを自ら外せることが大事なのか
〇快を知る
〇恐怖を、快という感情で小さくしていく

第五章 子どもの「快」を育てる
〇「快」がわかりにくいと、生きづらい
〇快と不快の関係性
〇子どもの快を見抜くポイント
〇自然な表情

第六章 子ども達の「首」に注目しよう
〇自分という軸、つまり背骨(中枢神経)を育てる
〇首が育っていない子に共通する課題
〇なぜ、首が育たない?
〇首が育たない環境要因
〇首が育つとは
〇背骨の過敏さを緩めていく
〇首を育てるには

第七章 親御さんは腹を決め、五感を大切にしましょう
〇子育て中の親御さん達へのメッセージ
〇部屋を片付ける
〇子どもと遊ぶのが苦手だと思う親御さんへ
〇ネットを見ても発達は起きません
〇発達刺激という考え方
〇五感で子どもを見る
〇特に幼児期は一つに絞って後押ししていく

第八章 自由に生きるための発達
〇発達の主体を妨げない存在でありたい
〇大人が育てたいところと子どもが育てたいところは、ほとんど一致しない

あとがき
こういう本を読んできました
巻末漫画

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