【No.1190】どっちに転んでも
例年、インフルエンザワクチンは流行期の前に、今年度流行すると思われる型を生産、秋から冬にかけて5,000万人ほど接種しています。
当然、流行する型が外れることもあり、ブレークスルー感染とは言われず、普通に罹る人がいます。
でもその場合、違った型をもう一度、接種してきたでしょうか。
A型を接種したけれども、B型が流行し、インフルエンザに罹った。
「だから、A型のワクチンを3回目打とう」とはしてこなかった。
いま、デルタ株が中心なのに、武漢株で作ったワクチンを3回打つ話が出ていて、イスラエルは既に3回目を接種してしまった。
そして新規感染者数が急激に増加している。
デルタ型のワクチン製造は始まっているようなので、在庫処分なんてことはないでしょうが…。
遺伝子ワクチンを接種した人も感染しています。
ですから「感染を防ぐ」とはいえないでしょう。
そうなれば、もう一つの理由、「重症化を防ぐ」はどうでしょうか。
確かにデルタ株が中心になって、重症化率は下がっています。
しかし、それはデルタ株自体の弱毒性の可能性も否定できません。
またワクチンを接種した高齢者が重症化しなくなったから、「重症化率が下がったんだ」ともいえますが、相変わらず重症者の中心は60代以上で、亡くなっている人も70代以降です。
ワクチンを接種し、無症状、軽症、中等症だった人は、ワクチンを接種したから重症にならなかったのか、そもそも罹っても中等症以下だったのかは、誰にも分かりません。
とにかく未接種の若者たち、20代以下は重症者ゼロ、死亡者ゼロ。
そして多くの人がワクチンを2回以上接種したイスラエルで死亡者が一定数出ていることからも、必ずしも「重症化を防ぐ」とは言い切れませんね。
ではいつものように、特別支援の世界に置き替えてみましょう。
私のところに来る親御さんの中には、早期から診断を受け、早期から療育に通っている方達が多くいらっしゃいます。
そして私に相談するのですから、結果が芳しくないわけです。
そうすると決まって親御さんはこう言います。
「専門家が言うように療育や支援を受けてきたのに、良くならないというのは、それだけ我が子が重いんだと思っていました」と。
そりゃそうです。
年端もいかない、そして親御さんだって親になって数年しか経っていない段階で、療育を受けようとするのは、専門家の言った「療育を受けると予後が良くなる」と話を信じたからです。
最初から良くならないものを受けようとはしません。
だから、一生懸命早期から療育を受け、やれることはやったのに我が子にポジティブな変化が起きなければ、「我が子は重いから」という考えになってしまいます。
しかし、本当にそうでしょうか。
「うちの子、重いんです」と言われる親御さんは少なくありません。
理由を尋ねれば、その地域で最も評判の良い専門施設で、専門家の人の指導のもとで何年も療育を受けてきたから、と言われます。
でも、神経発達が最も盛んな時期を過ごす幼児期の子ども達で、1年以上通って変化がなければ、その専門家、または施設が下手くそなだけです。
というか、「1年間も支援、療育していて、子どもさんの発達を促せない方が奇跡です」と私は言います(笑)
子どもの発達を止める、留めておけるなんて、なかなかできるもんじゃありません。
同じように小学生、中学生、高校年代くらいの若者の親御さんに対しても、「療育・支援を受けたから、この状態で収まっている」という誤解を与える支援者達がいます。
二次障害が起きなかった家庭に対しては、「早期から支援を受けていたから、荒れずに済んだ」と言い、二次障害や問題行動が生じた家庭に対しては「早期から支援を受けていたから、このくらいで済んでいる。もっとひどい子は他にいますよ」と言う。
ちょっとうまくいけば、成長が見られれば、「療育・支援のおかげ」
うまくいかなくても、「療育・支援のおかげで、この状態で収まっている」
そして、どうもこうも言えないくらい悪い状態だと、「お母さん、これだけ頑張ってきたんだから、この子は多くの困難を持っている子に違いない」と言う。
どう転んでも、「療育・支援は最高!」「受けるのは正しい」という結論は一緒なんですね。
ワクチンを接種して感染したら、「これくらいの症状で済んだのは、接種してたからだよ」となる。
感染しなかったら「ほら、接種したから」となり、重症化したら「そもそも基礎疾患が、本人の状態が」と本人のせいになる。
そしてワクチンを接種しない人は、感染せず健康に過ごしても「たまたま」「運が良かった」となって、感染すれば「ほら、みたことか」となる。
療育を受けずに治っていった家庭は、「たまたま」「そもそも軽かった」と言われ、少しでも状態が悪くなれば、「ほら、みたことか」となる。
全部、論法は一緒でしょ。
つまり、療育を受けるというのは、「みんなが打つから私も打つ」と同じ。
普通、子ども時代、こんなに発達成長が著しい時期に、何年間も同じ専門家、専門施設を頼ること自体、私には意味が分かりません。
療育というのは、子育ての何でも屋ではないでしょう。
それぞれ特長があり、得られる刺激は限られています。
得られる刺激が決まっているのだから、子どもの成長と共に求める刺激は変わり、それに応じて利用する場所も変わっていくはずです。
同じ刺激を受け続けても、それで成長する部分が完了すれば、あとは慣れとパターン化しか残っていません。
「二次障害ガー」「思春期ガー」というのは、20年以上前から言われていた古典的なキャッチコピーです。
そもそも子ども達は、一人ひとりの人生は、二次障害にならないことが目的ではないのです。
一人ひとりが自立に向けて、子ども時代をより良く発達、成長していけるように後押しするのが大人の役目であり、専門家と呼ばれる人間たちの役割です。
町医者が「発熱者お断り」と言うように、専門家も「二次障害お断り」と言っているだけ。
コロナは診たくない=問題行動がある子は見たくない。
PCRと注射はやりたい=軽度の子ども達は見たい。
楽して儲けたいのは、医者も、支援者も同じです。
本来なら、「たとえ、コロナに罹ったとしても私達が診て治すから、安心して生活を送ってください」というのが医者でしょ。
本来なら、「たとえ、二次障害、問題行動が起きたとしても私達が援助し治すから、安心して子育てを行ってください」というのが支援者でしょ。
私は、発達障害における特別支援、療育などは全部無くなった方が良いと考えています。
子ども達が伸びやかに遊び、主体的に自分に必要な発達刺激を求め、育っていく姿が自然だと思うのです。
私は子育ての中で、地域社会の中で、子ども達がそれぞれのペースで育ち、治っていくのが本来の姿で、目指していく形だと思っています。
支援というのは、あくまで本人に必要性が生まれたときに出ていくものです。
今のようにシステム化されてしまってはいけませんし、それぞれの家族、子どもの人生に侵略してはならないのです。
「接種しないのが非国民」
「療育を受けないのが理解のない親」
「ただの風邪はトンデモ」
「発達障害が治るのはトンデモ」
これは一方的な考え方であり、行き過ぎると洗脳になります。
それに立ち向かうには、一人ひとりが自分で感じ、選択して行動すること。
いくら身体アプローチをしても、いくら栄養療法を行っても、いくら素晴らしい専門家のところに行っても、自分自身で咀嚼し考えることができない人は治っていかない。
そして治っていかないのは、そういったアプローチや専門家がトンデモなのではなく、別のところに答えがあるわけではなく、受け身の姿勢に根本的な課題があるのです。
コロナ騒動は、世界中、平等に考える機会を与えてくれたと思っています。
コロナ後の世界は始まっている。
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