【No.1192】表現活動と神経発達
花風社さんの浅見さんが「表現活動によって資質が開花していく」ことについてお話ししてくださっています。
言葉のプロフェッショナルである浅見さんの文章を拝読すると、私も改めて気づかされ、考えることがありましたので、みなさんと共有したいと思います。
自閉っ子の表現活動に注目したのは、私が学生時代です。
支援学校にいたある子が、「素晴らしい絵を描く」と評判だったことがありました。
私も拝見しましたが、確かに上手な絵を描く子でした。
ちょうどその頃は高機能ブームがあり、ギフテッドなどが支援者間、一部の親御さんの間で盛り上がっていた時期でもあります。
ですから、教員も、支援者も、「将来は絵を仕事に」などといって、学校の行事や地域の催しもの、刊行物の挿絵などに絵を発表し続けていました。
親御さんも、小さいときから絵が好きで描いてきた我が子が、その絵をみんなから認められて嬉しかったようです。
しかし、本人はどうだったでしょうか。
もちろん、本人の心情は本人しかわからないので、客観的な事実を述べます。
その若者は、学校を卒業後、一切絵を描かなくなりましたし、絵に関係する仕事にも就いていません。
私はこの子の絵を拝見したとき、現実の世界を描いているようで空想の世界を描いているのがわかりました。
その空想の源流は本人の頭の中にあり、そこには誰も邪魔されない「自由」があったんだと思います。
この子は現実世界で感じていた不自由、そして自分のイメージと実際にできることのギャップに苦しんでいるような感じがありましたので、絵というツールを通して自由になっていたのでしょう。
それが周囲から「あれ描け」「これ描け」「次の〇〇に載せるから」と求められるようになり、本人にとって絵が自由から不自由なものへ、心地良さが感じられないものへと変わっていったんだと思います。
では、ヒトはいつから表現活動をするのでしょうか。
二足歩行が完成したのち、つまり、手が自由になったあと、だいたい1歳半くらいからクレヨンなどを持つと、手を動かし、何かを描こうとします。
もちろん、最初は点だったり、線だったり、何か形を描くことはありませんが、それでも自分の手が生みだしたものを見て喜び、何度も繰り返します。
これは学習や文化というよりも、本能的な活動だといえます。
ヒトは何かを生みだし、自分の内側を表現したい動物なんだと思います。
表現活動が本能だとしたら、それもまた人間脳より深い部分であり、2歳以前の発達だと言えます。
ですから、私は特にノンバーバルな子、言葉で表現するのが十分ではない子に対して、表現活動を提案することが多くあります。
それは絵や工作だけではなく、音楽でも、ダンスでも、作文でも、良いのです。
ただその提案をする際、本人の資質とご両親、また祖父母の資質を参考にしています。
音楽が好きな親御さんの子は、音楽系が良いでしょう。
親御さんが楽しめるということは一緒に楽しむことができ、続けられるし、資質として引き継いだ可能性がある。
さらに、その子を見て、手を動かしたい子なら打楽器系を、全身を動かしたい子はダンス系を、聴くのが好きな子なら自分の好きな曲をアレンジしたり、好きな曲を選び、オリジナルのアルバムを作ったり、批評したりすることを提案していきます。
ちなみに私は母方が代々ずっと海のそばで生活してきた人で、父方が代々山の中で農家を行ってきた人。
ですから、土をいじり形を生みだすことが好きで、そこに必ず水を引いていたのは、何らかの資質か、受け継いだ心地良さがあったのでしょう。
そういえば、母は若いときからずっと陶芸を趣味で行っていましたね。
つまり、表現活動という本能に資質がにじんでいく感じです。
本能というのは快の感情に直結した活動だといえます。
快とは心地良さに言い換えられ、その心地良さを感じているとき、私達はドーパミンが放出されます。
で、そのドーパミンが放出される前に行っている活動の神経回路が強化される。
単に表現活動を行うだけではなく、そこにその人の資質が入っているとき、ようするに自分の資質に合った表現活動をしているとき、豊かな神経発達が生じるのだと思います。
ですから、音楽好きのご家族が一緒に演奏をするようになったあと、お子さんの学力が伸びたり、身体を動かすのが好きなご家族が一緒に運動をするようになったあと、お子さんのコミュニケーションが発達したり、食べるのが好きなご家族が一緒に料理をするようになったあと、社会性の面でググッと伸びたりしたのでしょう。
あるご家庭は、おじいちゃんが陶芸が趣味で、お子さんも一緒に陶芸遊びをしたら、集中力が付いたということもありました。
あと、運動は表現活動に思えないかもしれませんが、自分の身体を使って「動き」という表現をしているように見えることがありますね。
ノンバーバルな子、言葉に遅れがある子、場面緘黙がある子にとって表現活動は、心の解放に繋がるので、心身の安定に重要だと思います。
そして発達障害の子どもだけではなく、すべての子ども達にとって、いや大人たちにとっても、資質に合った表現活動、創作活動は、本能+資質で心地良さと繋がり(ドーパミンの放出)、神経発達を促すことになるのだと私は考えています。
「よく遊ぶ子は、よく育つ子」と言われるのは、子どもの遊びの中にその子にとっての表現活動が入っているからでしょう。
また子どもの「名もなき遊び」の中にも、同様の『本能+資質=心地良さ→神経発達』という流れが生じていると私は連想するのです。
花風社さんの新刊【医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう】の詳細・ご予約はこちらからできます→ http://kafusha.com/products/detail/55
コメント
コメントを投稿