【No.1197】発達障害の世界は差別だらけ
新刊のタイトルであり、花風社さんの創業25周年記念出版の共通タイトルである『医者が教えてくれない発達障害の治り方』は、個人的にもとても気にいっています。
何故なら、タイトルというのは端的にコアな部分を伝えられるメッセージ性が重要で、そのままストレートに伝わってくる言葉になっているからです。
一目見ただけで、何を伝えたいか、どんな想いを持っているかなどの連想が浮かんできますね。
既にタイトル、表紙から本は始まっている感じがします。
タイトル通り、発達障害に関する医療従事者は「治り方」を教えてはくれません。
それは大前提として「生まれつきの障害」と「脳の機能障害」を引きずっているからです。
かつて「育て方の問題」と言われていた時代があり、そこを否定するために「生まれつきの障害」、つまり、「親の育て方で発達障害になるわけではない」という啓蒙を行っていました。
この国の発達障害をリードしてきた人達は医者であり、発達障害の子を持つ親でした。
30~40年前の当時の空気感を想像するに、医療従事者の中でも我が子が発達障害である人くらいしか、この領域に関心はなかったでしょうし、発達障害の子を持つ親御さんも、そういった医師でもあり、親でもある人を頼るしかなかったと思います。
有効な支援方法もなく、根本的な解決方法がなかった当時の親御さん達にとっては、唯一の救いが「生まれつきの障害」だったのかもしれません。
しかし、時代は進み、もう令和の時代です。
「生まれつきの障害」で良かった昭和の時代から平成の時代に移ったとき、平成は早期診断、早期療育、その他の支援サービスなどが整備され、同時に脳から神経発達の障害へ変わった時期でもあります。
ですから本来は、その環境整備と同時に、もう一度、子育ての中心であり、発達の基盤である家庭に意識が向けられるべきだったと思っています。
傍から見てきた感想ではありますが、あまりにも親御さんに遠慮し過ぎ、家庭での養育力を低く見過ぎ。
「生まれつきの障害」がいつしか、親御さんたいして否定的なことを言ってはならない、家庭に何かを求めてはならない、という空気感を作りだしていたように感じます。
「親御さんを否定してはならない。だって生まれつきの障害だから」
確かに重度の知的障害や症状、行動障害を持っている子ども達には専門的な支援が必要だと思います。
しかし、その一方で本来、自然な子育て、家庭生活、同年代の子ども達が育つような環境の中で育っていっていた子達までもが、親御さんの手から離され、支援の世界へと囲まれてしまっている現状があると思います。
現代科学の力では、客観的に、生物学的に、発達障害やその重症度を確認することはできません。
ましてや、その子が将来、どのくらい発達、成長するかなんて、誰にもわからないのです。
そうなると、必要になってくるのは親御さんの姿勢です。
親御さんがどのように育てたいか、育ってほしいか、がそのまま子ども達の生活、人生に直結するのです。
ある程度、大きくなれば、自分自身で変えられる部分もありますが、乳幼児期なんて親御さんが頑張らなくて、誰が頑張るのです。
現状の発達障害の子ども達は、95%くらいが未発達な子、発達にヌケがある子だと思いますので、とにかく今、発達に遅れがあったとしても、我が子のより良い発達のために試行錯誤しながら頑張っていく必要があるのではないでしょうか。
そこを一生懸命頑張ったうえで、残ったものがあれば、そこは支援サービスを求めればいいと思います。
育ててもいないのに、やることをやってもいないのに、ハナから支援者にお預けでは、家庭はただご飯を食べさせ、寝せる場所、親はそのお世話役ってことにはなりませんかね。
それは医師も、支援者も、育児放棄を幇助しているように見えますし、親御さんを一段低く見ているようにも、私には見えてならないのです。
人を能力の違いで差別する人が、発達障害の人達の支援を叫ぶのは矛盾していませんかね。
同じように、「医師でもないくせに」という人も、差別する人だと私は思います。
医師というのは、医師免許を取得した人であり、それは国が定めた資格の一つです。
資格を持っているから偉いわけでも、資格を持っていること=腕がいい、名医である、とはならないはずです。
免許は医療行為をして良いという資格が与えられたということのそれ以上でも、それ以下でもありません。
教員だって、弁護士だって、建築士だって、気象予報士だって、うまい人もいれば、下手くそもいて当然です。
ある程度の知識の習得は試験で確認できますが、試験の点数をとる能力と、実際にその現場で適切に振る舞える能力とは異なります。
よって「医師でもないくせに」という人は、テストの点数で人の価値が決まると思っている人であり、それだったら発達障害の子、知的障害を持つ子はダメなのか、となって差別の心があるともいえます。
日本は天皇以外は、皆平等、人に上下がないという文化で2000年以上歩んできた国です。
そういった歴史に目を向けると、「医者が言ったから」「専門家が言ったから」というのは、そういう発言をする人、個人の問題だといえます。
自分の人生に責任をとるのは自分自身。
そしてある程度大きくなるまでの子の人生に責任を持つのは親御さん。
発達障害の世界において、どうも支援者側は親御さんを下に置きがちだし、親御さんのほうもヘンに自分を下に置き、支援者側に責任の所在をうつしがちなような気がします。
今の子ども達が社会に飛び立つ令和の時代は、様々なルーツを持つ人、他の国で育った人、そしてAIなど、ごちゃまぜで働き、生きていく時代です。
発達の違いなんて言うのは、それらに比べれば、微々たる違いでしょう。
診断を受けた子は支援学級、放課後児童デイ、福祉的作業所…なんていうのは時代に逆行もいいとこです。
過ごす環境を区別するというのは、大人たちの内側にある差別が形になっているだけなので、まずは親御さんが「我が子の子育ての主体は私達なんだ」と思うところから始める必要があると思います。
もう一度、発達障害を子育ての領域に戻していきたいですね。
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