2021年10月5日火曜日

【No.1195】ひっくり返して考えてみる

緊急事態宣言が終わり、市内での陽性者もZEROが続いているのに、自主的にマスクをつけている人達がいます。
もちろん、私がマスクをつけない自由があるように、その方達にもマスクをつける自由があるわけです。
だけれども、どうしてマスクをつけようとするのか、どうなったらあの人達はマスクを外すようになるのだろうか、と疑問に思います。
戦時中のように「欲しがりません、勝つまでは」「外しません、ゼロコロナまでは」という具合に必死にコロナが全国からいなくなるまで、はたまた岸田首相が「みなさん、マスクを外しましょう」と言ってくれるまでつけ続けるのかもしれません。


「マスクをつける」という行為は、他者である私から見れば、みなさん、同じように見えます。
そんな人たちと指さして「おかしい奴」とレッテル貼りをするのは、脳みその省エネで、考えることを放棄したのと一緒です。
ですから、「マスクをつける」という行為、つまり結果をひっくり返して考えてみます。


マスク→同調圧力→主体性の未確立(他人軸)→愛着障害
マスク→同調圧力→集団の和から離れることの不安→その人にとっての適応の形態(学校適応、会社適応、社会適応)
マスク→思考停止→心身に余裕がない→生活の苦しさ
マスク→思考停止→心身に余裕がない→考えることの放棄(マスクをつけないことの説明がメンドクサイ、説明を省くため)
マスク→思考停止→本能的な恐怖→感情的なショック(有名人の死、身近な人または自分の体験、テレビからの視覚情報)
マスク→思考停止→自ら考えるという習慣のなさ・とくに自分の考えはない
マスク→お守り→自分自身の健康不安
マスク→飛沫の防止→身近な人の健康不安
マスク→不快を感じない→長年の身体不調に対する慣れ
マスク→経済的な理由→雇用主から求められている
マスク→義務感・正義感→不安のひっくり返し
マスク→ポジティブな感情→小顔に見える、化粧しなくて良い、綺麗に見える


このように他人から見れば、みんな同じようにマスクをつけている人にしか見えませんが、そこに至るまでの過程は様々、背景も様々だということです。


では「マスク」を「感覚過敏」に変えてみましょう。
感覚過敏といっても、どの部位にどのくらいの強さ、または弱さ、まったく感じない、そしていつ頃から顕著になったか、その波は?という具合に、様々な症状の表れ方があります。
当然、その表れ方一つ一つに個人としての理由や生物学的、神経学的な理由も、環境的な理由もあるわけです。
で、しかも「2重マスク」「店内に入るたびに消毒液」「鼻マスク舌打ち」となれば、コロナ脳という診断がつくように(笑)、発達障害の診断は「感覚過敏」「こだわり」「言葉の遅れ」など、どういった症状が目に見えて確認できたか、によって決められていきます。
ですから、同じ診断名になっても、一人ひとりが全然違うというわけです。


一つひとつの症状にバリエーションと複雑な背景がある。
しかも、その症状の背景は問わず、確認できた症状の数で診断が決まる。
そして大問題なのは、その診断名によって「〇〇療法だ」などとアプローチの仕方を決めてしまう支援者、支援機関が多いということです。
「自閉症」→「構造化」、「学習障害」→「タブレット学習」、「多動」→「栄養療法」という具合です。
でも、本来、どういった療法、アプローチが必要か、は結果である診断名からは決められないのです。


診断名というのは、そもそも専門家同士のコミュニケーションのために作られた共通言語であり、利用者からすれば、福祉や教育的なサービスを受けるためのチケットです。
そういった場面においては、「こだわりが頻繁に見られ、言葉が単語で数個レベルで、聴覚過敏があり、知能的には1歳遅れくらいで、ハイハイを飛ばした〇〇くんです」と細かく説明するのは適切ではありません。
しかし、我が子の子育てにおいて、また教育においては、このような細かい症状が必要であり、それぞれの症状の背景を確認していく必要があります。
それができていないのに、子育ても、支援も、療育も、教育もできっこないからです。


たとえば、「口に過敏がある」というのでしたら…
哺乳時の様子はどうだったか?
嚥下や滑舌、舌の動かし方は?
脳幹の育ち全般に遅れがないか?
手の感覚は?指の動かし方は?
皮膚の張り、色はどうか?
水は飲めている?
おしっこの感覚は?量は?
毎日、うんちが出ている?
汗はちゃんとかけているかな?
ずりばいやハイハイ、ちゃんとやり切ったかな?
手づかみ食べは?
表情のバリエーションは?


など、「発達障害」←「感覚過敏」←「口の過敏」ではなく、「口の過敏」→「嚥下の問題」→「首の未発達」→「ハイハイのヌケ」→「脳幹の課題?」という流れになります。


「マスク」の例もそうですし、「口の過敏」の例もそうですが、物事は単純に1対1にはなっていませんし、いろんな理由・背景が複雑に絡み合ってその人の行動として表れているわけです。
なので、私がアセスメントをするときも、「正しく理解することは、捉えることはできない」という意識を持って行っています。
そもそも人間の行動の背景をシンプルに表そうなんて無理な話です。
よって、自分の中のルールとして1つの症状だったとしても、必ず複数のベクトルで確認していく、聴覚過敏だからといってすぐに前庭神経の課題と決めるのではなく、他の可能性、本当に前庭神経に未発達があるのかを別の行動から確認するようにしています。


ただし、単なるアセスメントなら上記のようにクドクドと全部確認し、すべての可能性を書き記せばよいのですが、私が行っているのは発達援助であり、家庭支援サービスです。
つまり、お客様であるご家族やご本人が利用できなければ、意味がない。
いろんな機関で行われたアセスメントシートを拝見させていただくことがありますが、執筆者の自己陶酔のような、読んでいて「で、だから、どうやって育てたら良いの?」という答えがないものが少なくないですよね。
だから、様々な背景の中からより根っこに近いものを、そこから育てれば芋づる式に全体的な発達に繋がっている部分を強調してお伝えしています。
やる気の出ないアセスメントは、報告書はただの紙切れっていう想いです。
是非、皆さまも、我が子を見るとき、担当している子を見るとき、症状からアプローチの仕方を考えるのではなく、症状から背景の向きに考えを巡らせてからアプローチを選択していってほしいと思います。
目に見える症状からは、対処法しか出てきませんので。
対処は育てていることにはなりませんね。


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