【No.1406】待つ

少年野球のコーチになって初めての公式戦が終わりました。
結果は初戦負け。
まだまだ課題が多いというか、勝負をする以前の段階かもしれません。
でもそれだけ伸びしろがあるということで、可能性の塊の子ども達とともに汗を流す日々は新たな生きがいを私に与えてくれているように感じています。


少年野球は「教える」がメインのようなイメージがあると思いますが、中に入って実際にやってみると「待つ」がメインのような気がしています。
当然、教えるべきことはある。
だけれども、その選手が教えられる準備ができているか、その段階にあるか見分けなければなりません。
いくら熱心に、また丁寧に教えても、その子の理解が届いていないことはある。
たとえ理解できたとしても、身体を使ってそれを表現できないことはある。
そこを見極めないで、教え方をころころ変えたり、「根性が足りない」と練習量を増やしたり、「だから今どきの子は」なんて愚痴ってもいけませんね。
子どもの発達は踊り場付きの階段系なので、ずっとできなかったことが急にできるようになることがある。
踊り場をゆっくり歩いて次の階段に向かっている最中に、いかに「待てるか」が重要だと感じています。


また子ども達を見ていると(もちろん、少年野球の子ども達だけじゃなくて)、学ぶ機会の喪失を感じることがあります。
親御さんは忙しいので、「自分がやった方が早い」とあれこれ手を出してしまう。
きょうだいがいなかったり、少なかったりするので、我が子に手をかけすぎる。
そうなると、子どもはやってくれるのを「待つ」
だからいざ集団活動になると、みんな、動くことができない。
大人が大きな声を出して指示をすれば、それは素直に実行することができる。
でも、その指示がなければ、立ち尽くすか、おのおの自分勝手な行動へ向かってしまう。
全体を見て、「ああ、これをやらなくては」とはなりにくい。
だって、そのように考え、行動する前に、大人が行動してくれたから。
この前、うちの下の子が水筒を忘れて学校に行くと、学校から電話がかかってきて、「水筒、忘れてますよ」って担任の先生がわざわざ(遠足とかじゃなくて普通の日)。
水筒を忘れても、蛇口から水を飲めばいいし、忘れたのは自分が悪いんだから「今度忘れないようにするにはどうしたらいいかな」と考えるのも大事だと思うんですが。
大人になっても片付けができない人は、子どものときから片付けをしてもらっていた人で、忘れ物をする人は「忘れ物はないの?」って常に親から先回りされ、ちゃんと忘れるという経験ができなかったからだと思う。
できないんじゃなくて、やらせてこなかったんじゃないかな。


発達相談を行っていても、「まだ治らない」「まだ育たない」という声が聴こえてきます。
もちろん、アセスメントのズレがあって、発達の課題の根っことアプローチがミスマッチしていることもある。
だけれども、その大半は親御さんのほうが「待てない」ということなんじゃないかなと感じるのです。
「就学までに」「私の職場復帰までに」「今度、じいじとばあばに会う前に」
私がその悩み、苦しみからいち早く抜け出したい、解放されたいというのもあるでしょう。
でも子どもは大人の都合のために、4月からの新年度という社会の決まりのために、発達、成長を決めているのではありませんね。
課題は課題をクリアできる準備が整ってから解決に向かっていける。
発語が出るためには言葉を発するための発達の土台が必要で、勉強は勉強ができる身体の準備が必要。


土台となる発達、育ちが完了していない子に、「さあ、育て」「治せ」と言っても無理な話。
そうです、私たちにできることは彼らの準備を温かく見守り、応援すること。
つまり、きちんと「待つ」ことなんです。
育ちの主体は子ども達、一人ひとり。
親がいくら頑張っても、代わりに育つことはできません。
野球でいえば、代わりにバッターボックスに立つことも、守備につくことも、ボールを投げることもできない。
いざ選手をフィールドに送り出したら、あとは彼らを信じ、練習の成果が存分に出せるよう願うことのみ。


子ども達と一緒に練習することはできるけれども、試合で闘うのは彼ら。
試合が始まれば、誰も助けてくれる人はいないのです。
人生も同じで、7歳の子だったとしても、7年間の人生があり、これから先に続く人生があある。
その人生の中で、発達の課題というものをもっている。
ほかの子は家族の課題かもしれないし、健康という課題かもしれないし、それは人それぞれ。
それぞれの課題を見比べて、「こっちが大変」「あっちが楽」と言っても意味はない。
子ども自身はほかの子と比べない。
ただ自分の課題、人生を歩んでいるだけ。
その歩み続けている子どもにとって、親は、家族は環境の一部でしかないのです。
だって、代わりにその子の人生を送ってあげることができないから。


子どもの発達は「踊り場付きの階段形式」ってわかれば、親御さんも気持ちが軽くなるだろうし、周囲の大人ももっと待つことができると思います。
野球を本格的にやるのは、高校3年生の夏以来。
気持ちは高三の夏でも、身体は40過ぎのおじ(笑)
この年齢になって、こんなにバットを振ったり、ボールを投げたりするとは思わなかった(笑)
でも、いつの間にか「できるようになってる!」という場面に遭遇させてくれる。
試合に負けて、自分が打てなくて、涙を流している純粋な瞳を見ることができる。
私も持っていただろう純粋な瞳を取り戻せるよう今日もバット片手に彼らの成長を待とうと思っています。



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