ローカル福祉施設への供給の場

特別支援教育には、こんな雰囲気がある。
小学校は、勉強。
中学校は、勉強よりも作業。
高校は、とにかく作業。
「現場実習に行って、とにかく経験を積ませるんだ」という学校の姿を見ると、そこは学校ではなく、そこは学びの場ではなく、そこは就職予備校であり、当地で言えば、福祉施設への供給の場に見えてくる。
特別支援"教育"が根本的な学びを大切にしなくて、どうするんだ。


同世代の子どもたちよりも、発達、成長の速度がゆっくりな子ども達。
もっとゆっくり時間をかけて、それこそ、定型の子ども達よりも1.5倍、2倍の時間をかけて、根本的な学び、基礎的な学びを積み重ねていけば良いのに、と私は思う。
それなのに、「18歳卒業→福祉施設」という逆算から、学んでいる途中の子がいるのにも関わらず、「はい、中学生になったから、作業学習ね」「はい、高校生になったから現場実習ね」と、彼らの持つ手から鉛筆を取り上げる、そんな感じがする。


「18歳で進路を決めなくてはならない」
というのは、ローカル福祉業界の営業戦略。
そうやって順番待ち、利用者数を確保しつつ、新しい通所施設やグループホームを作るための根拠と安心を得ているだけ。
こんなことに教育がプレッシャーを感じたり、慌ててしまったりしてはならない。
本当なら一般就労できる可能性があった子も、より自立的な生活ができた子も、18でというか、12歳くらいで、ぶちっと教育が切れてしまうもんだから、ローカル福祉業界の敷いたレールの上に乗ってしまうのだ。


通所施設とグループホームは、別々のようで実際には分かれてはいないことが多い。
「一般就労しつつ、グループホームを利用したい」というニーズには応えていないのが現状(ローカルの場合)。
だいたい通所施設を利用している人の中から、新しいグループホームの利用者を集め、優先させる。
自分のところの通所施設を利用していない"外部"からの受け入れは、待機者名簿の最後方へ。
「(外部から)入りたければ、多額の寄付金を」というのも一般的な話。


今月は、当地の進路状況の話を聞いたり、通知表を見せてもらう機会が多かった。
「高校卒業後、すぐに福祉施設に入るための教育?」
「作業をするための学校?」
毎年のことだが、そんな"?"が浮かぶ1ヶ月だった。


私は、知的障害を持つ子にも基礎となる学力を身に付けさせてもらいたいと思う。
また特別支援教育全体として、もっと「人を育てる」ことを大切にしてもらいたいと願う。
作業学習をいくら積み重ねても、作業所で働く力は身につくかもしれないが、人としての成長と発達にはつながらないこともある。
とにかく学校は、本来の教育を行ってほしい。
今のように、学校がローカル福祉施設への供給の場になっているように見えてしまうのが、私は悲しい。

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