高校球児が思い出させてくれた

高校3年生の最後の夏。
地方大会の3回戦で私たちの甲子園の夢は終わりました。
高校3年間は硬式野球ばかりの毎日でいつも暗くなってからの帰宅でしたが、引退してからは夕方のだいたい同じ電車での帰宅する生活に変わりました。
帰りの電車の中。
車掌のアナウンスがある度に、同じタイミングで一緒にセリフを言って笑っている男性がいつも乗っていました。
いつも同じ駅の同じ扉から車内に入り、いつも同じ場所に立って電光掲示板を見ている男性。
卒業するまでの半年間、何度もその男性と一緒の電車で帰りましたが、その男性が自閉症の人かもしれないと思うのは大学に入ってからのことでした。

私は大学に入るまで、"自閉症"という障害について知りませんでしたし、名前すらも聞いたことがありませんでした。
大学へは小学校の先生になるために入りましたし、不登校や虐待などに関心があったため、教育心理学を専攻していました。
実際に4年間、児童相談所のボランティアで不登校の生徒と関わることを続けていました。

障害児教育の専攻だった友人から障害を持った子どもたちの余暇支援ボランティアに初めて誘われたときも、私のイメージする障害を持った人は肢体不自由の人しか思い浮かびませんでした。
「なんでみんな絵のカードを持って歩いているの?」
「たくさん友だちやボランティアの学生がいるんだから、そんな狭い囲いの中にいなくてもいいんじゃない??」
「そんなにくるくる回ったら目が回るんじゃない???」
初めて自閉症の人たちの様子を見た私の頭の中は「?」がいっぱいでした。
そのときの自閉症の人たちの印象は『声をかけてはいけない几帳面な人たち』でした。

そんな自閉症の人たちとの初めての出会いから1年が経った2年生の秋。
私はひょんなことから自閉症の男子生徒の休日ボランティアをすることになりました。
その自閉症の男子生徒は、こだわりが強く、よくパニックを起こす人でした。
初めてその様子を見たとき、正直大変なことを引き受けてしまったと後悔していました。
しかし、一度引き受けたからには責任がありますし、その生徒が落ち着いて過ごせるように頑張らないといけないと思いました。
そこから自閉症についての勉強が始まりました。
障害について書かれた本を生まれて初めて手にした私。
「自閉症は生まれつきの障害で、発達障害の一種」
「脳の機能に何らかの障害がある」
「自閉症には3つの共通する特性がある」
など、書かれていることはどれも知らないことばかり。
特に驚いたことは、知的障害を持っていない自閉症の人がいるということでした。

自閉症の人と関わると次々とわからないことが出てきました。
だから大学に帰って勉強する。
そして少し理解できたから、また自閉症の人と関わりたくなる。
気が付いたら自閉症の勉強に熱中している自分がいて、いつの間にか自閉症の人と関わるボランティアを他にもやるようになっていました。

小学校の先生になることを夢見た青年は、いつの間にか自閉症の人たちと関わることに喜びを感じるようになり、自閉症の人たちの生活をもっと知りたいと自閉症の専門施設に就職。
アメリカに行ったり、養護学校の先生になったり、そしてついには学生時代から思い描いた社会を作るために起業。
初めて自閉症の人に会ってから10年。
人生何が起こるかはわからないですね。
自分が起業するなんて夢にも思いませんでした。

夏の甲子園に向けた北海道の球児たちのニュースが私にいろいろと思い出させてくれました。
10年後、どこで何をしているのかな・・・。
まあ、10年後より明日の生活の方の心配が先ですね(^▽^;)

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