【No.1419】「集団が苦手」は「集団が必要ない」ではない
「まずは20かける20でいくべ」
「もうちょっと上げてくれや」
「今日もゆるくねえなぁ~ガッハッハ」
数日前から家の前のマンションの改修工事が始まり、元気なおじさん達の声が聞こえてきます。
朝の7時半過ぎから作業員さん達が集まってきて、『あんぱん』が始まるころには重機のゴゴゴーンという音が鳴り響きます。
ピタッと静かになるのがお昼の合図。
夕方の作業が終わるまで、とても賑やかな一日。
いくつになっても、「働くって楽しい」と教えてくれているような気がします。
「人と関わるのが苦手」
「一人が楽で良い」
という人達がいます。
どちらかといえば、そう思っている大人のほうが多いかもしれません。
そこに「ASDの特性」という大義名分が加われば、おのずとそちらの方向へと子ども達を誘っていく。
確かに子ども達も「集団がきつい」という。
でも、「集団がきつい」と「集団生活が必要ない」はイコールなのでしょうか。
園生活や学校生活など、集団の中で生活、学習することが辛いと感じる子ども達はいます。
だから個別対応があって、特別支援教育がある。
まず大事なのは安心できる環境で、学びや成長を積み上げていくことだから。
しかし、それは「集団生活が辛い」という根本原因を解決するまでの一時的な避難でしかないと思うのです。
よっぽど才能があって、一人で芸術的な絵や曲を捜索することができる。
よっぽど資産があって、一人で何不自由することなく生きていくことができる。
そんな人は一握りの中の一握りであって、発達障害があろうとも、自閉症で特性が強かろうとも、人と関わり、集団の中で生きていかなければなりません。
そんなことは支援者だって、医師だって、先生だって、親だって、知っている。
もっといえば、当事者の人たちだって知っている。
だってみなさん、私にそういうから。
「いつかは集団の中で生活したり、働いたりしなきゃならない」
「いつかはみんなと一緒に勉強したり、遊んだり、働いたりしてみたい」
一人が楽だけれども、できるなら誰とも関わらず生きていきたいけど、それじゃあいけないのは百も承知。
支援者は「苦手」を「不可能」と変換する。
「できないこと」は「できるようになりたい」ということに気づけないでいる。
「辛い」は「楽になりたい」という希望の言葉、未来に向けた前向きな言葉であることがわからないことがある。
感覚過敏は治るし、知的障害があっても認知機能は伸びていく。
自閉症の特性だって、根本を辿っていけば、育てなおしていくことができる。
新年度が始まり、集団の中に、社会の中に飛び出していった元発達障害の子ども達。
早速、友達ができた子もいる。
仕事が大変だけど、仕事を覚えると楽しいと言っていた若者がいる。
もし彼らが「ありのままで」「特性だから個別対応」という世界のままでいたら、今の感動は味わえなかったかもしれない。
人と関わる楽しさ、集団の中でなにか目標に向かって共に歩んでいく喜び。
「登場人物が主人公だけの物語は成立しない」
高校時代の現代文の先生がよく話していたこと。
発達障害、自閉症の人たちの人生にも、自分以外の登場人物が多いほうが豊かになるのではないか。
他人から感謝される喜び、ひとや社会のために行動できた達成感、充実感は一人では味わうことはできません。
マンションの足場を大きな道具を持って行ったり来たりしているおじさん達は大変そうだけど、楽しそう。
今も大きな笑い声が聞こえてくる。
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