【No.1059】環境に適応し、生き残るためにヒトは発達する
北海道も桜が満開になり、その桜も少しずつ緑の葉っぱが目立つようになってきました。
北海道の春は、桜だけではなく他の花々も一気に咲き始めるので、見るものを楽しませ、やっと心地良い季節がやってきたなと思わせてくれます。
全身に陽を浴び、目や耳、鼻で春の訪れを味わう日々です。
自然の中ほど、子どもの感覚を育てるのに最適な場所はありません。
特に日本には四季がありますので、その四季を感じる行為自体が何よりの発達援助になります。
発達相談において感覚系の発達の遅れ、課題を挙げられる親御さんが多くいらっしゃいますが、ほとんどのお子さんは「自然の中で思いっきり遊びましょう」で私の助言は終わります。
何も特別なことは必要ありません。
子の本能に、発達する力に、自然の持つ豊かな刺激に委ねれば良いのです。
ある意味、委ねきれないからこそ、発達の遅れが遅れたまま、未発達が育たぬままになるのだと思います。
ヒトはどうして感覚面を進化させたか、発達させるかといえば、生き残るためです。
生き残るとは、つまり環境に適応すること。
ヒトが適応する場所とは、家の中でも、学校の中でも、会社の中でもなく、自然の中です。
学校で勉強ができるようになるために進化したわけではありません。
職場で働くために感覚面を発達させるのではありません。
自然という常に揺らぎと変化、五感への刺激、生命への危険が存在する環境へ適応するために、私達はいろんな面を発達させるのです、発達させる必要があるのです。
ですから人間が作った環境では発達が生じにくい。
より効率的に学習や仕事をするために不安定さを排除したからです。
当然、自然の中にある危険も遠ざけていきました。
社会の発展とともに、感覚刺激・発達刺激は乏しくなったのです。
私達の親の世代、その親の世代までは、特別な支援などと言う必要がなく、まさに自然の中で自然に育っていったのだと思います。
現在、発達の遅れが遅れたままの子ども達が増えているのは、まさに自然の中で自然に育っていたという機会を失ったからだといえます。
発達の遅れを訴えられ、相談に来られるお子さんのほとんどは、この機会を失っているだけの子ども達です。
何かかっこよく専門用語などを使いながら、あたかも高尚な技術、助言であるかのごとく示すこともできますが、それをやるのは二流、三流がやる仕事です。
とにかく本人主導で、その子の想いのまま、時間を忘れるくらい自然の中で遊び切れば、多くの未発達、発達の課題は育っていくものです。
ヒトの進化、発達という本質から見れば、至極当たり前の話。
自然に適応するための"発達"なのですから、その自然に身を任せればよいのです。
しかし一方で、自然の中で遊んでも育たないお子さん達がいるのも事実です。
毎日、外で遊び十分な刺激を浴びているのに感覚面の発達が滞っている。
そんなとき初めて仕事になります。
感覚面の不具合は、感覚器だけの問題ではありません。
たとえば皮膚で刺激を受け取る。
でも受け取っただけでは感じることができないのです。
つまり、皮膚で受け取った刺激を脳まで届ける必要がある。
そして届いた刺激を脳が認識することで感覚というものが成り立つのです。
自然の中で十分に刺激を浴びているのに育っていかない子は、この刺激の移動に躓きが存在する場合があります。
お子さんとお会いしたとき、お子さんの首に違和感を感じると、感覚系の滞りを私は連想します。
首は感覚刺激の通り道。
首に違和感を感じる場合は、おっぱいの吸いや首の据わりなどを確認します。
私達は当たり前のように首を動かしていますが、首が自由自在に動くということは、脳が指令を出せている証拠です。
脳と首が神経でつながっているからこそ、自然な首の動きができます。
ということは、自然な首の動きができなければ神経の繋がりに課題があり、当然、末梢神経から伝わってくる刺激が首を介して脳まで届かないということになります。
そういった場合、いくら自然の中で刺激を受けようとも、感覚系の課題が育っていきません。
感覚系の発達の遅れ、未発達は、「刺激が乏しい」「感覚器の問題」「首(背骨も)の問題」が考えられます。
2/3は自然が育てる。
残りの首や背骨の問題は、親御さんの促しが必要ですが、それも遊びを通して本人が育ててしまうことのほうが多いと言えます。
よって、子の感覚面の育てたいと思えば、それが障害特性などと誤認識し育てることを諦めないようにするだけ。
あとは本人の内なる力と自然の刺激に委ねるのみです。
何も難しいことはなく、ヒトがなぜ、発達しなければならないかという原点に立ち返れば大丈夫。
せっかく良い季節がやってきたのですから、自然の中で過ごしてみる。
せっかく日本には四季があるのですから、その四季を全身で味わってみる。
特別支援と聞くと、何か特別なことをしなければならないと思いがちですが、まったくもってそんなことはありません。
特別な方法も、特別な知識も、特別な支援も必要なし。
目の前にいる子の発達をどうしたらより良いものにしていけるか、豊かなものにしていけるか。
その答えはとてもシンプルなものなのです。
「環境に適応し、生き残るためにヒトは発達する」
現在で言えば、自然の中でよりよく適応できる人、適応できる発達を遂げた人が、学校でより良く学び、会社でよりよく働き、社会で自立して生きていけるということ。
この順番、流れさえ間違わなければ、多くの子ども達が将来、自立した人生を送ることができます。
ヒトが発達する意味、ヒトの発達の順番・流れを押さえると、子育ての方向を間違うことはないと思いますし、他の子と比べてゆっくりでも最後には発達課題をクリアしていると思います。
北海道の春は、桜だけではなく他の花々も一気に咲き始めるので、見るものを楽しませ、やっと心地良い季節がやってきたなと思わせてくれます。
全身に陽を浴び、目や耳、鼻で春の訪れを味わう日々です。
自然の中ほど、子どもの感覚を育てるのに最適な場所はありません。
特に日本には四季がありますので、その四季を感じる行為自体が何よりの発達援助になります。
発達相談において感覚系の発達の遅れ、課題を挙げられる親御さんが多くいらっしゃいますが、ほとんどのお子さんは「自然の中で思いっきり遊びましょう」で私の助言は終わります。
何も特別なことは必要ありません。
子の本能に、発達する力に、自然の持つ豊かな刺激に委ねれば良いのです。
ある意味、委ねきれないからこそ、発達の遅れが遅れたまま、未発達が育たぬままになるのだと思います。
ヒトはどうして感覚面を進化させたか、発達させるかといえば、生き残るためです。
生き残るとは、つまり環境に適応すること。
ヒトが適応する場所とは、家の中でも、学校の中でも、会社の中でもなく、自然の中です。
学校で勉強ができるようになるために進化したわけではありません。
職場で働くために感覚面を発達させるのではありません。
自然という常に揺らぎと変化、五感への刺激、生命への危険が存在する環境へ適応するために、私達はいろんな面を発達させるのです、発達させる必要があるのです。
ですから人間が作った環境では発達が生じにくい。
より効率的に学習や仕事をするために不安定さを排除したからです。
当然、自然の中にある危険も遠ざけていきました。
社会の発展とともに、感覚刺激・発達刺激は乏しくなったのです。
私達の親の世代、その親の世代までは、特別な支援などと言う必要がなく、まさに自然の中で自然に育っていったのだと思います。
現在、発達の遅れが遅れたままの子ども達が増えているのは、まさに自然の中で自然に育っていたという機会を失ったからだといえます。
発達の遅れを訴えられ、相談に来られるお子さんのほとんどは、この機会を失っているだけの子ども達です。
何かかっこよく専門用語などを使いながら、あたかも高尚な技術、助言であるかのごとく示すこともできますが、それをやるのは二流、三流がやる仕事です。
とにかく本人主導で、その子の想いのまま、時間を忘れるくらい自然の中で遊び切れば、多くの未発達、発達の課題は育っていくものです。
ヒトの進化、発達という本質から見れば、至極当たり前の話。
自然に適応するための"発達"なのですから、その自然に身を任せればよいのです。
しかし一方で、自然の中で遊んでも育たないお子さん達がいるのも事実です。
毎日、外で遊び十分な刺激を浴びているのに感覚面の発達が滞っている。
そんなとき初めて仕事になります。
感覚面の不具合は、感覚器だけの問題ではありません。
たとえば皮膚で刺激を受け取る。
でも受け取っただけでは感じることができないのです。
つまり、皮膚で受け取った刺激を脳まで届ける必要がある。
そして届いた刺激を脳が認識することで感覚というものが成り立つのです。
自然の中で十分に刺激を浴びているのに育っていかない子は、この刺激の移動に躓きが存在する場合があります。
お子さんとお会いしたとき、お子さんの首に違和感を感じると、感覚系の滞りを私は連想します。
首は感覚刺激の通り道。
首に違和感を感じる場合は、おっぱいの吸いや首の据わりなどを確認します。
私達は当たり前のように首を動かしていますが、首が自由自在に動くということは、脳が指令を出せている証拠です。
脳と首が神経でつながっているからこそ、自然な首の動きができます。
ということは、自然な首の動きができなければ神経の繋がりに課題があり、当然、末梢神経から伝わってくる刺激が首を介して脳まで届かないということになります。
そういった場合、いくら自然の中で刺激を受けようとも、感覚系の課題が育っていきません。
感覚系の発達の遅れ、未発達は、「刺激が乏しい」「感覚器の問題」「首(背骨も)の問題」が考えられます。
2/3は自然が育てる。
残りの首や背骨の問題は、親御さんの促しが必要ですが、それも遊びを通して本人が育ててしまうことのほうが多いと言えます。
よって、子の感覚面の育てたいと思えば、それが障害特性などと誤認識し育てることを諦めないようにするだけ。
あとは本人の内なる力と自然の刺激に委ねるのみです。
何も難しいことはなく、ヒトがなぜ、発達しなければならないかという原点に立ち返れば大丈夫。
せっかく良い季節がやってきたのですから、自然の中で過ごしてみる。
せっかく日本には四季があるのですから、その四季を全身で味わってみる。
特別支援と聞くと、何か特別なことをしなければならないと思いがちですが、まったくもってそんなことはありません。
特別な方法も、特別な知識も、特別な支援も必要なし。
目の前にいる子の発達をどうしたらより良いものにしていけるか、豊かなものにしていけるか。
その答えはとてもシンプルなものなのです。
「環境に適応し、生き残るためにヒトは発達する」
現在で言えば、自然の中でよりよく適応できる人、適応できる発達を遂げた人が、学校でより良く学び、会社でよりよく働き、社会で自立して生きていけるということ。
この順番、流れさえ間違わなければ、多くの子ども達が将来、自立した人生を送ることができます。
ヒトが発達する意味、ヒトの発達の順番・流れを押さえると、子育ての方向を間違うことはないと思いますし、他の子と比べてゆっくりでも最後には発達課題をクリアしていると思います。
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