「治るか治らないか」よりも大切な親心

おもしろいことに、ある意味当然だといえるのですが、私のところに相談、アクセスしてくる人の中には、「治る」と思っていない人もたくさんいます。
いろんな場面で、私は「治る」と発信していますが、それでも、「そんなわけはないよね」と思いながらも、相談にいらっしゃるのです。


「治る」と発信している私のところに、「治る」を信じられない人が訪ねてくる。
本来なら、その方達は治らないと思っているのですから、別のところに行けば良いものを。
じゃあ、何故、わざわざ相談先に選ばれるのか。
それは、皆さん、特に親御さん達の多くは、我が子を支援や配慮ではなく、育てたいと思っているから。
それに、全部が全部治らなくても、部分的には、ある点に関しては、育んでいけるし、治っていけると思っているから、だと感じます。
ですから、「治る」という表現には共感できないけれども、「発達を後押ししていく」「支援ではなく、子育ての中で発達を促していく」という考え方とそのアイディアに共感されるのでしょう。


最初に扉を開けたとき、「治らない障害」という言葉に衝撃を受けるとともに、なんだか腑に落ちない感情が残ると思います。
本当に、我が子に見られる状態や行動が、すべて特性であり、その子の持って生まれた資質なのだろうか、と。
特に、2歳や3歳など、幼い頃に診断名を告げられた親御さんは、そのように思うはずです。
実際、いろんな親御さんから、そのような当時の疑問、モヤッとした気持ちについてお話を聞きました。


しかし、現実問題として、その子の状態や行動の理由が特性なのか、未発達なのか、生活や環境の影響か、脳や身体、内臓の課題なのか、を見極めることは、とても難しいといえます。
現在の診断は、医師の問診と視診で行われています。
血を採るわけでも、脳波を撮るわけでもなく、今、目の前の状態と行動から判断する。
ガンなどの病気や、染色体、身体的な障害とは異なり、それくらい曖昧なものなのです。


客観的なデータではなく、主観の入る余地のある曖昧な診断。
だからこそ、本当なら、その告知も、その後の特別支援の世界での捉え方も、もっと曖昧なものであるはずです。
でも、何故だか、最初から「治らない障害」と告げられてしまうし、その後の療育、支援、学校も、「治らない障害」前提で進んでいく。
もちろん、発達障害、自閉症の人の中には、遺伝的な部分もあれば、資質的なところもあり、変わらない部分もあるでしょう。
でも、だからといって、あらゆる状態、行動、困ったこと、苦手なことが、「すべて特性である」というのは、とても乱暴だと思います。


これまで、そのような乱暴な言葉、解釈によって、どれだけの本人たちが、親御さん達が傷つき、悲しんできたことか、と思います。
ですから私が、相談に来る「治らない」と思っている親御さんに対しても、
「すべてが障害特性ではないですよね」
「すべてが支援や配慮、周囲が受け入れるべきことではないですよね」
「全部を治すことはできなくても、部分的に育てられ、治せるところもありますよね」
というお話をすると、心からそう思うと納得されます。


こういった親御さん達の姿、感想をお聞きしていますと、親御さんはちゃんと気がついているのだと思いますし、柔軟な発想を持っていると感じます。
確かに専門家のような知識や技術は持ち併せていなくても、「これがこの子の特性であり、生涯変わることのないものだ」という言葉に疑問を持つことができる。
「ここからが特性で、ここからが未発達で、ここからが生活、環境の影響で」という具合に、明確な線引きも、説明する言葉もないかもしれませんが、ちゃんと我が子の育んでいける部分を視界に捉えることができている。


私が関わった親御さんの中に、最初は「治るなんて…」と言っていた方が、お子さんの課題がどんどん解決し、伸びやかに発達、成長していく姿を見て、「これが“治る”なんですね」と感想を述べられたこともありました。
本来、親というものは、「治るか治らないか」が最優先ではないはずです。
我が子が苦しんでいれば、「少しでも良くなってほしい」と思う。
我が子には、伸びやかに、健やかに成長してほしいと思うし、自立へ向かって歩んでほしいと願うもの。
ですから、私が「治る」と発信しているかどうかなんて、ほとんど関係がないことなのだと思うのです。


どんな専門家でも、親の代わりはできませんし、親以上に関わることはできないのです。
だからこそ、親御さんの物理的にも、心理的にも、本能的にも、優れている部分を活かし、その力を存分に発揮できるようなサポート、後押しをするのが、専門家の役割だと思います。
親御さんが育めると思う部分、まだまだ育っていくと思う部分に対し、アイディアと言動で後押しするのが私の役目。
「ここが治せる部分で、ここが治せない部分」とジャッジするのが仕事ではありません。
何故なら、親御さんの多くは、ちゃんと治せる部分、育める部分に気がついているから。
それを表現する言葉を持ち併せていないときに、そっと言葉をお貸しするのが、親御さんへの後押しの一つになると考えています。

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