【No.1416】自分の頭で考え、行動する

昨日、一部の報道で「北海道根室沖でマグニチュード9クラスの巨大地震を引き起こしうるプレートのひずみが蓄積されている可能性」とありました。
でも、地震について調べてみると、ひずみと地震の関係性は明らかになっていませんし、そもそも地震のメカニズムもまだ研究途上。
ですから地震学の予算を得るために、その研究組織を永らえるために、定期的な研究結果とやらを出してきたのだろうとうがった見方をしてしまうのは私が性格が悪いから?
それもあると思うけど、政府が出している「全国地震予測地図」とやらを見たからかもしれない。


南海トラフが想定されている地域は赤色で示されている(2020年版)。
でも、2024年の能登地方は警戒地域になっていなかった。
じゃあ、東日本大震災の前年(2010年版)に出された地図ではどうなっていたか?
関東地方は南海トラフの関連で赤く警戒地域になっていたけれども、東北地方は一部を除いて30年間に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率は0.1%以下。
それじゃあ、誰も警戒しなかったじゃないか。
もし地震予測で東北地方を警戒地域で示していたら、もっと準備、備えができていたかもしれない。
もっと多くの命が救われたかもしれない。


南海トラフ地震。
今後30年以内に80%の確率に引き上げられたのもここ最近。
もし本当に起きれば、「ほれ、正しいじゃないか」となる。
もし起きなくても、30年後にはそう発表していた専門家たちは退任しているか、お墓の中。
だからどっちに転んでもOK。
いま、予算が得られれば。
ある専門家は、南海トラフは土木、公共事業を引っ張ってくるための手段でしかない、と発言していましたね。


「社会はフラクタル構造」というのは私が考える出発地点。
2000年代に始まった発達障害ブームも、予算の奪い合いのための手段だったかもしれない。
2005年に施行された「発達障害者支援法」
それによって多くの税金がこのギョーカイに流れた。
発達支援センター、児童デイサービス、啓発活動の予算、学校は教員を増やすことができ、福祉、医療は多くの顧客を生み出すことができた。
ニーズがゼロだったとはいわないけれども、日本人の悪い面の貧乏根性が「もっともっと」と鵺のような化け物を生み出す。
サービスや支援が増えた今、発達障害のある人たちは生きやすくなったのだろうか?
20年経って得たのは、支援者という職だっただけじゃないだろうか?
地方に住んでいると道路が支援者に変わっただけに思える。
よくなれば「支援、療育、薬、支援者のおかげ」
悪くなれば「それが障害だから。特性だから。生まれつきの障害で治るものじゃないから」
2000年代の発達障害ブームを牽引してきた人たちの姿はもう見えない。


コロナは注射ではどうにもできなかった。
必要なのは自身の免疫と養生、自然治癒力。
地震だってどこで起きても不思議じゃないのがこの日本という島国。
結局、自分たちで備え、自分たちで治し、困難を乗り越えていくしかない。
それがこの土地に住む者の定め。
20年間、発達障害を持つ人、家族を支えてきたのは国や行政、専門家ではなかったのです。
予算獲得のために使われた当事者の人たち、親御さん達は数知れず。
一方で自らの足で、自らの試行錯誤によって、自らを育て、治し、困難を乗り越えていった人達。


14年目の3月11日を迎えた私たちは何を考え、行動すべきでしょうか。
なぜ、あのとき、亡くなった人がいて、なぜ、いま、私は生きているのだろう。
不平不満を言い続けていないだろうか。
誰かのせいにしたり、言い訳したりしていないだろうか。
誰かの言葉をうのみにしたり、誰かが代わりにやってくれる、助けてくれると思っていないだろうか。


自分の頭で考え、行動しましょう。
目の前の困難は本当にどうしようもないことなのだろうか。
ほかに手立てはないのだろうか。
まだ見つけられていないだけなのかもしれない。
人の力を信じましょう。
子どもの持つ成長する力、生命力を信じましょう。
私たちは今、生きている。
だから、子どもに生じている困難だって、必ず乗り越えることができる。


犠牲になられた方々に改めて哀悼の意を表します。
令和7年3月11日 大久保悠


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